伊藤計劃のレビュー一覧
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伊藤計劃が信者的に愛した小島秀夫の物語。「メタルギアソリッド」は、ぼくの中では戦争アクションゲームというジャンルとして抵抗があった。しかしそれは大きな思い違いだった。小島秀夫がPS3で一番新しい「メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」で描こうとしたテーマは反戦であった。
また、このメタルギアのステルスアクションと称されるゲーム性は、いかに敵と遭遇せず、敵を殺さずにミッションを遂行するかというゲームであり、このゲーム性自体が先のテーマを象徴している。そういえば「4」が出た当時、興味本位で体験版をDLしプレイしてみたが敵を前にして速攻死んでしまった記憶があるが、つまるところ戦わないことがこのゲームの肝であったのだ、といまになって理解できた。
それを知るやいなやプレイせざるをえない衝動にかられ一気プレイしたが、このゲームの奥の深さは只者ではないし、「4」がPS2でリリースされた「2」の続編でありシリーズ全体に絡んでしまっている以上、今度発売されるPS3のHGリマスター版のシリーズ作品をぼくは多分プレイすることになるだろう。
メタルギアソリッドのノベライズは、伊藤にとって自身を体言化したファンタジーだと思う。死を宣告されたスネークが世界の存亡を賭けて戦う。それを支えるオタコン。どちらも伊藤自身を描いてるのだと思う。
つまり、伊藤がスネークの死を宣告されても自分の宿命に対して立向う姿を、自身と投影していたと思うし、それに対するオタコンが客観的な伊藤の気持ちだろうと思う。
そういう意味では、自伝的な性格も持つことになったこの作品は、伊藤の遺作として相応しいかもしれない。まあその後ハーモニーがでるんだけどね。
病気と立ち向かうことは、生きるということの証であり、いわば戦争だと思う。だから、伊藤は戦争というテーマを自然と受け入れたのだと思うし、それは同世代的によくわかる。またメタルギアソリッドのストーリーは親殺しによって成長する主人公が描かれ、いわゆるエディプスの異型ではあるが、死を抱え、宿命付けれながら、それでも生きることを選択し懸命に生きることの意義を全うしようとするスネークの姿勢はそのまま伊藤計劃の生き様を踏襲しているようで泣けてくるのだ。 -
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ネタバレピンと来なかった。思うに意識という言葉の定義が曖昧なせいではないかと思う。意識がないのに日常生活が送れるという状態がどういうものかが分からない。作中では動物には意識がないように記載されていたが、長年複数の猫と暮らしている身からすると彼らが本能だけで機械的に動いているとは到底思えないし、自我や個性(他個体とは違う好みや考え方)が存在していることを実感している。意識を「こうしようと考える判断」とするとトリガーとなる本能や欲と意識は切っても切れず、意識がなければ活動は出来ないと思える。ならば作中の意識とはもう少し具体的に何を指していたのだろう。持っていきたかった結末が「合理的な社会」であることを考えると、「人間の感情及びそこから発露する我欲」と言えそうだ。人間を人類の為の歯車とさせたい、あるいは人類総AI化という感じだろうか。ただこう説明されてもまだピンと来ない。何の為の合理化か分からないからだ。目的や目標が消失している。あらゆる活動において「こうあるべき」という人間の意思が存在しない為、進むべき方向が見失われている。こうなると文化的活動の一切は失われ、ただ生命を維持するだけの営みとなる。そもそも合理化というのも「こうあれば利便性が増す、便利になる、楽が出来る」という人間の怠けたい欲求から発露しているところが大きい。この怠けるという行為ひとつとっても善し悪しは機械的には図れない。0か100という極端な判断にもならない。作中で言う「意識」を奪って人間社会が成り立つとは思えない。破綻している。
冒頭、物語の舞台設定を読んでいて、人間が身体的な問題を克服して平等となろうとも、精神面の問題が解消されなければ理想的な社会にはならないだろうなと感じていた。そういう点では意識にフォーカスされていったのは正しい流れと言えそうだ。回答としては理想とは異なる方向に帰結してしまったが。また文中のタグ情報の謎が最後に明らかになったのは面白かった。ただタグとして補足情報を加えても真の読み手にはもはや理解出来るとも思えないが。 -
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学生時代に虐殺器官、ハーモニーのあとに読んだが難解すぎて150ページほどで断念。映画も屍者の帝国だけ原作読んでからと思って見れてなかった。時間が経ったのでふと読めるんじゃないかと再挑戦したが読み終わるのに1ヶ月かかってしまった。いろんな用語が飛び交ってなにがなんだかわからないままいつのまにかいろんな国にいってた。屍者となった肉体の魂はどこに行くのか、魂は戻すことができるのか。原作を読み終わりアニメ映画の方も視聴、別物であるも魂に焦点をあて、そのあり方について屍者に思考することはできるのか。
最後、ワトソンとフライデーは共存することは叶わなかったけど屍者のフライデーに自我がうまれたのは嬉しかった。
本当に難しすぎた。 -
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ネタバレ取り扱っているテーマは面白かった。
でもミィハの行動が、うーーんという感じ(作者も意図してよく分からん行動キャラにしていたのかも?)。
意識が消失するほどの「合理性」とは?
