長谷部恭男のレビュー一覧
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217P
憲法前文はいつ読んでも美しいと思う
この本には、
○日本国憲法
○大日本帝国憲法
○パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)
○ポツダム宣言
○降伏文書
○日本国との平和条約
○日米安全保障条約
が収録。→
長谷部 恭男
(はせべ やすお、1956年[1]10月22日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学・公法学。東京大学名誉教授[2]、早稲田大学法学学術院、大学院法務研究科教授。日本公法学会理事長、国際憲法学会(IACL)副会長。広島県出身。芦部信喜門下。広島市中区堺町出身[3]。民事訴訟法学者で学習院大学法学部教授の長谷部由起子は妻である。「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人[4]であり、「国民安保法制懇」のメンバー[5]でもある。集団的自衛権の行使は違憲としている[8]。自民党の推薦を受け、衆議院憲法審査会に参考人として参加した際、集団的自衛権について「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」と発言した[9]。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければなら」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 3 児童は、これを酷使してはならない。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「〔皇室財産及び皇室費用〕第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。〔公の財産の用途制限〕第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「3 天皇制 (1)日本国の象徴 憲法一条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とする。象徴とは、抽象的な存在を表現する具体的なものをいう。ハトは平和の象徴であり、白百合の花は純潔の象徴とされる。 日本をはじめとする諸国家は、国民と呼ばれる人々の集合体が一体として行動するものとみなすという約束事の上に成り立つ抽象的な存在である。銀行や自動車会社のような株式会社と同様、国家も多くのメンバーから構成される法人である。国務大臣や裁判官、警察官等の職務にある具体的な人間の行動は、日本という国家の行動とみなされる。国家そのものは抽象的な約束事なので目には見えない。憲法は天皇がその抽象的な日本国を具体的な存在として象徴すると述べる。 もっとも、ある具体的なものが抽象的な存在の象徴であるか否かは、人々がそう考えるか否かという社会学的事実に依存する問題である。ハトが平和の象徴であるのは、人々がハトを見て平和のことを想起するからである。事実問題として人々がハトを見ても平和のことを想起しなくなれば、ハトは平和の象徴ではない。 同じように、天皇が日本国の象徴なのは、人々、とくに日本国民の大多数が天皇を日本国の象徴と考えるという事実があるからである。その事実が失われれば、憲法の規定がどうであれ、天皇は日本国の象徴ではなくなる。象徴としての地位が日本国民の総意に基づくとする憲法一条は、そうした当然の事理を述べている。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「 天皇には、憲法の列挙する国事行為、そして私的行為の他に、象徴としての公的行為を想定することができるという見解がある。ハトや白百合の花と異なり、天皇は人間の行為として理解可能なさまざまな行為をする。国会の開会式で「おことば」を述べ、外国の元首と親書を交換し、第二次大戦の激戦地におもむいて戦没者を慰霊し、大災害の被災地におもむいて被災者と懇談する。これらは、憲法の列挙する国事行為として理解することも、全くの私的行為として理解することも困難である。宮内庁を経て最終的には政府が責任を負うべき公的行為として理解すべきだとの見解である。多くの日本国民が天皇を日本国の象徴と考え続けていくには、天皇がこうした象徴としての数多くの公的行為を果たすことが必要となるであろう。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
