惣領冬実のレビュー一覧
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チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンスを描くコミックスの11巻。
ピサ校で、教授資格認定試験に無事合格したメディチ家御曹司ジョヴァンニ。ピサ大司教リアーリオやボルジア家の後ろ盾もあり、晴れて枢機卿となったジョヴァンニは、アンジェロを伴い、ローマの教皇庁へと向かう。アンジェロは、密かにジョヴァンニの周囲の動きを報告するよう、チェーザレ・ボルジアの命を受けていた。
ローマで、枢機卿であり教皇庁高官でもあるチェーザレの父、ロドリーゴはジョヴァンニを暖かく迎えいれる。アンジェロとジョヴァンニは、チェーザレの妹ルクレツィアと出会い、その愛らしさに魂を奪われる。
ロドリーゴ・ボルジアは教皇の座を狙っていた。メディチ家子息ジョヴァンニを後押ししたのはその足固めの意味もあった。順当に行けばあと数年でその願いは叶うはずだったが、しかし大きな不安材料があった。メディチ家当主、ロレンツォの病状である。
本巻で巨星はついに墜ちる。しかも墜ちる星は1つではない。
何とか保たれていた半島のバランスは大きく揺らぎ始める。激動の時代が始まる予感が漂う。
ルクレツィアは美しいながら、自分の美しさを十分に知るが故のしたたかさも併せ持つ。かなり「イヤな女」と言ってもよいのだが、どこか無邪気さもあり、そんな描かれ方はチェーザレとも共通している。
宿敵であるロドリーゴ・ボルジアとジュリアーノ・デッラ・ローヴェレは激しく対立しあう。そのむき出しの闘争心のぶつかり合いは、ある意味すがすがしいほどで、2人の対決シーンはどこかコミカルでもある。
有力者が舞台を去れば、勢力図もまた書き換えられねばならない。
チェーザレは父という駒をゴールに進めるために、策を練り始める。
*背景も綿密に考証し描き込んでいるこのシリーズ。本巻ではフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が目に留まりました。ちょうど先日テレビ東京系『美の巨人たち』でも取り上げられていましたが、大きなドームが印象的な、フィレンツェのシンボル的建物。
*歴史の副読本にもよさそうな感じもしますが、じっくり描いているだけにストーリー展開もゆったりペースなので、受験生には向かなそう(^^;)。下手をすると(しなくても)、1492年が終わる前に受験生でなくなってしまいそうです。 -
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チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンスを描くシリーズ10巻。
教皇インノケンティウス8世の死期が迫る中、教皇を操ってきたジュリアーノ・デッラ・ローヴェレが動き出す。デッラ・ローヴェレがナポリと結ぶことにより、イタリアの平和の要となっていたナポリ・フィレンツェ・ミラノの三国同盟は崩れる。
イタリア半島を緊張が覆う中、自身も死が迫っていたロレンツォ・デ・メディチの悲願は、息子、ジョヴァンニが枢機卿となること。そのためには、ジョヴァンニはサピエンツァ大学ピサ校の教授資格認定試験に合格する必要があった。試験官の1人として選ばれたのは、すでに教授資格を持つチェーザレ。
チェーザレもジョヴァンニもそしてアンジェロもミゲルも青春時代を過ごした大学生活が、真に終わりを告げようとしていた。
政治の舞台に出ようとするジョヴァンニに付いて、アンジェロもローマへと向かうことになる。純朴であるように見えて「案外食えない」アンジェロは、チェーザレにジョヴァンニ周囲の動きを伝えることを約す。
上に立つことを運命づけられたチェーザレがふと見せる「年相応の青年」の顔。
ミゲルもアンジェロもその顔に気づいているから、チェーザレに惹かれている。
2つの海のシーンが印象的である。1つはピサに寄港したコロンブスの船で沖に出るチェーザレ、アンジェロ、ミゲル。1つはアンダルシア種の馬を駆り、海辺へと遠乗りする彼ら。
大海原は大航海時代の幕開けも予感させ、人の儚さも思わせる。潮の香りが漂い、波の音が聞こえるような絵が美しい。
