あらすじ
何事も成功する時を男時、めぐり合わせの悪い時を女時という――。何者かによって台所にバケツごと置かれた一匹の鮒が、やがて男と女の過去を浮かび上がらせる「鮒」、毎日通勤の途中にチラリと目が合う、果物屋の陰気な親父との奇妙な交流を描く「ビリケン」など、平凡な人生の中にある一瞬の生の光芒を描き出した著者最後の小説4編に、珠玉のエッセイを加えた、ラスト・メッセージ集。
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Posted by ブクログ
前半は短編小説。後半からエッセイの構成。短編は男女の関係に纏わる暗部が主。これは向田さんの作品を読むたびに思う事だが、ありふれた日常と人の背景に見え隠れする、一つや二つあるような後ろめたい面を、決して誇張せず丁寧に拾い上げる天才だと思う。この世界観を書けたのは後にも先にも向田さんが最後なのでは。読み終わるたび遺された作品の少なさに悔しくなる。
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向田邦子さん……良かったなぁ!!
今から40年以上前の作品にもかかわらず、全然、
色褪せてなくて、多少の昭和感があっても、逆にエモい感じが堪んないっ❤️
短編小説とエッセイで構成されているのですが…
エッセイが素晴らしいのです。
もちろん短編も素敵です。
ハンディキャップを持った同級生とその母親とのエピソードが語られる『ゆでたまご』。
旅も恋も、そのときもたのしいが、反芻はもっとたのしい…という『反芻旅行』。
妹さんの疎開先から送られてくる『無口な手紙』。
ひとり暮らしをはじめて「お行儀」が悪くなってしまったことに気づいてしまった『独りを慎しむ』。……と素敵なエッセイばかりです。
「お行儀良くしなさい」はわたしも祖母によく言われたなぁ。お行儀よくしなくっちゃね!
素敵な向田邦子さん。
「男どき女どき」の再読はもちろん、これからもどんどん読んでいきたいと思いました。
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向田邦子は、やっぱり面白い。
短編小説も、エッセイも皆良い。
こんなに短い物語の中に人間の感情や心の動きを文章にさらりと乗せて、読む人をすぐに惹きつける力がある。しかも向田さんの心の温かさまで感じてしまう。
エッセイも共感できる事ばかり。
これを書かれた時の向田さんの年齢に自分が近い事もあるのでしょうが久しぶりに向田作品に触れるとその凄さを実感する。
本当に今もご活躍していて欲しかったと心から思う。
Posted by ブクログ
向田邦子 著「男どき女どき」、1985.5発行(文庫)。小説4編とエッセイ21篇、向田さんの最後のメッセージともいえる作品ではないでしょうか! 小説では「鮒」と「ビリケン」、エッセイでは「若々しい女(ひと)について」「独りを慎む」「ゆでたまご」「反芻旅行」「壊れたと壊したは違う」、特に秀逸と感じました。
向田邦子さんのラストメッセージとも言える「男どき女どき」、1982.8刊行、1985.5文庫化。21編のエッセイと4つの短編小説が収録。たった3ページのエッセイ「ゆでたまご」が映像的に心に迫ってきます。著者が小学4年生の時の出来事から「愛」を紡いだエッセイです。片足、片目が不自由で疎んじられていた同級生Iにまつわる2つの話。遠足の時、汚れた風呂敷に包まれた大量のゆでたまご。母親が「これみんなで」と著者に。徒競走で遅れて一人走るI、厳しくて人気のない女の先生が飛び出し一緒に走った。愛はぬくもり、自然の衝動!
