朝比奈秋のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
はじめは、あまりに過酷な労働環境に、お医者さんて大変だなあ、たまに行く総合病院のお医者さんも、皆疲れていて、お休みあるのかなあ、なんて思っていたので、同情するような気持ちで読んでいましたが。
だんだんとみんなが狂ってきて、怖くなってきて、これからどうなるの?と気になって、あっという間に読み切りました。こんなに早く読んだのは久しぶりです。
確かに、医者が昼も夜も働き続けるドキュメンタリーやドラマって、医者をヒーロー化して、医者は特別な人として捉えていて、こんな働き方おかしい!って思ったこと無かったかもしれません。
私が年老いた頃には、もう医者が少なすぎて診てもらえなくなるかも、と怖くなります。
どうしたら良いんでしょうかね?
朝比奈秋さんの本はたぶん全部読んでいますが、1番読みやすいと思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本で生まれ育ったら、感覚的に国境を理解するのは難しい。島国ゆえの呑気さがたしかにあるのかもしれないと気付かされた。
厳しい言葉でありながら日本人の本質を突くドクトル・ゾルタンの考えは、日本という国と日本人を客観視する目線を与えてくれた。自らのことや身の回りのこととなると思考の偏りがどうしてもあるものだ。
他者とのコミュニケーションによって思い込みが取り払われることが往々にしてあると思う。それを、一冊を通してゆっくりと浸透させていくように読者に語りかけてくれるので拒絶反応は起きない。
「移植はな、君らみたいな、切り取ったら終わりの治療とは違うのだよ」ゾルタンのこの台詞には、過去も未来も、国や人の在り方も内包していて思わず唸った。
領土を奪い、また奪われていくことの意味や感覚を、移植手術を通して語るという視点が非常に興味深かった。
アサトの体は他人の左手を受け入れる方向で進んでいる。そこに衝突はあっても苦しみながら受け入れる。その過程と結論が重く響く物語だった。 -
Posted by ブクログ
朝比奈さんの話は2作目。
面白かったです。心が揺さぶられて私の今年ベスト3入りしそうな予感です。
まず、フィンランド語の訛りを日本の方言で表しているところ。フィンランド人が「ごめんやでー」と言っているの最高だった。フィンランド語を聞いて日本人である主人公が脳内変換してると面白い。静かに、この物語を緩くさせるような効果があった気がする。
次に移植のこと。
自分がいかに移植について深く考えた事がなかったことに気づいた。手は生活する上で大事な場所で、そしてよく目に入る。
私は車で信号待ちしているときに手荒れや爪の伸びが気になる。人によっては綺麗にネイルして顔の次におめかしする場所かもしれない。
その手が他人の、しかも人種も違う手になったら…。金髪の指毛が生えていたら…
他人に触られているような気分になるだろうし、常に違和感との戦いだろう。
ふと職場の隣の人の手を見てみた。私と全く違うのだ。色も大きさも厚みも。その人のことはすごく好きだけど、その手が私の手と入れ替わると思ったら拒否感が出てしまう。また、自分の手が誰かについていることにも拒否感が出てしまった。
もう一つ、国境や紛争の問題も扱われている。島国の日本で生まれ育った自分には他国と地続きという事がピンとこない。それが場所によってソ連だったり独立したりウクライナになったりロシアに取られたり…
国民性というのがあるのは当然だと思った。
短い話の中に過不足なく詰まっていた。足りない感じも間延びした感じも全くない。すごい一冊です。 -
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純文学を読み慣れていないせいか、普段読んでいるような小説に比べると読みづらさはありましたし、深く考えずに淡々と読み進めてしまったところもあるのですが…。それでも読んでいてハッさせられる部分は多くあり、読み終えてみての感想は「読んでよかった」というものでした。
語られる言葉の全部を汲み取れなくとも、自分の中にはない知識や感情、価値観、経験を、主人公の言葉を通して文字で知ったり、想像したりすることが出来る。そういう面白さを、今回の読書で少し体験できたように感じました。
また、作品の主軸である手の移植から話が波及し、国や民族、歴史、社会情勢など多くのことに触れていく構成には非常に驚きました。
頁数は少ないですが、考えさせられることが多々ある、とても読み応えのある一冊だと思います。 -