ピサの海岸はまた、キリストの弟子、聖ペテロが、エルサレムから渡り上陸した地でもある。
ここからまた、チェーザレたちも旅立つ。
青春の思い出を胸に抱き、おそらくは平穏ではない航海に。
*この巻は解説がなくて少し残念。
*つまらないことではありますが、死期迫るロレンツォ・デ・メディチの台詞「私の目が黒いうちに」、というのに少々引っかかりました。ロレンツォは黒髪で、おそらく目も黒いのでしょうが、ジョヴァンニも兄もおそらく金髪、おそらく目の色も淡い。黒い瞳が主流とはいいにくいであろうイタリアに、はてこんな慣用句があるのかな・・・?と(^^;)。
*さて、ここで既刊分に追いついたので、そのうち『神曲』他に手を出していこうかなと(^^;)。いずれにしろ、ぼちぼちペースになりそうです。 -
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<「歩み方は人それぞれ---。閣下には閣下の歩み方というものがあります」 >
チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンスを描くコミックの9巻。
レコンキスタが終結してお祭りムードだが、ロレンツォ・デ・メディチの健康状態は思わしくない。微妙な均衡を保っていたイタリアの半島の平和は保たれるのか。
前巻に続き、1492年である。
この巻では大きな動きというよりも、背景となるエピソードが描き出される。
イタリア半島内の各勢力がそれぞれの思惑で動き始める。
チェーザレはアンジェロをジョヴァンニ・ド・メディチの側近に推挙する。
フィレンツェ出身であり、メディチ家の支援の元に大学に通えたアンジェロに対して、スペイン・ボルジア家のチェーザレがメディチ家に仕えるよう勧める、という関係性が今ひとつよくわからないのだが、一応、アンジェロは一度はボルジア家のお抱えになっていた、ということなのか。
ともかくも、この巻で、アンジェロはジョヴァンニの側近になることになる。
物語全体の流れとしては、おそらく、語り部であるアンジェロは、チェーザレ亡き後も生き延び、その後の世界を語る役割も引き受ける、ということなのだろう。
チェーザレとアンジェロの掛け合いが減るのであればいささか残念だが、視点がより多層的になることも期待される。
この巻ではミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチも少し顔を出す。芸術の持つ力を語るミケランジェロの熱さが楽しい。
アンジェロは、以前、貧民屈で会った子どもを工場で働けるよう世話してやる。職人となって手に職をつけ、独り立ちが出来るように。希望を感じさせるエピソードである。
チェーザレが、病で容貌が崩れ(ハンセン病を思わせるが、詳細にはわからない)、絶望した男の顔に触るエピソードも印象的である。病気について知識の少ない時代。「触れる」という行為は想像する以上に勇気を要し、一方で、ずっと周りから忌避されてきた患者からすると「触られる」ことによる「癒し」は相当なものだったのかもしれない。
幕切れのシーン。
馬を駆り、疾風のように次の目的地へと向かうチェーザレ。
アンジェロを傍らに、それを見送るジョヴァンニ。彼はこの後、教皇レオ10世となるはずである。ゆったりとした人柄で、目から鼻に抜けるというタイプではないが、自分でもそのことを知っていることが彼の強みだろうか。冒頭のひと言はアンジェロがジョヴァンニに言ったもの。
そう、時代の激流の中、それぞれがそれぞれの歩みを進める。それを象徴するような一コマである。
*さて、あと1巻で追いつきます。その後、積ん読派生読書にもぼちぼち取りかかる予定~。
この巻の宿題はペストかな。作品のメイン・ストーリーとはあまり関係ないのですが、解説中に少し触れられています。
この時代に先駆け、火山の大噴火が複数回あり、気候の寒冷化が生じたとのこと。このため作物が不作となったところに、ペストがヨーロッパ全土を席捲。この時代の戦乱は、生き延びるために他国の穀倉地帯を狙った進攻が頻発したことも要因となっている、とのことですが、さてどうなのでしょうか。