向田邦子「男どき女どき」、1985.5発行、再読です。「ゆでたまご」と「無口な手紙」がお気に入りです。「ゆでたまご」には、短いエッセイ文の中に、貧しく動作ののろい女の子への母親の愛と教師の愛がぎっしり詰まっています。手紙は、簡潔、省略、余韻、そして、その人ならではの情景か言葉が。そうありたいと常々思っています。
4つの短編小説といくつかのエッセイが収録されています。向田邦子「男どき女どき」、1985.5発行、再読。小説では「ビリケン」が好きです。エッセイでは、「若々しい女(ひと)について」「独りを慎む」「ゆでたまご」「草津の犬」「壊れたと壊したは違う」「無口な手紙」「甘くはない友情・愛情」がお気に入りです! 女は具体的な動物、夫を愛し子供を愛する本能はすぐれているが、友情という抽象的な精神は男にはかなわないのでしょう。とありました。
TVで北海道の言葉: 自分の意志なし(不可抗力)で押してしまうのを「押ささる」、自分の意志で押すのを「押しちゃった」(自分の責任)だと。これを聞いて、向田邦子さんの父からの教えのエッセイ「壊れたと壊したは違う」が浮かびましたw。向田邦子「男どき女どき」、1985.5発行。「思い出トランプ」で直木賞、何事も成功する男どきでした。その後の「男どき女どき」、21編のエッセイ集と遺作を含む小説4編が収録されています。エッセイ「無口な手紙」「独りを慎む」「ゆでたまご」が好きです。台湾旅行は女どき、早逝されました。
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記憶には甘い辛いという味覚が舌ではなく心の内に誘ってくれる。辛い記憶は時を経て美味しく頂けるし、昔の甘い記憶に蓋をしてしまうこともあるある。人の心は摩訶不思議、この書籍の読後感。
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向田さんの作品を読むと、見透かされているような気がしていつも心がザワザワする。本当に怖い文章を書く人。
男性には絶対に書けない。
後半のエッセイは特に心に留めておきたい。一人暮らしを始めて早四年、「独りを慎しむ」は苦虫を噛み潰したような思いで読んだ。ひとりでいるときもきちんとしているって、難しいんだよなあ。まったく出来ていないなあ。
「反芻旅行」「無口な手紙」「黄色い服」、何度も読み返して、ずっと忘れずに日々の生活を送っていきたい。
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「鮒」「三角波」の二編がどこかの小説講座で紹介されていたのを思い出して、それらが収録されている本書を手に取った。面白かった。
上の二編以外にも「ビリケン」「嘘つき卵」とエッセイが収録されている。こちらも面白かった。
いやあ、でも、「三角波」は別にサインでもコサインでもないが、この話をオマージュしたマンガに思いがけず出会いたい。
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この秋、ひとり『向田邦子祭り』しています
未読の向田作品を片っ端から読んでいますが
こちら、前半はショートショート。
後半で向田さんの随筆となっています。
正直ショートが苦手な私は向田さんの作品と
言えど、不思議な本だなと。
まず、男どき、女どき。ってに何?から
始まり読み進めてようやく男と女の機微?
が描かれてる?読解力が乏しくて萎えました。
解説まで読んで、ちょっと鳥肌が
立ったのですがネタバレになるので
ご興味ある方は、読んでみて下さい。
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Audibleにて聴書。
向田邦子最後の短編4篇とエッセイ。エッセイはかき集めた感があるが、短編は向田邦子らしい意地の悪さが読めてとてもいい。
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最後の短編小説とエッセイ、古本屋で見つけて懐かしく読みましたが色褪せません。人間を鋭く描くけれど温かくて、短編であるのに重みがあってリアルに感じとれます。エッセイでは、ご両親が出てくればそのままドラマにもなりそうだし、人となりが出ていて粋です。
エッセイの「ゆでたまご」「草津の犬」が好きです。
