大塚英志のレビュー一覧
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ネタバレ
因果応報を死体から知る
因果応報という言葉がふさわしい、そんな作品です。描写は少しグロテスクな部分もあるので、苦手な人にはオススメしませんが、話はよく出来ていると思います。死体なんて普通は見るだけで嫌ですが、これは続きが気になって読んでしまいます。
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ネタバレ序章、終章を先に読む選択肢も
P8 『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣人物戯画』=まんが表現の起源が俗説。
P72 "肩あげ"? このあたりに注釈無しというハードルの高さ。近代の文なんてすらすら読めません。
P212 「第二軍」?と思ったら、軍隊の編成でした。有名なのは、乃木将軍の第三軍かと。
P224 浅草パノラマ館 調べたら、結構本格的なものでした。確かに、死ぬことはないので、所詮は見世物ですけど。なので、いい例えでした。
P268 今までの一条推しは?
P305 絵における言文一致?と思ったら、P311で否定。
P342 『少女まんが史』の引用が、男が少女まんがを読めない理由なんじゃないかと。4段ぶち抜きの絵の扱いに混乱するとか。
終章 ちょっとページ数が少なくないですか?と。 -
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まんが原作者・評論家による日本まんがの歴史を、まんが家がまんが化したもの。
いわば、まんがを学ぶための「学習まんが」である。
現著者がネコのキャラクターと一緒に講義する形式で、取っ付きやすく敷居は下げてあるが、骨格となるのはかなり骨太な評論であり、核となる視点がいくつかある。
まんが化されているために、百聞は一見に如かず的にわかりやすいのが美点である。
最初に「キャラクター」について論じた後、江戸期・明治期をざっとおさらいし、大正アヴァンギャルドを経て、昭和へと進む。
まずは、ミッキーをはじめとするディズニーのキャラクターが「パーツ」で構成されていることに着目する。戦中・戦後の漫画家はこうしたキャラクターの描き方を取り込んだ。巨人・手塚治虫は自分の漫画を「画」ではなく、パターンに則った「記号」の組み合わせだと考えていたという挿話が興味深い。近現代の日本のまんがでは、これに成長するという「身体性」と心を持つという「内面性」が加味される。
そこに至るまでにどのような背景があったかというのが骨子となる。
のちに「のらくろ」で知られる田河水泡は、実は前衛美術家であったという。「のらくろ」誕生からシリーズ終了までの流れをキャラクターの視点から読み解いていく。
次の大きな流れは、戦争がまんがにもたらした影響である。戦時下の思想統制は、子供向けのものに関しても「空想」を排除し、「科学」的な創作物を強制した。その結果どうなったかといえば「物語」が消えていってしまったわけである。実は「学習まんが」の起源もここらあたりにあるようだ。表現が規制されていく中で、できる限りで抵抗を試みた漫画家もいるわけだが、その戦いは地を這うようなわかりにくいものにならざるを得なかった。
戦後の巨匠といえばやはり手塚治虫である。手塚のストーリーが大きな物語に翻弄される「個」を描いているという論旨は慧眼だろう。物語の構成だけでなく、映画の撮り方を参考にするなど手法に関してもさまざまな試みを行っており、それらがすべて成功したわけではもちろんないが、新しいものに挑戦し続けるその姿勢がやはり巨人であったというところか。
流れとしては1970年代あたりまでを追っている。その後に関してはまだまだ考察が必要ということだろう。
少女まんがに関してなどはもっとさまざまな視点から議論することができそうだし、本書で扱われた各論に関しても異論はありそうだ。
とはいえ、まんがはときどき読むけれどそれほどは詳しくない程度の門外漢にしてみると、まんがの歴史というテーマの奥の広がりが感じられ、刺激的で楽しく読める1冊だった。 -
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3巻と4巻の刊行ペースが今までと違い過ぎてびっくり。また、しばらく空くのかな?雑誌連載では読んでいないので、どんなペースなのかは把握できないので、本屋さん行ってびっくりなわけです。
八甲田山でコロボックル捜索と、甲賀三郎と松岡の前日譚。
急激に富国強兵を目指し近代化を推し進める明治の日本。その流れの中、宗教・信仰の分野での近代化を進める松岡の若かりし頃の話。
近代化=神殺しとなる理由がよくわからないですが、理論で説明できないものを解明し系統立てる、という意味が神殺しというのであれば、理解可能かなと。
それを30年でやるというのは無理がある話ですが。 -
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ネタバレ今巻で完結…のようだけど、いつも以上に今巻もギリギリに攻めていたので、何か大きな力が加わって突然の完結になってしまったとしても不思議ではないw
内容は、存在しない都市伝説化した村の話と、顔認証でオタクサーチする話と、赤紙徴兵した人間を細菌でゾンビ化する話。(簡単に言おうとすると倫理感が狂う…)
地図にも著作権があるのか!?とか、もうとっくに顔認証は使われてる!?とか、憲法改正されると中東に派兵されてるの!?とか、今回もフィクションなのかノンフィクションなのかかなり際どいけど話は面白い。
そして、衝撃のラストシーン…唐津君がフサフサに!?