いずれにしても中世のペストに関する本はいずれ何か読んでみたいと思います(余談ですが、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で、ロミオの元に、死んだふりをするという策略を告げるジュリエットの手紙が届かなかったのは、ペストとちょっとした関連があるのですねぇ。ふぅむ)。 -
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<半島の要となっていた支柱が揺らぐ >
チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンスを描くコミックスの第8巻。
ついに激動の1492年が幕を開ける。
レコンキスタが終結し、スペインはキリスト教国となる。各地で祝杯が挙げられるが、さてこれがユダヤ教徒をはじめとする異教徒や改宗者にとってはどういう意味を持つのか。徐々に生粋のキリスト教徒以外を排除する不穏な動きが始まる。
チェーザレはピサ大司教ラファエーレとともに、フィレンツェ・メディチ家での祝祭に参加する。メディチ家とラファエーレの間には、14年前の大事件によるしこりがあった。パッツィ家の陰謀事件と呼ばれるもので、その際、メディチ家当主ロレンツォの弟は命を落とし、ラファエーレは無実であったのだが陰謀の首謀者一派と疑われ、拘禁されて厳しい尋問を受けた。その後、この事件は内乱状態を引き起こす。ロレンツォは策謀をもって争いを何とか収め、名実共にピサの統治者となる。
ラファエーレはこの事件の黒幕、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレと姻戚関係を結んでいたが、1492年の頃には、徐々に、ボルジア派に近寄りつつあった。
ある意味、メディチ家の祝祭は、ラファエーレとロレンツォの和解の場であった。その席で、ラファエーレは国を揺るがしかねぬジュリアーノの野望についての情報をもらす。
しかし、そのとき、この間の半島の平和を守る要であったロレンツォは病に蝕まれつつあった。
登場人物の年齢を見て、改めて驚く。チェーザレ、17歳。老人のように見えるロレンツォは43歳である。中味の濃い一生であるとともに、今と比べれば相当早熟である。
チェーザレを守って怪我をしたアンジェロはピサに残る。傷も癒え、街は祝祭ムード。悪友に快気祝いとして娼館に連れ込まれる。乳母のマリアが知ったら卒倒しそうな気もするが、はてさてこうした「通過儀礼」は本当に当時の若者にはよくあることだったのか、また娼館の様子もこのようであったのか。このシリーズのことだから、かなり調べてはいるのだろうけれど。
チェーザレと反メディチの僧が街の一角で出会い、言葉を交わす。このやりとりのラテン語格言がなかなかかっこいい。
僧:「fortuna vitrea est; tum cum splendet frangitur(運命は硝子細工だ。輝くときに砕け散る。)」
チェーザレ「fortes fortuna juvat(運命の女神は臆病者の味方はしない)」
歴史にifはないとはいうが、この巻を読んでいると、少しの違いで結果がまったく変わっていたことはありうるのではないかと思えてくる。
パッツィ事件の際にロレンツォ・デ・メディチが命を落としていたら、あるいは逆に、彼がもっと長生きであったら、半島の勢力分布はかなり変わっていたのではないか。
さまざまな人々のさまざまな野望が絡み合いながら、1492年の暦は巡る。
チェーザレは最終的にはこの覇権争いに勝たない。その結末は動かせないが、さて、チェーザレの人物像が、これまで描かれてきたように英雄性を秘めた大きなものなのか、それとも一般的なイメージのように冷酷で残虐なのか、あるいはそれすらも併せ持つのか。
もう少し、チェーザレの目から見るこの時代を共に旅してみよう。
*最後の場面に象徴的に出てくる彫像は、ピサ大聖堂の説教壇の(推定)ヘラクレスと思われる。ジョヴァンニ・ピサーノの作。製作は1302年~1310年頃。あれ、というか、これ、前巻のピサの大聖堂の描写に、絵が出ていたかもしれない。やっぱりそろそろ大人買いしようかなぁ・・・(←まだ買っていなかったのです(^^;))。
*ハインリヒVII世の墓が破壊された顛末(7巻参照)はまだ出てこなかった。次巻以降か。 -
