向田邦子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
男の書く文章と女の書く文章は超えられない違いがあるものだろうか。違いの原因はあるのだろうか。それとも個性の違いとして理解すべきか?
女性の作家をしばらく読んでないな、と思い、そして偏った文章ばかり読んでいる気もして、この本を手に取ってみた。
先入観もあるのかもしれないが、ドラマのような場面展開で、人物の語らせ方もセリフのように読んでしまう。戦前という舞台設定に関わらず、現代的な感じがするのは、“戦前もの”によくある翳りを感じないからだろう。
友情もの、恋愛もの、家庭ものいかようにも見方ができるけれども、読みながらずっと女性のにおいをずっとしたいた。美醜に関わらない女性の符牒のようなにおいがこの作品の全体を包んでいるようにわたしには感じられた。
愛だ友情だと言ったところで、とどのつまり我々は生物としての人間であって、その中で賢しらな劇を演じているとも言えようか。
冒頭の疑問は解決せぬままだが、女が出すにおいには、男にとって母の記憶であり、男にとって超えがたいものがある。
寝屋川「ひまわり書房」にて三十円でもとめる。 -
Posted by ブクログ
向田邦子さんの文章を初めて読んだ。
少し昔の方のエッセイなので、
知らない俳優さんや映画監督さんもたくさん。
たまにピンとこないお話もあったけど、
この時代に、自立して強く生きた
たくましい女性だったんだなあと分かる。
堂々としていて素敵だなと思った。
特に心に残ったお話↓
夜中の薔薇
玄関前に置かれたくたびれた薔薇の花束。
贔屓にしていた花屋が店じまいしたため、
売れ残りを置いたらしかった。
どう見ても生き返らないと思われるものは、
諦めて捨てようかというとき
タクシー運転手の話を思い出す。
その人はノモンハンの生き残りであった。
ひどい負傷をしていたが、軍医が間違えて
青札をつけたおかげで、九死に一生を得たという。
結局わたしは、一本残らず水風呂に漬けた。
漬け終わってから、自分が風呂に入れないことに
気付いた。その代わり、浴室いっぱい
「くれない匂う夜中の薔薇」であった。
———
牛の首
チュニジアの田舎町の店先で、
牛の首がぶら下がっている。
私は、牛が深い二重まぶたであることをはじめて
知った。金色の長いまつ毛も、まだ艶があった。
まつ毛の下の目は、妙にのんきそうで、
格別怒ったり恨んだりしているようには見えない。
立派な死に顔である。感心しながら、
人はこんな顔では死ねないなと思った。
牛は生まれたときから諦めている。
人は、叶わぬと知りながら希望を持ち、
生に執着しながら死んでゆく。
牛を食べる人間のほうが、食われる牛より
おびえた顔をして死んでゆくのである。
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・視線
胸の手術の後遺症で、しばらく右手が
使いものにならないことがあった。
荷物が増えて傘をさすことができなくなった。
仕方なく傘を小脇に挟み、雨の中を歩きだした。
すれ違う人が、けげんそうに私を見ていた。
薄気味悪そうな目、好奇心丸出しの目は、
中年の主婦に多かった。
人にはさまざまな事情がある。
他人の腑に落ちないしぐさを見かけても、
じろじろ見ないようにしようと肝に銘じたのだが、
薄情なもので、いざ見物に廻ると、
私は誰よりも熱心に見てしまう人間なのである。
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・ことばのお洒落
自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を
選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう。
ことばのお洒落は、ファッションのように
遠目で人を引きつけはしない。
無料で手に入る最高のアクセサリー、流行りもなく
一生使えるお得な「品」である。ただし、
どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、
身につけるには努力がいる。
本を読む、流行語は使わない。人真似をしない——
何でもいいから手近なところから始めたらどうだろう。
———
・下駄の上の卵酒 酒中日記
書きたくないとき、書けないとき、気がつくと爪を
噛んでいる。両手の指十本分を噛み終っても
爪くずが散らばっていないところを見ると、
すべてわが腹中に納まってしまうらしい。
他に取り柄はないが、歯と骨が丈夫なのは、
カルシュームの自己補給のせいだろう。←そう?笑
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・酒中日記 2
人寄せをするのは一年ぶりである。
午前三時、七人の客が帰ってゆく。引き上げにあたり、
全員後片付けを志願してくださったが、
これは泣いて辞退する。
アルコール入りのこの連中に洗い物などされたのでは、
瀬戸物やグラス類が後家だらけになってしまう。
↑表現が好き。
※後家(二つで一組になっている道具などの
片方がなくなって残っているほう)
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・海苔と卵と朝めし
焼き海苔は毎朝のように食膳にならんだが、
うちでは子供は一膳目からそれを食べることは
禁じられていた。おみおつけでまず一膳のごはんを
食べ、生卵か海苔、納豆は二膳目でないと
箸をつけてはいけないというのである。
ごはん一膳では、いつまでたっても今の大きさだよ、
子供は二膳目のごはんで大きくなるのだ、
というのである。
おかしな理屈だが、今の子供みたいに口答など
思いもよらない時代だったし、知識もなかったから
子供は一生懸命にごはんを食べた。
↑カワイイお話。
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・寺内貫太郎の母
年をとったからといって、どうして、人生をおりる
必要があるだろう。寺内きんさんではないが、
最後まで人生の捕虜にならず、
戦い抜くことのほうが素敵なのではないだろうか。
人はそれを老醜というかもしれない。
でも、行いすました寂しい美しさよりも、