「日本国憲法の基本権条項は、リベラル・デモクラシー諸国の憲法に広く見られる個人レベルの消極的自由、つまり思想・良心の自由(一九条)、表現の自由(二一条)、信教の自由(二〇条)、人身の自由(一八条・三一条等)、財産権(二九条)、職業選択の自由(二二条)等だけではなく、労働者の団結権・団体行動権(二八条)や健康で文化的な最低限度の生活の権利(二五条)、子どもの教育を受ける権利(二六条)等の社会権も広く保障する点に特徴がある。 一三条は、すべての国民が個人として尊重されること、生命・自由および幸福追求に対する国民の権利が、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とすると規定する。国政は公共の福祉、つまり社会全体の中長期的な利益の実現を目的とする。しかし、国政は同時に、何が自分にとっての幸福であるかを国民それぞれが個人として判断し、その判断に基づいて自分の人生を自由に生きることを前提とする。多様な価値観・世界観が並存し、対立・競合する近代以降の世界では、政府の役割は、多様な価値観・世界観を抱く人々が、公平に共存し、人間らしい暮らしを送ることのできる基盤を整備することに限定される。日本国憲法を支えているのも、こうした近代立憲主義の理念である。」
—『日本国憲法 (岩波文庫)』長谷部 恭男著
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長谷部教授による憲法の解説部分が本丸。
全体の3分の2程度は、ネットでも読めるような憲法の条文、日米安保条約の条文などが記載されているため、読んでない。
解説部分はページ数は多くないものの、かなりためになる内容だった。
特に、「押しつけ憲法」というイメージが覆されたのがよかった。
確かに現行憲法は、GHQの改正草案が大もとになっている。しかし、当初、GHQも憲法改正は日本政府のイニシアティヴで進められるべきとの態度をとっていたにもかかわらず、日本政府側が天皇主権の維持などを残した保守的な内容の草案しか作れなかったことがその原因であった。
また、GHQの改正草案に対し、9条の文言や基本的人権の条項、行政組織の規定などについて、日本政府及び帝国議会による修正がかなり入っていた。
こうした事実を知らずに、憲法改正勢力のイメージ戦略にどっぷり浸かったまま憲法の勉強をしていたことを深く反省した。
また、憲法改正については、どのような意味と効果があるのかを考えることの重要性を改めて痛感した。
「我々は憲法典、法律、裁判所に期待をかけすぎてはいないだろうか。それは偽りの期待である。自由は人々の心に生きる。人々の心の中で自由が死んだとき、憲法典も法律も裁判所も、まったく助けにはならない」
ハンド判事の言葉はかなり的を射ているように思った。
一方で、安倍内閣時代の閣議決定による条文解釈の変更を踏まえると、憲法9条のように、実際に解釈が複雑に分かれている曖昧な条文の存在により、いつの間にか国にとって都合のいい主張にすり替えられる危険性もある。
解釈の余地を残さないように文言を改正し、国家権力をより明確に制限したほうが良いのではないか、と思う部分は未だにある。 -
Posted by ブクログ
宮沢俊義は自他ともに認めるケルゼニストである。ケルゼンの根本規範論は、法というものは、その中身がどうあれ「法は従うべきもの」(=根本規範)という前提がなければ成り立たないという、法学の前提としての論理的仮説である。八月革命は天皇主権という根本規範を国民主権という根本規範に取り替えたわけではない。「法は従うべきもの」という前提は天皇主権でも国民主権でも変わりないからだ。こう指摘する長谷部氏は、八月革命説はケルゼンの根本規範論で説明するのは難しいと言う。まさにその通りで、宮沢が依拠したのはケルゼンの根本規範論ではなく、その論敵シュミットの憲法制定権力論であると解するのが一般的である(石川健治氏など)。
ならば宮沢はケルゼンからシュミットに鞍替えしたのかというとそうではない。宮沢は日本国憲法の成立を法学的に説明するためのテクニックとして、憲法制定権力論という論理を借用したに過ぎない。宮沢はシュミットが想定する憲法制定権者たる国民という概念もイデオロギー的仮構物だと考えていたはずだ。その意味で宮沢は根本規範の取り替えが可能であるかのような実体論的思考を残す不純な純粋法学者ケルゼンその人以上に純粋なケルゼニストである。宮沢をソフィストと呼べるとすればこの意味においてであろう。(長谷部氏は「国民代表の概念」において宮沢は国家や議会をフィクションと見做したが、国民までフィクションと見做したわけではないと考えているようでもあり、この点で評者の見方とはやや異なる。)
自ら唱えた八月革命説を字義通りには信じていなかった宮沢俊義という人はフランス的エスプリを備えた才人だか、極めてシニカルな価値相対主義者である。宮沢の孫弟子にあたる長谷部氏も価値相対主義者だが、日本国憲法が拠って立つ「多様な価値観を抱く人々が自由で公平に生活する社会の枠組の創出」という立憲主義の理念にコミットする氏は価値相対主義者としては不純である。その不純性において宮沢のシニシズムを免れている。 -
Posted by ブクログ
まず、本書は資格試験等に使われる憲法の入門書としての性格を持ち合わせていないことに注意を要する。
どちらかと言えば周辺の哲学や理論から、憲法の輪郭を探っていく類いの書であると感じた。
また、本書はそのような周辺知識が前提知識はなくとも内容に入っていけるよう、砕けた文章も多く見受けられる。気になった箇所があれば、各章ごとに「文献解題」が設置されており、出典と共に、著者の文献解説が掲載されているので、憲法を研究する方の使用にも耐え得る内容なのではなかろうかと思う。