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チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンス期を描くコミックスの7巻。
1492年は、コンクラーベ(教皇選)、レコンキスタ((キリスト教勢力による)再征服運動)終焉、そしてコロンブス出航の年である。物語はこの山へ向かっていく。
この巻の舞台はその前年、1491年の降誕祭。いわば、嵐の前夜である。
チェーザレは在学中のピサで、メディチ家の子息、ピサ大司教のリアーリオとともに、降誕祭のミサに臨む。同じ頃、チェーザレの父・ロドリーゴもローマでミサに臨む。
夜半のミサを終え、ピサ大聖堂で佇むチェーザレの前には、200年前、遠征中に病に倒れて命尽きたドイツ人皇帝・ハインリヒVII世の墓があった。
聖堂内に横たわる、聖職者ではない皇帝の墓。その意味するところは何か。
チェーザレはピサを訪ねた当初、疑問に思い、ちょうど招聘されていたダンテ研究の第一人者ランディーノ教授に教えを請うていた。
ランディーノは200年前のハインリヒVII世とダンテとの絆について語り、さらにはその200年前のそもそもの発端、「カノッサの屈辱」について語り始める。
「カノッサの屈辱」で対立したのは、教皇グレゴリウスVII世と神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒIV世。グレゴリウスVII世はある意味、遣り手で、教皇庁の財政難を一気に解消し、覇権の拡大を成功させた。だが一方で、権力と金に執着したかに見える教皇を、「聖なる悪魔」と呼ぶものもいた。グレゴリウスVII世は権力闘争の結果、ハインリヒIV世を跪かせることに成功するが、それはまた、諸刃の刃であった。最終的に、どの側が勝利したといえるのか、見方は1つとは限らない。
ダンテの時代にも教皇派と皇帝派の反目は続いていた。ダンテは教皇派であったが、策略によって失脚、失意の日々を送る。そんな中で出会ったハインリヒVII世と意気投合したダンテは、皇帝と終生の友情を結ぶ。ダンテの「神曲」には、理想の姿として二元論が記される。教皇と皇帝が互いに照らしあう「二つの太陽」となること。
だが、果たしてそれは本当にダンテの「真意」だったのか。
ランディーノ教授とチェーザレの議論の中に浮かび上がる1つの仮説はどのようなものか。
降誕祭、聖堂に眠る皇帝の墓、「カノッサの屈辱」、ハインリヒVII世とダンテの交友、そして「神曲」に隠された真意、と展開がドラマチックでスリリングである。
巻末の解説によれば、監修者自身もこれは1つの仮説であるといっているが、なかなかおもしろい見方である。
ハインリヒVII世の墓は、チェーザレの時代に破壊され、今では残されていない。やはり仮説であるが、破壊した犯人も次巻に明かされるという。
現存しないハインリヒVII世の墓の作画の過程も明かされていて興味深い。 -
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チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンスを描くコミックの6巻。
学生を2つに分けた模擬戦。チェーザレ率いる以南軍が勝利する。その祝賀会の喧噪の陰で、チェーザレを狙う密偵2人の正体が明らかになる。
メディチ家の縁で大学進学が叶ったものの、チェーザレに惹きつけられているアンジェロは、その場に居合わせる。身近で意外な人物がチェーザレを付け狙っていたことを知ってショックを受け、また、チェーザレをかばって深傷を負う。
密偵は命を落とす。傍らで”Agnus Dei”を唱えるチェーザレ。
実力者ロレンツォ・デ・メディチは体調が思わしくなく、一方で次期教皇選も近い。
チェーザレの幼少期も描かれ、彼が逃れられぬレールの上を歩いてきたのであろうことが窺える。
学位も取得済みのチェーザレが大学を離れる日も遠くない。
どうやらアンジェロはチェーザレに付いていくのではないかと思われる。
*”Agnus Dei”は「神の子羊」の意。
ここでチェーザレが唱えていたのは以下。
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona eis requiem sempiternam.
