あらすじ
ハンガリーの病院で左手の移植手術を受けたアサト。だが麻酔から醒めると、繋がっていたのは見知らぬ白人の手で――。自らの身体を、そして国を奪われることの意味を問う、傑作中篇!
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Posted by ブクログ
他人の体と繋がることはどういうことなんだ?
本文にも出てくる、"他人を意のままに動かすことができるのか?"答えはNo。
私が司令塔であり、命令を下す側であり、手を従わせなければならない。
"自分の体"とは、他人を受け入れるということは、自我や受容について、少し医療の倫理的な視点もあって自分と他人の「境界線」についてめちゃくちゃ考えさせられた。
でもまさか、境界線に対して、国境の話が入ってくるとは思いませんでした。国と国の境目の話が出てくるのがとんでもなく説得力がでて、後半泣きながら必死に読んだ。
Posted by ブクログ
ヨーロッパで暮らすアサトは、左手を失ってしまうが、他人の手を移植される。
自分ではない異物との戦いを、ヨーロッパの人種や国境問題と絡めて描く。
私たちは、自分を守るため、細胞レベルで、個体レベルで、生まれついた人種として、あるいは国として、他者と戦わなければいけないのか。それとも、受け入れて共存できる道を探さないといけないのか。
理論や科学、理想を超えた我々に染みついている感情をどう落ち着かせていけるのか。
傑作。
Posted by ブクログ
日本で生まれ育ったら、感覚的に国境を理解するのは難しい。島国ゆえの呑気さがたしかにあるのかもしれないと気付かされた。
厳しい言葉でありながら日本人の本質を突くドクトル・ゾルタンの考えは、日本という国と日本人を客観視する目線を与えてくれた。自らのことや身の回りのこととなると思考の偏りがどうしてもあるものだ。
他者とのコミュニケーションによって思い込みが取り払われることが往々にしてあると思う。それを、一冊を通してゆっくりと浸透させていくように読者に語りかけてくれるので拒絶反応は起きない。
「移植はな、君らみたいな、切り取ったら終わりの治療とは違うのだよ」ゾルタンのこの台詞には、過去も未来も、国や人の在り方も内包していて思わず唸った。
領土を奪い、また奪われていくことの意味や感覚を、移植手術を通して語るという視点が非常に興味深かった。
アサトの体は他人の左手を受け入れる方向で進んでいる。そこに衝突はあっても苦しみながら受け入れる。その過程と結論が重く響く物語だった。
Posted by ブクログ
読み始めは少しきついかな?と思ったけど、読後は、読んでよかった、という感想になりました。
こんな内容の本に出会ったことがありませんでしたが、一度読んでもらいたい本です
Posted by ブクログ
朝比奈さんの話は2作目。
面白かったです。心が揺さぶられて私の今年ベスト3入りしそうな予感です。
まず、フィンランド語の訛りを日本の方言で表しているところ。フィンランド人が「ごめんやでー」と言っているの最高だった。フィンランド語を聞いて日本人である主人公が脳内変換してると面白い。静かに、この物語を緩くさせるような効果があった気がする。
次に移植のこと。
自分がいかに移植について深く考えた事がなかったことに気づいた。手は生活する上で大事な場所で、そしてよく目に入る。
私は車で信号待ちしているときに手荒れや爪の伸びが気になる。人によっては綺麗にネイルして顔の次におめかしする場所かもしれない。
その手が他人の、しかも人種も違う手になったら…。金髪の指毛が生えていたら…
他人に触られているような気分になるだろうし、常に違和感との戦いだろう。
ふと職場の隣の人の手を見てみた。私と全く違うのだ。色も大きさも厚みも。その人のことはすごく好きだけど、その手が私の手と入れ替わると思ったら拒否感が出てしまう。また、自分の手が誰かについていることにも拒否感が出てしまった。