内容も、興味深いものが多く、ちょっとした法雑学的な気持ちで読みすすめていけるのも嬉しい。
ページ数はやや少なめではあるが、内容は充実しており、引き込まれる文章が光る一冊である。 -
Posted by ブクログ
高名な憲法学者が憲法の役割や立憲主義における立ち位置などを初学者にも分かりやすく解説した本である。初版は2006年とだいぶ古いがその当時より、憲法改正の機運が徐々に高まっていたのを記憶している。
本書の主な主張は憲法の硬性性を訴え、無闇な憲法改正の危険性を指摘しているという所だろうか?本書では法学者らしく精緻で論理的な議論が展開されていて、読者にも著者の主張の正当性を確認することができるだろう。
しかし物事は表裏一体である。浅学ながら偉そうなことを言うと私は法学の特徴はその対象の解釈がある程度自由にできるということにあると思う。例えば集団的自衛権を日本国憲法から容認することからも私の主張に援用することが出来ると思う。
そのある程度、自由な世界を規律づけるのは一体何であろうかと言うと、司法であったり大学の権威であると思う。本書においても自らの主張を肉づけるために高名な学者の説を引用している。確かに説得力を感じるし私も支持するものであるが前述の通り理論的な反論も可能であると感じた。
ここで僭越ながら私の憲法改正に対して持論を述べたいと思う。専門の方からしたら噴飯物だろうが素人ならではの考えもあるかと思う。
憲法改正は特に保守派が主張しリベラルは護憲的立場から反対を表明している。しかし、私はリベラル派も積極的に憲法改正の議論に立つ方がいいのではないかと思う。
その根拠が、日本国憲法のそもそもの正当性である。厳密なことはしんどいので間違っているのが前提だが、日本国憲法の前の憲法である大日本国憲法は天皇主権が謳われており、それが基本的原理であった。その憲法から国民主権を基本的原理とする日本国憲法への改正というのは本来ならば出来ないらしい。
そのため日本国憲法の正当性を付与する通説として八月革命説が導かれた。八月革命説の詳細については芦部信喜の憲法を参照して頂きたいが、要するにポツダム宣言の受諾によって一種の法的な革命が起こり政治体制が根本的に変化したとみなす説である。
この通説は法学者の間では受け入れられてるのだろうが一般的な革命という用語からイメージするものと、実際の事象とは違うのではと素人は思ってしまうのではないだろうか。革命とは非支配階級が支配階級の体制を転覆するイメージがあり、そのような定義であろう。実際には、その当時の国民は竹槍をもって本土決戦に備えていて反体制派が何かやり遂げたという歴史的事実は無いし、そもそもポツダム宣言を受諾したのは昭和天皇の聖断からである。
以上から八月革命説を支持しない私にとっては日本国憲法というのはそもそも法規範として弱いものであると思うし、改正派にも攻撃を与える余地があると思うのである。
戦後、日本国憲法は押付け憲法であるとして、保守派が改正の取り組みをしたり大日本国憲法への復権運動も展開された。それは復古的でもあるが同盟国のアメリカにとっても都合がいいものであろう。一方、憲法学者を始めとする護憲派は守勢に回らざるを得ない状況が続いていた。このままいくとこの弱い憲法が死文化してしまうか、危機を煽り改正派にとって都合のいい憲法が生まれる可能性もある。
そこで発想を転換して護憲派は積極的に憲法改正の議論に加わることによって、反戦、人権を重視する日本国憲法の理念を守ることができるかもしれない。
改憲議論を盛んにすることはむしろ護憲派にとってもメリットがあるだろう。
例えば我々一般市民に、立憲主義とは何か、人権とはなにか、日本国憲法にこめられた反戦のメッセージ?を再考することが出来るだろう。
憲法改正に向けての議論は盛んになり極端な議論も散見されるだろうが私はあまり悲観していない。それは私が大学時代に憲法学の講義を受けた経験による。彼ら彼女らは、厳しい訓練を受け、厳格な論理性を育んだプロであり、説得力のある提言を市民に提供してくれるだろう。
また日本国憲法の基本的理念は国民主権でありそれは改正不可能であるが憲法9条も成立経緯を踏まえると極めて改正困難であると私は思う。それはマッカーサーが憲法改正に要求したマッカーサー三原則に戦争放棄が示されておりこの基本原則を変えることは日本国憲法の主旨に反していると言えるからだ。
ここまでの議論は稚拙であり反論の余地はあろう。しかし私は日本国憲法をあえて過去の遺産とすることでその憲法の正当性を与えることになり国民主権、戦争放棄の理念がより強固になるのだろうと思う。
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憲法学、政治学、歴史学と3つの視点から今を読み解く。あまりにも刺激的で、新書をこんなに真剣に読み込んだのは本当に久しぶりである。
地に足がついた議論。
日本は防衛費増税だの、敵基地攻撃能力の保持だの様々な論点がいきなり飛び出してきた。きっちり議論も分析も、歴史に学ぶこともない、とてもふわふわした捉えどころのない首相、政府の見解に、どうしようもない不安と怒りを感じているけれど、こうやって、ひとつひとつ立ち止まって考えたい。
