フェルディナント・フォン・シーラッハのレビュー一覧
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ネタバレ<(前略)私には参審裁判所で裁判長を勤めたおじがいました。故殺や謀殺などの殺人事件を扱っていました。おじは私たち子どもにもわかる事件の話をしてくれました。でも、いつもこういってはじめたものです。「物事は込み入っていることが多い。罪もそういうもののひとつだ」
おじのいうとおりでした。私たちはさまざまな物事を追いかけています。ところが物事の方が速すぎて、どうしても追いつけないものです。私の話に出てくるのは、人殺しや麻薬密売人や銀行強盗や娼婦です。それぞれにそれぞれがたどってきた物語があります。しかしそれは私たちの物語と大した違いはありません。私たちは生涯、薄氷の上で踊っているのです。氷の下は冷たく、ひとたび落ちれば、すぐに死んでしまいます。氷は多くの人を持ちこたえられず、割れてしまいます。私が関心を持っているのはその瞬間です。幸運に恵まれれば、なにも起こらないでしょう。幸運に恵まれさえすれば。(後略)>
まさに本書「序」のとおりだ。たまたまそれが可能な状況や環境が訪れた/いつの間にかそのような事態に陥ってしまった彼ら“犯罪者”と、まだ罪を犯してない私たちとの差など紙一重なのだろう。作者が描く数々の罪はどれも異様で不可解なものばかりだが、それは私たち人間そのものを描かんという意図の表れではないだろうか。 -
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(2013/5/27)
「ドイツの法律を変えた!」という書評に興味を持って読んだ。デイキャッチで豊崎さんが絶賛してた。
結末を読んで思ったのは、この事件、記憶にある、ということだった。
結末のどんでん返しがこの小説のすべてなので、ネタバレは避けたほうがいいのだろうが、、、
どの書評も結末は書いてない。
どう描いていいかわからないから、まずはDBから。
内容(「BOOK」データベースより)
2001年5月、ベルリン。67歳のイタリア人、コリーニが殺人容疑で逮捕された。
被害者は大金持ちの実業家で、新米弁護士のライネンは気軽に国選弁護人を買ってでてしまう。
だが、コリーニはどうしても殺害動機を話そうとしない。さらにライネンは被害者が少年時代の親友の祖父であることを知り…。
公職と私情の狭間で苦悩するライネンと、被害者遺族の依頼で公訴参加代理人になり裁判に臨む辣腕弁護士マッティンガーが、
法廷で繰り広げる緊迫の攻防戦。
コリーニを凶行に駆りたてた秘めた想い。そして、ドイツで本当にあった驚くべき“法律の落とし穴”とは。
刑事事件専門の著名な弁護士が研ぎ澄まされた筆で描く、圧巻の法廷劇。
最後ライネンは殺人動機を突き止める。
ドイツの悲しい歴史。
しかしそれでもなぜ今なのかはわからない。
最後コリーニがつぶやく。
ドイツの歴史と、家族への思いが複雑に、残酷に絡まった結末、といっておきましょう。
戦争が人間を狂気に追い込むのか。
理性の中でそれが出来たのか。
日本が「空気」の中で、負けるとわかっている戦争に突入したのと同列にできるのかどうか。
東条英機はA級戦犯にさせられたが、天皇の信頼を得て、なんとか戦争を停めようとしていたとも聞く。
いわゆる南京大虐殺、従軍慰安婦。戦後のアメリカの日本洗脳で、戦前の日本がすべて否定された。
侵略戦争は欧米も同罪。橋下の言うことは正しい。公人が公式の場でいっていいことかどうかは別だが。
我々は江戸時代、戦前の日本の良いところは取り戻さなければいけない。
話がそれたが、ドイツはドイツで過去の清算をしている、ということだ。 -