もう一つ、国境や紛争の問題も扱われている。島国の日本で生まれ育った自分には他国と地続きという事がピンとこない。それが場所によってソ連だったり独立したりウクライナになったりロシアに取られたり…
国民性というのがあるのは当然だと思った。
短い話の中に過不足なく詰まっていた。足りない感じも間延びした感じも全くない。すごい一冊です。
Posted by ブクログ
純文学を読み慣れていないせいか、普段読んでいるような小説に比べると読みづらさはありましたし、深く考えずに淡々と読み進めてしまったところもあるのですが…。それでも読んでいてハッさせられる部分は多くあり、読み終えてみての感想は「読んでよかった」というものでした。
語られる言葉の全部を汲み取れなくとも、自分の中にはない知識や感情、価値観、経験を、主人公の言葉を通して文字で知ったり、想像したりすることが出来る。そういう面白さを、今回の読書で少し体験できたように感じました。
また、作品の主軸である手の移植から話が波及し、国や民族、歴史、社会情勢など多くのことに触れていく構成には非常に驚きました。
頁数は少ないですが、考えさせられることが多々ある、とても読み応えのある一冊だと思います。
Posted by ブクログ
朝比奈秋、3冊目。作品としては一番荒削りかもしれないが(構成やテーマ、それに対する回答など)、私は本作が一番好きだ。端正にまとまっていない、言語化しきれていない、繋がりきれていない、かもしれないが、それでも私は最も心を動かされた。
前作2作品は日本での医療を取り扱ったものであり、それはそれで新しい視点を提供されて面白かった。一方で、今回はウクライナ侵攻が起きる中、ウクライナ人を妻にもつハンガリーで働く日本人看護師・アサトを主人公に、誤診により切断された手、その後移植された手を、国境や領土を巡る紛争と同化のプロセスになぞらえると、場所もテーマも大きく転換したというか、拡大した、著者にとっても意欲作なのだと思う。勝手にその意気やよし!と思ったし、こうして実際にウクライナ侵攻が起きている現在に、こういう形でその現実に向き合うこともありうるということをよく示してくれた一作だと思う。
本は一人のウクライナ兵の自決の場面から始まる。なぜこの人は日本のことをここまで詳しく知るんだろうと言ったささやかな疑問や、「隣に座る夫の、透明になった左手を撫でた」という文章などは、その後に続くアサト視点、そして途中から医師ゾルタンの視点の物語を読んでいるうちに忘れていた。全て読み終わった後に、もう一度読み直して、震えた。ああこれはやっぱり紛れもなくハンナだったんだ、と。途中で腹が空洞になった死体を「ハンナ」だという義父とのシーンが入るが、その時点では、アサトに記憶障害が起きていることは、アサトが信頼できない語り手であることはわかっていないので、義父が認知症の症状から言っているだけという言葉を鵜呑みにしていた。
時間軸も、記憶も、うまい具合に胡乱に書かれているので、まさに術後のアサトの混乱状態で読めるのは、うまいなと思った。
それからハンナが大阪弁で喋ったり、リハビリを担当する理学療法士の台湾系フィンランド人の雨桐は"はんなり"と京都弁で(と認識したんですが笑)書かれているのは面白かった。私は他言語を喋るときにスイッチが入って、その言語の自分になり、性格や喋り方も少し変わり、アクセントを日本語に喩えて考えたことがなかった。こういうふうに聞こえる人もいるかもしれない、それは面白いなと純粋に思いました。
身体の境界線を国家の境界線に例えて、手の移植を取り扱ったことについては、アイディアとしては面白いと思った。けどちょっと消化不良、という感じ。
「今、ふと思いついたんだがね。日本が手の移植を行わないのは、日本に国境がないからなんじゃあないかな」
「国境?」
「そうさ。日本は他のどこの国とも繋がってはないだろう?」
…
「妻にも言われたことがあるよ。国境がないというのはどんな感覚なんだと、付き合った当初にかなりしつこく訊かれたっけ」(p.126)
