松本俊彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
高橋源一郎が「飛ぶ教室」で紹介していたのが、面白そうだったので読んでみたのだが、大当たり!
横道誠さんの壮絶な人生と、アディクションの数々。
なんて困難な人生を生き延びている人なの!ということにまず衝撃を受ける。すごい衝撃。
発達障害(自閉スペクトラム症と注意欠陥多動症などなど)と宗教2世、それに伴う心的外傷後ストレス障害、アルコール依存症などなど。(まだ他にも)
書きっぷりが堂に入っており、魅力的で引き込まれる。
とにかく、横道さんの自己開示が凄すぎて、それがまずこの本の魅力。横道さんの人生が全て投げ込まれているのが本気度高くて面白い。
横道さんと真っ向から勝負しなければならない松本さんは大変だろうが、そこは往復書簡をすると決まった時に覚悟したのだろう。松本さんが少し狼狽えながらも自己開示するのがこれまた面白い。
大人が必死に生きてるのを見せるのはよいですね。
アディクション自体が死にたい位辛い現在を生き延びるために死んで解放されるのを一時的に延期し迂回する手段という一面もあるのだなということがよくわかった。
アディクションは長期的には自殺の危険因子だが、短期的には保護因子として影響するという。
もちろんそれにがんじがらめになるのは危機的状況なのでそこから救ってくれるのが、自助グループの存在だと2人は口を揃えて言う。
医者より自助グループ。
自助グループの価値がよくわかる本だ。
印象に残ったこと①
「ハームリダクション」の考え方。
世の中には薬物使用を続ける当事者が一定数いることを前提として、薬物使用による二次的な弊害を低減することを目指すもので、具体的には、感染症拡大防止のために清潔な注射器を無償配布し、安全な薬物が使用できる注射室を設置し、比較的害の少ない代替的薬物を投与することなどである。
なんとスイス政府はヘロイン使用者が激増したため、この「ハームリダクション」を政策として実施。ヘロインを医療機関できちんと管理する形で処方したら、劇的にヘロインで死亡する人の数が減ったそうだ。
何がなんでもダメと言う政策では本質的な問題解決にはならないということだ。
面白い!と思ったし、効果もあるだろうと思うが、このやり方は、悪い奴にいくらでも悪用されるんじゃないかと心配になった。依存症にならないために、例えば、性風俗店はあるべきだ、とか、慰安婦は必要悪だ、とか、公営ギャンブルは必要だ、とかとかとか…。
印象に残ったこと②
時の政府が何を禁止するかは、時流に左右されるということ。アルコールは暴力も振るうし、記憶に残らないし、他人に迷惑をかけるのになくならないのは、好きな人が多いから。ギャンブルも許されているものとそうでないものの線引きは曖昧だ。許されているものは、ポイ活もやり放題。どんどん深みにハマっていく仕組みになっている。
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Posted by ブクログ
依存性に至るまでに、その人それぞれにとって様々な背景がある事。
凄惨な虐待、いじめ、性被害、本人とってトラウマとなるような深刻な体験。
または生まれながらの発達障害による生きづらさ、それに伴う二次障害。
各々が複雑に絡み合いながら死にたい、消えてしまいたいという辛い気持ちを、それでもなお孤独にも自分自身で何とかしよう、問題に対処しなければという健気とも言える生きる為の行動が依存性と言えるのでは?と感じた。
依存性の解決には依存対象を取り上げる事ではダメなこと。
どうすれば孤独に対処し続けてきた当事者を孤立させずに支援していけるのか…。
支援者、家族の在り方を何度も考えさせれる作品だった。
当事者と家族、支援者を分断させずに継続的な支援をしていくには…
まだまだ問題は山積みだと感じる。
この作品に出会えた事に感謝。
依存性に関わる全ての人に読んで欲しい。 -
Posted by ブクログ
なぜ精神科医の書くエッセイはこんなに面白いのか。
『刑務所の精神科医』しかり当たりしかない。その考えに共鳴でき知識を学べるだけでなく、読み物として抜群に面白い。
筆者は薬物依存の専門家。
まず冒頭のシンナー氾濫の中学時代の述懐から引き込まれる。
他の精神疾患と違って薬物治療ができない依存症治療の難しさや、筆者がそれに引き込まれていく過程がつぶさに描かれ、とても興味深い。
その中で筆者がたどり着いたのが、薬物依存に陥る人は必ず何か別の生きづらさを抱えていて、それを見つけて耳を傾けないと、治療はできないという結論だった。
自助グループで出会った「神様、私にお与えください/変えられないものを受け入れる落ち着きを/変えられるものを変えられる勇気を/そして、その二つを見分ける賢さを」という言葉には私もとても胸を打たれた。
精神疾患とともに生きる自分の大事な人のことをおもった。
薬物依存症患者には刑罰ではなくて治療を、と主張すると炎上するのは、残念だけど日本社会の現実。
「人々は刑罰の効果を無邪気に信じている」というのは着目したい論点だなと思った。
筆者が実習中に精神科医になろうと改めて決心したのは、解剖でただの肉片と化した人間の遺体を棺桶に片付ける時、その人の名前が見えた時だった。
