小池龍之介のレビュー一覧
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オーディオブック
オーディオブックでは、序章と最後の著者厳選ブッダの言葉の章を小池龍之介さん自身が朗読してくれてるんだけど声がちっさいしボソボソ言っててすっごく聞き取りづらかったし暗い声に心がちょっと落ち込んだ。
本文は浅科准平さんのナレーションで非常に聞きやすかった。
しかしこれまでのオーディオブックのガネーシャシリーズの釈迦の声も浅科さんだったので偶然にしても面白かった!
1本のサイの角?的なワードが何回も出てきたのは必要だったのか?
携帯ばかり見ている人、とか携帯を見ている時間、とか超訳過ぎて最早元の文書の想像がつかないけどあとがきで小池龍之介さんが他の訳書とかと比べて欲しいと言っていたけど私には無理だと思った。
自分より優れた友達以外の、自分を利用しようとしたり、貶めたりするような人と付き合うべきではない、もしそういう人がいないなら、いっそひとりでいればいい、というような言葉には賛成できた。
○○したいよう、という気持ちが執着であり、それがある限りどんなにお金持ちになっても恋人がいてもそれは際限なく、ずっと苦しむ、というような言葉にも、そうだよなあと思いながら、なかなか難しいな、程よく自分なりに執着を手放していきたいな、そして過去、未来を思い無駄に苦しむことなく、今を静かな心で生きる積み重ねをして行けたら、と思えた。 -
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・よけいな考えごととは、後悔や憂い。今考えてもどうしようもないことなので、後悔は教訓に、憂いは目標に変換して、今を精一杯生きることが大切です。そして焦ってはいけません。周囲の目を気にせずに…
いつもよけいな考えごと、とりわけネガティブな考えごとに支配されている母のために、と買った本でしたが、自分が先に読み始めてしまったら、自分のためにこそなる言葉に溢れていたので、母の分は、もう一冊買いました。
「慢」とは、良く思われたいといった自己の評価を気にし、プライドにしがみつく「欲」の煩悩のうちのひとつです。とか、怒りの発散を繰り返すことによって、怒りを表に出しやすい直感的な性格に近づいてくのです。など、耳の痛いことばかりですが、そんな間違った方向に暴走する自分に急ブレーキをかけるために、考えない練習を!
よけいな考えごととは、いわゆる「煩悩」なんですよね。後悔、憂い、いずれも、今考えてもどうしようもないことなので、後悔は教訓に、憂いは目標に変換して、今を精一杯生きることが大切です。そして焦ってはいけません。周囲の目を気にせずに、マイペースで進みたい。
取引先から頼まれた仕事を理解しようとすらしないまま丸投げしてくる同僚に腹を立てている自分がいる。まず、自分が少しでも理解しようとすることが、当然のことだと思うからです。相手のことを考えることは、簡単なようで中々難しい…… -
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・思い通りにならないことって、結局、相手のせいではなくて、自分の期待が大きすぎるってことなのかもしれませんね。苛立ちを静めるためには、自分に対してどこまで客観的になれるかにかかっているのかも(/・?
この『沈黙入門』は、小池龍之介さんが、放蕩生活ゆえに大学を二留していたころから、修行をぽつぽつと始め、何とか卒業して「イエデカフェ」を営んでいたころの間に「家出空間」というウェブサイトに書き続けていたいたもの、とのことです。
おそらく、自意識過剰であったために、様々な"上手く行かないこと"に出会い、挫折を経験し、その状態から立ち直るために、その時の自分を客観的に見詰めることを通して課題を発見し、師から教えを乞うのではなく、自分自身の力で仏道に接近し開眼していった過程の記述とも言えるのではないかと思いました。
小池龍之介さんの経歴は、何となく知っていたんですけど、このデビュー作?を読むと、まだ何かに抑圧されている結果としての『沈黙入門』があり、ほころびからもれてくる「うめき声」のように聞こえなくもありません。やはり、自分の在り方は、自分自身で見つけなければならないのだと、改めて思いました。
確かに、欲望は、求めれば求めるほど、満たせたとしても満たせるほど、肥大化し、自分でもコントロールできなくなるものなのかもしれませんね。ゴーンさんもそうだったのかな(・・?