これは死者のためのミサで唱えるもののようです。
通常の祈祷文の場合、上記のdona eis requiem(「彼らに安らぎを与え給え」)の部分がmiserere nobis(「われらをあわれみ給え」)、dona eis requiem sempiternam(「彼らに永遠の安らぎを与え給え」)の部分が dona nobis pacem(「われらに平安を与え給え」)になります。
これを読んでいて、高校合唱部の頃、パレストリーナ(チェーザレよりは後の時代の作曲家ですが)のミサ・ブレヴィスなど(そういえばグレゴリオ聖歌なんかもあったような)を歌ったのを思い出したのですが、そうか、あれはラテン語だったよなぁと今頃思ったり(^^;)。 -
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<重装備か軽装備か。騎馬戦は今も昔も血湧き肉躍るもの。>
チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンスを描くシリーズの第5巻。
前巻(4巻)の祭のシーンからの続きである。
平民の装いをし、庶民生活を垣間見て楽しむチェーザレだが、そんな彼を刺客が付け狙っていた。刺客に気づいておびき出し、口を割らせて黒幕の正体を暴こうとするチェーザレ。捕まったかに見えた刺客は手に武器を隠し持っていた。
チェーザレを守ろうとする側近のユダヤ人ミゲルと、「臣下」の立場を思いやるということがないチェーザレの噛み合わないやりとりが苦笑を誘う。
この巻のもう1つの見せ場は学生を2つに分けて行われる「模擬戦」である。
学生たちが行う騎馬試合で、槍を手にした集団戦である。槍は模擬槍、刀も鈍刀だが、万一、参加の学生が死ぬことがあったとしても、事故扱いとなる。
古代ローマの闘技場さながらに市民たちも見物に訪れ、どちらが勝つか賭も行われていたようだ。
チェーザレに恥をかかされ、恨みを抱いているフランスのアンリは、この機にチェーザレを叩きのめそうと目論んでいる。フランス団の彼が乗るのはデストリエール種の馬(1巻参照)。重装備に耐える丈夫な馬である。迎え撃つチェーザレはアンダルシアン種に乗り、軽装備で挑む。破壊力と機動性。さてどちらが勝利するのか。
荒っぽい騎馬戦の幕開けである。
勝敗は、まさかの情けない顛末で笑える。
チェーザレの「一筋縄ではいかない」感は相変わらず漂いつつも、この巻あたりはまだ「青春群像」の趣である。舞台が大学を離れ、チェーザレが名実ともに司教となると、徐々に血なまぐさい権力闘争になっていくのか。
巻末の解説はルネッサンスの大学生活に関して述べられ、なかなか興味深い。 -
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チェーザレ・ボルジアを軸にルネッサンス期を描くコミックの4巻目。
初巻は幕開けだから説明的なセリフが多いなぁと思っていたが、4巻になってもセリフは長目である。
チェーザレは、メディチ家・ピサ大司教をバックアップし、来るべき教皇選での父への2票を確実にしようとする。一方で反対勢力であるドメニコ会の敵意を買う。
ストーリーはぐいぐいと進むわけではないが、徐々にチェーザレが権謀術数を弄し始めていくというところか。
この巻でルクレツィア登場。11歳だがさぞかし美しく育つだろうという美少女である。4年前、チェーザレとルクレツィアが初めて出会う回想シーンも挟まれる。
側近・ミゲルはチェーザレに心酔しているのかと思っていたが、どうもそれだけでもなさそうである。ミゲルはミゲルで、何かしらの独自の世界観がありそう。その盲信しないところが、逆にチェーザレにとっては「信頼できる」部分であるのかも。
チェーザレはアンジェロを伴い、祭に繰り出す。庶民の暮らしとは無縁の世界で生きてきたチェーザレは、金貨を使おうとしたり、芝居の内容に講釈を垂れたり、射的で見事な腕前を披露してしまったり、場にそぐわぬ行為で浮きまくり。「命を狙うものもいるのに」とアンジェロははらはらし通しである。
この時代、ヨーロッパ全体の共通語はラテン語とされた。規則性があるために、地域的な偏りと関係なく習得可能とされていたためである(そのため、「文法」とはラテン語を意味したという)。いわば公用語であり、日常会話として用いられていたのではない。
各地の母語は俗語と呼ばれ,地域による差異が大きく、部外者には理解できないことも多かった。
チェーザレがアンジェロを祭に連れて行ったのはそれも1つの理由である。ピサの庶民の早口の会話など、貴族出身でローマ育ちのチェーザレには理解できないというわけだ。
