あらすじ
今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。そうすれば、かえってまともになれるからです。人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。【目次】I 「狂い」のすすめ/II 人生は無意味/III 人間は孤独/IV 「遊び」のすすめ/あとがき
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Posted by ブクログ
肩の力がスッと抜けました。
人懐っこい文章、独特の観点からの持論の展開に逐一ニヤッとさせられ、終始楽しく読むことができました。
人生に疲れたとき、心配事があるときに読むのがいいかなと思います。
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気持ちがどん底の時に読んで、ラクになりました。
癒しではないけど、楽観的に自分も人生を見つめるようになりよかったです。
「何せうぞ 一期は夢よ ただ狂へ」
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そのまま鵜呑みにするのはちょっと危険かなーという点もあるけれど、それを含めてもとても参考になるお話が沢山入っている。
特に神経が細い人におすすめだと思う。
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いつも仏教をわかりやすく、面白おかしく解説してくれる「ひろ さちや」さんの新刊です。
ひろさちやさんは現代に生きる一休さんのような方!!
ああ、こんな角度で物事を見ると面白いし、楽しいし、楽に生きられるのね~!と思えます。
面白かったユダヤ人のジョークエピソードをひとつご紹介。
ある町に商売を営んでいるユダヤ人Aがいました。
ある日神さまが、この商人にこんな提案をします。
「お前が欲しいと思う物はなんでも与えよう。ただし、お前のライバルである商人Bには、その2倍のものを与えることにする。
つまりお前が1億円を望めば、Bには2億円が与えられることになる。さて、お前は何が欲しい?」
商人Aは一生懸命考えたあげくにこんなお願いをしました。
「神さま、それでは私の片目をつぶしてください!!そうすればBは両目がつぶれるんですよね?」
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隣人との付き合い方が特に参考になった。
今まで正しいことを言ってしまった時もあったのが恥ずかしい。
私自身も、正しいことを言われた時すごく嫌な気分になったし、言ってきた相手とは結局縁を切ったのを思い出した。
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『狂う』とはなんだろうか。
少なくとも常識的なことではないと思う。
しかし、そんな常識は普遍的かというと、時代に左右されていくらでも変わってしまうものだったりする。
そんなコトを教えてくれた1冊。ちゃんと理解できたかというと、たぶんできていない。難解でもある内容だった。
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最初に書いておきますが、本書を読むにあたっては、幾つか前提として注意しておきべきことがあると思います。
①著者は宗教学者(仏教学者)であるということ。従って、宗教的な見地から、物事の1つの見方を提示しているということを理解して読む必要があります。
②言いたいメッセージだけを捉えるべきこと。細かな事実認識や文章の論理性には若干「?」と首を傾げてしまう部分が散見されます。そこに囚われずに、著者が何を言いたいか、意図をくみ取るべきです。
③他の本も合わせて読むべきだということ。エッセー集みたいな形で、しかも(著者の本を初めて読む人には)極論を言っているように感じられる書き方をされているので、著者がどういう意図で述べているのか、分かりかねる可能性があります。
ということを前提として、サラリーマンとして日常生活を送っている身にとっては、本書は素晴らしい内容です。本書で説かれるメッセージ(モノの見方=価値観)には"救われるような"感覚にすらなります。まさにお奨めです。
Posted by ブクログ
こういう人も絶対数必要なんだと思います。
それはさておき「ひろさちや」というPNは、ギリシャ語のフィロ(愛する)とサンスクリット語のサティア(真理)に由来するものだそうです。
つまり、真実を愛する。
ブッディストかっけえええ!!