「あのね。免疫とは他者に対する寛容性のことなのだよ。持論になるがね、免疫の寛容性は常に自我の容認性と密接に関連している。人種による自我の違い、特にヤパァナの自我の在り方は我々とは全く違うんだ。移植後の腫れぐあいから、リハビリの進みぐあいから、全く違う。君も彼の経過を見れば、自我と免疫が強く関係しているとわかってもら、」…今までの医療が、肥大化した自我を守るために病気になった身体の部分部分を切り落としてきたのだとすれば、移植は他者の一部を受け入れて自分の自我を削ぎ落とすものであるかもしれなかった。(p.152, 154)
Posted by ブクログ
左手の移植をメタファーに、国の併合への苦しみを描いている。国境線のない日本人と常に領土争いに巻き込まれてきた東ヨーロッパの人々の意識の違いを肉体感覚の深い部分で抉ってくる。
最初の意識が朦朧した状態から、徐々に現状が明らかになるストーリー運びもうまい。妻への電話も埋められない喪失感として左手への幻肢痛とともに描かれてて、なんとも言えないもの悲しさを感じた。
読後感は良くないが、戦争や自国が奪われることの理不尽な不気味さを肌で感じることができるすごい作品だと思う。
Posted by ブクログ
«左手の移植»に詰まった著者の平和への願い。島国に住む日本人の国民性や、この世界の現状を«左手»を中心に巡り描いた祈願と受け止めた。受け止めるだけで次への有益な行動に移れぬのがもどかしい。純文学はメッセージ性が強いから弱った現在の身にはキツイけれど、今作は150ページを越えた辺りからのめり込んでしまった。ちょっとしたホラー要素はあるものの移植した左手と会話するファンタジーではない。そこは現実的。とても惹き付ける因子を持った作風。気になるなぁ。
Posted by ブクログ
読んでいる最中から、やばいやばいやばい、と焦燥感が湧きあがった。
「わたしは今、とんでもない本を読んでいる!」
この小説は、喪失と受容の物語だ。
主人公アサト(日本人)は、左手を失い、脳死した人の左手を移植される。
「喪失」も「受容」も、比喩や仮託ではなく、そのものずばり、アサトの失われた左手を示す。それを諦める過程、新しい左手を得たものの、それは激しい拒絶反応を起こす。
そしてこの「左手」は、ウクライナ・ハンガリー・ロシアの「国境線」ときっちり重ね合わせて描かれている。
アサトが最初に失った左手は、80年代・ウクライナが強硬に併呑したハンガリー領土だったクリミアだ。ひじょうに理不尽に、突然に失われた経緯も重ね合わせてある。
アサトは左手が「ない状態」に苦しむ。幻肢痛(ファントムペイン)を起こし、主治医であるゾルタンから心配され、呆れられるほど、「喪失」を受け入れられない。
アサトが長い時間をかけて「受容」した左手のない生活に、新しい左手の移植が決まる。
これは、2014年、クリミア地方をロシアが武力で奪還したことと重ね合わせてある。クリミア人女性・ハンナと結婚したアサトは、妻と一緒に身一つで、まだウクライナ地方である首都キーウへと脱出する。
揺れ動く国境線。今までウクライナのものだった一部がロシアにもぎ取られ、二度と帰れない。が、アサトやハンナの隣人で、元ハンガリー人だった人々は、そのままクリミアに残り、歓喜してロシアを迎える。
この本の感想を、いろいろなアプリで見たとき、「分かりにくかった」「理解できなかった」というものが多かった。
日本人にとっては馴染みのない東欧諸国の歴史がからんでいるせいもあるだろうが、なによりも、物語の時系列が、わざと分かりにくく書かれているからだと思う。
物語そのものは、「現在」=「アサトが新しい左手を得たとき」から始まり、左手を失った経緯とともに、東欧の歴史をさかのぼっていく。
甚大なショックを受けたアサトは、そもそも記憶障害を起こしていて、自分のことさえよく分からない。最初のうちは、左手を移植されたことも理解していない。何人かの人物の名前をつぶやくだけ。
