夏川草介のレビュー一覧
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今の所、この作品が「神様のカルテ」シリーズの最後となっている。
シリーズを通じて、もうすっかり物語の中に入り浸っており、登場人物達と共に歩みを進めるのはとても心地が良かった。本作で、舞台が市中の基幹病院から大学病院へ変わっても、登場人物達の性格が変わるわけではない。やはりいい人しか出てこない。
大学病院を舞台とした医療小説は数あれど、その特殊性の核心を突きながらも爽やかなストーリーで描いている小説は少ないのではないだろうか。
まあ、大学病院に行ったことすらなく、他の医療小説やドラマから伺い知っているだけなので極めて私的な感想にすぎないけれど。
シリーズを通して、信州の大自然の清涼な空気 -
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これまでシリーズの「1」から「3」まで読み進め、作品中の登場人物たちの個性、背景、それぞれのストーリーについての輪郭が明確になってきていました。そして、作品の舞台が大きく変わる(主人公が働く病院が松本市中の基幹病院から大学病院へと変わる)節目で「3」が終了してしまい、次はどうなるんだ?とワクワクしながらシリーズ第4弾「0」を読んだのでした。
「3」の続きを期待していたものの題名が「0」になっているため、何となく予感はありました。やはり「神様のカルテ」という大きなストーリーの原点だった。主人公達の青春小説のような。
主人公や彼を取り巻く人たちの若き日々が第三者目線で描かれていました。これまで -
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地方病院の医療現場のお話の中で
老人医療についてとても考えさせられるお話でした。
研修医一年目の桂先生やしっかりものの看護師
美琴が、日々の老人医療に携わる中で
生きるとは何か
治療とは何かと日々格闘しながら患者さんやその家族と関わっていきます。
桂先生の指導医である三島先生の言葉が心に
残っています。
大量の高齢者たちをいかに生かすのではなく、いかに死なせるのかというのが現代医療の問題点だ。
いかに看取るか…本当に難しい問題だと思います。
医学の進歩により、治る見込みのない患者さんを胃瘻や酸素吸入などで
ただ生かしておくことも可能な世の中で
長生きとは、
と現場の先生方や看護師さんたちの葛 -
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最先端の医療を扱う信濃大学病院に移った栗原一止。
一止を頼る29歳の膵癌患者の美桜の退院をめぐる処遇で、院内、准教授と対立してしまう…
末期癌患者が、『家で最期を迎えたい』と言っているにも拘らず、病院側が退院はさせれないなんて⁇
本当にバカやろうだ。
ただ自分たちが不安なだけで。
ただ自分たちがリスクから逃げているだけで。
何が退院ガイドラインなのか?
患者や家族が不安なのは当然だろう。
なぜ患者を見ないのか⁇
最期は患者の想いを叶えてあげるべきだろう。
一止や利休でなくても、『バカやろう』って、言いたくなる。
教授が『患者の話をする医者でいなさい』と、一止を受け入れたことに救われる -
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本庄病院で医療の限界を見た栗原一止が、先端医療を学ぼうと信濃大学に移った新章編。
患者よりも医師の数の方が多い大学病院という巨大組織。
その大学病院について、一止が語る。
「実に複雑な構造の組織だ。正しく見えたことが、間違いであることがあり、理不尽に思われたことに、もっともらしい理屈がついてくる。しまいに何が正しくて何が間違っているのかわからなくなってくる」
複雑怪奇な医療現場で、漱石の言葉「真面目とはね、真剣勝負の意味だよ」を信条とする一止は、様々なところで組織優先の硬直性とぶつかり続ける。
組織そのものであるかのような、医局のご家老といわれる宇佐美准教授と対立する一止の言葉「私は患者の話を -
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信州大医学部を卒業し、今も長野県で地域医療に携わる著者。医療現場における人間関係を描いたヒューマニズム溢れる作品群で知られる。
今回も、松本市郊外にある梓川病院に勤務する若い研修医と看護師を主人公に据え、信州の美しい景色も散りばめながら、医療関係者と患者との係わりを温かく描いている。
ヒューマンな小説ではあるが、医療に関する社会的問題も取り上げられている。 この作品で主眼においているのは、高齢者医療のあり方である。病気を治すのではなく、どう死なせるか、ただ延命するなら、相当程度長らえるが、それをいつまで続けるかがひとつの大きな命題だ。
小説には「死神」と呼ばれる循環器内科医が登場し