ひろさちやのレビュー一覧
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感動した。何度も読み返すことになるだろう。
読後、2007年のひろさちや著「すらすら読める正法眼蔵」と比べてみた。とりあげられている、本書で取り上げられている8巻のうち、現成公案、生死、仏性、唯物与仏、菩提薩埵四摂法の5巻が「すらすら」と被っている。
が、同じではない。かなり言葉を補ったりして、全体に訳だけで意味が(すくなくとも ひろ さんの解釈が)とりやすくなっている。上下二段に原文現代語訳で一巻分が一続きの「すらすら」に対して、「新訳」は段落ごとに解説が入って、解釈が取りやすくなっている。全体に哲学としての側面を強めに出した正法眼蔵入門としているので、在家の私などには大変とっつきやすい。菩提薩埵四摂法や八大人覚あたりも実践として心にのこる。新訳には「諸悪莫作」があるのもうれしいところ。
正法眼蔵の解釈として正しいか、と言われると、私には判断しようがないけど、私の心にはとても響いた。(現成公案は石井版も増谷版も読んでるはずなのだが)。
正法眼蔵を読んだことがないけど道元という日本を代表する哲学者、宗教者がいた、ということを知りたい人には(つまりそれは、私)、大お勧めです。
このシリーズあんまり書店でも前面に出してる感ないけど、この一冊は(と菜根譚は(他読んでないの多いけど))、お勧めします。あと言志四録たのみます。 -
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■見方
1.人生は無意味である:無意味というのは人生に価値がないというのではありません。
価値はあります。生きる意味はあります。また生きる目的もあります。けれども、それは各自が勝手に決めればいいことです。
つまり、それぞれの人がそれぞれの好きなように人生を生きればよいのです。したがって、人生はこれこれこのように生きなければならない。
人生の意味はこういうものだから、おまえはその人生の意味に応えるように人生を生きねばならない。そいう意味での「意味」なんてない。
それが、モームの言う「人生は無意味」です。
2.世間という怪物が敷いた成功という名の幻想のレールの上を走る。そう生き方が最善だと思っています。
もはや体制側が期待される人間像を宣伝する必要もない。国民の方で勝手に体制側が望んでいるレールの上に乗っかってくれています。
要するに、いま日本人は、世間の奴隷に成り下がっているのです。
3.生活の危機に対するハウツー本を読めば読むほど、ますます人生の危機を深める結果になります。 -
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いつも仏教をわかりやすく、面白おかしく解説してくれる「ひろ さちや」さんの新刊です。
ひろさちやさんは現代に生きる一休さんのような方!!
ああ、こんな角度で物事を見ると面白いし、楽しいし、楽に生きられるのね~!と思えます。
面白かったユダヤ人のジョークエピソードをひとつご紹介。
ある町に商売を営んでいるユダヤ人Aがいました。
ある日神さまが、この商人にこんな提案をします。
「お前が欲しいと思う物はなんでも与えよう。ただし、お前のライバルである商人Bには、その2倍のものを与えることにする。
つまりお前が1億円を望めば、Bには2億円が与えられることになる。さて、お前は何が欲しい?」
商人Aは一生懸命考えたあげくにこんなお願いをしました。
「神さま、それでは私の片目をつぶしてください!!そうすればBは両目がつぶれるんですよね?」 -
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[ 内容 ]
狂った世間の物差しを捨て「世逃げ」しよう。
世間はおかしな物差しで価値を計ります。
そこからのがれようとしたら、私たちは世間から逃げ出すほかはありません。
精神的に世間から逃げる=「世逃げ」。
ではその行き先は?
その方法は?