物語の大半は、このアサト目線で進むので、読者は意味不明なまま進むしかない。
しかもアサトには記憶の混乱と妄想があるので、描写が正しいかどうかも判断できない。後半になって、読者だけには、だんだん正解と妄想の見分けがついてくるようになっている。
この物語は「喪失」と「受容」と書いたが、それは背骨に当たるテーマであって、どう読んでもいいと思う。
反戦小説と読むことも正しいだろうし、純粋に医療ものとして読むこともできる。
とにかく医療シーンと戦闘シーンが詳細かつ精確なので、そういう小説が好きな人にも刺さるだろう。
題名が『あなたの燃える左手で』なんだから、アサトとハンナの夫婦の愛の物語としても読める。強烈なインパクトのプロローグは、後半70%くらいまで進まないとまったく意味が分からないが、分かったとき、この2人の夫婦の姿が鮮明に浮き上がってくる。わたしはこの本を読んでいる間、「愛の賛歌」がずっと脳内をリフレインしていて、かなり困った。日本語訳では省略されているけれど、「愛の賛歌」のフランス語の歌詞には「世界がひっくり返っても愛している」という文がある。まさに、国を失い逃げ惑った2人の歌なのだ。
そしてこれは、ひじょうに「中立なナショナリズム小説」でもある。
これほど民族や人種・戦争についてグローバルな目線で、「日本人とはどんな民族か」を問うている小説はあまりない。
主治医ゾルタンは、アサトが失った左手のことを受け入れらないことについて、「日本人(ヤァパン)だから」と見做す。
国境線を見たことがなく、海に囲まれて、自分の生まれた国を失う恐怖を味わったことがない民族だから、と。
また、ハンナは、一度日本に来たとき、「日本って大きいんだね!」と喜ぶ。
ユーロスター(特急)に乗って4時間も経てば、5つの国を超えるのに、世界で最高峰の新幹線に4時間乗ってもまだハカタ、日本なんだ、日本って広い! と。
実際、ほとんどのヨーロッパ諸国よりも、日本の領土のほうが広い。
ゾルタンは、「日本人は自国を小さいと謙遜するフリをして、小さい国だから何の責任も負いたくないと逃げているだけだ。卑屈なふりをして逃げる小心者だ」と非難する。
そう考えるゾルタン自身はドイツ人で、かなり偏狭なナショナリストで、公平な語り手とはいえないのだけれど、ヨーロッパの知識層は、こういう各種民族で形成されているのが普通だ。
著者は、ヨーロッパ社会に留学か、生活していた経験があるのだろうと思った。
つまり、この小説には、読者が引っかかる「フック」が大量にあるのだ。
個々人が好きなように読めばいいし、何かを学んだり得たりするための本でもない。たぶん、著者はそんなことは求めていない、と思う。
とにかく読んでいる間、重くてしんどかったが、それでも読後感はよかった。
誰もが諦めるほど、アサトの新しい左手の拒絶反応は激しく、アサト本人の命まで危ぶまれたため、再度左手を切り離す直前までいく。
が、誰にも理解できないまま、激しい熱は治まり、アサトの左手は突然定着した。
一から十まで自分の予想を超えたアサトを見て、ゾルタンは何かが切り替わる。
アサト本人も、いろいろなものを失いながらも、元の生活に穏やかに戻っていく。
それは、「異物を受容する日本人の在り方」=「戦争・移民を受け入れることになる将来の日本人」への、著者の希望像ではないか、と思えたのだ。
Posted by ブクログ
ハンガリー在住の日本人の内視鏡技師の、
失ってしまった左手。
そして新たに、移植された他人の左手。
ウクライナ、ロシア、ハンガリー、ドイツ、
ポーランド、そして島国の日本。
移植の前後の肉体感覚と、昨今の国際情勢、
特にクリミア併合以降のウクライナ情勢が重なる。
読みごたえありました。
Posted by ブクログ
あなたの燃える左手で
2025.08.10
怒りを恥じること、他人を想って涙を流すこと、それが弱さでなくて美徳とされるあの列島、そして、そこに住む平和で呑気でシャイで、親切にされると恥ずかしそうに礼義正しくお辞儀をする人たち。
