谷崎潤一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「痴人の愛」以来谷崎小説は避けてきましたが、雅で上品な官能に満ちた話でした。
最初に驕慢な貴公子の恋の駆け引きにどぎまぎして、
妻への恋情に死んだ夫とそれを見つめる滋幹の場面にどこか無常観と業の深さを感じ取りました。
滋幹の母、北の方が最後に尼僧になったからかも。
何もせず、美人というだけで夫とその係累と元夫、情夫やもう一人息子も?死に至らしめてしまった北の方が一番浮世離れして、まるで雲をつかむように心情が読めなかった。
周りの男たち、滋幹すら北の方への欲望でドロドロしているのに。
最後の40年ぶりの親子の再会のおかげで、北の方は魔性の女という誹りを免れていると思うのは意地悪?
男って母と -
Posted by ブクログ
おもしろすぎる。これが80年近くも前に書かれた小説とは信じられない。猫を妹かなにかに変えれば、そのままライトノヴェルとしてじゅうぶん通用するのではないだろうか。しかし、さすがに谷崎作品であるだけあって、ただエンターテインメント性に優れているのみならず、きちんと人間の深層心理も巧みに描き出している。とくに、リヽーを手放すのに難色を示しつづけ、ついにいなくなったあとも、その様子が気になって仕方がなくなり、前妻のもとまでわざわざ逢いに行く庄造という男は、最高に滑稽だし、いっぽうで、なにかに依存せずにはいられないというその性格は、かならずしも喜劇一辺倒ではない気もする。私自身はネコ好きではないが、この
-
Posted by ブクログ
ネタバレエロス・足フェチ・ドMと、谷崎の小説をあまり読んだことがない頃に
抱いていたイメージをそのまんまぎゅぎゅっと濃縮した1冊。
どちらも日記形式のお話。
『鍵』は、はじめはこの旦那さん鬼畜だなぁーと思ってたけど、
終盤はぞっとした。最近よく週刊誌の見出しで「死ぬまでS〇X」なんて
フレーズをよく見るのを思い出して、あれは生涯現役な意味
なんだろうけど、こちらは本当に命をかけて性欲を満たそうと
しちゃうんだからすごい。
敏子と木村も日記を書いていたら、どんな内容なのだろうと
想像が膨らみます。
『瘋癲老人日記』
『鍵』に比べるとこちらの方がちょっと陽気というか、滑稽味がある。
足の形の墓石を作っ -
Posted by ブクログ
谷崎潤一郎の短編の代表作と考えられる「刺青」はとても官能的。
墨汁が肌に染み入る描写は、不可能だと考えられる自我と他人の同一化をこれ以上ないくらい美しく実現させている。
また、彫られた蜘蛛が生命を持って女性を抱くシーンも美しい。
他の短編については、それぞれの中で開眼させられるような描写は出てくるが(「憎念」の蒟蒻についての描写や「青い花」の洋服についての描写など)、個人的には自然派を思わせるような写実的な描写は冗長に感じた。
一転して、「富美子の足」にみられる富美子の肢体の描写は非常に官能的で美しい。
思うに、谷崎の描写はフェティッシュの対象を描く時には読むものを惹きつける官能性を帯び -
Posted by ブクログ
ネタバレきっと私が初めて読んだ谷崎作品は「刺青」だったのだと思います。
教科書に載っていたような記憶があるので。
その時は何と言う作家の作品か知らなかったのですが、なかなかすごい話だなあと印象に残っていました。
手元に用意するのが面倒でちょっとわからないのですが、マゾヒズム小説集の「麒麟」も末喜の話ではなかったかな。
自身の嗜好を体現している女性、のような思いでお気に入りだったのでしょうか。
わたしも封神演技ではだっきちゃんが一番お気に入りだったこともあり、刺青がいちばん気に入っています。
次が青い花、そして冨美子の足かな。
青い花は読んでる最中は、何だこの話・・・早く着せ替え人形して遊んでくれよ -
Posted by ブクログ
マゾヒストに執って―或いはサディストに於いても―、相手は道具でしか無く、自分の内で描いたシナリオに愉悦、美を求めている。それが叶わないのなら、その相手は不要となる。
"マゾヒストは精神的の要素を含まない"と云う谷崎の価値観には、大いに賛同せざるを得ない。それを履き違える者が、此の世に多過ぎる事も。
マゾヒズムもサディズムも、表裏一体であり、何れも各々の価値観を識らなければ、其処に官能的美学は産まれない。それがSMと称されるものの本質であると、以前から私も感じていた。
此の一冊は短編集で構成されているが、中でも「魔術師」と「少年」は私の中では途轍も無く官能美を備えている様に
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。