谷崎潤一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
これさー、90年前の作品だよね?ってくらい、面白かった。
谷崎潤一郎のこういう話、めちゃくちゃ面白いよね。痴人の愛的な感じでよかった。
ただ、あまりにも倒錯的、悪魔主義的だなと思うので、私は痴人の愛の方が好きだな
光子×園子、光子×孝太郎…
最後に服薬自殺を3人で図って、生き残ったのは園子なんだけど、園子が「自分だけ生き残ったのが悔しくて」って言ってたけど、それが光子の策略なのではと思うみたいなことで、死してなお、光子は園子の心を縛り続けるのか、と……すごい女だな。園子・孝太郎夫妻に薬を飲ませて続けたりとか……
こんな女、現実にいたらめちゃくちゃ怖いよね -
Posted by ブクログ
深謀遠慮、権謀術策、邪推の果て。
ふたりの女という題名が生々しさを際立たせる。
およそ愛玩動物、ペットは飼い主をはじめとしたヒトの感情、無意識に抑圧された欲求・願望・葛藤を投影させる。
その意味では、現実と心性の中間領域たる存在だろうと思う。
正造とふたりの女、都合3名だがそれぞれ、猫のリリーに自身の感情を投影させる。
嫉妬心、愛して欲しいという欲求、自由でいさせてほしいという葛藤がこの物語では投影される。
個人の感情を投影する対象として、リリーは機能しているようだ。
他方で、ある場合には愛玩動物は夫婦仲を取り持つ機能を果たす。
夫婦とはいえ、別々の個人、主観をもつヒトであるから真に一体化することはでき得ない。
愛玩動物を通して、どういう愛し方をするか、どんなお世話をするか、仕草や鳴き声などなにを愛しいと感じ、糞便や餌付け散歩その他なにが鬱陶しいと感じるかを知ることもできる。
従って、主観と主観の中間領域としても愛玩動物は機能しうる。
ところが、この3人(正造ママも含めれば3人)はそれぞれの願望、欲求、そして葛藤を投影させるのみで歩み寄りは叶わなかった。
ここがこの一家の、この4人の病理の深さだと感じる。
やがて互いの思惑、深謀遠慮、邪推の果てに、歩み寄りの要石となるであろうリリーも年老いてゆく。
この物語からなにを得られるだろうか。
ひとのこころの歩み寄ることの困難さだろうか。愛することの困難さだろうか。
いちばんの被害者はリリーだろうか。
それぞれがそれぞれ好きなように扱われ、揺れ動く他ない高貴な名を持つ猫こそ被害者か、或いはヒトを翻弄させた加害者か。
解説は、いわゆる保守本流正統派の谷崎潤一郎解釈だ。
およそこれに異論をぶつけるだけの高邁な読書力など露ほども持ち合わせないけれど、あえて自分の感想を残しても怒られない・・と思いたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ深く美しい主従関係を描いた小説という印象を受けた。語りが当事者ではないため、春琴伝を頼りに2人の関係性を明らかにしていくようであるが、この書物自体が信憑性が高いとは言い難いため真実と断言することはできない。しかし、この書物を作った佐助にとっては紛れもない真実であったのだろう。春琴への崇拝は最後まで彼らを主従たらしめたが、実態は夫婦のような関係性であったこと。しかし契りを結ばなかったことが個人的に好ましく思う。佐助はどんな苦行であれども耐えうることができたが、春琴が春琴でなくなることだけは耐えられなかったのである。身勝手な従者の思いが人間らしくて良い。
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Posted by ブクログ
ネタバレ谷崎潤一郎のフェティシズムを、存分に味わうことが出来る1冊。
よくもまぁ、こんなに書けるものだ…こんなの、谷崎じゃなければ、思い付かないだろう。
趣味炸裂、と言ったところか。
どの話に出てくるフェティシズムの対象も、よくよく観察しないと書けないぞこれは…実際、どうやって書いたのだろうか。観察しながら書いたのか、それとも想像しながら書いたのか。
いやはや、どの作品もすごいけれど、やはり富美子の足がすごいな。足の話だけで何ページ使うんだ。素晴らしい。
自分の命と女の踵を天秤にかけ、後者の方が尊い、踵のためなら喜んで死ぬ….素晴らしいほどの脚フェチ。谷崎潤一郎ほどの脚フェチはいないだろうな。
私も美脚になりたい。 -
Posted by ブクログ
猫派ではないので、題名は知っていたものの読み残していた本書だが、〈愛猫家必読〉、「男に愛され女に憎まれたリリーの運命や如何に……?」等のオビが巻かれていたので、つい手に取ってしまい、読むことになった。
先ずは大阪弁のやり取りが読んでいてとても心地良く、さすがに大谷崎の文章と、改めて感じ入った次第。
そして、リリーを巡って繰り広げられる庄造と先妻、後妻との間の嫉妬や愛憎を混じえたやり取りが面白い。
何か底意があることを窺わせる、先妻から後妻宛ての猫を譲って欲しいとの手紙で読者の興味を引きつけると、庄造が飼い猫リリーに小鯵の二杯酢を与える描写が続くが、愛猫家でなくとも、可愛がるとはこういうことかと納得させられてしまう。
また、リリーを譲り受けた先妻品子とリリーとの関係が徐々に作られていくところも、人間に対して示す表情や動作の描写が実にうまいなあと感心してしまう。
ペットを家族の一員と思う現代だからこそ、身に沁みて読める一冊だと思う。
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Posted by ブクログ
谷崎の小説を読むのは、これが初めてだ。一般には、『細雪』『痴人の愛』『春琴抄』あたりから入り、氏独特の耽美的な、官能的な、あるいは変態的な世界を楽しむのだろう。そしてその世界は、谷崎をもってすれば、わざわざ「犯罪」という要素などなくとも、純文学の世界で十分描くことができる。
この本を手にしたのは、したがって、読み手である自分が単に「ミステリーが好き」ということにのみ由来する。が、読んでみて損はなかった。
解説で渡部直己も言及しているが、最初に感じたのは、いずれの物語も(本書には四編の話が収録されている)実にポー的であるということだった。筆名をE・A・ポーからとった江戸川乱歩に大きな影響を与えたというのも、むべなるかな。ミステリー小説の祖といわれる乱歩に先駆けて、谷崎がミステリー小説をものしていた、というのも新たな発見だった。
これらの小説が書かれたのは、大正年間のことであり、舞台は東京ではあるが、当然今の東京とは風景そのものが異なる。犯罪現場を壁に開いた木のふし穴から覗くというのは、現代の常識では思いつかないが、「ふし穴」から「覗く」という行為そのものにも谷崎特有のマゾヒズム的変態性が見てとれるように思う。その意味で、たまさか出会った谷崎の犯罪文学集ではあったが、読んでみて、これほど「谷崎文学入門」に相応しい小説もないのではないかという気がした。
なぜなら「犯罪」というテーマを前提としているがゆえに、そこにいくらかのフェチズムや耽美浪漫といった要素は多かれ少なかれ含まれるという共通認識は、これをテーマとする物語を読む者の共通認識としてあるだろう。この、共通認識のおかげで、読み手は谷崎のアクの強い世界に足をとられることなく、程よい谷崎の変態っぷりを楽しむことができるからである。