[ 目次 ]
1 「世逃げ」のすすめ(世間は人間を商品価値で測っている 世間は「狂った物差し」で運営されている ほか)
2 「デタラメ」哲学(選んではいけないものを選んだ不幸 わが子の所有権はわたしにはない ほか)
3 「あきらめ」思考(家庭を「世逃げ」の避難所にしよう 正解は一つではありません ほか)
4 「いい加減」実践(ゆっくり歩けば見つかるすばらしいもの 重荷を持たず、急がずに歩こう ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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― 目次 ―
まえがき
第1章 なぜ日本人は「お葬式」にこだわるのか
・お葬式とは宗教ではなく習俗
・死ぬのは肉体か霊魂か
・死は「ケガレ」と考えた古代日本人
(中略)
第2章 仏教における葬式の起源
・仏教とお葬式の関係
・日本の習俗とその葬式
・仲間同士の葬式を敷衍化した僧たち
・戒名と引導
・江戸幕府のもとで役所と化した寺
・仏教が悪乗りしてできた年忌法要
・日本人が作ったごった煮の死後の世界
・中陰と年忌法要
・先祖供養とたたり
・お正月はご先祖さまの里帰り
・お盆はホトケ様の里帰り
・仏壇と儒教の関係
第3章 お葬式のかたちと作法
・死化粧は肉体の処理
・死者の渇きを癒す末期の水
・帰宅した遺体−なぜ「北枕」にするのか
・死者の目をくらます搬送
・神棚と仏壇を使い分ける日本人
・死者と聖者の世界はすべてが逆
・棺と柩の違い
・虚礼と化した香典
・火葬が一般化したのは戦後
・仏滅や友引は迷信
(中略)
・各宗教に共通する数珠
第4章 宗教の世俗化とお葬式
・葬儀社はなんでもやってくれる
・葬儀社とお坊さん
・魂の処理と魄の処理
・流行する脅しの宗教
・霊に頼らない生き方
・インチキ宗教の見分け方
・現代における戒名の意味
・戒名の値段
・お布施はこだわりを捨てる行
第5章 供養の本質、お墓の問題
・ヒンドゥー教徒はお墓を作らない
・東西のお墓の違い
(中略)
・霊魂はお浄土に
・法要に終わりをつけよ
・葬式仏教はなくなる
・参ることと偲ぶこと
・イスラム教に学ぶ精神性
・お寺が受けた農地改革のダメージ
・たたりと鎮めが供養の本質
・自然葬がいちばん自然
・夫の家のお墓に入りたくない妻の言い分
・仏壇が二つになると不幸になる?
・無限に膨らむ無縁仏
第6章 仏教にみる理想の死に方
・釈迦は霊魂をどう考えていたか
・日本仏教が考える死後の世界
・マルクスも霊魂を否定していない
・なにも考えないことが大事
・死に方の理想を持たないのが大事
・死者が幸福になる条件
・仏教は死者を忘れることを教える
第7章 お葬式はどうあるべきか
・お葬式の三つの役割
・「心の整理」がお坊さんの仕事
・お葬式と告別式は分ける
・告別式はやりたい人が勝手にやればいい
・通夜とお葬式は親族だけで
・告別式はイベントとしてやればいい
・毎日を生前葬にする
・老死は連続的にお浄土に至るプロセス
・仏教者としてのわたしの役割
・お坊さんのあり方
・ほんとうの苦しさを理解する
・献灯献花も不要
・習俗は娑婆世界のもの
・キリスト教のお葬式
・仏教は自覚の宗教
・思いわずらうな
謝辞(含参考文献)
索引
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宗教(特に仏教)の評論で知られる著者による「お葬式」論。この世に生きている以上、誰もがいつかは何らかの形で関わりをもつことになる「お葬式」。本書では、その日本の「お葬式」の由来・現状・問題点などが紹介されている。問題点の指摘に関しては、安直な現状批判に陥ることなく、ありがちな類書とは一線を画している。ただし、注意ぶかく読まないと、著者の意図を誤解してしまうんじゃないかと思うところが結構あった。「ひろさちや節」を賞賛する人も批難する人も、ちょっと注意が必要かと思う。
ちなみに、「まえがき」に出てくる、釈尊とアーナンダとのやりとりは、僧侶が葬式に携わることは釈尊によって「禁止されている」という主張の根拠として持ち出されることが多い。しかし、現在では、(このやりとりが歴史的真実であったとしても、)釈尊のセリフはアーナンダに向けられたものであって、僧侶全体に向けられたものではなかったのではないかとの指摘(by グレゴリー・ショーペン)もなされている。なので、釈尊が葬式を「重視しなかった」というひろ氏の主張の方がより正しいと思う。(もちろん、どこまで重視しなかったのかを知ることはできないが・・・。)
しかし、読後にあらためて感じさせられたのはこの問題の根深さ。pp. 140−142で指摘された、お寺が陥っている「悪循環」は、当事者以外にはあまり認識されていないかもしれないが、現代の日本仏教にとっての切実な問題である。また、pp. 110-112で指摘されている「お布施」の原点も、省みられることがほとんどないかもしれないが、日本仏教にとどまらず、仏教にとって根本的な問題だと思う。「お葬式」の問題にとどまらず、日本の仏教について知りたい、考えてみたい人にとっても格好の一冊。 -
Posted by ブクログ
かなり身近にあるのに よくわからない、仏教。知りたいことはいろいろあるが なかなかスッキリと理解できるものが見つからない。そこで読んでみた。
かなりわかりやすい言葉で、仏教伝来から檀家制度、廃仏毀釈までが、12人の仏教者の解説とともにまとめられている。(とんち話しか知らなかった一休さんが、「真に狂気を生きた」人として書かれていてビックリ)
聖徳太子好きの私としては、聖徳太子は「仏教を政治に利用してやろうという気は毛頭」なく、「国の精神的バックボーンに仏教を据えようとした」「生きるものの最終的な拠り所」と考えていた という文が印象に残った。
知りたかったことがわかった、というよりも、もっとわからない、調べたいことが増えた感じ。