そもそも、生府に属さない人々もいる、対策不能な自死を選ぶ人たちもいる、寿命も克服できていない科学レベル。社会はおろか、自然界も完全に予測できていないのに、何をもって合理性を規定できるのか。
もし複雑で有機的な選択機構を想定しての合理的選択であるなら、それは今までの脳と変わらないであろう。とすれば、作中での意識の消失や合理性とは、予め少数のリスト化された行動をするif-thenの状態のことを言うはずである。さらに前述の通り、作中の人類はまだまだ自然界を理解していない弱小チームなので、その社会システムは外乱によって必ず恒常性を失うと考える(つまりそもそも社会システムも足りてないのにミィハは先走ってる)。つまり、外界に対応できない。
結果、脳の一部の性質以外は現存人類のスターターセットで、もう一度"自由意識"の発現までの道を歩むだけなのではと思う。
そうすると、ミィハの判断は早計であり、社会を巻き込んだ壮大な心中をしただけに思える。
(そもそも、進化論では、自然選択が働く単位は個体・遺伝子であり、「種」ではない。ゆえに種全体にとって何が必要か・不要かを判定するという発想自体が、進化論の枠組みと矛盾する。
ミァハは「意識は進化の産物である」という前提では進化論を援用しながら、「意識はもう要らない」と判定する段階では、この進化論の枠組みをすっぽかし、あたかも人類に統一された意思・必要性があるかのような種レベルの目的論的判断にすり替えている。その判定を彼女自身、あるいは同意した集団のみに適用するなら、自己決定に基づく功利主義的行為として筋が通る。しかし作中の彼女は、その「種にとって不要」という判定を人類のほぼ全体に一方的に適用している。さらに、そこには進化論の逸脱に加えて、同意なき強制の正当化という別の問題も重なっており、奇妙) -
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ネタバレこの人の小説を初めて読んだんだけど、まず最初にロジックがあって、その人の考える思考があって、そこにストーリーと感情がエッセンスに継ぎ足されているって感じの文体だった。
SF小説だから当たり前に科学的小難しさの続く文章に意識が遠のきかけたりっていう要因はありつつも、私は感情とストーリーがあってのロジックで繋げていく派だから、やっぱり感情移入は難しかった。というか骨組みが”理論”なので感情は後付けなせいか、トァンに感情移入できず置いて行かれ気味にラストまで駆けて行ってしまった。これは頭の仕組みと好みの問題。。。
でも考え方は結構わかりやすくて、面白い。会議を開いたり葛藤するのが「意識」であるから、それがない、すべてが理論で説明できる行動だけを選択するのなら、そこに「意識」はない。つまり、たましいが無くなる。うーんおもしろい。確かに。
そしてそれを、あらゆる厄介さというなの「自然」をとっぱらってきた人類が、無くしちゃだめだ!と言える立場ではない。なるほどすぎる。
というか、ちょっと思うもの。頭で理解していても選べない、感情で動いてしまう理性的でない自分に苦しめられる機会が多い自分からすると、「意識」も十分厄介だ。どうしてこうすると後の自分が後悔するだとか損になるだとか、そういうことが頭で理解していて最適解はこれだとわかっているのにそうはしたくないしそうできないやりたくないと思ってしまうのか。双曲線上に価値が変動していくことで、誤っていると冷静な自分は判ることを選んでしまう。そんなものあっていいことはない。消失してしまったほうがいい。
でも無くならないからこそ、わたしがわたしであるという思い込みがあるからこそ。意味がないやめた方がいいとわかっていても、止められないことにこそ、正しさ以上の魅力があるんだろうなあと思う。そのまったくもって理論の通らない選択こそが人間らしくて、おもしろいんだろうなぁ。楽しいことって意味のないことにあると思うんだよなぁ。とはね、思う。
無くなったら無くなったで楽なんだろうけどね、「意識」。まじで。ほんとに。心の底から。