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比喩が絶妙(「行ったことのある国はそこだけ地図に色がつき、人肌にあたたかくなっているような気がする」p.112鉛筆、「旅も恋も、そのときもたのしいが、反芻はもっとたのしいのである」p.150反芻旅行)。これは女性は抽象的なものが苦手だという自意識から培われたものかもしれない(「女は、身に覚えのあるもの、目に見えるものしかおかしくないのだ」p.165笑いと嗤い、「女は具体的な動物です」p.186甘くはない友情・愛情)。
4つの短編小説は、1981年に飛行機事故で亡くなる直前の遺作。『三角波』(p.55〜)は、現代ならともかく、この時代にこのドンデン返しとは、と非常に印象的だった。
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やはり、この方の小説で常に感じるのは
「清濁併呑」という事。
だから、人っていいなぁと思う。
むしろ、暗く濁ったところが無い人には、というかそれをひた隠したり、見て見ぬふりをして生きている人には、全く魅力を感じない。
鮒と、嘘つき卵が特に好き
Posted by ブクログ
★★★★ 何度も読みたい
最初の4編は短編小説、あとはエッセイ集となっている作品。エッセイの方では、著者の人生哲学のようなものが簡単に紹介されている。その中でもいくつかの話には、襟を正さなくてはという気持ちにさせられた。特に『若々しい女について』『独りを慎む』『サーカス』などが印象的だった。
「自由は、いいものです。ひとりで暮らすのは、すばらしいものです。でも、とても恐ろしい、目に見えない落し穴がポッカリと口を開けています。それは、行儀の悪さと自堕落です。」
「誰が見ていなくても、独りでいても、慎むべきものは慎まなくてはいけないのです。」
これらは『独りを慎む』のp125の一節だが、著者の何気ない日常の動作を切り取って、我々の鼻先に突きつける技術を感じられると思う。独り暮らしをしたことのない私でもどきりとした。
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最近よく手にしてしまう向田邦子。昨日もふと購入(誰に何と言われようと紙媒体が好き)したこの短編を、スタバで全部読んでしまったのだが、その間私はコーヒー片手にうんうんと唸り、大笑いし、挙句泣くと言う感情の起伏を人目を憚ることなくやってのけてしまう。
わたしが生まれる少し前の、わたしが生まれた後もかろうじて残っていたその時代の雰囲気に背筋を正され、今も昔も変わることのない人の営みに涙が出てくるというかね。
脚の悪い同級生の母親が遠足にクラスメイトにわたしたゆで卵。1人で徒競走を終えようと懸命なその子に伴走する教師の姿、それを愛と考察した件に号泣。そう、そうなのよ、と。行為そのものだけじゃなくて、それを暖かいものと受け止められることが、愛なんだよと。私は「愛」という言葉が大嫌いなのだけれど…(言葉にして、これほど尊い行為を陳腐なものに見せてしまうものがこれ以外にあるだろうか…) その文には納得してしまう。
自由を謳歌するのとだらしなくなるのはイコールではない、と言うお言葉に「その通りですぅ…ごめんなさぁい…」と背筋を正され、反芻旅行のお母さんに、うちの母を重ねてしまいさらに号泣。
いやはや、良い時間を過ごさせてもらった。
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小西康陽(元ピチカート・ファイヴ)の「ぼくは散歩と
雑学が好きだった。」を読んで森繁久彌と向田邦子に興味を持ち、この本を手に取った。
短編4編とエッセイが収められていて、最晩年の作品らしい。
短編はどれもとても面白くて、引き込まれてしまった。どれも昭和の匂いがして、1982年(昭和57年)の作品なのだから当然かもしれないが、今読むと何ともあか抜けない印象があって、それがまたいい味を出している。
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向田邦子の最後の短編小説4編にエッセイを含む。
何事も成功する時を男時、めぐり合わせの悪い時を女時という。
