大塚英志のレビュー一覧
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試し読み
Posted by ブクログ
ネタバレ『どんな表現でも「ダメ」と可能性の両方を抱えているのであって』
『同じまんがを読んだってそこから受け取る「イメージ」は読者の数だけあるのであって、それをすべて反映させることなんて不可能である。』
『書物は手懸かりに過ぎず、まして一冊の書物、一人の作者に全面的に依存して、それを介してのみ世界を見るのは全く間違っている。』
「人は国家に管理されたがっているんだ。そのスキを権力は見逃さない」
「あいつの親父、警察の偉い人でさ、ゆづるが11歳の時からセックスしてるんだぜ。あいつ連れて何度も逃げたんだけどすぐ掴まっちゃって…すげーんだ、ケーサツが本気だしたら、すぐ見つかっちゃう。」
「すーぐ他人の話に左 -
Posted by ブクログ
柳田国男は「山人」を、はじめ日本の先住民族の末裔と考えていたらしい。海をわたってきた倭人(大和民族?)が、先住民族を隅に追いやって、結果、先住民族が山に立てこもったということが、実際古代にあったと考えられないでもないが、冷静に考えて、彼らがほとんどそのまま江戸・明治付近まで、ずっと山に住み続けたというのは考えにくい。
柳田国男もそう思ったのか、『山の人生』の頃にはこの考えを撤回したようだ。
この本の編集者大塚英志氏の考えでは、もともとロマン主義的なパッションを秘めていた柳田が、結局そのような自己を抑制したということになる。
ロマンというか、柳田国男がひどく文学者気質であることは間違いない。かれ -
Posted by ブクログ
他人の同情を得るために犯罪に手を染める、という
倒錯的な話を耳にすることがある
たとえば、人はなぜ万引き行為に走るのか
それを説明するために
しばしば「さみしさを紛らわすため」という理由が語られる
それはつまり
「犯罪に手を染めてまで人の目をひかずにはいられない」
「こんなさみしい私を誰かかまっておくれ」
という
パフォーマンスとしての犯罪というわけだ
もちろん、そんなことで人の同情を買うのは難しい
同情というのはようするに共感のことであるから
反社会的行為で共感を得るにはヤンキー化…すなわち
ファッション化するしかないものと思われる
しかしそれはできないのだろう
ファッション化とはすなわち社 -
Posted by ブクログ
震災後の極端な二項対立での反原発、がれき広域処理反対を冷ややかに見ていたけれど、それではいけないと感じた。自分も土人であると意識し、自力で思考する、どうすべきか考えるきっかけになると思う。
著者の両氏とも立場の変遷を素直に話し、誤ったと認めているので、地に足のついた内容になっていると感じた。自論を守るためにまた論を展開されると、ますますついていけなくなるので、、、。
また、それぞれの主張について、背景や詳細な説明、備考が豊富であるのがよい。難しいと感じた話でもなんとか読むことができた。
大塚氏が「人は教育によっていかようにも変わることができる」といっている。子供には「空気に従うのではなく自 -