この文章によって日本人の在り方を客観視できて、なるほどなと感じた。どこか愛おしいと感じてしまった。このような日本人であり続けたいと思うのは愛国心の表れなのだろうか。
島国である日本とヨーロッパ大陸のちがいを手の拒絶反応で表しているのが印象的。読みながら自分の神経も痛むような感覚を得た。移植をテーマとして国際関係に繋げるのは新鮮だった。
私もアルバイトをしていて外国人観光客の態度や食べ方、マナーについて体の内なるところから、どこか違和感や隔たりを感じることがある。日本にいて、殻にこもっていては気付けないことだと思う。このような違いを乗り越えていかなければ本当の国際協力は難しいのだなと実感させられる。
Posted by ブクログ
意外と難しくて、読み終わるのに時間がかかった
なんの説明もなく過去の話になったり、話し手が変わったり
いつのまにか考え事をしてる時はそんなものが知れない 国語の試験の課題文を読み解くみたいな気持ちで読み進めるのが疲れた
誤診で左手を失った喪失感は直接描写されていないのに、幻肢痛の描写リアル そり、考え事しちゃったり、妄想の世界に入ってしまったりするよなぁ
ロシアに攻め込まれたウクライナ市民の描写、隣国ハンガリーの市民の気持ち、シチュエーションによって言語を使い分けることが要求される生活、日本にいたら分からない
この本に書かれていることが全てじゃないだろうけど、それなりの真実は含まれているんだろうと思う
一回読んだだけじゃ理解しきれない
何度か読み直そう
Posted by ブクログ
あらすじを読んだ際には、別の人の左手を誤診により移植された主人公が、それを乗り越えるような医療系の割とありがちな話かと思った。国境や民族意識、戦争も一つ大きなテーマになっており、その視点と片腕の移植を絡めていて面白かった。
普段何気なく使う体も、全て自分のものだからこそ違和感なく使えることを実感して、ありがたいなと感じた。
「日本人は謙虚に見えて傲慢」という箇所が印象的だった。国境の意識がなくほとんど同じ民族で構成されている国であり、だからこそ身内には親しいが外の人には排他的になりがちである。普段の自分の価値観、認識の仕方を改めていきたいと思った。
Posted by ブクログ
読書備忘録899号。
★★★★。
芥川賞作家朝比奈さんの2023年作品。
サンショウウオ・・・は見かけ上1人の人間でありながら結合双生児という特殊な状況における心の物語でした。
正直、どのように捉えて良いのか難しい作品という印象でした。
この作品はサンショウウオに比べるとテーマが分かりやすい。
①国境を巡る紛争。侵略行為。一方、国境に縛られない民族という括り。
②生体移植。失われた人体機能を取り戻すために行われる生体移植。他人の一部を移植する。
国境という境目。生体移植の境目。この2つは実は同じなんだという物語。
そして、領土侵略、生体移植が成功するかどうかは境目を跨る相互意思に掛かっているというお話。
舞台はハンガリーですが、主人公を日本人という島国であることで国境を持たない民族にすることでエンタメスリーリーに仕上げている。
正直・・・、面白かったです!
★この先はネタバレ感満載の解釈をしてしまっているのでご注意★
物語冒頭。
いきなり、ウクライナ東部ドンバス地方でウクライナ人女性が身体にプラティック爆弾を巻いてロシア軍に対する自爆テロを行うシーンで幕開け!
どうやらこのタイミング、ロシアがクリミアを一方的に併合して、東部ドンバス地方に攻め入っている時。
まだ、ロシアが全面的にウクライナ侵攻を開始する前。
この女性、読み進めると、主人公の日本人男性アサトの恋人で、世界の紛争地で医療に従事にしていたことが分かってくる。
シーンは変わってハンガリーの病院。
患者でありながら、この病院の内視鏡センターの技師であるアサトがベッドにいる。
どうやら、左手首から先を移植した模様。
なぜ、左手を失い移植することになったのかは大した意味も無いので割愛!
