【感想・ネタバレ】谷崎潤一郎フェティシズム小説集のレビュー

あらすじ

女郎蜘蛛の入れ墨を背に彫り込まれた娘が、自らの裡にひそませる欲望を解き放ち、あざやかな変貌をとげる「刺青」、恐怖に取り憑かれた男の禁断の快楽を描いた「悪魔」、女の足を崇拝する初老の男と青年が、恍惚の遊戯に耽り、溺れていく「富美子の足」など、情痴の世界を物語へと昇華させた、谷崎文学に通底するフェティシズムが匂い立つ名作6篇。この世界の奥深くに、本当の自分がうごめいている。

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名作6篇が収録。これらの作品が世に出たとき、世間はどう受け止めたのだろうか…そんなことが気になった。描写細かくてすごい。富美子の足も刺青も好き。憎念に描かれる感情は分かる気がした。収録されている解題、鑑賞も分かりやすくておすすめです。

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2024年08月10日

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ネタバレ

谷崎潤一郎のフェティシズムをテーマにした短編集。

時には残酷に時にはマゾになる登場人物たちが魅力的。
この作品を読んでいるとサドとマゾは表裏一体なのだなと思わせられる。

そして、女性の体の「そんなところまでみているのか」と逆に感心させられてしまうほどの執拗な描写は谷崎のこだわりを感じさせられる。

やらしいのにやらしく感じさせないのが素晴らしい。

特に、「富美子の足」などは足の描写だけでよく、こんなにもページをさけたな!と思えるほど
谷崎が足フェチを炸裂させている。

登場する女性たちもみんな無自覚小悪魔といった感じで「ふーん、なるほど谷崎はこんなタイプが好きなのか」
とニヤリとしながら読んだ。

一言でフェチって言っても、そんな浅い世界じゃないんだぞ!と
谷崎にえんえんと語られているような錯覚に陥ってしまうそんな作品。

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2019年11月09日

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美しい。
フェティシズムって誰のなかにでもあるんじゃないだろうか?そして、フェティシズムにうっすらと隣接しているのはサディズムでありマゾヒズムである。
堂々と美しく人間の変態性を書く谷崎先生に好感をもつ。きっと妄想が好きなんだろうな。小説家故当たり前なんだろうけど、妄想と変態性が谷崎先生に活力を与えている気がする。わかる!とちょっと叫びたくなる箇所がいくつか。
読んでいて、現在恋をしている相手の姿が脳裏をかすめる。髪とか身体とか、気の強さとか。
私は足への執着は特にないし、あんなにも怪しい経験をしたことはおそらくないのだけれど、共感するところが多々あって、我ながら危険だと思う。
強いて言えば『刺青』、『悪魔』、『憎念』、『羅洞先生』が好き。

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2015年09月27日

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谷崎センセイの足への執着心をしみじみと感じました。
短編で、特に好きなのは「富美子の足」と「青い花」です。

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2015年08月12日

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なんと生々しい、執拗な描写なのだろう。

谷崎さんが描くフット・フェティシズムとマゾヒズムの世界。
それをまじまじと目の前にさらけ出されたものばかりだった。

どの話も衝撃的であり、これぞ谷崎文学、というものだった。

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2015年04月24日

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人間っておもしろい
が率直な感想

明治から大正にかけて書かれた作品なのに、こんなにも鮮やかですっと入ってくる
人間の本質的な部分ってずっと変わらないしそこもおもしろい

「フェチ」なんてかわいいもんだなと思う
この作品全て強烈なのにほんとにすがすがしく書かれているので恥ずかしくならない
「それでなに?」感があって読んでて楽しい

サドマドも同時に感じられてとてもおもしろかったです

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2023年06月27日

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谷崎潤一郎の小説を読んでいると、最近の「私、○○フェチなんだー」というのがとても軽々しく感じます。
フェティシズムとは元来こういう物だったのだとおもいしるというか。

しっとりとした女性の色気、質感、姿形をパーツひとつひとつに着目しつつしつこい程に語っていますが、描かれる欲望と反して描写はなんとも上品で美しい。
谷崎潤一郎の話はどれも好きですが、この本の中なら『富美子の足』が特に好きです。

