短編集ですが、その中から『人斬り以蔵』を読みました。
2020年の10月にも一度読んでいましたが、再読しました。
他の収録作品もちゃんと読みたいです。
◇
この小説は、このような文章で始まる。
「不幸な男がうまれた」
身分の差別が酷い土佐で、足軽であるというだけで蔑まれていた以蔵。
そんな彼が
...続きを読む、威張っている上士や郷士を剣で翻弄したときの快感は、いかほどだっただろう。
武市半平太に対して畏怖を抱く姿に、切なくなった。
「飼い主」である武市は自分を分かってくれず、のけ者のようにする。
なぜ自分だけそのように扱うのかという、やりきれない悲しみや苛立ちを端々から感じた。
足軽であるというコンプレックスを抱きながらも、彼はただ、何かを成し遂げたかったのだと思う。
しかし学がないから、剣の腕でなんとかするしかなかった。
難しいことは分からないが、斬ることはできる。
そんな以蔵にとって、生きる道は本当に人斬りしかなかったのだと、とても悲しい気持ちになった。
武市半平太、坂本龍馬、そして薩摩や長州の指導者たち。
彼ら「えらいひと」たちが持つ主義を以蔵は疑っていなかった。
彼らの理論と正義に誤りがあるはずがない、と。
だから攘夷のためにも開国のためにも斬った。
あまりにも素直で、不器用だと思った。
ほんとうの彼は、真っ直ぐで純粋な子どものような人だったのかもしれない。
そう思った。
【以下、引用】
以蔵は耐えた。逃げた。武市への阿訣である。無意識におもねっていた。
(あなたのために私は道化役になる)
言葉でいえば、そういう心境だったであろう。甘美な、いや、物狂しいほどに甘美な心境だった。意識してそういう心境へ自分を追いこんだわけではない。
不意にそういう心境になった。親二代の足軽らしい卑屈さがそうさせたのか。以蔵の本来の性格がそうなのか。
とまれ、以蔵の武市に対する生涯の姿勢はこのときにきまったといっていい。
「ま、参りました」
と、以蔵は竹刀を投げ、すわり、両膝をそろえて板敷の上で拝跪した。その姿に、哀れなほど足軽のにおいが出ていた。
(P106)
竜馬は、京坂を往復する勝海舟に対し、かれが幕臣中の開国論者での急先鋒であるという理由で、京の攘夷浪士が天誅を加えようとしていることを知り、以蔵に勝の用心棒を頼んだ。むろん手当ては出る。
以蔵は、よろこんで引き受けた。金銀のためではない、以蔵ははっきり言いきることができる。正義のためである。
なぜならば、土佐藩の同志から、武市とならんで尊崇されている坂本のいうことではないか。理に、誤りがあるはずがなかった。
以蔵は、常に、たれかに「思考力」をあずけていた。武市にあずけ、坂本にあずけた。そこに矛盾を感じなかった。なぜならば以蔵のみるところ、どちらも、
えらいひと
だったからである。もっとも以蔵と坂本とは同年で、長幼の上下はない。それだけに以蔵は坂本のほうにむしろ敬愛を感じ、武市のほうに畏怖を感じていた。
ただ、坂本は幕臣である勝の用心棒になれ、という。幕臣、という点で、以蔵は、なんとなく、
(先生には言えないな)
という感じだけはもっていた。だからこの一件はだまっていたのである。
(P140,141)
「岡田君、きみは」
と、勝はいった。
「人を殺すことを嗜むようだが、やめたほうがいい」
以蔵は、これにはおどろいた。自分が仕える飼いぬしたちは、なぜそろいもそろって意外なことばかりいうのか。以蔵は、不満であった。
「勝先生、しかしあのとき拙者が敵を斬らねば先生はいまここで歩いてはいらっしゃいませぬ」
——それもそうだ、と思っておれも一言もなかったよ、
と勝は後年、語っている。
武市にすれば、要するに以蔵には主義も節操もない。きのうは攘夷のために人を斬り、きょうは開国のために人を斬る。狂人としか思いようがない。
(わしがこの男に剣を教えたのが、誤りであった)
(P142)