ひろさちやのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
プロローグで激流のニジマス、淀みのニジマスという例を出して、競争社会に出るとエネルギー効率が悪いという話をしている。
そこで著者はゆったり生きる生き方を全編を通して提案する。
前篇では仏教に基づく著者の労働観や身分観の話を海外の例とも対比しながら説明している。
日本は労働神事説だという点は興味深いのでもう少し掘り下げてほしかった。
後編では著者の提言ということで世間の価値観を軽視し、いまを生きるといったことを言っている。
金持ちは幸福で、貧乏人は不幸だというような「世間の物差し」を捨て、人間はなんだっていいという「ほとけの物差し」を持とうという提言は世間の価値観に振り回される身にとっては面白いと思った。 -
Posted by ブクログ
分かりやすい文調で宗教とはどんなものなのかを説明してくれている。
ユダヤ教が親で、その子供がキリスト教とイスラム教なんだけど、派生した順で言えばキリスト教がお兄さん。
簡単に言うと、ユダヤ教の教えを柔らかくしたのがキリスト教で、その柔らかくし過ぎだと言うことで出てきたのがイスラム教と言うこと。
そしてその三代宗教は一神教なのに対して、仏教は多神教。
どれがいいかと言うのは価値観や環境で違うからなんとも言えないけど、自分はやはり仏教が素晴らしいと思う。
誰かの為に忠誠を尽くすのではなくて、自分が好きなものをつまんで取り入れていった方が自由でいいと思う。
気になったところを抜粋。
・お釈迦様の教えとして、弟子が「死後はどうなってしまうのか?」と問いたらしいんだけど、
その答えとして
「毒矢で射られた男がいて、その男は毒矢をまず抜かずに、射った男はどんな体格で何人だったか、弓矢のスピードはどれくらいだったのかを分析しろ」などとと言ったらしい。
つまり、打たれたものを分析する前に、まず毒矢を抜けよと言うことで、
死後の世界何て言うのを考える暇があったら、今をしっかり生きろと言うことらしい。
これが有名な毒矢の話とのこと。 -
Posted by ブクログ
最初に書いておきますが、本書を読むにあたっては、幾つか前提として注意しておきべきことがあると思います。
①著者は宗教学者(仏教学者)であるということ。従って、宗教的な見地から、物事の1つの見方を提示しているということを理解して読む必要があります。
②言いたいメッセージだけを捉えるべきこと。細かな事実認識や文章の論理性には若干「?」と首を傾げてしまう部分が散見されます。そこに囚われずに、著者が何を言いたいか、意図をくみ取るべきです。
③他の本も合わせて読むべきだということ。エッセー集みたいな形で、しかも(著者の本を初めて読む人には)極論を言っているように感じられる書き方をされているので、著者がどういう意図で述べているのか、分かりかねる可能性があります。
ということを前提として、サラリーマンとして日常生活を送っている身にとっては、本書は素晴らしい内容です。本書で説かれるメッセージ(モノの見方=価値観)には"救われるような"感覚にすらなります。まさにお奨めです。 -
Posted by ブクログ
題名で掴みはOKである。
捨てちゃえ、捨てちゃえとはいかに・・・。
ものすごくいい題名だ。
身近な「捨てる」である、「こだわり」から徐々にレベルアップしていき「世間体」「欲」ときて最後は「自己」を捨てるという仏教的な構成となっている。(と勝手に私が思ったのであるが)
一番印象的だった言葉は「少欲知足」だ。
ヨガと瞑想を始めてからというもの、このように生きようと心がけるようになった。
死ぬまで欲はついてまわるが、欲を少なくして足るを知ることで、すっと手放すことが容易になった。
インドに出向いて電化製品、電気のほとんど無い生活を数ヶ月送ったおかげで、わざわざ便利な場所にいながらにして「欲を少なく」とか「足るを知る」と頭でわかって減らしていくのではなく、いきなり何も無いというマイナスの中、欲を持ってもしょうがないような、これでもうええわと足らないところから工夫して有を知った(体験した)ため、逆に「少欲知足」で生きることの楽さと快適さを味わう事が出来た。
当時はツライだけだったが、今自分があるのは当時のおかげである。
なので、あれ欲しいだのこれ欲しいだのがなくなり、無かったらないで方向転換するしかないと思えるようになった。
私みたいなもんがちょろっとであるがこの「少欲知足」を微々たるものながら実践できるのだから、きっと誰でも出来るのだろう。本当は簡単な事でっせ、とブッダは教えてくれている。
次に、反省してしまう文章を発見した。
「一人の犠牲」についてである。
「わたしだけがちょっと我慢すればみんなが幸せになれる」といった考えでは誰も幸せになんてなり得ないということが書かれてあった。
ついこれはやってしまうのである。特に家の中で・・・。
著者的には「家族の誰かが不幸であって残りの人たちが幸せになれる訳がない」と。
ほんまにそうである。
「家族は日ごろから自分の希望を家族に伝え、それぞれの希望を聞くようにしていなければならない。みんなの意見に自分を合わせようとしていると、結局は家族全体が幸福にならない、とわたしはそう考える。」とある。
ほんとそう!ほんとそうである!
自分から「何か」を手放す、捨てるととっても楽に生きれるということを教えてくれる一冊である。 -
Posted by ブクログ
自利の願い、他利の願い
世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない ― 宮沢賢治
仏教の本質は、「他人を救いたい」ということなのであり、そこに願いがあるこということ・・
なんとなく世をはかなんで仏教を勉強したいと思ったり、この世がいやになったから何か得られないかと思って仏教を求めたりしていないか。
そんなふうに自分のためのことだけで仏教を求めるのであれば、ほんとうの仏教の勉強にはなりません・・
「忘己利他」
こういった精神は、いったいどこからくるのだろう。
まったく自分は「忘他利己」である。
自分が幸せな状態にならなければ、他人に優しくできない部分が多い。
自分が辛い時は、他人を思いやる余裕もない。
好きな絵本「にじいろのさかな」の話を思い出す。
自慢のきらきらうろこを、初めてはがす時の痛み。
にじいろに輝く”きらきらうろこ”を、みなと共有する、分け持つ気持ち。
あなたの喜びはわたしの喜び。
そう考えれば難しい事などない。 -
Posted by ブクログ
お釈迦さまの教えに従って、筆者の中で噛み砕かれた言葉で、今を楽しむ考え方が書いてある。
世間というモノに自分を合わせようとする無駄さは分かるし、世間というモノがだいたいの型に集約されるのは分かるけど、各人の狂い方は千差万別だと思う。
だから、自分の言いたいコトだけ言って「どうせ狂人の言うコトですよ」的なスタンスを取ったり、世の中に従う振りをして心の中で軽蔑しとけばイイ、という考え方はどうも自分の中では腑に落ちなかった。
狂人にも狂人なりの筋があると思う。世間が自分に特定の考え方・行動を強要するなら、それからトコトン逃げればイイと思う。ウソだけはイケナイ。
別の本で読んだ親鸞の浄土に対する考え方は好きになれなかったけど、この本で説明される沢庵和尚の浄土に対する考え方は自分好みだった。