とにかく長い。上下巻をあわせると1200ページを超える長編である。
長いの飽きさせない。ページ数の多さに負けない中身の濃い物語だった。
失業しこれといった夢もなくなった二人の男が軽い気持ちで立ち上げた「宗教」。
教義のもとになったのは、正彦が書いていたゲームブック。
その場しのぎの対応を続けた結果、
...続きを読むいくつものトラブルに巻き込まれることになる。
宗教にハマったことがないので、雅子たちが暴走していく心情がよくわからなかった。
それなりの理由はもちろん理解できるのだけれど。
何でも一番いいのは「ほどほど」なのかもしれない。
絶対的な存在としての「教義」。
雅子たちの狂気は、やがて偽宗教家の正彦をも喰らいつくしていく。
もしも彼女たちのお祈りの場に居合わせたとしたら、何かわからないけれど不健康で不穏で歪な空気を感じて逃げ出してしまいそうだ。
宗教によって心の平穏を得る者。
宗教によって心を狂わせていく者。
正反対に見える両者の違いはそれほど大きなものなのだろうか。
自分と向き合い自分と対話する。
簡単なようで難しいはずだ。
繰り返される祈りの言葉、単調なリズムが生み出すトランス状態。
徐々に変貌していく内側にある信仰心。
教団に対するマスコミのスキャンダラスな扱い。
編集され、真意のカケラも伝わりようのない映像。
たび重なる嫌がらせ、直接的な暴行、拉致。
弾圧を受けていると感じたときから、正彦たちは自ら被害者となる。
自分たちこそが被害者なんだと。
自分たちは何も悪いことはしていないと。
孤立していくことを怖れなくなる一方で、正義は自分にあると思い込む。
宗教が絡む事件がたびたび起きる。
そのたびに不思議な・・・不気味な思いを感じていた。
「洗脳」という都合のいい言葉が登場したときには、すべてこの言葉で辻褄があうとでもいうようにあちこちで「洗脳」という言葉が飛び交っていた。
なぜ宗教を求めるのか。
教えの中に何を見出すのか。
宗教が何を与え何を奪っていくのか、関心すらもなかった自分にはわからない。
教祖面しているというくだらない理由で教祖になった正彦。
怒鳴りたくなる場面でも教祖として我慢をし、面倒臭い放り出したいと思いながらも、結局ずるずると引きずられていく。
なぜ宗教を求めるのか。
ひとつの答えがこの物語の中にあったように感じた。