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2022年07月11日

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5年以上前に買った本を再読したので、この度感想を書くことにしました。
これだけ「〇〇フェチ」という言葉が浸透した現代の日本ですが、谷崎潤一郎がいなければこうじゃなかったのかもしれないと思いました。(というか、きっとそうですよね。)
まさにフェチ界のレジェンド。
『富美子の足』では、足の描写に5ページ余りも使っています。そして、その描写のなんと艶かしいこと…。
とても面白く、楽しい読書体験になりました。

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2022年05月29日

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「フェチ」こと「フェティシズム」を全面に出した、いっそ清々しい程の性癖で知られる谷川潤一郎先生の作品集。現文の授業で名前だけ聞いた『刺青』が、こんなに艶めかしくも美しい作品だと、誰が思っただろうか(笑)

特に印象深かったのはやはりこの2作。

『刺青』
谷川潤一郎先生の作家デビュー作にして、フェティシズムの神髄とも形容できる本作品は、初読の私に大きすぎる衝撃を与え、同時にその世界へと私を引き摺り込んで行きました。足への描写がすごい(笑)これが耽美派かと圧倒。そしてその美しさにやはり心酔するばかり。燦燦と輝く蜘蛛の刺青と、それを崇拝する三吉の関係性……ここだけ見ればマゾヒスティックな趣を感じますが、三吉は彼女に刺青を、魂を彫っている面からは、サディスティックなものも感じられる……。この複雑な人間のフェティシズムを見事に書き切っている点は、本当にすごいと思った。谷川潤一郎文学の嚆矢にして至高の作品だと思います。

『悪魔』
最後のシーンに驚きを隠せない、まぁ忘れない、かなり癖強めだと思う作品。(当時も様々な批判かあったらしい!)女に翻弄されていると分かっていながら、その女の悪魔的な一面を知っていながらも、そこに甘美な誘惑と、蠱惑的や興奮を抱かずにいられないという、愚かな男性の心理(まさしくマゾヒズム!!)にどこか共感せずにはいられない。それがこの作品が受け入れられたひとつの証左であると思うのです……。

他にも、『青い花』とかは妄想癖が凄まじくて読んでて笑いそうになったり、意外と外国への憧れがあったんだなぁと思ったり。『富美子の足』での富美子の描写の細かいこと! 耽美派をこれでもか、と詰め込んだようなこのお話は、圧巻としか言いようがなかった……。

まとめると、やはり谷川潤一郎先生、素晴らしい作品ばかり!! ぜひ他の作品にも出会ってみたいです。

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2021年07月18日

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ネタバレ

谷崎潤一郎のフェティシズムを、存分に味わうことが出来る1冊。

よくもまぁ、こんなに書けるものだ…こんなの、谷崎じゃなければ、思い付かないだろう。
趣味炸裂、と言ったところか。

どの話に出てくるフェティシズムの対象も、よくよく観察しないと書けないぞこれは…実際、どうやって書いたのだろうか。観察しながら書いたのか、それとも想像しながら書いたのか。

いやはや、どの作品もすごいけれど、やはり富美子の足がすごいな。足の話だけで何ページ使うんだ。素晴らしい。
自分の命と女の踵を天秤にかけ、後者の方が尊い、踵のためなら喜んで死ぬ….素晴らしいほどの脚フェチ。谷崎潤一郎ほどの脚フェチはいないだろうな。

私も美脚になりたい。

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2020年07月06日

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僕はどちらかというとフェティシズムとエロティシズムは思っているより違うものだという印象を受けた。密接に関連はしているけれど、それぞれへのこだわり方というのは全く性質が違っている。やはりフェティシズムは自分の心の中に求めるものがあって、それと比べるとエロティシズムはずっとフィジカルなものという気がする

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2018年09月28日

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分かりやすいフェティシズムは刺青と足かな。でも、鼻水ズルズルがいちばんフェティッシュを感じる。あるよ。そういう気持ちは自分の中にも。。。