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お釈迦さまの教えに従って、筆者の中で噛み砕かれた言葉で、今を楽しむ考え方が書いてある。
世間というモノに自分を合わせようとする無駄さは分かるし、世間というモノがだいたいの型に集約されるのは分かるけど、各人の狂い方は千差万別だと思う。
だから、自分の言いたいコトだけ言って「どうせ狂人の言うコトですよ」的なスタンスを取ったり、世の中に従う振りをして心の中で軽蔑しとけばイイ、という考え方はどうも自分の中では腑に落ちなかった。
狂人にも狂人なりの筋があると思う。世間が自分に特定の考え方・行動を強要するなら、それからトコトン逃げればイイと思う。ウソだけはイケナイ。
別の本で読んだ親鸞の浄土に対する考え方は好きになれなかったけど、この本で説明される沢庵和尚の浄土に対する考え方は自分好みだった。
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ひろさちやさん。彼の文章が好き。
確かになーと思う一方で、要するに敗者哲学では?と思ってしまう自分もいる。
でも、お金があるからといって幸せだとも思えない。
欲を満たせば満たすほど、僕らは乾いていく。
そう考えると、この生き方の方が良いのかな、と思えた。
就活する前に人間の絆は読んでおこう。
Posted by ブクログ
価値観について知りたくて読書。
一般的とされる価値観、解釈、常識とされるものとは一体なんなのかを考える。
「狂っている」
のは何を基準としているのか。
「変だ」
は何を基準にして変だと感じるか。
自分の基準を見つめ直し、疑ってみる作業は面白いと思う。特に東南アジアの国とか行くと自分の価値観が大きく揺さぶられるのでおいに価値があると思う。
いい意味で狂うのは旅をするのが一番なのかもしれない。
読書時間:約40分
Posted by ブクログ
いい意味で力が抜ける本。
周りを気にして肩肘貼って生きていたのが馬鹿らしく思える。
「自分」をもっと大事にしたい。
わがままでもいいじゃないか。
この広い世の中、私一人くらい自分の好きに生きても問題ないでしょ。
お金の話以外はだいたい私の考えと同じ。
Posted by ブクログ
世の中が狂っているから、自分が狂うことで正常になろう、という意味で「狂い」という言葉を使っている。
宗教(特に仏教)での例えが面白い。
読んでいて、心が楽になりました。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。
世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。
当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。
そうすれば、かえってまともになれるからです。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。
「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。
[ 目次 ]
1 「狂い」のすすめ(「ただ狂え!」 太鼓持になってはいけません ほか)
2 人生は無意味(「生き甲斐」は不要 ついでに生きる ほか)
3 人間は孤独(そのまんま・そのまんま 渡る世間は鬼ばかり? ほか)
4 「遊び」のすすめ(迷惑な存在 ゴム紐の物差し ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
仏教的考えで非常に共感できた。
あまり反芻出来ていないので上手く説明できませんが、いまの常識に疑問を持てということが印象に残ってます。
非常識な世の中においての非常識な意見は常識。
Posted by ブクログ
過激なタイトルとは裏腹な、深い本です。さらさらと読めて、するすると頭に入ってきますが、深い。
1章 「狂い」のすすめ
2章 人生は無意味
3章 人間は孤独
4章 「遊び」のすすめ
という4章からなるのですが、第1章が一番本質的に難しいことを書いてあるなぁとしみじみしてしまった。個人的には、2章と4章が今の自分に響きました。
時々読み返したくなるような新書です
それにしても、最近の新書って(昔からかもしれないけれど)過激でキャッチーなタイトルが多いですよね。読んでからタイトルとのギャップに驚くことがあります。ま、それで私も興味を示したのだからこういうものなんでしょうね。
Posted by ブクログ
世間が狂っているのなら、その中で狂うことこそまともになる方法だと説く。世間に巻き込まれず、如何に自己を対象化することが出来るかが、宗教や哲学の本願でもあるのだ。一休宗純のように達観出来るか?
Posted by ブクログ
閑吟集のなかにある歌「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」を出発点に、生きにくさを感じる世間を自分らしく生きるための哲学を提供している一冊でした。
キリスト教などさまざまな宗教で説かれているものを用いていたが内容としては禅的な要素が強い印象でした。とくに合一意識を持ちながら差別の多い現実を生きるという難しい点を狂いの哲学として筆者が提唱しているところが面白かったです。
内容はエッセイ調のため読みやすかったです。
Posted by ブクログ
-2007.06.30記
昨夜につづき、ひろさちや氏の近著についての追書きである。
第1章の「狂いのすすめ」から、終りの4章は「遊びのすすめ」へと結ばれ、遊狂の精神こそ世間-縁のうちに生きる人間の最良の智恵と説かれるが、その世間-縁なるものを思量するに引かれる具体的事象がいくつか面白い。
たとえば、動物社会学の知見によれば、アリはそれほど勤勉ではない、という話。
まじめに働くアリは約2割、残りの8割は怠け者。正確にいえば、2:6:2の割合で、ものすごく勤勉なアリが2割、6割が普通、怠け者が2割ということだが、6割の普通のアリを怠け者のグループへ入れれば、先述のようなことになる。
そこで、2割の勤勉な者ばかりを集めて新しい集団をつくればどうなるか。勤勉だったアリの8割が怠け者に転じてしまうのだ、という。
もうひとつ、養殖うなぎの稚魚の話。
