あらすじ
プライド(慢)、支配欲、快楽への欲求、そして「死にたくない」という思い――。自分のあるがままの心を見つめ、受け容れていくと楽になる。心を苦しめるものの正体を知り、平常心を身につけるための実践的な方法をやさしく説く。“平常心”が身につけば、生きるのが楽になる。
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Posted by ブクログ
仏教の教えを交え、苦しみに満ちた心の特性を捉え、平常心を保つ物事の捉え方を説いている。
本書を読んで、心なしか滅入った気持ちが楽になったように感じる。本書の最後に触れられている「平常心のエクササイズ」を少しでも取り入れられたらと思う。勿論、しなければならないと思わずに。
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不快で苦しむことも、快で慢心することも、心を乱す。平常心を保つことのよさと、保つための方法が、心理学も引き合いに出しつつ、仏教の教えに基づいて語られている。この著者の本を読むと、いつも心穏やかになる。
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『平常心のレッスン』
瞬間風速のような本屋での出会い。
向こう側からやってきてくれました。
1.目的思考から離れる時間を確保する。
2.他者、自己を判断しない。
そういうものなんだと受容する。
3.いま に意識を。たとえば呼吸。
4.心の状態とその原因の記録。モニタリング。
→備えられる。
著者が僧侶でいらっしゃいますから、理論的要素は少ないです。
一方で、平常心の定義とそれを阻む事象について、会社組織、病なと一般的材料が豊富なことは親近感を誘います。
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今の私にはとても役立ちます。
考えているつもりが自分がいかに生物としての習性に操られてきただけなのかまざまざとわかりました。
諦める、ほんの少しずつ死を受け入れていくレッスンを、日々意識していきたいと思います。
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何度も何度も読み返したくなる本。
生きている人みんなに読んでほしい。
心をこうまで客観的に分かりやすく書かれた本は初めて。
自分を冷静に見つめなおすきっかけになればいいな。
決して、押しつけがましくなく。
優しく、包み込むような想いを感じました。
日常の出来事をただ受け入れようと思った。
日々を丁寧に生きること。すごく大切だと思います。
Posted by ブクログ
そのタイトル通り、「平常心とは」を、仏教の観点からのみならず、ある種科学的にも教えてくれる一冊。
実際にある程度救われました。怒らない方法は理解し、実践できた。
でも、喜怒哀楽の、喜哀に関しては、コントロールが難しい。
喜怒哀を感じなくする(感じても、一々動揺しない)方法は書いてある。
けど、それを感じなくしてしまったら、どうやって生きていけばいいのか。この本に書いてあったっけ。
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座禅を組みに行きたくなりました。平常心を保つのが実際の生活の中でいかに難しいか、途中で心折れて見つめなおす機会というものが訪れないと、なかなか無理なのかもしれないなと思ってしまいました。
復職しはじめたら、この本をカバンにしのばせておこうかと思っています。
社会復帰プログラムのリラクゼーション法なんてまさにこれだし。人が平常心を取り戻すのになにかしらの宗教は必要なのかもしれないのかなと思っています。
Posted by ブクログ
うーーー。しびれた。
特に第3章と第5章がビンゴ。
・心は勝手に揺れ動いてしまうもの、と受け入れることが大事。この受け入れることはいわゆる自己愛ではなく、客観的に心を見つめとらえる態度のこと。心の居場所がないと自分の過去の栄光を反芻したり、自分から目をそらすために食事やテレビ、映画、など様々な刺激でごまかす。心は浮き沈みするものだということを受容できないと、いつもホッとすることができずにここではないどこかへと心は逃げ出そうとしてしまう。それを防ぎ、ほっとするためにも、心の浮きしずみを「今は過去からの業に基づいてこうなっているけれど、やがて必ず変化するのだから気にしても意味がない」と冷静に受容すること。
・怒りの業を積むとかならず報いを受ける
(ノルアドレナリンが出て、同じような状況下マイナスの感情が働き、体に負担がかかるという負のフィードバックがある)
・快楽を求めるとかならずもっと欲しくなる
(慣れが生じる。ドーパミンが出るのだが、ドーパミンによる快は足りないさみしい苦しいといった不足による不快と密接にかかわっているのだ。手に入れたいという欠乏も苦しいが、手に入れた後のもっともっと、も苦しいのだ。ハワイに行きたい、など欲をすぐに満たすともっと欲しいという苦しみの業を背負うことになる)