軽く読めますが、書かれているのは本物のフェティシズムだと思います。

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2015年06月24日

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知性が理性の味方だといつから錯覚していた?谷﨑の小説において知性とは欲望を豊潤に彩り駆り立てるデュオニソスであり、理性の盲目さを付いて快楽の足元へと導くメフィストフェレスなのだ。谷﨑の処女作である『刺青』を含むこの短編集は、人が自然に神を発見した様に人体の細部に神を見出す力=フェティシズムと谷﨑の文章力の共犯関係を愉しむにうってつけの選集と言えるだろう。人肌に対する匂い立つような表現力がたまらない。そしてフェティシズムとは他者を物化する概念でもある。だから彼ら皆、ひとりの世界に生きながらも満たされる。

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2015年02月07日

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変態性欲炸裂してます。谷崎センセイは常人ではないです。明治や大正にこんな素晴らしい嗜好の小説をお書きになるなんて勇気ある天才です。『富美子の足』が一番良かったです。フェティシズムが精密かつ美しく狂い咲きしてました。

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2014年12月31日

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何ページにもわたって脚についての魅力を語っていたり
ちょっと一般人のわたしからしたらひいてしまうような性的嗜好を持つ主人公ばかりの短編集なのですが、文章が美しいので最後まで読めました フェチという言葉は現代ではかなり一般化していますが、これには真のフェティシズムの深淵を垣間見せられた・・・!

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2014年02月04日

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病的です。フェティシズムの対象を崇拝し、変態として酔い痴れ、堪能し尽くす…文体の美しさが近頃のフェチものとは別格。
「悪魔」にいたってはかんだ後の鼻水ですよ?きちゃない。幸い、この境地には達しておりません。

「刺青」「悪魔」「憎念」「富美子の足」「青い花」「蘿洞先生」収録。
「刺青」と「富美子の足」が同時収録されているのがいいですね。

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2013年09月21日

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決して巷に出回る手頃なエロ小説なんかではない。フェティシズムも谷崎氏の手にかかれば、何と崇高で美しい歓楽の世界となって映ることか。

とにかく女性美に対する病的な憧憬と畏敬の念は並大抵でない。特に「富美子の足」では、脚の美しさを讃える描写が何ページにも渡り、氏が相当の脚フェチであったことが窺える。

ストーリーの中に描写があるのでなく、描写でストーリーが進むことを強く実感する短編集。

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2013年05月18日

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どの短篇も印象に残ります。登場人物がフェティシズムの渦に巻き込まれるスイッチみたいなものが入る瞬間、ああこの人もう戻れないんだな、と思うと同時に何故かワクワクしてしまいます。

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2013年03月19日

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谷崎潤一郎の短編の代表作と考えられる「刺青」はとても官能的。
墨汁が肌に染み入る描写は、不可能だと考えられる自我と他人の同一化をこれ以上ないくらい美しく実現させている。
また、彫られた蜘蛛が生命を持って女性を抱くシーンも美しい。

他の短編については、それぞれの中で開眼させられるような描写は出てくるが(「憎念」の蒟蒻についての描写や「青い花」の洋服についての描写など)、個人的には自然派を思わせるような写実的な描写は冗長に感じた。

一転して、「富美子の足」にみられる富美子の肢体の描写は非常に官能的で美しい。

思うに、谷崎の描写はフェティッシュの対象を描く時には読むものを惹きつける官能性を帯びるが、情景や特徴を描写する場合には少々冗長になるのではないか。

「憎念」にサディズム傾向を感じる人が多いようだが、精神的な嗜虐性や暴行中のシナリオ性の欠如と極端なまでの部分の描写から、自分はサディズムではなくフェティシズムの表現だと感じた。
反対に、「悪魔」における鼻水を愛でるシーンには相手の羞恥心を表す表現があることから、サディズム傾向を感じた。

また、どうでもいいことだが、脚フェチと足フェチは別物なんだなと思った。

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2013年02月18日

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まさか「悪魔」がこんなに可愛い装丁の文庫になることがあるとは。
学生時代に必死で文献探しに付き合わされたことを思い出しつつ、懐かしさと共に読みました。
無難に「刺青」から始まり、「憎念」……はあまり私好みではありませんでしたがこれも確かにフェチ。
「冨美子の足」も久々に読み、本当に脚大好きな谷崎潤一郎です。「青い花」等はもう女の子大好きです。「蘿洞先生」はもう、だからなんだというMですね。
本だから許せ、引き込まれました。谷崎のフェチズム、軽く集大成レベルで集められていると思いました。
変態万歳……とか思わず呟きそうになる作品群。

