あらすじ
何事も成功する時を男時、めぐり合わせの悪い時を女時という――。何者かによって台所にバケツごと置かれた一匹の鮒が、やがて男と女の過去を浮かび上がらせる「鮒」、毎日通勤の途中にチラリと目が合う、果物屋の陰気な親父との奇妙な交流を描く「ビリケン」など、平凡な人生の中にある一瞬の生の光芒を描き出した著者最後の小説4編に、珠玉のエッセイを加えた、ラスト・メッセージ集。
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Posted by ブクログ
向田邦子 著「男どき女どき」、1985.5発行(文庫)。小説4編とエッセイ21篇、向田さんの最後のメッセージともいえる作品ではないでしょうか! 小説では「鮒」と「ビリケン」、エッセイでは「若々しい女(ひと)について」「独りを慎む」「ゆでたまご」「反芻旅行」「壊れたと壊したは違う」、特に秀逸と感じました。
向田邦子さんのラストメッセージとも言える「男どき女どき」、1982.8刊行、1985.5文庫化。21編のエッセイと4つの短編小説が収録。たった3ページのエッセイ「ゆでたまご」が映像的に心に迫ってきます。著者が小学4年生の時の出来事から「愛」を紡いだエッセイです。片足、片目が不自由で疎んじられていた同級生Iにまつわる2つの話。遠足の時、汚れた風呂敷に包まれた大量のゆでたまご。母親が「これみんなで」と著者に。徒競走で遅れて一人走るI、厳しくて人気のない女の先生が飛び出し一緒に走った。愛はぬくもり、自然の衝動!
向田邦子「男どき女どき」、1985.5発行、再読です。「ゆでたまご」と「無口な手紙」がお気に入りです。「ゆでたまご」には、短いエッセイ文の中に、貧しく動作ののろい女の子への母親の愛と教師の愛がぎっしり詰まっています。手紙は、簡潔、省略、余韻、そして、その人ならではの情景か言葉が。そうありたいと常々思っています。
4つの短編小説といくつかのエッセイが収録されています。向田邦子「男どき女どき」、1985.5発行、再読。小説では「ビリケン」が好きです。エッセイでは、「若々しい女(ひと)について」「独りを慎む」「ゆでたまご」「草津の犬」「壊れたと壊したは違う」「無口な手紙」「甘くはない友情・愛情」がお気に入りです! 女は具体的な動物、夫を愛し子供を愛する本能はすぐれているが、友情という抽象的な精神は男にはかなわないのでしょう。とありました。
TVで北海道の言葉: 自分の意志なし(不可抗力)で押してしまうのを「押ささる」、自分の意志で押すのを「押しちゃった」(自分の責任)だと。これを聞いて、向田邦子さんの父からの教えのエッセイ「壊れたと壊したは違う」が浮かびましたw。向田邦子「男どき女どき」、1985.5発行。「思い出トランプ」で直木賞、何事も成功する男どきでした。その後の「男どき女どき」、21編のエッセイ集と遺作を含む小説4編が収録されています。エッセイ「無口な手紙」「独りを慎む」「ゆでたまご」が好きです。台湾旅行は女どき、早逝されました。
Posted by ブクログ
最近よく手にしてしまう向田邦子。昨日もふと購入(誰に何と言われようと紙媒体が好き)したこの短編を、スタバで全部読んでしまったのだが、その間私はコーヒー片手にうんうんと唸り、大笑いし、挙句泣くと言う感情の起伏を人目を憚ることなくやってのけてしまう。
わたしが生まれる少し前の、わたしが生まれた後もかろうじて残っていたその時代の雰囲気に背筋を正され、今も昔も変わることのない人の営みに涙が出てくるというかね。
脚の悪い同級生の母親が遠足にクラスメイトにわたしたゆで卵。1人で徒競走を終えようと懸命なその子に伴走する教師の姿、それを愛と考察した件に号泣。そう、そうなのよ、と。行為そのものだけじゃなくて、それを暖かいものと受け止められることが、愛なんだよと。私は「愛」という言葉が大嫌いなのだけれど…(言葉にして、これほど尊い行為を陳腐なものに見せてしまうものがこれ以外にあるだろうか…) その文には納得してしまう。
自由を謳歌するのとだらしなくなるのはイコールではない、と言うお言葉に「その通りですぅ…ごめんなさぁい…」と背筋を正され、反芻旅行のお母さんに、うちの母を重ねてしまいさらに号泣。
いやはや、良い時間を過ごさせてもらった。