向田氏の短編を読み、やはり、彼女はある種の昭和史を語らせたなら、天下一品なのだと思いました。なんと、日本語の豊かなことか。女性の細やかな、時には陰湿であり、陰のあるところなど、現代の日本では、とんと見られなくなっている風景、表象であろう。
Posted by ブクログ
遺作だからか、短編から突然エッセイに切り替わり、これは随筆に見せた物語なのか本当に著者の感じた記録なのか、予備知識がなかったため戸惑った。エッセイもそれぞれ妙に趣が異なる。初出誌を見ると納得、そもそも掲載された媒体の趣が違う。
それでも作者独特の鋭いものの見方や気取らない率直な物言いは一本芯のように貫かれていて、一冊丸ごとどこを読んでも向田邦子。
時代を感じさせない新鮮さと真実があるから、戦中の学童疎開や国民服にゲートルといった話題が出てきてやっと書かれた年代を思い出す。
エッセイにはところどころ、読みながら自分の襟を正したくなるような訓戒が含まれている。本棚や車に忍ばせておきたい一冊。
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短編小説とエッセイの組み合わせでした。男と女の機微な振る舞いや感情が表現されていました。私は向田邦子さんの飾らない潔さのようなものを感じる文章が好きです。
お話の入りと結びが印象的な表現になっているなと感じました。
Posted by ブクログ
●短篇四篇『鮒』台所で物音がし、見にゆくと鮒の入ったバケツが置かれている。息子が飼うと言って、水槽に移して飼うことになるが、その心当たりのある父親は浮かない。過去に関係を持ち、通った女のアパートで飼われていたものだったから。
『ビリケン』毎朝通る果物屋の主人を、こっそりビリケンと呼び、内心でバカにしていた男。ビリケンは死、男の息子が果物やで万引きを働いたことによって、男の記憶が刺激され、古本屋で万引きをした大学時代のことが思い起こされる。ビリケンはその古本屋の息子だった。
『三角波』結婚相手である夫の部下に、好かれていると思い込んでいる新婦。部下が愛しているのは、夫だった。
『嘘つき卵』子供の出来ない夫婦。検査でシロとわかった妻が、嫉妬心から夫の元カノと推測する女がやっているバーへゆき、写真家の男と出会い、浮気の未遂をしたところで、妊娠がわかる。
「言葉に出してしまうと、あとはセーターの毛糸をほどくようにするすると楽に話せた。」という比喩はいいなあと思ったけど、現代では通じないものになっているのかもしれない。『嘘つき卵』の、決定的なことはしてないのだけど、一生秘密を抱えて生きていくだろう妻のことを思う。どの夫婦にも、そういうことが、大なり小なりあるのではないか。
タイトルの「男どき」は、幸運に恵まれ、勢いがある時、で、「女どき」は、すべてがうまくいかず、不運な時、であるらしい。女=不運なんてな。なんだと! と思うが、まあそれはそれ。後半のエッセイを読むと、女でありながら立派な仕事を持ち、しかしそれに奢ることなく生きる向田さんの姿勢は、男女平等をかさに、得をしようとしているように見える現代の女にはない、清さ、カッコよさがある。何事にも興味を持ち、いくつになっても「へえ、なるほどなあ」と感心して面白がること、それを肝に銘じて、生きていきたいものです。
Posted by ブクログ
最初4篇、ザ・向田邦子!
「V」は印象深い随筆ばかりだった。「甘くはない友情・愛情」は頷ける。女の友情は、男のようなものとは確かに違う。「黄色い服」は少し教訓じみたような内容。「無口な手紙」は中2教科書でも馴染みのある作品。他には「反芻旅行」も共感できる部分が多く好きだった。
「独りを慎しむ」は道徳の教科書にあった。現代では古臭いと言われそうだが、古臭い中にも気付かされることがある。古い感性の中でも、守るべき不変的な良さがある。
向田さんは「古臭い」と言われると喜ぶだろう。女が男と対等になろうと努力している時代だから(まだまだだが)。文章を読むと生きている。随筆はより血が通った文章だと思う。不慮の事故で亡くなっても、作品は読み継がれ、本の中では生きているんだなと感じた一冊だった。今では向田さんの年代だと当然亡くなっている人が多いだろうが、やはり事故となると一層死に思いを馳せる。
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向田さん、なんだろうなぁ。
気が強そうで、へそ曲がり、とっつきにくい印象。