養殖うなぎの稚魚はたいてい外国から輸入しているが、これが空輸されてきたとき、8割、9割の稚魚が死んでしまうのである。これでは採算もとれないから、窮余の一策で、試しに稚魚の中に天敵のナマズを入れて空輸してみたところ、稚魚の2割はナマズに喰われてしまっていたが、残りの8割は元気そのものだったという。アリやうなぎの稚魚の集団における生態も、人間社会の生態も大同小異、同じようなものなのだ。それが世間というものであり、また縁のうちにあるということなのだ。
あれこれと本書で紹介された事象の中で、それなりに新鮮で刺激的なものとして私を捉えたのは、「老衰とガン」の相関的な話だ。
筆者には、放射線治療の第一人者として現代医療の最先端にいながら、逆説的でセンセーショナルな書として注目を集めた、「患者よ、ガンと闘うな」を著した近藤誠医師と対談した「がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな-迫りくる終末期をいかに人間らしく生き遂げるか」日本文芸社新書-があるようだが、これを引いて、近藤医師曰く、ガンという病気は、本来ならば老衰のように楽に死ねる病気だ。高齢者がだんだんに食べなくなって、痩せて枯木のようになって、格別苦しまずに眠るように死んでいく。そういう死に方ができるのがガンなのだ、と。
また、高齢者の死因において、老衰死が極端に少なくなり、代わってガンが増大したのは、摘出手術を当然視した現代医療の徹底した普及から、手術の後遺症や抗ガン剤の副作用、病巣の転移などを誘発することが圧倒的にひろがってきたからだ。むしろ老衰のような死に方を理想とするなら、ガンを無理に発見して治療しないほうがよい場合も多々あるのだ、と説いているが、少なくとも少壮期に発見されたガンならばともかく、壮年の晩期や初老期にさしかかってからの場合など、まこと肯ける話で、斯様に対処するが智恵というものかもしれぬ。
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まとめ
□弱者の自覚、狂者の自覚が必要
□世の中は狂ってる、自覚すれば自分は正常になるかも
□でも逆らう必要はない、少し嘲笑して蔑んでいれば良い
□自由=自らに由る になれ
□近藤誠と対談して共感している
□生き甲斐を押し付けられ、世の中の奴隷となっている
□隣の三尺 小さな親切大きなお世話
□ご縁=比較対象→ 比較してはならない=仏の物差し
感想
物事を流せない真面目な人には、もっと楽に生きても良いではないかと語りかけているので良いだろう。
自由の為には、拠り所が必要、つまり情報が必要。評価してはならないとあるが、正確な情報を手にしてから、世間に流される事ではなく=どちらが機能的に優れているかではなく、どちらが自分に適するのかという評価は、それこそ個人の自由である。
流れに竿立てず生きるのも大切だが、個人の価値観を軽んじて、仏の教えである「卓越した無執着」とは異なるものが読者に伝わらないか気がかりである。
Posted by ブクログ
狂い、という語感が強すぎるだけで、決しておかしくなれというわけではない。
すでに世の中狂ってるから、マトモに戻るには狂うしかない。
仏教視点から物事を捉え直す。『狂う』ということはその言葉通り狂うわけではなく、世の中の当たり前とされていること(=世の中のゴムの物差し)に従うのではなく、自分の価値観で生きること。
また人生とは、キリスト教だと神のため、仏教だと配役された役を演じるものとしている。
病気になったことで、医療が発達して新薬が生まれる。決して不幸なことではない。
遊び、の気持ちを持つこと。
Posted by ブクログ
がんを含めてあらゆる病気に対して医学がやるべき事は、患者の日常生活が楽になるようにお手伝いすることです
仏教の考え方は、老病・死を敵視しません
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タイトルの過激さに反して、極めてまっとうな説法本。
P62 そして大部分の人間は、世間から押し付けられた「生き甲斐」を後生大事に守っています。その結果、会社人間になり、仕事人間になり、奴隷根性丸出しで生きています。やがて(中略)働けなくなり、それを「人生の危機」だと言っては騒いでいます。(中略)それは奴隷が遭遇する「生活の危機」でしかないのです。本当の「危機」はあなたが世間から「生き甲斐」を押し付けられたときなんです。
P77 −カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる−
P98 −反省や後悔をするな!希望や理想を持つな!−
(中略)実際は、反省することはくよくよじくじく後悔することなんです。やめたほうがいい。そして、次の機会に失敗すれば、その時にまた「あっ、しまった」と思えばいい。(中略)何度も失敗を繰り返していいのです。(中略)あなたが貧乏であれば、あなたは貧乏人です。(中略)だとすれば、あなたは今日一日、立派な貧乏人として生きるべきです。「金持ちになりたい、貧乏はイヤだ」と思ってはいけない。(中略)現在の自分をしっかりと肯定し、その自分を楽しく生きればいいのです。
P159 ”縁”は正しく言えば"縁起”です。そして”縁起"とは「相互依存関係」だと思ってください。(中略)二人子供がいれば、どちらかが頭がよくて、どちらかが頭がよくないのです。社員が二人いると、どちらかが優秀な社員になります。ご縁の世界においては、それはやむをえないことです。ご縁の世界においては、二人ともに優秀なんてことはありえません。(中略)孤独というのは精神的な孤独であって、肉体的には孤独になれません。かならずめ群れを必要とします。それがゆえにご縁の世界になるのです。
P174 たらちねによはれて仮の客に来てこころのこさすかへる故郷
(中略)お浄土からわれわれはこの世に客となって来ています。お客だから、思うがままになることは少なく、いろいろと苦労があります。
Posted by ブクログ
思考の方向は老子だけれども、
もっと内面的なエネルギッシュなところまで
引き出す本。
生きる意味がない
って思った方は読んでみても
いいと思います。
Posted by ブクログ
「遊び心」の本かな…と思います。
「世の中はどうせ狂っているし、だれしも必ず死ぬし、だったら気楽に行きましょう」っていう内容。
めずらしいのは、「こういうことをやれば大丈夫!」というものを示すのではなく、「こういうふうに考えられるようになればいいよね」っていう感じで、それが実践されなくても別にいいや、っていうスタンス。
飄々とした感じでした。