でもそれはもう、存在している意義はないんだとも思う。そこにあるのは種の存続だけ。個人、は存在しない。だからつまり、これが人間とそれ以外の差ともいえるのかもしれない。と、いろいろ考えられたし考える余地があるくらい分かりやすいSFのお話だった。もう死んじゃったんだなぁ、この著者さん・・・。 -
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何とも形容し難い作品ではあった。
21世紀後半、大災禍と呼ばれる世界的な混乱を経て
人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。
医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、
見せかけの優しさや倫理が横溢するユートピア。
そんな社会に倦んだ三人の少女は餓死することを選択した。
それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、
世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る。
まず、設定が秀逸だった。
いわゆる病気というものがなくなる、
それはつまり身体に害だと見做された物の排除。
タバコは勿論のこと、アルコールだって、カフェインだって。
おそらくファストフードなどもなくなっているんだろう。
食事も徹底的に管理された身体に良いものしかない。
そんな世界をユートピアとみなす世界。
この辺の設定は色々と読んでいて想像が膨らんで楽しめた。
とは言え、SFあるあると言ったらそうなんだが、
専門的な用語や設定が多く、その全てを理解するのは困難であった。
こういった複雑な設定ゆえに敬遠する人もいるであろう。
ただ、ディストピアなSFではあるのだが、どこか哲学的なものも感じた。
この身体はわたしひとりのもの。
確かにそうだ。何を以てユートピアと言えるのか、非常に考えさせられた。
案外、我々が生きている現在は、クソみたいなことだらけだが、
見ようによっては、まだマシなのかもしれない。 -
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個人Webサイトや同人誌に掲載された作品や、絶筆(未完)を含むSF短篇群。
『虐殺器官』のスピンオフ作品があると聞いて読んだ1冊。
伊藤計劃の作品は、常に戦争とは何か?正義とは何か?を考えさせられる。
『虐殺器官』のスピンオフ「The Indifference Engine」では少年兵による個人から見た戦争について描かれている。
殺されないために少年兵になり、相手は悪で強姦し殺すのが「正しいこと」と教育されたのに、戦争が終わるとこれまで正しかったことが「違う」と言われる少年兵の混乱や、内面では終わらない戦争の描写に胸が痛くなった。
著者の伝えたいことがわからない部分があるので、時間を経てまた読みたい。 -
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ネタバレ下3つが印象的。
The Indifference Engine
停戦後の少年兵が主人公。
自分の家族を酷い目に合わせた奴ら、つい最近まで殺し合っていた奴らと隣で暮らしていく。それが出来るように洗脳していこうとする世の中に疑問を抱き、争う。
自分が悪だと思っていたものが、急に真横で同じ目線で一緒に生きてるって、そら耐えられん。
戦争に翻弄される人々と、戦争が止まっても簡単には終わらない悲惨。
セカイ、蛮族、ぼく。
作者かわった?くらい急なテンションで始まったと思ったらえっぐい展開で笑ってもた。
From the Nothing, With Love.
自我を他者に移し変えることで永遠に生きているという設定。
オリジナルの自我を受け継いだ主人公が任務にあたりこれデジャヴ?と疑問を抱いたり、記憶の欠落があったりと、自分が自分であることを疑い始める。
結末の静かさよ…。