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ネタバレ朝比奈秋、3冊目。作品としては一番荒削りかもしれないが(構成やテーマ、それに対する回答など)、私は本作が一番好きだ。端正にまとまっていない、言語化しきれていない、繋がりきれていない、かもしれないが、それでも私は最も心を動かされた。
前作2作品は日本での医療を取り扱ったものであり、それはそれで新しい視点を提供されて面白かった。一方で、今回はウクライナ侵攻が起きる中、ウクライナ人を妻にもつハンガリーで働く日本人看護師・アサトを主人公に、誤診により切断された手、その後移植された手を、国境や領土を巡る紛争と同化のプロセスになぞらえると、場所もテーマも大きく転換したというか、拡大した、著者にとっても意欲作なのだと思う。勝手にその意気やよし!と思ったし、こうして実際にウクライナ侵攻が起きている現在に、こういう形でその現実に向き合うこともありうるということをよく示してくれた一作だと思う。
本は一人のウクライナ兵の自決の場面から始まる。なぜこの人は日本のことをここまで詳しく知るんだろうと言ったささやかな疑問や、「隣に座る夫の、透明になった左手を撫でた」という文章などは、その後に続くアサト視点、そして途中から医師ゾルタンの視点の物語を読んでいるうちに忘れていた。全て読み終わった後に、もう一度読み直して、震えた。ああこれはやっぱり紛れもなくハンナだったんだ、と。途中で腹が空洞になった死体を「ハンナ」だという義父とのシーンが入るが、その時点では、アサトに記憶障害が起きていることは、アサトが信頼できない語り手であることはわかっていないので、義父が認知症の症状から言っているだけという言葉を鵜呑みにしていた。
時間軸も、記憶も、うまい具合に胡乱に書かれているので、まさに術後のアサトの混乱状態で読めるのは、うまいなと思った。
それからハンナが大阪弁で喋ったり、リハビリを担当する理学療法士の台湾系フィンランド人の雨桐は"はんなり"と京都弁で(と認識したんですが笑)書かれているのは面白かった。私は他言語を喋るときにスイッチが入って、その言語の自分になり、性格や喋り方も少し変わり、アクセントを日本語に喩えて考えたことがなかった。こういうふうに聞こえる人もいるかもしれない、それは面白いなと純粋に思いました。
身体の境界線を国家の境界線に例えて、手の移植を取り扱ったことについては、アイディアとしては面白いと思った。けどちょっと消化不良、という感じ。
「今、ふと思いついたんだがね。日本が手の移植を行わないのは、日本に国境がないからなんじゃあないかな」
「国境?」
「そうさ。日本は他のどこの国とも繋がってはないだろう?」
…
「妻にも言われたことがあるよ。国境がないというのはどんな感覚なんだと、付き合った当初にかなりしつこく訊かれたっけ」(p.126)
「あのね。免疫とは他者に対する寛容性のことなのだよ。持論になるがね、免疫の寛容性は常に自我の容認性と密接に関連している。人種による自我の違い、特にヤパァナの自我の在り方は我々とは全く違うんだ。移植後の腫れぐあいから、リハビリの進みぐあいから、全く違う。君も彼の経過を見れば、自我と免疫が強く関係しているとわかってもら、」…今までの医療が、肥大化した自我を守るために病気になった身体の部分部分を切り落としてきたのだとすれば、移植は他者の一部を受け入れて自分の自我を削ぎ落とすものであるかもしれなかった。(p.152, 154) -
Posted by ブクログ
『植物少女』で強い衝撃を受けた朝比奈秋ですが、本作もまた衝撃的な一作です。
主人公はアラサーの結合双生児の姉妹。頭一つ、胴体一つ、手二本、足二本。顔の左右が歪んでいることを除けば、外見上は「普通の人」と見えますが、体の正中線を境に左側が姉の杏、右側が妹の瞬です。内臓は脳など一部が二つあり、一部は共有しています。
その設定が明かされるのは30ページ過ぎなので、読み始めは奇妙な違和感に包まれてしまいます。さらに、父親が「胎児内胎児」(双生児の片方がもう片方の体内に取り込まれて育った状態)だったという設定も明らかになります。
テーマは「自己とは?」「意識とは?」、あるいは「死とは?」といった根源的な問いでしょう。哲学的な色彩が強く、『植物少女』に通じる問題意識が感じられます。章立てや空白行を挟まずに「私」が杏になったり瞬に変わったりする語り口の揺れも、そのための仕掛けのようです。読み進むにはある程度の覚悟がいりますが……。
浴槽の中で二人が剥離してお湯が血に染まるシーンや、終盤で杏の意識が「自分は死んだ」と自覚するシーン(いずれも錯覚)など、どこに繋がるのかすぐには分からない描写もいくつかあります。
難解な部分も少なくありませんが、それらを通して読者に多様な問いを投げかける、非常に面白い(興味深い)小説です。第171回芥川賞受賞作。