会話の中で何気なく出てくる点で1つ。
この時代、ユダヤ人の医者というと、外科が専門であったらしい。
キリスト教信奉者は内科を専門とする。内科の医者は哲学にも通じているという。学問体系が興味深い。
こういうのがさらっと出てくるから、このシリーズは油断ならない・・・。
*祭の章の参考文献に「狂えるオルランド」が出てくるので、上演されている芝居がこれなのかと思ったのだが、この物語の成立は若干後の模様。基盤となる伝説や物語が流布していて、庶民にも親しまれていた、ということなのですかね・・・? -
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「それではご自分は優れた指導者に成りうる自信がおありですか?」「それは私が決めるべきことではない。神が決めることだ」
チェーザレ・ボルジアを軸に、ルネッサンスを描くコミックの2巻。
冒頭の引用は怖いもの知らずの天然少年アンジェロの問いにチェーザレが答えたもの。
暴君か、はたまた類い稀な指導者か。型にはまらぬチェーザレの人となりが徐々に明らかになっていく。
教皇の死を目前にして、ボルジア家、メディチ家、ローヴェレ家、それぞれの思惑が絡み合う。腹の探り合い、謀略の数々。覇権を得るのはどの勢力なのか。
クリストファー・コロンブス、レオナルド・ダ・ヴィンチといった魅力的な人物も続々登場し、物語のこの先を期待させる。
背景として特に印象に残ったのは2点。
・ダンテ『神曲』は、ダンテが地獄・煉獄・天国を巡る物語だが、その中には古くはギリシャ・ローマ神話から、新しいものではピサのウゴリーノ伯の話などダンテの時代に起こった出来事も盛り込まれているという。
・アリストテレスの『ニコマコス倫理学』がこの時代、ラテン語訳されているという。作中で、チェーザレが、ある版は「知性」を「理性」と「誤訳」していると指摘する場面がある。ギリシャ語もラテン語も出来ない自分としては確かめようがないのだが、こういう概念的な語句はそもそも翻訳自体、困難なものになりそうだ。根底の思想をよく理解しなければならないし。
巻末の解説や監修者と作者の対談も楽しい。
本作では、歴史的事実にフィクションを混ぜていく匙加減が難しくもあり、おもしろくもあるとのこと。
チェーザレに付き従うミケロットがユダヤ系である設定が興味深い。この先、どのように展開していくのか。
当時の絵画や建物など、資料にあたりつつ、あるときは想像で補いつつ、じっくり描き進めているとのことで、刊行ペースはゆっくりであるらしい。
私も慌てずゆっくり既刊を追っていこうと思う。
*ダンテの『神曲』。この巻を読むと非常におもしろそうである。しかし、『神曲』・・・。手を出すには覚悟がいるなぁ・・・。 -
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<「カエサル」という名を持つ男。>
新聞広告で知り、書評で興味を持ったコミック。
チェーザレ・ボルジアを描いた作品である。チェーザレはラテン語ではカエサル。古代ローマ帝国の礎を築いた英雄と同じ名を持つ男は、その偉大さもまた受け継ぐのか。
ルネサンス期の壮大なドラマが美麗な絵で繰り広げられる。
自分が知ったのは最近なのだが、1巻刊行は2006年、すでに10巻まで出ている。
「破壊の創造者」というパンチの効いたサブタイトルがよい。
1巻では、石工の家に生まれた学業優秀な青年・アンジェロが狂言回しとなり、この時代のピサの大学へと読者を誘う。
この巻は導入で説明的セリフも多い。
出身地ごとに形成される学生団、メディチ家やボルジア家等の名家同士のつながりや確執、都市における貧富の差など。アンジェロという世情に疎い(純真であるが、ある意味、天然で空気を読まない)若者を配したことで、この時代に馴染みのない読者も同じ視線で新しい世界にすっと入り込んでいける。
さまざま興味深い話が出てくるが、非常におもしろかったのは馬の種の話である。
フランスの学生団が乗りこなすのはデストリエールと呼ばれる種。体格がよく、従順である。重装騎兵の重量を支える体力がある。対して、スペインのチェーザレが乗るのはアンダルシアン。アラブの競走馬とスペインの土着馬の混血のこの種は、細身で気性も荒く、乗りこなしやすい馬ではない。だが、その速さと闘争心は、大きな強みとなりうる。
地域や宗教を異とする各勢力が反目し、絡み合う予兆を感じさせる展開。
2巻以降も少し、追ってみようと思う。
*関連書↓も出ているようだ。
『チェーザレ・ボルジアを知っていますか?』(講談社)