【感想・ネタバレ】谷崎潤一郎フェティシズム小説集のレビュー

あらすじ

女郎蜘蛛の入れ墨を背に彫り込まれた娘が、自らの裡にひそませる欲望を解き放ち、あざやかな変貌をとげる「刺青」、恐怖に取り憑かれた男の禁断の快楽を描いた「悪魔」、女の足を崇拝する初老の男と青年が、恍惚の遊戯に耽り、溺れていく「富美子の足」など、情痴の世界を物語へと昇華させた、谷崎文学に通底するフェティシズムが匂い立つ名作6篇。この世界の奥深くに、本当の自分がうごめいている。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

谷崎潤一郎のフェティシズムをテーマにした短編集。

時には残酷に時にはマゾになる登場人物たちが魅力的。
この作品を読んでいるとサドとマゾは表裏一体なのだなと思わせられる。

そして、女性の体の「そんなところまでみているのか」と逆に感心させられてしまうほどの執拗な描写は谷崎のこだわりを感じさせられる。

やらしいのにやらしく感じさせないのが素晴らしい。

特に、「富美子の足」などは足の描写だけでよく、こんなにもページをさけたな!と思えるほど
谷崎が足フェチを炸裂させている。

登場する女性たちもみんな無自覚小悪魔といった感じで「ふーん、なるほど谷崎はこんなタイプが好きなのか」
とニヤリとしながら読んだ。

一言でフェチって言っても、そんな浅い世界じゃないんだぞ!と
谷崎にえんえんと語られているような錯覚に陥ってしまうそんな作品。

0
2019年11月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

谷崎潤一郎のフェティシズムを、存分に味わうことが出来る1冊。

よくもまぁ、こんなに書けるものだ…こんなの、谷崎じゃなければ、思い付かないだろう。
趣味炸裂、と言ったところか。

どの話に出てくるフェティシズムの対象も、よくよく観察しないと書けないぞこれは…実際、どうやって書いたのだろうか。観察しながら書いたのか、それとも想像しながら書いたのか。

いやはや、どの作品もすごいけれど、やはり富美子の足がすごいな。足の話だけで何ページ使うんだ。素晴らしい。
自分の命と女の踵を天秤にかけ、後者の方が尊い、踵のためなら喜んで死ぬ….素晴らしいほどの脚フェチ。谷崎潤一郎ほどの脚フェチはいないだろうな。

私も美脚になりたい。

0
2020年07月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

きっと私が初めて読んだ谷崎作品は「刺青」だったのだと思います。
教科書に載っていたような記憶があるので。
その時は何と言う作家の作品か知らなかったのですが、なかなかすごい話だなあと印象に残っていました。

手元に用意するのが面倒でちょっとわからないのですが、マゾヒズム小説集の「麒麟」も末喜の話ではなかったかな。
自身の嗜好を体現している女性、のような思いでお気に入りだったのでしょうか。

わたしも封神演技ではだっきちゃんが一番お気に入りだったこともあり、刺青がいちばん気に入っています。
次が青い花、そして冨美子の足かな。
青い花は読んでる最中は、何だこの話・・・早く着せ替え人形して遊んでくれよ・・そこが読みたいんだよ・・・思っていたのですが、改めて読んでみると少女を自分好みにできる、という男性の浮足ぶりがこれでもか!と表現してあって面白いですね。
多分「カフェ かもめ亭」に女の子に若い僧侶が溺れて身も心も奪われて、蝶になった女の子の為に頭から花を咲かす、という話があったような気がするのですが、それも青い花だったなあとぼんやり思い出しました。
青色の花は繁殖上の理由で(食欲を減退させるのだっけ)自然界にはあまり存在しないようですね。

冨美子の足はザ・フェチという感じで、この話も読んでないのにこの爺さんの気持ちもわからんのに脚を語るな、という脚フェチにとってはまさにバイブルのようなものに違いない。
わたしは脚フェチではないのであまりわかりませんが。
でもきっとあのおじいさんは幸せだったでしょうね。
嫌な顔しても付き合ってあげる冨美子が好き。

マゾヒズム小説集は読みながら「こんなのマゾじゃねえ!」と思っておりましたが、犯罪、そしてフェティシズムとだんだんタイトルに見合ったまとまりのある作品集になってきたように思います。

表紙も素敵で次も楽しみです。きっと買うことでしょう。
しかし何故タコが絡みついてるんだろう。
ぬるぬるフェチを表してるのかな?