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2012年12月27日

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ネタバレ

きっと私が初めて読んだ谷崎作品は「刺青」だったのだと思います。
教科書に載っていたような記憶があるので。
その時は何と言う作家の作品か知らなかったのですが、なかなかすごい話だなあと印象に残っていました。

手元に用意するのが面倒でちょっとわからないのですが、マゾヒズム小説集の「麒麟」も末喜の話ではなかったかな。
自身の嗜好を体現している女性、のような思いでお気に入りだったのでしょうか。

わたしも封神演技ではだっきちゃんが一番お気に入りだったこともあり、刺青がいちばん気に入っています。
次が青い花、そして冨美子の足かな。
青い花は読んでる最中は、何だこの話・・・早く着せ替え人形して遊んでくれよ・・そこが読みたいんだよ・・・思っていたのですが、改めて読んでみると少女を自分好みにできる、という男性の浮足ぶりがこれでもか!と表現してあって面白いですね。
多分「カフェ かもめ亭」に女の子に若い僧侶が溺れて身も心も奪われて、蝶になった女の子の為に頭から花を咲かす、という話があったような気がするのですが、それも青い花だったなあとぼんやり思い出しました。
青色の花は繁殖上の理由で(食欲を減退させるのだっけ)自然界にはあまり存在しないようですね。

冨美子の足はザ・フェチという感じで、この話も読んでないのにこの爺さんの気持ちもわからんのに脚を語るな、という脚フェチにとってはまさにバイブルのようなものに違いない。
わたしは脚フェチではないのであまりわかりませんが。
でもきっとあのおじいさんは幸せだったでしょうね。
嫌な顔しても付き合ってあげる冨美子が好き。

マゾヒズム小説集は読みながら「こんなのマゾじゃねえ!」と思っておりましたが、犯罪、そしてフェティシズムとだんだんタイトルに見合ったまとまりのある作品集になってきたように思います。

表紙も素敵で次も楽しみです。きっと買うことでしょう。
しかし何故タコが絡みついてるんだろう。
ぬるぬるフェチを表してるのかな?

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2012年11月01日

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ネタバレ

谷崎潤一郎(1886-1965)の、フェティシズムを主題とするアンソロジー。収録作品は以下の通り。

 「刺青」(1910)
 「悪魔」(1912)
 「憎念」(1914)
 「富美子の足」(1919)
 「青い花」(1922)
 「蘿洞先生」(1925)

「刺青」「富美子の足」「青い花」は、いずれも再読だが、やはり面白い。特に「青い花」では、女性の身体とそれを包む女性の衣装に対して男が抱いているフェティシズムが見事に言語化されていて、圧巻である。

解題にドゥルーズ『マゾッホとサド』から次の言葉が引かれている。「否認と宙吊りの過程と定義されるフェティシスムは、本質的にマゾヒスムに属している」(p188)。確かに本書収録の作品を読んでいると、登場する男たちの嗜好がフェティシズムなのかマゾヒズムなのか判然としなくなってくる。他者を断片化し物化して、その他者の極微小部分に拝跪するとき、当の自己もまた、他者が断片化されているよりも一層、極微化されている。フェティシズム=マゾヒズムは、自己を無化して自己ならざる何物かに明け渡してしまうひとつの技法であり、それは矛盾律を逃れて融即律を求める、精神上の疑似自殺のようなものではないか。そして、ちょうど自殺を選択することによって逆説的に自己の最高度の自由を確認することができるように、自己を物化することによって逆説的に自己の最高度の主体性を確認しているのだろう。そこでは支配の欲望が被支配の態度によって現れており、結局のところ裏返された自己愛に過ぎないのではないか。

 「刺青」

「その女の足は、彼にとって貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。」(p12)

 「富美子の足」

「僕は一人の男子として生きているよりも、こんな美しい踵となって、お富美さんの足の裏に附く事が出来れば、その方がどんなに幸福だかしれないとさえ思いました。それでなければ、お富美さんの踵に蹈まれる畳になりたいとも思いました。僕も生命とお富美さんの踵と、この世でどっちが貴いかといえば、僕は言下に後者の方が貴いと答えます。お富美さんの踵のためなら、僕は喜んで死んでみせます。」(p117)