いつでもまた再開できそうな終わりなので、寂しくなんか無いんだからねッ! -
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1~20巻まで一気読みしたので、こちらに感想をまとめます。
大変面白かったです。なんと言ってこの面白さを説明すれば良いのか、わからないけど…。とにかく、なんだかすごく面白い漫画です。
なんというか、まず、真面目じゃない。時事ネタが多く、明らかに実在の人物が元ネタであるキャラクターを出したりなんかも平気でしちゃって、しかも平然と殺しちゃう。ドラマや漫画のパロディや、有名な今時の都市伝説なんかも、あっさりとネタにしちゃう。老人の孤独死、自殺問題、犯罪被害者の心情や加害者のその後、児童虐待、中絶問題、復讐についてなどなど、かなり重いテーマを扱っているのに、深刻になりすぎずにさらっと次の話に移っていく。それから、死体がないと始まらない物語なので、次々と人が死んでいくのに、しかも主人公たちも巻き込まれて毎度かなり大変な目にあっているのに、不条理なまでに異様に落ち着いているので、読者としても「なんとかなるだろ」感があって、なんだか全然ハラハラできない。名言っぽい名言もないし、演出も、生々しい死体の描写はショッキングだけれど、なにかあんまり大袈裟じゃなくて、どことなく地味。例えるなら、映像作品で言うところのBGMのようなものがずっとなく、自然音だけで構成されている様な感じだな、と思います。
なのに、なぜか面白い。大笑いしたり、感動したりするわけじゃないけど、なんだかずっと読んでいたくなるような謎の魅力を感じます。本当に不思議。
実は、結構昔からなんとなく知っていたからもう完結しているものと思い込んでいたので、20巻まで読んでようやく完結していないと知ってびっくりしたのですが…でも、それはそれで良いような気がします。やいちの正体など、気になることはあるけれど、この漫画は細々とゆっくり続いていって、ただただ唐津と沼田と谷田と佐々木と槙野が、死体を探してあっちに行ったりこっちに行ったりして、とんでもない目に遭って、いろいろな事件を解決して、結構すごいことをしてるのに表沙汰にはならずお金もなく、でも、案外楽しくやっている。いつまでも、そういう常識外れな日常を、終わることなくずっと繰り返している…。そういう風な漫画が、堂々完結なんてすることもなく、なんとなく続いているのも、良いな、という気がします。…もしかしたら、この主人公たちの飾らない態度につられて、別にどうということもない自分も、このとても奇妙なメンバーの仲間に入っているような気がしているのかもしれませんね。
本当に、なんだか面白い、独特な漫画だなと思います。続きも楽しみにしています。 -
購入済み
啄木と60年代空気感
啄木もよく知らない、当時の世相に刺して興味があるわけでもない、それでも吸い込まれるような空気感があります。今とは違った感覚、価値観の中で自分と同じ年頃の若者がその時代を生きる苦悩と葛藤が描写されてます。
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Posted by ブクログ
大塚英志と東浩紀が、四回にわたっておこなった対談の記録です。第一回は2001年、第二回は2002年で、東が『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)の頃の東が、『物語消費論』の大塚英志と、サブカルチャー批評について議論を交わしています。
第三回は2007年で、今度は東が『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)を刊行した後の対談です。そして2008年におこなわれた第四回は、秋葉原連続殺傷事件の直後の対談になっています。
対談を通して、大塚は愚直なほどにおなじ問いかけを東に向けています。彼が問うているのは、「公」のことばをもう一度立ちあげなければならないという義務感であり、そうしたことばを語る批評家や作家の登場への期待であり、さらに批評家はそのようなことばを読者へ向けて語りかけなければならないという倫理だといえるように思います。こうした大塚の問いかけに対して、東は一貫して、批評家のことばがもつ力に対する諦念を表明しています。
大塚の主張するような公共性の再建が可能だとは思えないのですが、それ以上に気になるのは、時代状況の変化によって、東のおなじことばが異なるニュアンスで受けとられてしまうのではないかということです。たとえば2001年、2002年の対談での東の立場は、言論の無限の可能性を素朴に信じるのではなく、新しいオタクの消費行動を前提にしなければならないというところへ収斂するのではないかという気がします。しかし2007年、2008年の対談では、東のおなじようなスタンスを語ることばが、アーキテクチャ原理主義のように響いてしまうのも事実ではないかと思います。
両者の対話が噛みあっているということは、まったくといっていいほどないのですが、大塚のいい意味での「いやらしさ」が出ているという点でも、おもしろく読みました。すくなくとも、おなじく話が噛みあっていない、東と笠井潔の往復書簡よりずっと刺激的だったように思います。