・喜怒哀楽では楽、という状態が一番いい。
(セロトニンがでているとき。自分の感情を客観視し、「ま、いっか」と欲望をしばらく放っておけるのがいい。
・目的意識は目的が達成されたとき心の緊張が解けて快感物質がでるため平常心を失いやすい
・楽の状態(セロトニンを出している)を継続的に持てているのがいい。
トレーニングによって鍛えられる。
・目的、目標から離れるには瞑想がいい
・食べる時には咀嚼に意識を向ける。
・客観的に自分を書いてみる
・完ぺきにやる自分を解放する
・自分の慢を改め誠実にやっていれば相応の成功が手に入るのだが自分の能力を越えたものを手に入れようとするので多くの人が思い通りにならず苦しむ
・支配欲を捨てて、相手をあるがままに受け入れるのが人間関係を平常心でいる大切なこと
・プロセスを愉しむという処方箋
やっぱり自分はニュートラルにいる方がベストなのかもしれない。
天然の自分は結局器用だし、やり切れてしまう。
しっかり行動している今はちょっと不自然だ。
Posted by ブクログ
会社の経営者です。
今、自分の置かれている状況は…、いろいろな重責。短、中、長期すべての事柄に関するプレッシャー。晴れない心を抱える毎日でした。
小池龍之介さんの本を読むのはこれが初めてですが、仏様の教えを通して心を軽くするヒントをたくさん貰いました。
今、自分を苦しめる、心の奥底から湧き出る苦しみは、結局自分よくなりたい「慢」からくるもの。…。目から鱗でした。
Posted by ブクログ
仏教の考え方をベースにどのように生きるかについて説く。
本書にあるような生き方は目指すところでは無いが、平常心についての話は敬意を持って読まざるを得ない。
気持ちが乱れた時に読む、とポインタを覚えておくだけでも充分な価値があるように思う。
そして著者のこの説得力の源泉を知りたい。
Posted by ブクログ
2013.2記。
仕事に限らず、困難にぶつかったときに動じないための「平常心」を持っていたい、持ちたい、とは私も普通に考える。そして、私にとっては、平常心とは「過去に厳しい局面を乗り越えた」という経験の蓄積から得られるもの、言い換えれば「経験に裏付けられた静かな自信」とでもいうべきものである。
しかし、仏教思想を基礎とする著者の主張によれば、まさしく様々な経験の「記憶」こそが「過去の快楽の再生」や「過去の不快さの追放」を望む(が、しかし得られない)という心の波風、すなわち「執着」の原因となるのであり、平常心とはむしろ過去の記憶・経験からなるべく距離を置く、という姿勢のことのようなのだ。
「(人生を通じて)蓄積される膨大な記憶こそが、仏教で教える『業(カルマ)』そのもの」(P.118)との一文は印象的だった。
最近著者の名前をあちこちで見かけるが、実践的な「呼吸法」等を通じて時折自分を相対化して眺めることを穏やかに薦める、という本書のメッセージは総じて大変参考になるものであった。
Posted by ブクログ
日々、怒らず心を波立たせず、平常心でいるための仏道見地からのヒント。
起こる事物に対し、あるがままに受け容れる姿勢が肝要。
何事もよい・悪いを判断して心を揺らすことの無意味さに気づくことからだと思った。
慢を排するための施工法と言えるか。
繰り返し読み、心に常に置いておきたい。
Posted by ブクログ
・自分の「慢」を知り戒める
モニタリングで、心の条件反射のパターンを知る
・会社(仕事)の理不尽さは、諦めて受け入れる
それも給料のうちと考える★
・快/苦による「好き嫌い」のシステムではうまく生きられるどころかかえって生きづらくなる。
・快と不快はコインの裏表
快を求めると必ず足りなくなって苦しくなる
・平常心を身につけるために瞑想する
気負わずゆったり取り組む。
雑念だらけの自分も受け入れる。
移動中もできる
・目的、目標のない行為、時間を取り入れる。
咀嚼に心を結び付けて食べる。
痛みに向かって息を吸い込み、そこから吐き出すストレッチ。
客観的に心を書く。
できない自分をも受け入れる。
Posted by ブクログ
「小さなプライドを捨て、喜怒哀楽の揺れに振り回されず、平常心で生きると楽になる。」
喜ばず・楽しまずというのは味気ないが、怒らず・哀しまずを実践できれば少し楽かもしれない。
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ちょっと今週は、嫌な事があったんだけど、この本を読んでいたお陰で落ち込まずに、イラつかずに済んだ。
平常心、平常心と…。
12/05/24-60
Posted by ブクログ
心のしくみを分析し、平常心を培うためにどのようにするかを説いた本
平常心は揺れ動かない心を造り上げるのではなく、揺れ動いた心の状態をモニタリングし、それを認識して受け入れること、揺れ動く度にそれを行うことが平常心とわかります。
日々の喜怒哀楽のなかでそれに気付き、同じ位置に心を戻す習慣を、うまくいってもいかなくても受け入れて繰り返すことが大事と感じました。
Posted by ブクログ
怒りを感じてしまうのは自分の「慢」が原因!