バタバタと最後まで抵抗する見苦しさのほうに
人間らしさを感じてしまう。
美しくなくてもいい、最後まであきらめず、
勇猛果敢に生きてやろう。
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・十文字美信 細目
日本の古い諺に「女の目には鈴を張れ。
男の目には糸を引け」というのがある。
女はぱっちりした目が上等、
男は目の細い方がいい。
目が大きいとどうしても気持ちが目に出てしまう。
大人物に相応しくないという意味らしい。
警視庁のスリ係のベテランはみんな細目だと、
聞いたこともある。本気か面白半分か、
本当のところをうかがわせない目が、
時々いたずらっぽく笑いながら、
飾らずリキまず、自分を語る。
大きくて強い動物だけが持つやさしさとけだるさ。
ひと仕事終えたライオンが木陰でお腹を出して
昼寝しているような具合であった。
・落語家
趣味は鈴虫を飼うこと。八か月もの長い間、
砂の中にもぐっている。どじょうやうなぎの頭や
おからを食べさせる。そして、ごく短い間、
オスだけが鳴く。
このはなしは、私には少しばかり切実に聞えた。
長い、気の遠くなるような辛い修業。時としては
不公平なマスコミの陽のあたり方にも耐えて、
師匠の芸を盗み、芸をみがいて、
鳴く日のために備えるのである。
鈴虫の音色は夜の草むらがよく似合う。
そして、落語家の芸は、ラジオやテレビよりも、
やはり寄席の高座だろう。
男一匹、人を笑わせることを職業に選んだ辛さを、
この人はみじんも匂わせない。
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・手袋をさがす
私は決めたのです。
反省するのをやめにしよう——と。
私はヘンに完全主義者のくせに、身を責めて
努力するのをおっくうがるところがあります。
要領がいいので、その場その場で、
いともお手軽に反省をしてしまうのです。
本心からすまないことをした、と思わないくせに
誤ったほうが身のため、まわりのためと思うと
アッサリと謝り、自分のとった行動を反省して、
こんどは反省したことで、罪業消滅したと
錯覚して、そのことに何の罪悪感ももたず、
一日もたてば反省したことすら忘れてしまって、
また同じあやまちを繰り返していたのです。
これでは、良心をうぬぼれ鏡にうつして、
自分の見栄っ張りな心におべっかを使っているのと
同じではありませんか。
毎日毎日の精神の出納簿の、小さな帳尻は
あってはいるものの、さて「一生」という
大きな単位で見ると、何の変りはなく、むしろ、
私は毎日反省をしています、という自己満足だけが
残るのではないか、と思ったからです。
生れ変りでもしない限り、精神の整形手術は
無理なのではないでしょうか。
女として自活していること、
いまだ定まる夫も子供もなく、
死ぬときは一人という身の上であること、
これらを幸福と見るか不幸とみるかは人さまざま。
↑自分を客観視して、悪いところも無理に直さず
自分にとって一番良い方法に落ち着いた。
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・時計なんか怖くない
時というものは、一秒一秒、時計のセコンドの
ようにせわしなく過ぎてゆくものでもありますが、
一生の単位で見れば大きな河の流れにも似て、
ゆったりと流れてゆくものでもあるはずです。
三年五年を、無駄にすごしたとしても、
六十年七十年の人生にとって、
引っかき傷ほどにもなりません。
人間は、時計を発明した瞬間から、効率的には
なりましたが、同時に「時計の奴隷」に
なり下がったようにも思います。
時計は、絶対ではありません。
人間のつくった、かりそめの約束です。
恐れと虚しさを知らず、得意になって生きるより、
すばらしいことに思います。
いつの日かそれが、無駄にならず肥やしになる日が
あかにならずこくになる日が、必ずある。
真剣に暮してさえいれば——です。
↑少しくらいのお休みも、アリだよね。
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・女を斬るな 狐を斬れ 男のやさしさ考
菊池寛の言葉
「人を批評したり判断する時には欠点を先に
言いなさい。あの人は好いがだらしがない、
というとだらしがない人だということに
なってしまう。しかし、だらしがないが好い人だと
考えれば世の中は楽しくなります」
↑「世の中は楽しくなります」っていうのが良いな。
女は、小さい時からそう躾けられたから、
或いはやさしくすると、あと自分自身ゆったりと
やさしい気持になるから——
意地悪くいえば鏡の前でやさしく振舞うような
ところがありますが、本当の男のやさしさには、
人に見られるとはにかんだり、逆にテレて
腹を立てたりする、そういうところがあります。
男のやさしさで嫌いなものが二つ、
ひとつはテクニックだけのやさしさです。
見せかけだけの、口先だけのやさしさなら、
かえってなにもしない不器用の方が女には
好もしいものです。
もうひとつ男性へのお願いになりますが、
どうか男は、「男のやさしさ」などと
おっしゃらないでいただきたいのです。
私はたしかに、名古屋までの二時間、
身を縮めっぱなしだった高砂親方のやさしさに
心打たれました。しかし、もしそのあとで親方が
「男のやさしさ」について書いたり語っておられたら
いっぺんに興ざめしたと思うのです。
↑確かに分かる。
不器用な人、男女問わず割と好き。
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Posted by ブクログ
ネタバレほのかに体温が感じられるようなエッセイ集だった。言葉選びに人柄が出ている気がして、ふとした時に品と色気が漂ってくる。
時代が時代なので仕方のないことだとは思うけれど、偏った男性観・女性観のようなものが見え隠れする部分は、読んでいて疲れた。
インタビューした誰かのことを書いている文章よりも、ご自身の日々のことや子ども時代のこと、家族のことなどを書いた文章のほうがおもしろかった。
見知らぬ人からもどんどんご自宅に電話がかかってきているのが、今なら考えられない。律儀に対応しているところも人間味があって好ましい。
食へのこだわりは、こちらもお腹が空いてきてしまって困った。
もっと長く生きて、書き続けてほしかったなと思う。