大塚英志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
柳田国男は「山人」を、はじめ日本の先住民族の末裔と考えていたらしい。海をわたってきた倭人(大和民族?)が、先住民族を隅に追いやって、結果、先住民族が山に立てこもったということが、実際古代にあったと考えられないでもないが、冷静に考えて、彼らがほとんどそのまま江戸・明治付近まで、ずっと山に住み続けたというのは考えにくい。
柳田国男もそう思ったのか、『山の人生』の頃にはこの考えを撤回したようだ。
この本の編集者大塚英志氏の考えでは、もともとロマン主義的なパッションを秘めていた柳田が、結局そのような自己を抑制したということになる。
ロマンというか、柳田国男がひどく文学者気質であることは間違いない。かれは田山花袋にネタを提供して小説を書かせていたそうで、花袋の短編が2つ、巻末に載せられている。
柳田と南方熊楠との往復書簡も載っているが、全部ではないようだ。熊楠のバイタリティが強烈なので、このやりとりを読んでいると、熊楠のほうが存在感が圧倒的である。互いのスタンスを痛烈に批判し合った書簡はここでは省かれているようだ。 -
Posted by ブクログ
他人の同情を得るために犯罪に手を染める、という
倒錯的な話を耳にすることがある
たとえば、人はなぜ万引き行為に走るのか
それを説明するために
しばしば「さみしさを紛らわすため」という理由が語られる
それはつまり
「犯罪に手を染めてまで人の目をひかずにはいられない」
「こんなさみしい私を誰かかまっておくれ」
という
パフォーマンスとしての犯罪というわけだ
もちろん、そんなことで人の同情を買うのは難しい
同情というのはようするに共感のことであるから
反社会的行為で共感を得るにはヤンキー化…すなわち
ファッション化するしかないものと思われる
しかしそれはできないのだろう
ファッション化とはすなわち社会化であり
人間同士の足の引っ張り合いに身を投じるということでもあるからだ
この物語の主人公はそこそこのイケメンであり
また、アルバイトでバーテンを続けるほどの
コミュニケーション能力を持っている
いったいなぜそんな人が
さみしさに耐えかねて
なんの因果もない殺人に手を染める必要があったのか
それを読み解くカギが、石川啄木ということなのだろう
ようするに甘ったれなんですよ
どうしようもなく他人を求めているくせに
どうしようもなく他人におびえているわけだ
だからこそ自らを殺人者として、人間としての崖っぷちから
あるいは、メタフィジックな立場から社会を見下ろす必要があったんだ -
Posted by ブクログ
震災後の極端な二項対立での反原発、がれき広域処理反対を冷ややかに見ていたけれど、それではいけないと感じた。自分も土人であると意識し、自力で思考する、どうすべきか考えるきっかけになると思う。
著者の両氏とも立場の変遷を素直に話し、誤ったと認めているので、地に足のついた内容になっていると感じた。自論を守るためにまた論を展開されると、ますますついていけなくなるので、、、。
また、それぞれの主張について、背景や詳細な説明、備考が豊富であるのがよい。難しいと感じた話でもなんとか読むことができた。
大塚氏が「人は教育によっていかようにも変わることができる」といっている。子供には「空気に従うのではなく自分で考える」習慣を身につけるよう促す。できれば周りにも広げていきたい。その点で私自身は弱いところがあるので、自分も意識していく。