大塚英志のレビュー一覧
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神戸芸術工科大学でマンガの授業をおこなっている著者が、大学教員の立場からどのようにマンガに関わったのかを振り返り、同時に著者が民俗学を学んだ千葉徳爾にまつわるエピソードを紹介しながら、「近代」という時代における「教育」の行き着く先についての考察を展開している本です。
雑多なエピソードがちりばめられているために、ややまとまりの悪さを感じますが、そのような仕方でしか語られないような「教育」がある、というのが、著者の立場なのかもしれないという気がします。例えば著者は、学生時代に民俗調査の実践に放り込まれることで「人に会う」という社会的な振る舞いを身につけたことを語り、それは「現代思想」でしばしば「 -
- カート
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試し読み
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ネタバレ『どんな表現でも「ダメ」と可能性の両方を抱えているのであって』
『同じまんがを読んだってそこから受け取る「イメージ」は読者の数だけあるのであって、それをすべて反映させることなんて不可能である。』
『書物は手懸かりに過ぎず、まして一冊の書物、一人の作者に全面的に依存して、それを介してのみ世界を見るのは全く間違っている。』
「人は国家に管理されたがっているんだ。そのスキを権力は見逃さない」
「あいつの親父、警察の偉い人でさ、ゆづるが11歳の時からセックスしてるんだぜ。あいつ連れて何度も逃げたんだけどすぐ掴まっちゃって…すげーんだ、ケーサツが本気だしたら、すぐ見つかっちゃう。」
「すーぐ他人の話に左 -
Posted by ブクログ
柳田国男は「山人」を、はじめ日本の先住民族の末裔と考えていたらしい。海をわたってきた倭人(大和民族?)が、先住民族を隅に追いやって、結果、先住民族が山に立てこもったということが、実際古代にあったと考えられないでもないが、冷静に考えて、彼らがほとんどそのまま江戸・明治付近まで、ずっと山に住み続けたというのは考えにくい。
柳田国男もそう思ったのか、『山の人生』の頃にはこの考えを撤回したようだ。
この本の編集者大塚英志氏の考えでは、もともとロマン主義的なパッションを秘めていた柳田が、結局そのような自己を抑制したということになる。
ロマンというか、柳田国男がひどく文学者気質であることは間違いない。かれ -
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他人の同情を得るために犯罪に手を染める、という
倒錯的な話を耳にすることがある
たとえば、人はなぜ万引き行為に走るのか
それを説明するために
しばしば「さみしさを紛らわすため」という理由が語られる
それはつまり
「犯罪に手を染めてまで人の目をひかずにはいられない」
「こんなさみしい私を誰かかまっておくれ」
という
パフォーマンスとしての犯罪というわけだ
もちろん、そんなことで人の同情を買うのは難しい
同情というのはようするに共感のことであるから
反社会的行為で共感を得るにはヤンキー化…すなわち
ファッション化するしかないものと思われる
しかしそれはできないのだろう
ファッション化とはすなわち社