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自殺を考えたことがある人間としては安楽死が制度化されることは反対という立場で本作を読んでいた。
問題を提起したおじいさんの弁護士の言葉には一理あると思いつつもとてもイライラさせられた。
というのも、私は手段も場所も選んで実行しようとしたことがある。ただし、実行することはできなかった。自殺を考えるまでとそこからでは必要な精神力がまるで違った。死にたいけれども、実際に死んでしまった際に悲しむだろう人たちの顔が浮かんでくるものだ。だからこそ、実際に死ぬ部分のハードルを他人に託すことはとても恐ろしいことに思える。それに、人を殺すという業の深いことを他人にやらせるというのも罪深いことに思える。
解説に書かれていた日本と西洋での安楽死への考え方という部分で個人の権利に対する考え方が違うという話をされていたが、こちらには作中で書かれていたキリスト教としての考え方よりすんなりと受け入れられた。 -
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ネタバレ・あらすじ
78歳のゲルトナーは3年前に妻を亡くした。
身体的にも精神的にも健康な状況であるが、妻を亡くし人生に意味を見出せなくなったため医師による自死の介助を求めた。
ドイツの倫理委員会主催の公開討論会で様々な専門家が医学、神学、法学的に議論する。
・感想
ここ数年よく考える事柄が題材だったのでとても興味深く読んだ。
自己決定権、自由意志、一般的人権、尊厳とは。
生と死についての定義づけと線引きすることがいかに不可能かということ。
印象に残ったのはドイツの憲法では神について言及されているということ。個人的にはそんな「神」なんて存在するかどうかもわからないものを憲法に挟むなんてあり得ないという感覚。
司教に対して弁護士が論理的に矛盾点を指摘するシーンで司教が「信仰は理性的とは言えず論理的ではない」と返答してた場面。
そして「理性でも論理でも解決できない問題」について導き手となる信仰を持っているのはやっぱり精神的な主柱になり強くなれるなと思った。
あとは「法的に生きることは義務ではない」という一文。
全編とても考えさせられるやりとりばかりだったけど上記の3点が特に印象的だったかも。
人間は自己のみによって生きているのではなく、社会・共同体の中でお互いに義務と責任をもって生きている。
「社会が連帯し、面倒を見て尊厳を守ればいい」しそうできたらそれが理想なんだけどなかなか難しいし、人間にそれができるとも思えなかったり。
今作は舞台がドイツだったけど北九州市立大学の「死ぬ権利はあるかー安楽死における自己決定の諸相ー」という論説は日本の医療制度の問題なども絡めて日本人として日本人社会での安楽死、尊厳死の在り方について書かれていて、こちらもとても興味深い。
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そしてここから先は安楽死というより「尊厳死」について日々思っていること。
日本人の死生観の幼稚さと未熟さ、人間は必ず死ぬということすら理解できない、したくない人が一定数いるように感じている。死をドラマチックに演出し、感動ものとして消費する社会だし。
日本ほど医療が安価(9割税金だけどなー)に簡単に高水準の医療が受けられる国なんてない。
高水準な清潔さと安全な社会に生きてるからこそ「死」が遠くなり、忌避するものとなっている様に思われる。
そしてその死への不安な「お気持ちを」解消するために、日本では医療が宗教的役割を担わされている(自分たちの税金を使って)。
生命至上主義といえば聞こえはいいけど、じゃあ果たして「生きること」「生きているとは」を考えたことある日本人がどれだけいるだろうか?
