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自身を産んだ際に植物状態になった母親へ会いに病室へ通う美桜。意思もなく、大人に成長していくなかで、次第に親子の関係性も変化していき─唯一無二の母と娘のありようを描く。第36回三島由紀夫賞受賞作。《解説・河野真太郎》
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Posted by ブクログ
素晴らしかった。最近読んだ中でも群を抜いて好きな作品だった。生と死という境界をあらゆる角度から立体的に描かれていた。病室という空間、息、周りの人々、鼓動。空っぽの中に注いでいく美桜。素晴らしかった。
母と娘との静かな会話 物言えぬ母とのなんとも言えない会話 この作者だからこそ表現できた作品。 もっと読んでみたくなる作者ですね。 ぜひ〜
植物状態の母の横で娘は日々成長していく__ 病室という閉ざされた世界で、2人だけの秘密のような時間が積み重なる。意思疎通が出来なくとも、怒りも愛もぶつけ合うことはできるのかもしれない。 『お母さんはどんな人だった?』その問いへの答えが心を掴んで離してくれなかった。 花の盲端は途中リタイヤしそうにな...続きを読むったので大丈夫かなと不安に思いつつ、書店で1ページ目を読んで購入。生々しい描写に顔を歪めてしまう所もあったけど、目を逸らしたくないと思った...生きるって綺麗事じゃない。
「わたしにとって、母は会いに行く人物だった。」 著者の朝比奈さんは現役の医者。 家族を除けば、 植物状態になってしまった人物を、 長期間にわたって見つめることができる、 唯一といってもいい立場。 そこから見た、家族模様。 娘の成長。 父の逡巡。 母の生と死。 他家族との対比。
装丁に惹かれて購入してしまった一冊 こう、上手く共感もしきろうにもしきれない、 こういう病気モノは実体験してるかどうかが とても大きな鍵になってくると思う。 少なくとも、この小説に救われる人は多い気がする。 なんとも表現し難い、 登場人物の苦しさがジワジワと伝わってくる。 どのような状況下でも...続きを読む、 主人公ミオは強く、逞しく、母性なのか、 カッコよく見えた。誇らしく感じた。 きっと、お母さんもそう感じてたと思うよって 声を大にして言いたい。 現に、植物状態なのはお母さんなのに、 タイトルにあるように「植物少女」となっている というところにセンスもすごく感じる。 実際に主人公ミオは植物状態ではないのだが、 リアルに植物状態のことを表しているのではなく、 ミオにもミオなりの人生があり、 自分のことを客観視した時に、 自らがお母さんと同じ植物状態であるのではないかと認識するところが、ミオらしいユニークな発想だった。 短くてサクッと読めるので、 忘れた頃に再読したい一冊。
見てはいけないものを見たような、なんとも形容しがたいお話でした。 共感できるような境遇じゃないものの、生々しい感情が散りばめられてるなと感じた。
題材が題材だけに“共感”を得ることはなかった。 人の想いの奥底にある“何か”を感じとれれば良かったんだろうけど、私にはわからなかった。
話の内容は、共感するには難しいものであったが、生きるとは何か。自分にとって相手がどんな存在であるのかということを非常に考えさせられた。 病室で半生を生きることになった母と、そこに向き合う娘の姿。静かだが、誰よりも全力で人生を歩んでいるようにも思えた。
手のひらの温もりとその静かな呼吸は、肯定も否定もせず、あるがままに受け止めてくれるもの。 植物状態の母しか知らない美桜だからこそ、物心ついた頃から、2人だけのやり方でコミュニケーションを取り、唯一無二の関係性を築いて来た。 それは、社会的には普通ではない親子関係だと言われるだろうし、可哀想に思われる...続きを読むかもしれない。 でも普通って何だろう。可哀想と決めるのは大抵、表面的な部分しか見えてない周囲であって、当事者にとっては日常であり普通なのだ。 母の髪を金髪にしたり、ピアスを開けたり、愚痴や不満の掃きだめにしたり、リアクションがないからこそ過激になっていく、美桜の甘えの描写に胸が苦しくなった。 だが大人になり、母親の癌を知り、それを自分のせいにする美桜に一筋の光を見た。 美桜の母親は、美桜を育てたのだと思う。その動かない身体をもって。意思を持たない、だが生きているその圧倒的な存在感で。
読んだ後、植物状態と脳死と昏睡状態の違いについてネットで調べてみたり、自分があるいは身内が植物状態になる状況を考えてみたりしている。 例えば自分が交通事故にあって植物状態になったとして、それは自分だと言えるだろうか。今の私と地続きの存在だと言えるだろうか。自分はちゃんと生きていると言えるだろうか。...続きを読む植物状態は生きている状態だと医学的にも法的にも認定されている。でも自分の実感として、この「私」という意識と自由な思考、自由な身体こそ「生」の状態だと思っているので意識がなく寝たきりという状態は苦痛だと思った。そんな人生虚しすぎないか。いっそのこと殺してくれとすら思う。 では親が、兄弟が、友人が、恋人が、子どもが植物状態になったら?すごくショックで悲しい。でも、その人がまだちゃんと生きていることに安堵してきっと縋り付く。どんな形であれ生きていてほしい。その気持ちはその人を失いたくない自分のエゴから来るものだ。 植物状態の人間は大脳以外は機能しているため自分で呼吸するし反射運動も起こす。口元に食べ物を持っていけば口を開いて噛んで飲み込み、時には咽せたりするらしい。眼を開けることもあるし喉から音が出ることもあるようだ。読み始めた頃は不気味に思えたが、主人公(美桜)を通して物語が進むうちにそういう気持ちは小さくなってきた。まだ少しドキッとはするけれど。 美桜の時間はどんどん進み、私たちと同じように思春期や結婚や出産など色々経験して変わっていく。でも植物状態である美桜の母はほとんど変わらない。ずっと病室でしっかりと呼吸をしている。健やかに生きている。著者は実際にそういった生き方を二十数年されている方に出会って、虚しい生き方だともこんな人生は嫌だとも思わず、自分と何の変わりもなく生きているのだと思ったらしい。 この本を読んでから事あるごとに考えるようになってちょっと考え方が変わった。身近な人が植物状態になってしまったら、すごくショックで悲しいけれどまだ生きていることに安堵する。そして、状況を受け入れるのにちょっと時間はかかると思うけど、今日もしっかり生きてるねって、心から思うんじゃなかろうか。
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