ある意味、教育とか、ビジネス、政治など、人の活動というものは、自分が納得した主義・主張を相手に押し付けていくことだとも言えるので、小池龍之介さんが仰るところの仏道とは、方法性が違うものなのかもしれませんが、人類が良かれと思って邁進してきた活動が、一方では戦争や地球の資源をむさぼることに繋がっているとも言えるので、さて、どうしたものなのか? -
Posted by ブクログ
「情けは人のためならず」ではありませんが、慈悲の心も、周囲だけではなく、自分自身の心を清めてくれるんですね。勉強になります。
先日、アルボムッレ・スマナサーラ長老の『怒らないこと』と『怒らないこと2』を続けて読みました。いずれも翻訳ではないのかもしれませんが、やはり言葉の壁を感じ、きちんと理解できたとは言えない感じが残りました。そんな時、小池龍之介さんの『もう、怒らない』に出会いました。
この本は、まるで、スマナサーラ長老の言葉を、日本人の私にも分かりやすいように噛み砕いているような内容でした。私は、歳をとって、いっそう怒りっぽくなっていることを自覚していますが、その苛立ちの原因と、怒りが自分の心を蝕むことを知ることができました。
欲、怒り、迷いという負のエネルギーは、発散どころか、心の中で反芻されることによって増幅し、自分の心を蝕んでしまうんですね(・_・;) 気をつけないと…
「自分が不当に扱われた」と感じた時、誰だって相手に対する敵意が頭をもたげてしまいますよね。でも、そんな時は、相手を憐れむことで、心を鎮めましょう(^▽^)/ -
Posted by ブクログ
・苦しまない練習は、煩悩を捨てる練習。とても難しいけどね。
今やっていることを心の中で常に認知し、ありありと感じること。これが本来の意味での「考えない練習」です。そして実は、これが瞑想なのです。無意識の行為を一切消滅させていく、この時間を増やしていくと、そのまま修行者になります……。~
私も含めて、修行をしたことがない人は、座禅や瞑想によって「無我」になれるということを、心の底から信じることが難しいのではないでしょうか?そして、何かをしている時も、心には、後悔や心配が渦巻いて、集中できていないのではないでしょうか?瞑想への第一歩は、今していることを意識して、意識できることを拡張することのようです。
歳をとって、つまらないミスが多くなりました。まさに、何かをしているときに、そのことに集中できず、他のことを考えているからのようです(^^ゞ
私のような凡人にとっては、世俗的な欲求を断絶するってことの方が苦しいかも。 -
Posted by ブクログ
・平常心を保つためには、自己に執着しない気持ちに近づくことが必要なのですが、それが難しいんですよね……。
>真面目で責任感が強い人ほどうつ状態に陥りやすい「自分はここまでできるはずだ」という過剰なプライドのなせる業だととらえることもできます。プライドの高さが「現実にはできない自分」を許してくれず、心が自分自身を罰してヨレヨレになってしまうのです……。~
私は、ビジネス書を読みあさり手段を学びながらも、その本質を理解することができていなかったし、実践が伴わなかったので、成果に繋げることが出来ませんでした。きっと実力の伴わないプライドの高さが、苛立ちとなって表面に現れ、周囲の人に不快感を与えていたのかもしれませんね
欲が満たされれば満たさられるほど欲が大きくなって、刺激になれてしまって、満足できなくなったり、やがて満たすことができなくなったり、不満な状態に陥ってしまう……。満足しようと、努力すればするほど、満足できなくなってしまう、というのは怖ろしいですね。 -
Posted by ブクログ
孤高の僧侶による心の断捨離
「世の中は余計なことであふれている」と、著者は語る。
日常生活のあちこちで私たちを待ち受ける「こだわりの罠」を、どうすれば遠ざけて、心安らかに過ごしていけるのか。
孤高の僧侶がその作法を、本書で丁寧に解説する。
内容は「平等にこだわらない」「ルールにこだわらない」「他人の期待にこだわらない」
「友の有無にこだわらない」など、実生活に簡単に取り入れることができる18項目。
悩みの原因を、「それ、どうでもいい」と言い切って、
不安のない日々を実現しよう。
人は承認欲求を持っており、こだわりもよくよく考えると捉えどころのない不安だったりする。
慢心とは優れていることだけでなく、劣っていることも含むとは驚きました。
とにかくこだわりを捨てて、肩の力を抜いていくことが必要だなと感じました。