根治不能な老化の身体に穴をあけ、針を刺し、管を通し、それら処置を嫌がって苦しがる人に「安全」「訴訟対策」のために体幹、手足を拘束する。
こういう処置も本人の意思じゃなく「家族の希望」でされることが多い。
そしてその処置を希望した家族は病院に預けっぱなし…。
人はいずれ死ぬという事を受け入れられず、病院にあずければどんな状態の人間でも回復すると思ってる。
無責任でストレス耐性が低いから、できることをなんでもしておかないと自分が見捨てた様に感じてしまうんだろうけど。
それって「命を大事にしている」と言えるのかな。
まさしく「人間の尊厳とは」をよくよく考えなければならない事態が日本の医療現場ではよく見られる。
解説にあった文章ですごく納得したのが「日本は「死ぬ権利」はおろか自己決定そのものが難しい社会だ」という部分。
まさに家族の意思が最優先される社会。
心臓さえうごいていたら生きているという事なの?これは「尊厳ある生」といえる状況なのか?と苦悩している医療従事者は多数いると思うよ。(そしてそこに疑問を持ってる人たちが活動してるのが反サロだし)
病院にいると「人権とは…」「尊厳とは…」と考えずにはいられない。
そして繊細な人は耐えられないからすぐ辞める、心を殺してただ指示されたことに対して無心で働くか、ある意味無神経で鈍感な人間しか生き残れないのが現代の日本の病院だと思ってる。
日本では「生命」と「尊厳」のバランスがとても難しい。
そして私は前線から撤退した側の人間。
まぁこのままいくとご自慢の皆保険制度の持続可能性すら危ぶまれる事態になっているわけだけど…。
(青天井の社会保障費、人、金、薬不足…)
安楽死について日本では議論すら始められない(数年前に安楽死導入についての議論を政策にあげてた議員立候補者が国民民主党から出馬してたけど案の定落選してたし)状況だし、幼稚で未熟な死生観と全体主義傾向の強い本邦では難しいだろうなと思ってる。
そして制度の適切な運用なんて到底無理だろう。
せめてリビングウィルという概念がもう少し浸透し、どんなに家族の希望があっても本人の意思に反した処置はされないようになってほしいなぁ。
まぁそのリビングウィルを決めた時点から状況が変化すれば決断もまた変わるんだけどね。
「人間は矛盾を抱えた存在だということです。良いこともすれば悪いこともする。社会は決して均質なものではなく、亀裂が走り、対立が存在し、多面的で、不統一です。(中略)しかし啓蒙された社会では、最終的に何が正しくて何が間違っているかということや、世界のあり方の最終判断など存在しないという点で一致できるはずです」 -
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『犯罪』『罪悪』に続く短編集。当初は本書を含めた三部作として構想されていたらしい。
前作および前々作と同様、描写は簡潔で、登場人物の心情はほとんど語られないため、読者の脳内で埋める余白部分が非常に多いのが著者の特徴。
幸せが一瞬のうちに奈落の底に突き落とされるような急転直下の展開が多いが、読んでいて驚くと同時にどこか納得してしまうのは、余白部分を埋めるパズルのピースの取捨選択が恐らく完璧だからで、率直に凄いと思う。
バッドエンドが多いので読後感の良さを求めるのであれば本書は向かないが、緊張感のある読み心地を体験したいのであればおススメの一冊である。
やはりシーラッハは現代を代表する短編作家だと、本書を読んで再認識した次第です。
いずれ翻訳モノではない、日本語ベースで書かれたこういうタイプの作品を読んでみたい。 -
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みんな大好きシーラッハさんの社会「観察記録(訳者あとがきより)」です。
48の章に別れたエッセイと創作が区別無く(視点の違いがヒントかも)並べられていて、それぞれが短文だからかシーラッハ独特の世界の切り取り方、視点、省略が「犯罪」「罪悪」以上に鋭く感じられ、予想以上に楽しめました。
幾つか「何この話」という物もあれば法律や権利を題材にした重い話もあったり、虚無感を抱えながらも人間をやっていくには他人を信頼していくしかないね、みたいな価値観に共感しながら読んでいました。
また頻繁に挿入される引用も魅力的でした。シーラッハファンは必読かと。是非是非。 -
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ネタバレエッセイなのか小説のアイデアメモなのかショートショートなのか、弁護士であり小説家のシーラッハが書いた文章臭といった体の1冊。
「法律なんだから守らなければいけない」法治国家で生きる以上それはそうなんだが、法律は本当に正しいのか?そのことは常に疑問に感じていたいと思う。
