朝比奈秋のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いやはや、すごい小説だった。これを厚労省の役人とか、大臣とか、医療制度の責任者はどう読むのか?
この数年最も寝ていない外科医公河。同じ市内に三つあった救急医療を担う病院のうち二つが、急患の受け入れを停止した。残ったのは「どんな命も見捨てない」を院是に掲げた公河の勤務する病院だけ。24時間勤務は当たり前、時に四日連続勤務に当たることもある。冒頭、医大の友人ヤナザキが死んだとの連絡を受ける。こちらは産科医。母体と赤子を救うため働き続けて、病院のシャワー室で座ったまま死亡したのだ。背中を立てたまま死ぬ?公河の思考は混濁し、現実と妄想の狭間を行き来する。読んでるこちらも、魍魎とした不可思議な世界に引き込まれていく。 -
Posted by ブクログ
手のひらの温もりとその静かな呼吸は、肯定も否定もせず、あるがままに受け止めてくれるもの。
植物状態の母しか知らない美桜だからこそ、物心ついた頃から、2人だけのやり方でコミュニケーションを取り、唯一無二の関係性を築いて来た。
それは、社会的には普通ではない親子関係だと言われるだろうし、可哀想に思われるかもしれない。
でも普通って何だろう。可哀想と決めるのは大抵、表面的な部分しか見えてない周囲であって、当事者にとっては日常であり普通なのだ。
母の髪を金髪にしたり、ピアスを開けたり、愚痴や不満の掃きだめにしたり、リアクションがないからこそ過激になっていく、美桜の甘えの描写に胸が苦しくなった。
だが大人になり、母親の癌を知り、それを自分のせいにする美桜に一筋の光を見た。
美桜の母親は、美桜を育てたのだと思う。その動かない身体をもって。意思を持たない、だが生きているその圧倒的な存在感で。 -
Posted by ブクログ
読んだ後、植物状態と脳死と昏睡状態の違いについてネットで調べてみたり、自分があるいは身内が植物状態になる状況を考えてみたりしている。
例えば自分が交通事故にあって植物状態になったとして、それは自分だと言えるだろうか。今の私と地続きの存在だと言えるだろうか。自分はちゃんと生きていると言えるだろうか。植物状態は生きている状態だと医学的にも法的にも認定されている。でも自分の実感として、この「私」という意識と自由な思考、自由な身体こそ「生」の状態だと思っているので意識がなく寝たきりという状態は苦痛だと思った。そんな人生虚しすぎないか。いっそのこと殺してくれとすら思う。
では親が、兄弟が、友人が、恋人が、子どもが植物状態になったら?すごくショックで悲しい。でも、その人がまだちゃんと生きていることに安堵してきっと縋り付く。どんな形であれ生きていてほしい。その気持ちはその人を失いたくない自分のエゴから来るものだろう。
植物状態の人間は大脳以外は機能しているため自分で呼吸するし反射運動も起こす。口元に食べ物を持っていけば口を開いて噛んで飲み込み、時には咽せたりするらしい。眼を開けることもあるし喉から音が出ることもあるようだ。読み始めた頃は不気味に思えたが、主人公(美桜)を通して物語が進むうちにそういう気持ちは小さくなってきた。まだ少しドキッとはするけれど。
美桜の時間はどんどん進み、私たちと同じように思春期や結婚や出産など色々経験して変わっていく。植物状態である美桜の母も加齢は進み病を得たりするが状態はほとんど変わらない。でもずっと病室でしっかりと呼吸をしている。健やかに生きている。著者は実際にそういった生き方を二十数年されている方に出会って、虚しい生き方だともこんな人生は嫌だとも思わず、自分と何の変わりもなく生きているのだと思ったらしい。
この本を読んでから事あるごとに考えるようになってちょっと考え方が変わった。身近な人が植物状態になってしまったら、すごくショックで悲しいけれどまだ生きてくれていることに安堵する。そして、状況を受け入れるのにちょっと時間はかかるかもしれないけど、今日もしっかり生きてるねって、心から思うんではなかろうか。