ヤマザキマリのレビュー一覧
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購入済み
ハラ減った!
読んでいるとどんどんお腹が減ってきます。
特に、ピザとかピザとかピザ.......
あと、ヌテラとムケッカが気になります。
基本、面白おかしいエッセイマンガなんですが、
イタリアやポルトガルの人たちが、どんな気持ちで
地元の料理を愛して、食べているのかが伝わってきます。
でも前半の貧乏ながら工夫して美味しく食べているあたりのほうが好きかな?
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Posted by ブクログ
「テルマエ・ロマエ」の作者ヤマザキマリさんによる男性論。
この作者らしく、古代ローマの男たち、とりわけハドリアヌスが魅力的と語る。
続いてルネサンス時代のアーティスト・ラファエロ、
さらにはスティーブ・ジョブズといった人たちが取り上げられている。
彼らに共通する、「古代ローマ=ルネサンス的なもの」とは、
「寛容性」、「ダイナミズム」、そして「増長性」。
「寛容性」とは、他人の感覚を自分のものにでき、その人の感覚に寄り添えること。
「増長性」とは、時代の移り変わりに合わせてフレキシブルに振る舞えること、
完璧であるよりも、未完で伸びしろを持ち続けること。
なかなか高いハードルだけれど、さらに、
即物的で現実的な側面をもちながらも、
空想・イマジネーションを具現化できる技術を合わせ持つことが
「男子の魅力」であると言っています。
空想というのはいい言葉、
ビッグなことを思い描いて実現できてしまう人というのは、たしかに凄い!
という男性論ですが、ここに出てくる男達の多くは、
彼女が出会ったことのないひと。
どうして、これらの男達が増長性を持っているなんてわかるのでしょう?
そこで大事になるのが、自分オリジナルの辞書を作ること。
ヤマザキさんは、17歳で絵を学びにイタリアにわたり、
その後、世界中を渡り歩き、波乱の人生を送っている。
その時々の感情に加え、本を読んだり、映画を観たりして得た経験が
自分のなかに織り込まれ、ミルフィーユ状態の辞書ができている。
この辞書を持って想像力を駆使すると、今は生きていない人たちとも
親密につき合うことができるという。
「テルマエ・ロマエ」のようなユニークで魅力的な作品ができる所以である。
「テルマエ・ロマエ」のルシウスが現在の日本に現れたように、
過去の人たちの想いを共有できる、そんな辞書をもつことができたら
どんなに幸せなことだろう。 -
Posted by ブクログ
映画にもなったコミック「テルマエ・ロマエ」の原作者であるヤマザキマリ氏の、男を見つめる目線から見た人生論を書いた著書。「テルマエ・ロマエ」は映画でも、原作のコミックでも、観たり読んだりした方はご存じだと思うけど、この作品はかなり奇妙だと思う。古代ローマ人であるルシウスが、テルマエ<風呂>を通じて、現代の日本にタイムスリップ。いろいろ現代の日本風呂文化を知りながら、それを古代ローマに伝えていくという、ざっくりというと、そんなお話なのだ。なぜ、テルマエを中心に物語を進めるのか? なぜに古代ローマにこだわるのか? そんな著者の目線を「テルマエ・ロマエ」を中心に追いながら、私たちに明日を生きていくための人生論を展開してくれている。
【引用】現在の日本には絶対的に足りないものがあるとも思うのです。それは、ここに暮らす人々が「生きる喜び」の実感を得るための、機会や制度や気運といったものです。(P.15)
古代ローマに常に視点があるのは、著者自身が長年ヨーロッパ、特にイタリアに住んでいて分かる自由さがあり、今の日本との違いを如実に感じていることがあるのでしょう。
【引用】つまり、つねに古代ローマには未完であることをよしとする性質があるわけです。「ここまでできたからもういい」とはならない。時代が刻々と移り変わるから、ぼんやりとしていたら生きていられない。今日と明日はもう違う世界。生き延びるにはフレキシブルに変化できなければならないから、完璧であることよりも、未完であり、伸びしろを持ち続けることを重視する。(P.57)
いずれ紹介する他の本にもあるのですが、今の欧米の白黒はっきりつける社会に比べて、あわいの世界に日本人は生きていると思うのです。物事に結論をつけずに、いろいろな多様な考え方を取り入れようとする文化は、未開な部分でもどんどん世界を拡げていける可能性を秘めている。元来、不安定な自然界と対話しながら、適応して生きる仕組みを日本文化はつくってきた。同じことが、古代ローマの世界観にもあるのかなと読んでいて感じました。
【引用】ひとりの人間では、万物を認識することはできない。それは悲しいことではあるけれど、だからこそ、地球のほかの場所、あるいは歴史的にちがう時代のひとはこんなふうに物事を認識しているのかと知るのが楽しいのだと思います。知るって、やっぱりおもしろい。認識を共有することのおもしろさに、ルシウスもわたしもとりつかれている人間なのでしょう。(P.63)
やや偏った見方かもしれないですが、自分が自分という身体に意識を持って生まれてきたのは偶然の産物なんだと思うんです。逆に見れば、自己意識というのは目の前の人に宿っていた可能性もあるし、時代を越えて、歴史上の有名な人物に宿っていたものかもしれない。そう見ると、世の中の人がやっていることは、すべて自分がやっていることとも思えていいのかもしれません。だからこそ、いろんな考えを知りたい、、知識欲というのは、僕の場合、そういうところから生まれてきます。
【引用】日本にいるだけでは考えもしない問いに身を置くこと。グローバルな視野、などと大げさに言わなくとも、他人の感覚を自分のものにできる人は単純にかっこいい。他者への寛容性の第一歩は、この他人の感覚に寄り添えるかどうかだと思うのです。(P.216)
そうそう、自分の感覚にフワッと入ってこれる人って魅力的ですよね。それにはまず謙虚に他人を見つめること、知りたいと思うことから始まるのだと思います。
【引用】つまるところ、自分を助けてくれるものがあるとしたら、それは想像力だと思います。想像力という比喩は月並みに聞こえるかもしれないですが、言い換えるならば、自分自身で時間をかけて「辞書」を作り上げていくということ。いろんな書物を読んだり、絵や映画を見たり、音楽を聴いたり、世界中の街を歩いてみたりする。そうやって自分の想像力を駆使することで、今は生きていない人たちとも、親密に付き合うことができるわけです。(中略)なにか大きな局面に直面したときに、今の自分を助けてくれるヒントに満ちています。(P.222)
僕が映画や読書が好きなのは、自分の普段では感じ取れない感覚を、映像だったり、文字だったりの媒体を通じて伝えてくれるからだと思います。大げさかもしれないけど、映画や本があるから、僕は人間らしい生活が送れる。映画がなかったら、生物的には生きられるのかもしれないけど、中身が詰まっていない空虚な人間でしかなかったことでしょう。こうした”人生の魅力”というものを、いろんなカッコいい人たちの生き方から学べる素敵な本です。