戦争当時のドイツも日本も法に基づいてかの戦争をしていたわけだし、戦後ついこの間までのアメリカの黒人は法に基づいて差別されていたし、今のロシアは法に基づいてウクライナに侵攻している。
万能でない人間が決めたものなんて、そんなものである。社会生活を営む以上順法姿勢は取っていても、あからさまに怪しそうな取り決めは疑ってかかるのがちょうどよい。 -
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「物事は込み入っていることが多い。罪もそういうもののひとつだ」
序章の一文が象徴するように、この短編集は、いろいろな出来事が積み重なっていき、後戻りできない犯罪を犯す人々を描いている。
犯罪を犯す刹那は、今まで踊っていた薄氷が不意に割れて、冷たい氷の下に落ちてしまう瞬間のようだ。誰だってそうなる可能性はある。
作者も言う。「幸運に恵まれれば、なにも起こらないでしょう。幸運に恵まれさえすれば」。
あくまで淡々と事実を積み重ねるクールな筆致ながら、行間に溢れ出すようなやるせなさや、切なさや、時には幸福感などの叙情を感じざるを得ない文体、ものすごく好みだった。
例えば最初の『フェーナー氏』、フェーナーの心情は一度もはっきり書かれない。フェーナーは、ラストに「しわくちゃになった封筒」から出した新婚旅行の写真の、妻の顔を親指でなでる。その写真は「保護膜がはがれ、彼女の顔はほとんど真っ白になって」いるのだ。
その描写で、フェーナーのいろいろな込み入った思いが伝わってきて、胸がいっぱいになる(読めば分かります…!)。
特に好きなのは『タナタ氏の茶碗』『チェロ』『正当防衛』『エチオピアの男』。
『チェロ』の最後、『華麗なるギャツビー』からの引用の「さあ、櫂を漕いで流れに逆らおう。だけどそれでもじわじわ押し流される。過去の方へと」も、胸が締め付けられる(こちらも読めば分かります…!)。
『エチオピアの男』は、泣ける!! -
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罪とは何か。これがシーラッハ文学の中心テーマだ。
…「罪」という漢字を分解すると「目に非ず」と読める。「現実」を把握するのに「百聞は一見にしかず」というが、こと「罪」に関してはこれが通用しない。なぜなら「罪」に見入る者は心の闇を覗くことになるからだ。
ー訳者あとがきより
ブラック・クリスマス、タダジュンさんのおどろおどろしいながらも目が離せない絵に惹かれて読んだ。
たった三遍が載った100ページにも満たないお話。
けれど読みやすい比較的短い文章で綴られた罪に満ちた三つの物語は、その主人公たちの末路はどれもじわじわと衝撃的で、けれど、ああ、これは私たちの物語だ。と思わされた。
主人公たちはカオスに魅入られて、罪を犯してしまう。淡々と描かれる文章に、タダジュンさんの大胆でこちらが飲み込まれそうな黒の挿絵が、不思議なカオスと禍々しさを生み出していた。
そのカオスは、いつ我が身に降り注いでもおかしくない。そのことに戦慄し、その事実を淡々と印象的に描くこの物語たちにゾクゾクした。
どの話を特にピックアップするのは無理というか、三遍とも全て同じくらいゾクゾクするので、甲乙つけ難いのです。
シーラッハの書く物語を、網羅したい気持ちに駆られた作品。
そう思わせてくれるのに、作品そのものはもちろん、充実した訳者あとがきが何役もかってくれたので、ぜひこの本の全部を読んで欲しい。
目次
パン屋の主人
ザイボルド
カールの降誕祭
訳者あとがき -
Posted by ブクログ
ネタバレ「物事は込み入ってることが多い。罪もそういうもののひとつだ」。当事者でない人たちがいくら物語を作ろうともそれは真実ではない。。
それでも、作者は現役の刑事事件弁護士なので(こういうこともあるかも…)のリアルさがあります。冷静だけど冷徹ではなくて、情緒もあるけど大仰ではない文章、好きです。
お話は特に「ハリネズミ」「緑」「エチオピアの男」が好き。
怖いのは「正当防衛」「愛情」。「愛情」には佐川一政の名前が出てきてタイムリーでした。世界的にも有名なんだな。
「棘」も、一人の人が壊れていく過程が描かれててゾッとしました。職務怠慢だ。。
“弁護人が証人に尋問する場合にもっとも重要なのは、自分が答えを知らない質問は絶対にしないということだ”…これにはしびれました。裁判は検察と弁護人どちらが場や流れを支配するかバトルもあるのだろうからそれはそうなんやろけど。
「タナタ氏の茶椀」(わんの字が出ない)も、、5人よりタナタ氏側の方が裏社会って事だったんだろうな。チンピラ3人が小心者で良かった…一人、ギリシア人なのにフィンランド人だと言い張ってる人はどうかしていて面白かったです。「家族はみんなギリシア人だけど、俺まで一生ギリシア人になってうろつきまわることもないだろ」(???)