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2012年11月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

谷崎潤一郎(1886-1965)の、フェティシズムを主題とするアンソロジー。収録作品は以下の通り。

 「刺青」(1910)
 「悪魔」(1912)
 「憎念」(1914)
 「富美子の足」(1919)
 「青い花」(1922)
 「蘿洞先生」(1925)

「刺青」「富美子の足」「青い花」は、いずれも再読だが、やはり面白い。特に「青い花」では、女性の身体とそれを包む女性の衣装に対して男が抱いているフェティシズムが見事に言語化されていて、圧巻である。

解題にドゥルーズ『マゾッホとサド』から次の言葉が引かれている。「否認と宙吊りの過程と定義されるフェティシスムは、本質的にマゾヒスムに属している」(p188)。確かに本書収録の作品を読んでいると、登場する男たちの嗜好がフェティシズムなのかマゾヒズムなのか判然としなくなってくる。他者を断片化し物化して、その他者の極微小部分に拝跪するとき、当の自己もまた、他者が断片化されているよりも一層、極微化されている。フェティシズム=マゾヒズムは、自己を無化して自己ならざる何物かに明け渡してしまうひとつの技法であり、それは矛盾律を逃れて融即律を求める、精神上の疑似自殺のようなものではないか。そして、ちょうど自殺を選択することによって逆説的に自己の最高度の自由を確認することができるように、自己を物化することによって逆説的に自己の最高度の主体性を確認しているのだろう。そこでは支配の欲望が被支配の態度によって現れており、結局のところ裏返された自己愛に過ぎないのではないか。

 「刺青」

「その女の足は、彼にとって貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。」(p12)

 「富美子の足」

「僕は一人の男子として生きているよりも、こんな美しい踵となって、お富美さんの足の裏に附く事が出来れば、その方がどんなに幸福だかしれないとさえ思いました。それでなければ、お富美さんの踵に蹈まれる畳になりたいとも思いました。僕も生命とお富美さんの踵と、この世でどっちが貴いかといえば、僕は言下に後者の方が貴いと答えます。お富美さんの踵のためなら、僕は喜んで死んでみせます。」(p117)

 「青い花」

「彼はあぐりを愛しているのか? そう聞かれたら岡田は勿論「そうだ」と答える。が、あぐりというものを考える時、彼の頭の中はあたかも手品師が好んで使う舞台面のような、真ッ黒な天鵞絨の帷を垂らした暗室となる、――そしてその暗室の中央に、裸体のような女の大理石の像が立っている。その「女」が果してあぐりであるかどうかは分からないけれども、彼はそれをあぐりであると考える。少なくとも、彼が愛しているあぐりはその「女」でなければならない、――頭の中のその彫像でなければならない、――それがこの世に動き出して生きているのがあぐりである。今、山下町の外国人街を彼と並んで歩いている彼女、――その肉体が纒っているゆるやかなフランネルの服を徹して、彼は彼女の原型を見る事が出来、その着物のしたにある「女」の彫像を心に描く。一つ一つの優婉な鑿の痕をありありと胸に浮かべる。今日はその彫像をいろいろの宝石や鎖や絹で飾ってやるのだ。彼女の肌からあの不似合いな、不恰好な和服を剥ぎ取って、一旦ムキ出しの「女」にして、そのあらゆる部分々々の屈曲に、輝きを与え、厚みを加え、生き生きとした波を打たせ、むっくりとした凹凸を作らせ、手頸、足頸、襟首、――頸という頸をしなやかに際立たせるべく、洋服を着せてやるのだ。そう思う時、愛する女の肢体のために買い物をするという事は、まるで夢のように楽しいものじゃないだろうか?」(p155-156)

「西洋の女の衣裳は「着る物」ではない、皮膚の上層へもう一と重被さる第二の皮膚だ。外から体を包むのではなく、直接皮膚へべったりと滲みこむ文身の一種だ。――そう思って眺める時、到る所の飾り窓にあるものが皆あぐりの皮膚の一と片、肌の斑点、血のしたたりであるとも見える。彼女はそれらの品物の中から自分の好きな皮膚を買って、それを彼女の皮膚の一部へ貼り付ければよい。〔略〕。可愛いあぐりよ! あそこにある物はみんなお前という「女」の彫像へ当て嵌めて作られたお前自身の抜け殻だ、お前の原型の部分部分だ。青い脱け殻でも、紫のでも、紅いのでも、あれはお前の体から剥がした皮だ、「お前」をあそこで売っているのだ、あそこでお前の抜け殻がお前の魂を待っているのだ」(p158-159)

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2025年11月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

扁桃体に直接、揺さぶりをかけてくる6つの短編集。短編ながら「登美子の足」ほど足が蠱惑的に描かれた作品は無いだろう。美しい足を何度も心象化するうちに、惹きこまれていく自分に気づく。これは感染なのだろうか、あるいは、、、覚醒なのだろうか。

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2016年12月25日

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