移植手術を執刀したのはハンガリー人医師、ドクトル・ゾルタン。
移植手術において権威。
移植した左手に対して、アサドの身体はまだそれを認めていない。
左手は拒絶反応に晒されて、浮腫みがはげしい。
左手に感覚はなく、意思で動かすなんて以ての外。
そんな状況に対して、ゾルタンは左手が受け入れられる・動かせるようになるのはアサド次第だ、という。
ゾルタンは移植と国境紛争を絡めて語る。
ウクライナ西部はもともとハンガリーだったと。それをウクライナに奪われた。今でもウクライナ西部にはハンガリー系住民が住んでおり、権利が侵害されているという。
一方クリミア半島は、ロシア系住民も多く、ロシアによる一方的な併合においてもクリミアには歓迎する声が大きかったと。
アサトは日本という島国に生まれて国境というものを意識したことはなかった。
移植というのは領土と同じだ。
移植部分が大きければ、拒絶反応はあまり問題になることはない。
なぜなら移植部分が大きいと、そこは別のものとして交流するだけだから。すなわち自分の一部にはならない。
手首から先というパーツは小さい。手首はアサトという身体に飲み込まれることを拒む。
しかし、それを実現するのはアサトの心次第だと。
ゾルタンは言う。日本人という島国のアイデンティティを持った人種に、他人の人体パーツを移植するのは合わないのかも知れないと。
一旦順調に思われた移植だが、アサトは再び切り落としてくれと言う。この左手は耐えられないと。
順調に行っているのに切り離すなんてありえないとゾルタン。
そんなとき、突然強度の拒絶反応がアサトを襲う。このままでは左手は腐り、アサトの本体にも影響が出る。必然的に切り離さないと命に係る状況に陥るアサト!
ウクライナに全面侵攻するロシア!
国と国の問題はどうあれ、生体移植してもらったパーツは大切にしましょう!
そうそう。最初に自爆した女性はハンナ。
アサトはその現実を受け入れられずまだハンナは生きていると錯覚する。
その現実を受け入れていく中で、実はこの左手はハンナの左手なのでは?と混乱する。
という感じでハンナエピソードは物語に組み込まれる。
Posted by ブクログ
朝比奈秋さんの初読になります。
もしも自分の左手が他人の左手に移植することになったら。
舞台はハンガリーの病院での移植。
アサトは日本人、移植の手はヨーロッパ人の左手。手の肌の色が違うし、皮膚にあるうっすら生えているうぶ毛はブロンズ。そして右手と左手を見比べると指の長さ、掌の厚みなど部分的に大きさが違う。それだけでも気味悪くなるのに、そんな手術が誤診移植だったようでクラクラしてきます。
今度は移植後の幻肢もなかなか経験出来ない貴重なものでした。馴染んできたり、拒絶反応が出てきたりの繰り返し。
幻肢痛に、もがき続けるアサトの悩みが、経験者じゃないと描けないだろうと思い、ネットで朝比奈秋さんの手はあるのか?と疑って検索してしまうくらい、あまりのリアルさでこっちまで幻覚のような眩暈がおきます。
そんな左手移植をベースにしながら、ヨーロッパの国際情勢がミックス。数年前のハンガリー、ロシア、ウクライナ、クリミアの領土争いの悪化。移植手術のゾルタン医師はアサトの故郷、国境のない日本が羨ましいと言う。
そんな領土争いと移植手術に対する知識や考え方はヨーロッパと島国では、こんなにも違うのかと平和な島国に居るわたしたちも考えさせられます。
地政学的な視点と移植手術をこんなにもスマートにミックス表現しているのも素晴らしいのですが、一番気になっていたウクライナ語にハンガリー訛りのある、アサトの妻ハンナの存在です。
ハンナへ愛する気持ちで左手の幻覚シーンがなんとも生々しかった。
回りくどいところもありましたが、かなりいろんな要素があるので何度も読み返しがしたくなる一冊でした。
Posted by ブクログ
今まで読んだことがないような作品で、楽しめました。(文章は少し苦手でしたが)
日本の国境意識と、外国の国境意識。
日本で生まれ育っているからか、あまり考えたことがなかった話を、左手の移植に準えて考えされられるとは。
今でも色々な場所で国境に肖っていたり、苦しめられていたりすることを知りました。
外国語の訛りを日本訛りで表現しているのにも驚きました。
Posted by ブクログ
ハンガリーの外科医によって、左手を失った日本人患者に他人の手を移植手術する場面を軸に展開される話。
他人の手の移植にあたり、日本人は終始微笑して受け入れているように見えるが、徐々に本人にも耐え難い術後拒否反応が繰り返されることになる。