 「青い花」

「彼はあぐりを愛しているのか? そう聞かれたら岡田は勿論「そうだ」と答える。が、あぐりというものを考える時、彼の頭の中はあたかも手品師が好んで使う舞台面のような、真ッ黒な天鵞絨の帷を垂らした暗室となる、――そしてその暗室の中央に、裸体のような女の大理石の像が立っている。その「女」が果してあぐりであるかどうかは分からないけれども、彼はそれをあぐりであると考える。少なくとも、彼が愛しているあぐりはその「女」でなければならない、――頭の中のその彫像でなければならない、――それがこの世に動き出して生きているのがあぐりである。今、山下町の外国人街を彼と並んで歩いている彼女、――その肉体が纒っているゆるやかなフランネルの服を徹して、彼は彼女の原型を見る事が出来、その着物のしたにある「女」の彫像を心に描く。一つ一つの優婉な鑿の痕をありありと胸に浮かべる。今日はその彫像をいろいろの宝石や鎖や絹で飾ってやるのだ。彼女の肌からあの不似合いな、不恰好な和服を剥ぎ取って、一旦ムキ出しの「女」にして、そのあらゆる部分々々の屈曲に、輝きを与え、厚みを加え、生き生きとした波を打たせ、むっくりとした凹凸を作らせ、手頸、足頸、襟首、――頸という頸をしなやかに際立たせるべく、洋服を着せてやるのだ。そう思う時、愛する女の肢体のために買い物をするという事は、まるで夢のように楽しいものじゃないだろうか?」(p155-156)

「西洋の女の衣裳は「着る物」ではない、皮膚の上層へもう一と重被さる第二の皮膚だ。外から体を包むのではなく、直接皮膚へべったりと滲みこむ文身の一種だ。――そう思って眺める時、到る所の飾り窓にあるものが皆あぐりの皮膚の一と片、肌の斑点、血のしたたりであるとも見える。彼女はそれらの品物の中から自分の好きな皮膚を買って、それを彼女の皮膚の一部へ貼り付ければよい。〔略〕。可愛いあぐりよ! あそこにある物はみんなお前という「女」の彫像へ当て嵌めて作られたお前自身の抜け殻だ、お前の原型の部分部分だ。青い脱け殻でも、紫のでも、紅いのでも、あれはお前の体から剥がした皮だ、「お前」をあそこで売っているのだ、あそこでお前の抜け殻がお前の魂を待っているのだ」(p158-159)

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2025年11月09日

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今年の谷崎は変態集。若い頃に読んだ「刺青」は清吉ヤベェなくらいにしか思わなかったけど今読むと
どっちも変態だ!になる(語彙の向上なし)
「悪魔」が色々と怖気立つ。

膝裏から脹脛、足首にかけての曲線が堪らなく好きで(聞いてない

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2025年07月24日

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“フェティシズム”という括りで集められた6編の短編ですが、「刺青」「富美子の足」「青い花」以外はフェチと言うより精神分析の話のように思えました。

「刺青」
谷崎潤一郎のデビュー作。
初めて読んだのはおそらく中学時代。感想は当時とあまり変わらない。よく言えば様式美、悪く言えば頭でっかちな印象を与えるフェティシズム小説。
晩年の「瘋癲老人日記」まで足フェチを貫き通す大谷崎先生に大変失礼な感想だが、そう思ってしまったのだから仕方がない。

「悪魔」
後半は確かにフェティシズムの話なんだけど、前半の電車恐怖症とでも言うべき主人公の症状が気になってしまいます。今で言えばパニック障害?いや脅迫性障害?。なんか現代医学で治療を受けて欲しいような、、、
その強迫観念に後押しされて、後半主人公は一気にフェティシズムに取り憑かれます。対象は従姉妹の照子。
とは言え、やってる事は照子の鼻汁がついたハンカチを持ち歩き舐め回すというソフト?なもの。
やはりフェティシズムよりも、その発露の原因となった脅迫性障害のほうが気になりますね。