なのに、読んでしまう。
何か気になる。
ドラマがあれば観てしまう。
何故か気になる。
そこがカリスマたる所以といったところでしょうか。
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向田邦子文学忌 1929.11.28〜1981.8.22
木槿忌 (むくげ) 山口瞳の向田邦子の死を受けての小説「木槿の花」より
小説新潮で昭和56年7月から連載された短編4編とエッセイ
最後の小説「嘘つき卵」
不妊に悩む妻と、過去に別の女性を妊娠させたので自分に問題ないという夫。という話だけれど、この作品が最期の原稿となり、脱稿後、台湾旅行の飛行機事故で亡くなる。
冒頭に
時の間にも男時女時とてあるべし「風姿花伝」
とあり、タイトルが世阿弥の能の理論書よりとられていることを知る。
男時女時の言葉の成り立ちについては知らなかった。意味はざっくりと、男時が運が良い時。女時が悪い時ですが、世阿弥が陰陽説から考えた造語のようです。世の中のことは、全て陰陽に分けることができ、男女であれば、男が陽で女が陰となります。本来は、陰陽に優劣はないのですが、世阿弥は、能に良い時悪い時があり、因果が巡っているというような意味合いで使うようです。
向田さんの短編は、シュッツとしてギュときてバチんって感じで好きです。このタイトルは連載時から使われていたようです。脚本家としてエッセイストとして小説家として(前回の新潮連載の思い出トランプで直木賞を受賞している)男時を過ごしてこられた方のあまりに不運な事故であったと思います。
印象的な作品は「三角波」
結婚を控えたカップル。夫は何かにつけて部下の男を呼びつけ世話をさせる。部下の様子に妻は、自分に好意があると思う。部下は結婚式を病気として欠席する。新居で夫婦で迎えた朝、庭に部下の姿を見つける。部下が愛していたのは、夫だった。で、ここからの1ページが良くて、たぶんこの状況をやり過ごしていく新婚夫婦。壊さなければ壊れない。これが一番好きでした。
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人の心の機微というか、社会もしくは家族といったいわゆるコミュニティーにおける人間の心の動きを細かく、リアルに描いている。そういう意味で面白い。
登場するのはごく普通の人々。そういう人々にも、普通ではない出来事が訪れる。それは殺人事件が起こるとか、未知の能力が身に付くとか、そういう大事件ではない。平凡と言えば平凡な出来事だ。しかし当事者にとっては大事件だ。そういうものに出会ったときの人間の反応を、実に上手く描いている。
Posted by ブクログ
最近読書記録をつけていなかったのでボチボチと。この本は大学時代に一度読んだ。その時は全くわからなかった夫婦というものが、今でも全くわかってはいないけれど、この本に出てくるのは、比較的多くの人が共感できる形なのであろう。
Posted by ブクログ
著者の遺作。わかりやすい文章を書く。4つの短編とエッセイ多数。どれも良かったが「ゆでたまご」「草津の犬」「無口な手紙」が特に良かった。写真は幾分上向きで勝ち気そうだが、エッセイの内容もそれをうかがわせるものがあった。2018.6.24
Posted by ブクログ
好きな作家です。
いつ読んでも、文章を並べるのが上手な作家なので、
ついつい手に取ってしまいます。
男性作家ではこういう風に、
物って書けないんですよね。
Posted by ブクログ
小説とエッセイが入った1冊。
久しぶりに、教科書にあった『字のない葉書』を読んだ。集団疎開に娘を出す父の気持ち、帰ってきた父の男泣きの場面。大人になりより気持ちが理解できる。
はじめて向田邦子のエッセイを本で読んだが、どれも日常の場面が切りとられていて、分かるわぁーと思わず呟きたくなるものも多数あった。
☆心に残ったフレーズ
・手紙にいい手紙、悪い手紙、はないのである。どんなみっともない悪筆悪文の手紙でも、書かないよりはいい。書かなくてはいけない時に書かないのは、目に見えない大きな借金を作っているのと同じである
・旅も恋も、その時も楽しいが、反芻はもっと楽しいのである
旅の反芻とは・・テレビで自分が見たのと同じ光景が出れば嬉しい。行ったことのない国を見るよりも、もっと視線は強く思い入れも濃いような気がする。