素直なつもりが全然そうじゃなかったんだなと、自分を客観的に捉えられて、イライラをだいぶ抑えられるようになった気がする。
Posted by ブクログ
以前、AERAの現代の肖像に小池龍之介さんが出演していました。
記事を読んだ時に、著者の事が気になり本屋で手に取った本でした。
平常心を保つ上で大切な事は「喜怒哀楽」をコントロールする事が大切だそうです。「喜」は絶対的に良い物という先入観がありましたが仏教では最も危険な麻薬みたいなものと言う事に驚かされました。
競争社会で勝ち抜く為には実は「平常心」こそが大切で、長い目で見た時にトータルのパフォーマンスに優れると言う事には目から鱗でした。
自分の心をモニタリングして、例え「喜」の状態であっても自分を認識する。辛い時には「そんなものだと」受け入れる。そして、今に集中する事で過去の呪縛から解き放たれる。
死生観については難しい部分もありますが、少しずつトレーニングをしてみたいと思いました。
Posted by ブクログ
「平常心で生きると楽になる」と、住職・小池龍之介さんからのアドバイスが詰まった本。
難解な仏教用語は出てきても解説つきであるし、生命科学的な視点や小池さん自身のエピソードが盛り込まれているので、わりと抵抗感なくすっと読むことができた。
日々の暮らしの中に「瞑想」する時間を取り入れ、私の心の波が穏やかになるといいな。
Posted by ブクログ
・平常心を保つためには、自己に執着しない気持ちに近づくことが必要なのですが、それが難しいんですよね……。
>真面目で責任感が強い人ほどうつ状態に陥りやすい「自分はここまでできるはずだ」という過剰なプライドのなせる業だととらえることもできます。プライドの高さが「現実にはできない自分」を許してくれず、心が自分自身を罰してヨレヨレになってしまうのです……。~
私は、ビジネス書を読みあさり手段を学びながらも、その本質を理解することができていなかったし、実践が伴わなかったので、成果に繋げることが出来ませんでした。きっと実力の伴わないプライドの高さが、苛立ちとなって表面に現れ、周囲の人に不快感を与えていたのかもしれませんね
欲が満たされれば満たさられるほど欲が大きくなって、刺激になれてしまって、満足できなくなったり、やがて満たすことができなくなったり、不満な状態に陥ってしまう……。満足しようと、努力すればするほど、満足できなくなってしまう、というのは怖ろしいですね。
Posted by ブクログ
嬉しいことを喜び過ぎない、悲しいことをいつまでも悲しみ過ぎない、というようなことを言っているような気がするんだけど、確かに心の揺れ幅を大きくしないことが平常心を保つことであり、そこから生じる苦しみから解放される術なのかも知れないけれどめちゃめちゃ嬉しい時に、”あ、今自分は喜び過ぎているな”と客観視するのは難しいなぁ、と思った。
ただ、無意識に他者に期待していたことによって、そうならなかった時に生じる苦痛をはじめとする自分の慢から生じる苦痛を避けることは毎日を生きやすくするためには大切だなと思った。
今、ここにいる自分、自分の呼吸に集中することなど、ヨガでやっていることと同じだなと思った。
Posted by ブクログ
究極に例えて話してくれるから、わかりやすく、面白かった!自分はどのくらい実践できるんだろ?少しずつね。ま、いいかの精神は私には大切ね。2013.11完読
Posted by ブクログ
「自分のあるがままを受け入れる」ことが「平常心」を身につけることにつながる、という筆者の考えは、本当にそのとおりだと思う。
