朝比奈秋のレビュー一覧
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ネタバレ朝比奈秋、3冊目。作品としては一番荒削りかもしれないが(構成やテーマ、それに対する回答など)、私は本作が一番好きだ。端正にまとまっていない、言語化しきれていない、繋がりきれていない、かもしれないが、それでも私は最も心を動かされた。
前作2作品は日本での医療を取り扱ったものであり、それはそれで新しい視点を提供されて面白かった。一方で、今回はウクライナ侵攻が起きる中、ウクライナ人を妻にもつハンガリーで働く日本人看護師・アサトを主人公に、誤診により切断された手、その後移植された手を、国境や領土を巡る紛争と同化のプロセスになぞらえると、場所もテーマも大きく転換したというか、拡大した、著者にとっても意欲 -
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ネタバレ読んでいる最中から、やばいやばいやばい、と焦燥感が湧きあがった。
「わたしは今、とんでもない本を読んでいる!」
この小説は、喪失と受容の物語だ。
主人公アサト(日本人)は、左手を失い、脳死した人の左手を移植される。
「喪失」も「受容」も、比喩や仮託ではなく、そのものずばり、アサトの失われた左手を示す。それを諦める過程、新しい左手を得たものの、それは激しい拒絶反応を起こす。
そしてこの「左手」は、ウクライナ・ハンガリー・ロシアの「国境線」ときっちり重ね合わせて描かれている。
アサトが最初に失った左手は、80年代・ウクライナが強硬に併呑したハンガリー領土だったクリミアだ。ひじょうに理不 -
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第171回芥川賞受賞作。
インパクトのある設定だったが、父親と伯父の設定にも驚く。
想像していたモノとは異なり、物語自体は淡々と進む。
私とわたし、主語が入れ替わるごとに姉妹の思考が入れ替わる。
2人の過去の出来事や記憶が思い起こされ、両親は当たり前のように2人を感じ取り、1人がもし亡くなったらどうなるのか……
何となく姉妹の片方は伯父に似、もう片方は父に似ている気も。
意識はすべての臓器から独立しているのかどうかなど、哲学的要素もあり、ただラストは物足りないような、これでいいような、不思議な読後感。
最初のインパクトが大きすぎて、朝比奈秋作品なら、他のものの方が、とも思う。 -
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第171回(2024年)芥川賞受賞作品。朝比奈秋は史上6人目、男性作家としては初となる純文学新人賞三冠(芥川龍之介賞・野間文芸新人賞『あなたの燃える左手で』・三島由紀夫賞『植物少女』)を達成した。現役、消化器内科医師として働きながら二刀流で執筆。
(帯より)伯父が亡くなった。誕生後の身体の成長が遅く心配された伯父。その身体の中にはもう一人の胎児が育っていた。それが自分たち姉妹の父。体格も性格も正反対の二人だったが、お互いに心を通わせながら生きてきた。その片方が亡くなったという。そこで姉妹は考えた。自分たちの片方が死んだら、もう一方はどうなるのだろう。なにしろ、自分たちは同じ身体を生きている -
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第171回芥川賞受賞作
読み始めてすぐに、『 ? 』理解が追いつかなくてもう一度読み返す。結合双生児のお話だと知っていながら、描かれる日常生活は想像を越え理解が追いつかなかった。パターンを理解すると、主人公の考える意識と肉体、生命の相関が頭に入ってくる。主人公の父親の出生のエピソードと主人公の在り方を交えて、意識の存在を考えていく。
最終盤、一人とみられていた主人公の影からもう一人の存在があらわれるときの描写は長すぎると思う。ページが残り少なくなったところで、核心があらわれると思ったらちょっと肩透かしだ。
強烈な個性の主人公なので、芥川賞作品ではなく直木賞作品に仕上げていたら、もっと -
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肉体、心と思考、そして意識は本当に自分自身のものであると言えるのか。意識は独立していると言えるのか。結合双生児である「二人の」主人公であるからこそ、抱える矛盾、違和感、安心感。陰陽魚の例えを使って、対立しながらも補い合う二者の在り方が表現されている。最後の一文では、杏と瞬の二人が陽中陰や陰中陽を体現し循環する存在になることができたと感じられて、読者の私として温かくも嬉しい気持ちになった。「私の身体や心は本当に私のものだと言えるんだろうか?私の意識は独立していて、全く他の介入を許さないなんて断言できるんだろうか?」単生児として生まれた私自身も自己の存在を疑う問いを与えられた物語だったように感じる
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いや、やっぱ視点がスゴイ。異世界。植物少女に続き、襲撃だった。
2人が1つの体で生きているなか、相手の感情や思考に飲み込まれそうになる圧や、痛みや辛さを相手に押し付けた後の輪郭だけのカンジ、自分の中に何かいると確信した熱感やむず痒さとか…こんな表現、しらない。
杏と瞬、どっちの思考なのか混ぜこぜの描き方も、2人をうまく表現してる。
医学では説明しようのない意識とは、感情や思考とはかけ離れているもの。死は客観的事実であり、肉体が死んでも意識は死なない?では意識が死ぬのはどんな時?
自我とはなにか…哲学的なことを想うのに、おもしろい切り口だと思った。