「憎念」
手代に折檻される丁稚の醜い鼻の孔を見た事をキッカケに、丁稚の小僧が虐められるところを見たくて見たくてたまらなくなってしまう坊ちゃんの話。幼少期の谷崎潤一郎の実家が裕福だったことから、実話?と勘繰ってしまう。成長と共にいじめの対象が女性に変わっていくのが興味深い。

「富美子の足」
絶対領域など足フェチの風上にもおけぬ。谷崎先生がこだわるのは踝より先、踵や甲、そして足指なのでございます。
「真直ぐな、白木を丹念に削り上げたようにすっきりとした脛が、先へ行くほ段々と細まって、踝の所で一旦きゅっと引き締まってから、今度は緩やかな傾斜を作って柔かな足の甲となり、その傾斜の尽きる所に、五本の趾、、、」以降6ページにもおよぶ富美子の足の描写がなんとも素晴らしいです。
なんでもこの作品、映画化されているらしいです。映像でこの谷崎の熱量を超えることは不可能にも思えるのだけど、はたしてどうなんだろう。

「青い花」
洋装というものはここまでフェティシュなものだったんですね。
「靴屋の店、帽子屋の店、宝石商、雑貨商、毛皮屋、織物屋、……金さえ出せばそれらの店の品物がどれでも彼女の白い肌にびったり纏わり、しなやかな四肢に絡まり、彼女の肉体の一部となる。――西洋の女の衣裳は『着る物』ではない、皮膚の上層へもう一と重被さる第二の皮膚だ。外から体を包むのではなく、直接皮膚へべったりと滲み込む文身の一種だ。」
大正時代に戻って、この高揚感を味わってみたいものです。

「蘿洞先生」
フェティシズム小説(と言うかSM小説?)として捉えるとなんとも物足りない。蘿洞先生と小女のプレイはラスト2ページにも満たずチラ見せで終わってしまう。金返せ!(笑)
だとすると、主題はその前の記者と先生のやり取りにあったのか?記者自身がコンニャク問答と言うだけあって、蘿洞先生は何を聞かれてもほとんど応えていない。私生活についても政治についても「う、」とか「あー」とか言うばかり。うーむ、答えないことに意味があるのだろうか。謎な作品。
なんでも「続蘿洞先生」という続編があるらしいのだが、、、

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2025年02月28日

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フェチって何かよくわからなくなった。
一つだけわかるのはあるけどさすがにここまでではない。まだまだです。

こんないろいろな嗜好のことをここまで書ける筆者って…

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2023年08月28日

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「刺青」「富美子の足」は、描写も美しく文学的・耽美的でフェティシズムの世界がすんなり心に落ちてきた。それに比べ「悪魔」「憎念」は写実的で、当時穢いといって攻撃されたというのに頷ける。人にはそれぞれに癖と言うものがあるけど、この2話に出てくる癖はいただけないなぁと。でも、この短編集全てを読み終えた今、全ての主人公に共感している私がいます。「フェティシズムの快楽は、現実的な肉体の満足以上に想像力によるところが大きい。」私は手(指)フェチだと言ってきたけど、まだまだフェチなどと公言できるレベルではないですね。

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2022年12月25日

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もし谷崎潤一郎氏が生きていたら、現代の女性の美はどのように礼賛されるのでしょうか。綺麗なことな綺麗なのだが、安っぽいと言われてしまうのか。
そしてやはり、どのように現代女性に屈服してみたいか、どんな作品を書いてみたいかをお伺いしてみたいです。

しょっちゅう理解不能かもしれませんが。

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2021年05月01日

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ネタバレ

扁桃体に直接、揺さぶりをかけてくる6つの短編集。短編ながら「登美子の足」ほど足が蠱惑的に描かれた作品は無いだろう。美しい足を何度も心象化するうちに、惹きこまれていく自分に気づく。これは感染なのだろうか、あるいは、、、覚醒なのだろうか。

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2016年12月25日

Posted by ブクログ

「青い花」の雰囲気が素敵で、あぐりが私の想像の中で美少女でした。


「富美子の足」これが本当の足フェチ・・・・・
フェチを簡単に語れなくなります。

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2013年07月11日

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