ただ、気になってしまったのは・・・仏道の教えを理解してもらおうという意図で、神経科学や心理学からいろいろと根拠的なものをあげていて、まあおおむねその通りなんだろうとは思うが、でも、その分野の専門家の方々がこの本を読んだとき、確かに根拠として使って間違えないよ、と言ってもらえるんだろうか、ということを疑問に感じずにはいられなかった。もしかしたら、反論ないし100%そのとおりってわけでもないよって言われてしまう余地はないのだろうかと・・・。
つまり、筆者はあくまでも仏道の専門家であって、東大で学問をおさめられたとはいえ、神経科学や心理学については専門家ではないわけだから、神経科学や心理学について細かく言及し過ぎなのではないかと・・・。逆に、他の仏教関係者からも、その教えと神経科学のこの項目は、そこまで関連あることなのかな?と反論されないのかなと・・・。
仏道の教えについて、読者にわかりやすく説明しようという意図なのだろうが、あまのじゃくな私は、かえって「本当にそう言えるのかな?」と疑問に思ってしまった・・・。純粋に、仏道の教えとしてだけ「平常心」の大切さを説いてもらったほうがすんなり納得できたような気がする。
Posted by ブクログ
子どもにイライラしてしまうお母さん、部下にイライラしてしまうお父さん(私のことか?w)、上司の指摘に落ち込むお父さん(これも私のことか?w)、ご一読することをおススメいたします。ちょっとだけ心が楽になるかもしれません。
Posted by ブクログ
「慢」を捨てて平常心を得ようとしても、平常心を得ようとすることそのものが「慢」なので、矛盾に陥ってしまう。
そもそもこの本を手にとって読む人も何かを得たい、知りたいと思って読んでいるはず。
著者のいう境地にまで達すれば、心穏やかでいられるかもしれないが、同時に無感動というか大きな喜び・高揚感の無い人生になってしまうのでは。
Posted by ブクログ
平常心の対極にあるのは、執着・プライド。心の動きをモニタリングすることで自分の「慢」を知り、コントロールすることができる。快・不快はコインの表と裏であり、快を追い求めると、必ず足りなくなって苦しくなる。確かに納得できる解説だった。でも怒りとか不快からは解放されたいけど、感動に対してもドライであれというのは淋しい。確かに、美味しかったものがあるとそれと比べて「今、この瞬間」のことにがっかりしてしまったり、あるいは素晴らしい芸術に心を動かされた経験があるとより大きな感動を求めてそれがなかなか得られないことにストレスを感じてしまったりする。執着せずに「捨ておく」ことが大事。自分の場合はまだ執着が強くて求めることが多いみたい。その状態も、「そうである」と受け入れるところから平常心へのレッスンは始まるということ。自分の心が何によって影響を受けるか客観的に見られるようになって、上手にコントロールできるようになれたらいいなと思います。
Posted by ブクログ
苦しまないためには平常心でいることが大切。あるがままを受け入れると気持ちが楽になるようだ。つい感情に走ってしまうけど、平常心を日々意識できるようにしたい。
Posted by ブクログ
小池龍之介氏の本はいつもためになります。
忙しく慌ただしい生活で廃れた心がすっきりと
綺麗に洗われるようで読んだ後は気分が良くなります。
仏教の教えに基づき、平常心を保つことの必要性、
寧ろ、喜怒哀楽・プライド・欲から解放されることの必要性を
分かりやすく説いてくれる本です。
人は嫌いな人を作ってしまう、という部分はハッとさせられました。
力を入れ過ぎず、流れるように生きること、大切ですね。
人によっては「そんなんで生きていけるの?」
「分かるけど実際は難しいでしょ」と嫌悪感を抱くこともあるでしょう。
でも、そうやって自分の枠内で全てを決めてしまうことの愚かさも
きっとこの本から学ぶことができるはずです。しっかり読めば。