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1945年8月のポツダム宣言受諾は,天皇主権から国民主権への革命であった――日本の憲法学を牽引した宮沢俊義(1899-1976)は「八月革命」説を唱えて,新憲法制定の正当性を主張した.その記念碑的論文をはじめ,主権の所在をめぐる尾高朝雄との論争時の論考,現在の通説の淵源となった論文「国民代表の概念」等を収録.
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Posted by ブクログ
宮沢俊義は自他ともに認めるケルゼニストである。ケルゼンの根本規範論は、法というものは、その中身がどうあれ「法は従うべきもの」(=根本規範)という前提がなければ成り立たないという、法学の前提としての論理的仮説である。八月革命は天皇主権という根本規範を国民主権という根本規範に取り替えたわけではない。「法...続きを読むは従うべきもの」という前提は天皇主権でも国民主権でも変わりないからだ。こう指摘する長谷部氏は、八月革命説はケルゼンの根本規範論で説明するのは難しいと言う。まさにその通りで、宮沢が依拠したのはケルゼンの根本規範論ではなく、その論敵シュミットの憲法制定権力論であると解するのが一般的である(石川健治氏など)。 ならば宮沢はケルゼンからシュミットに鞍替えしたのかというとそうではない。宮沢は日本国憲法の成立を法学的に説明するためのテクニックとして、憲法制定権力論という論理を借用したに過ぎない。宮沢はシュミットが想定する憲法制定権者たる国民という概念もイデオロギー的仮構物だと考えていたはずだ。その意味で宮沢は根本規範の取り替えが可能であるかのような実体論的思考を残す不純な純粋法学者ケルゼンその人以上に純粋なケルゼニストである。宮沢をソフィストと呼べるとすればこの意味においてであろう。(長谷部氏は「国民代表の概念」において宮沢は国家や議会をフィクションと見做したが、国民までフィクションと見做したわけではないと考えているようでもあり、この点で評者の見方とはやや異なる。) 自ら唱えた八月革命説を字義通りには信じていなかった宮沢俊義という人はフランス的エスプリを備えた才人だか、極めてシニカルな価値相対主義者である。宮沢の孫弟子にあたる長谷部氏も価値相対主義者だが、日本国憲法が拠って立つ「多様な価値観を抱く人々が自由で公平に生活する社会の枠組の創出」という立憲主義の理念にコミットする氏は価値相対主義者としては不純である。その不純性において宮沢のシニシズムを免れている。
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