「大仰に聞こえるかもしれないが、そのときすべてを悟った気がした。名前こそがー固有名詞こそがーその人の生きた証なのだ、と。誰かに愛しい思いを込めて呼ばれ、あるいは、憎しみをもって呼び捨てられるなど、名前をめぐってさまざまな関係性や物語があったはずだ。そして私は考えたのだ。身体のどこかの部位や臓器ではなく、そのような関係性や物語を扱う医者は一体何科だろうか、と」
もし自分が高校生の頃にこれを読んでいたら、精神科医を目指したんじゃないか。
医者は学力的に難しくても少なくとも心理職は目指したのではないだろうか。
私は根っからの文系頭で、気づいたらすでに文系科目は優秀で理系科目はからっきしダメという学生だった。
理系科目は興味もなかったから試験のために勉強するだけだったし、試験に合格するという必要以上にできるようになりたいと思ったこともなかった。
そして、なぜ自分はこんなに理系科目ができないんだろう?とかいう問題意識を持ったことすらほとんどなかった。ということに本書を読んでいて気づいた。
なんというか、こういう疑問を持ったことがないくらい興味がなかったんだな、と改めて気づいて驚いた。
もし高校生の時に読んでいたら、理系の道に進んでみたくなって、(私の脳みそのレベル的に劇的に理系科目ができるようになることはなかったとしても)少なくともなぜ自分は理系科目ができないんだろう?と真剣に考えてみただろうな。
その考えの結果によっては、今と全く違う人生を歩んでいたかもしれない。
良い本は、自分が考えもしなかった自分のことについて考えさせてくれる。
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Posted by ブクログ
依存症、嗜癖障害の正しい知識を啓蒙、発信してきた医師による半生記。
こんな面白い人だったとは。精神科医ってやはり内科や外科の王道の医師とはなんか違う。はぐれものとでもいうか。
以下、印象に残ったフレーズなど。
・困った人は困っている人。
・「ダメ.ゼッタイ。」が依存症者を孤立させ、回復から遠ざけている。
・厳罰化は問題を悪化させる。
・人間は薬物を使う動物。
・生き延びるための不健康。苦痛から逃れるために薬物を使う。
・覚醒剤よりもアルコールの方が心身へのダメージが大きい。一方は非合法だから使うだけで捕まる。酒で酔って迷惑をかけても、飲むのは合法だから捕まらない。
・カフェイン使用について。よい薬物も悪い薬物もなく、よい使い方と悪い使い方だけがある。悪い使い方をする人は、困ってたり悩んでたりする。
・アディクションの反対語は、しらふではなくコネクション(つながり)。孤立しているとモノに依存しやすい。人と繋がることが大切。 -
Posted by ブクログ
アルコールと煙草漬けの両親に育てられ、自身もアルコール依存症のリハビリを受けたことのある精神科医が、経験談を交えながら酒や薬物に依存する人びとと社会の歴史を辿っていく。
依存症の経験を持つ医師が依存症治療の歴史をまとめた、いわゆる当事者研究というやつで、まずいきなり結構ヘビーな著者フィッシャーの入院体験とカミングアウトから始まる。
でもカタい本ではない。とてもフランクな語り口で、アルコールが自分をダメにしていると認められなかった逡巡の日々を綴ったエッセイとしても面白いし、酒と薬物という切り口で見たアメリカ史としても超面白い。最近読んだなかではレベッカ・ソルニットの『ウォークス』に編集意図が近いと思う。
キリスト教社会で依存症は堕落とみなされ、貧民への自己責任論や人種差別に繋がったこと。それがロマン派の詩人たちの手にかかり、〈天才の病〉として美化されたこと。宗教ではなく医学で取り扱うべき問題だとされてからも、遺伝説や脳疾患説など還元主義的な偏見が当事者たちを苦しめていること。ドーパミンやエンドルフィンなど脳内物質を制御することで治せると謳われたこともあったものの今のところ特効薬と呼べるものはなく、それは依存症が病気というよりも人間が陥りうる一つの状態であって、社会システムの問題だということ。
上記のようにさまざまなトピックを語り起こしつつ、合間に自身がアルコールに依存していき、決定的に生活が破綻するまでを綴っている。通史を知ることでわかることは、依存症者にとって医学はあまり味方になってくれなかったということだ。
19世紀以降、依存症という世間的なスティグマを負った人びとの助けになってきたのは相互扶助グループの存在だった。そこでアルコホリーク・アノニマス、通称AAと呼ばれるグループが重大な社会的ムーブメントを起こしていくのだが、ここがとても面白い。今アメリカのエンタメを見ているとしょっちゅう目にするグループセラピーの元祖はここで生まれたのだ。
依存症をめぐる歴史からアメリカという国が見えてくる。古くは先住民を陥れる罠にもなり、貧富の差によってリーチできる医療に大きな違いがあり、肌の色によって病院か留置所か行き先が変わる。一方で相互扶助のネットワークも広がっており、同じ経験をした仲間に自己開示する場がある。日本はどうなのだろう。グループセラピーは日本人にはあまり向かない気もするけれど。
本書は「正常」と「異常」を定めて線引きしたがる社会の姿を浮き彫りにする。依存症者に落伍者のレッテルを貼って安心したいマジョリティに対して、彼ら自身のより良い人生のために、懲罰的なやり方ではなく依存症の上手い付き合い方を模索している医師たちもいる。未来の治療法として脳に直接刺激する方法が紹介されているのはギョッとするが、フィッシャーが伝えたいのは、大事なのは当事者を苦しみから解き放ってやることで、社会の都合を押し付けることではないということだろう。