戦争は始まってしまったらすぐには終わらないのだ。たくさんの人の生活、命が左右されるのだ。そのことにもっと冷静に想像力を働かせたい。 -
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1:緊急事態条項を利用したナチスの手口
・ナチスは国民の圧倒的支持ではない。少数派政党。
・第一次世界大戦の敗戦と世界恐慌で政治が混乱し、ヒンデンブルク大統領が大統領緊急令を多用した。議会制民主主義に国民が絶望していた。
・ナチスは突撃隊という暴力装置を持っていた。その組織がイチャモンを付けて逮捕していった。議事堂炎上もナチスの自作自演。
2:なぜドイツ国民はナチスを支持したか
・敗戦と世界恐慌で、失業率30%。ワイマール帝国は見放されていた。共産党とナチが受け皿だった。
・第一次世界大戦で旧ロシアから、東方ユダヤ人が難民のようにドイツに来ていて、独特の存在だった。民衆は風変わりさに恐れていた。
・ドイツ民族共同体が、階級意識を打破すると考えた。
・下層中間層が、陰謀論に振り回され、排外主義となった。
3:戦後のドイツは、どう対応したか
・憲法の変えられない基本原理を定めている。それを攻撃する者は基本権を停止する。
4:日本の緊急事態条項は
・発動要件が緩い。法律で定めるの多用。
・統治行為論で裁判所が手を引いているから、均衡が取れない。
・日本はビビらせて「安心の保証」に付け込む。
5:ドイツは過去をどう捉えようとしているか。
・1950年代の西ドイツでは、アウシュビッツは語られていなかった。反ユダヤも復活しそうだった。
・1961年のアイヒマン裁判で、語られなかったナチが知らされた。若手議員たちが、ナチの時効反対唱えた。
・テレビ映画の「ホロコースト」が、国民の心を動かした。
・歴史と向き合わなければならぬ、という市民運動。「つまづきの石」など。 -
Posted by ブクログ
緊急事態条項の歴史的な危うさについて、ひとまづ簡単に飲み込むための入門編、みたいな本だった。大変読みやすく、そしてわかりやすかった。
220頁
<一九七〇年五月八日、終戦二五周年記念式典でのブラント首相の演説>
今から二五年前のあのときに、多くのドイツ人が個人的あるいは国民的な苦しみと感じていたことは、他の民族にとってみれば外国への隷従、テロ、不安からの解放でした。……民族には、自らの歴史を冷静に見つめる用意がなければなりません。なぜなら、過去に何があったのかを思い起こせない人は、今日何が起きているのかを認識できないし、明日何が起こるかを見通すことがもできないからです。冷静に歴史と向き合うことは、特に若い世代にとって大切です。若い世代は、当時終わったことに関与していません。……しかし引き継いだ歴史から、我々は誰一人として自由ではないのです。 -
Posted by ブクログ
学問の自由は私たちの生活とも関係している。学問をすることが自由なのもあるが、学問はそれ自体国の権力から自由で独立したものでなくては、また再び、戦争に使われる可能性がある。過去の過ちを繰り返さないという学者の決意から生まれた学術会議の経緯を知っていれば、今回の件は学者集団にとって、赤信号であるとともに、私たちの身にも危険が近づいていることを示している。
さまざまな学会から声明が出され、報道を賑わせたが、最近また忘れられそうになっている気がしてならない。しかし、このことは決して忘れてはならない。
個人的には内田樹さんの部分が、自分が薄々感じていたことをはっきりと明文化して提示されたようで戦慄が走った。 -
Posted by ブクログ
同じ著者による『憲法とは何か』を読んだ際、しばしば引用されていた本書。
民主主義や立憲主義の基本的な説明は、こちらに書かれていそうだったので、続けて購入しました。
読んでみると、予想した通り。
例えるならこの『憲法と平和を問い直す』は、もう1冊の『憲法とは何か』の双子のお兄ちゃん。
華やかで社交的(発展的な議論を多数紹介)な弟に対して、実直で勤勉(基本的な考え方を丁寧に解説)な兄。
なぜ民主主義や多数決が採用されるのか。
その上でどのように立憲主義に基づく近代国家が成立したのか。
そして、国家間の争いを解決するにはどのような方法が考えられるか。
お兄ちゃんがじっくり解説してくれたお陰で、ようやく弟くんの内容も含めて議論がふに落ちました。
本書全体から感じられたのは、憲法は政治や社会をコントロールするための1つの手段に過ぎないのであって、平和を維持するためにはどのような社会でありたいか、人が粘り強く考えて決断を重ねなくてはいけないこと。
憲法は1つの手段に過ぎないとはいえ、その性質からみて安易に改正する、若しくはやみくもに護持するだけでは、本質を誤る可能性があること。
一人ひとり、異なる価値観をもつ人が一緒に暮らしていくって大変なことなんだな。
毎日ふつうに夕ご飯が食べられることだって、決して当たり前のことじゃない。
沢山の戦争と死の上に、今の私の生活がある。
終章「憲法は何を教えてくれないか」の中で、「自分で考えるということは、『……である以上、当然……だ』という論法で使われる、そうした『切り札』など実はないとあきらめをつけることである。」と記す著者の言葉が、祈りのように静かに心に沁みた1冊でした。