その反応を比喩として、ハンガリーの外科医は、日本人は健やかに笑っていているように見えても、何も(外国人を)受け入れない国民性に結びつける。
さらに、移植した手と本人の腕の境目を国境に見立て、日本人は四方に他国との国境があるヨーロッパとは異なり、似た者だけで排他的に暮らしながらも、自分たちは心優しい人種と思い込んでいる無知で幼稚な国民との印象を受ける。(移植した手を体が受けつけないことから連想したものと思われる。)
読む人により、かなり賛否が分かれると思いますが、その考えには自分自身にも思い当たる節が所々にあり、痛いところをつかれるような思いでした。
Posted by ブクログ
すごい作品だと思いました。
楽しいかと言われると、楽しくはないけどすごい。
硬質で、ドライで、知的。遠藤周作とか、大江健三郎と似たものを感じました。それってものすごい。雰囲気に圧倒されて、ストーリーがどうこう言いたくならない。
これと『受け手のいない祈り』を読んだら結構違っていた。『受け手のいない祈り』は本作に比べると感情的に思える。作品によって色々変えているのかもしれない(共通しているのはやっぱり医療関係というのと、グロいというかナンセンスというか、ちょっと胸が悪くなるような気持ち悪いシーンが入れてくるということ…)。
デビュー作と芥川賞受賞作も気になる。
Posted by ブクログ
現実の日々のなかの、正しさを強いられ続ける世相。感情を抑えつけ、なだめすかして、間違いのないように制御するために思考し続けることを強いられるような毎日の繰り返しに、本能的な嫌悪感が加速していくわたし個人の心象風景と、主人公アサトの身体反応、健常と障害、国家と国境など、異質や隔絶、分断のその先の景色と、シンクロするような人ごとで済まされない物語を見せてもらった。
Posted by ブクログ
誤診で失った左手に、代わりの別の人間の左手を移植されたところから、ハンガリーの医師とヤパァナ(日本人)の患者の話により物語が進んでいった。話は移植手術のみに終わらず、ヨーロッパの国際情勢や過去のいざこざの話が広がっていき、西洋人の国や国境意識と日本人のそれは、非常に乖離していることを気づかせてくれる作品だった。島国で国境がないことが、いかにお気楽なものであるか。なんとなく面白かったが、かなり難しい、、、。読解力が低くて、もっと国際情勢に詳しければ、面白く感じたんだろうなぁ〜。
Posted by ブクログ
少し自分には難しいと感じた
他人の左手がどんな感覚なのだろうと初めて想像してみた、とても受け入れ難いものであると思う。何をするにも手は使うし、視界にも入る、それが自分ではない人の手なのであれば不快な気持ちが常にまとわりつく感覚になるだろう
当たり前に日本にしか住んだことないから考えたこともなかったが、見えるものすべてが自分の国のものって当たり前がじゃないんだと気付かされた
Posted by ブクログ
作品としては素晴らしいのかと。
短い中に色々な要素が含まれ、文字数少ない割にヘビーな印象。
ただ、戦争と、切り離された手と、その再生手術後のメンタル面や本人、医師描写がグロすぎて少し苦手。
視点とコロコロ変わる主語に翻弄され、またハンガリーやウクライナが舞台なのに、会話が大阪弁風や、京都弁風と個性的…
ハンガリーの医学界に日本他、外国資本が流れるよう授業料があまり高くないような話を聞いたことがある。作者が関係者なのか?ウクライナの侵略に胸を痛めて舞台にしたのか?なぜ東欧なのか?そこら辺を知りたいと思った。
ゾルタンは紙っぺらを一枚差し出した。病理検査結果と書かれた紙の中程に、切断された左手の写真、その横には病理結果:線維性骨異形成と載っていた。
端的にいうとね、肉腫ではなかったのだよ。ただの良性の骨の異常でね、手を切断する必要などなかった。… p.56
つまりは、この移植は失敗かもしれなかった。思えば、常に自我を押しだすことによって保たれる国境線、それを持たない人種にこの移植の適応があるとは到底思えなかった。他人の手が繋がるという意味すら、DNAや民族的な肌で理解できなかったのだ。p.146
Posted by ブクログ
他人の手を移植した人の葛藤の話。
文章に熱が籠もっているようで、読んでいると沸々と伝わってくるものがあった。移植した手と自分の腕の境界の関係を、自国と他国の境界に例えるのが面白かった。
現実と妄想がごっちゃになりよくわからなくなる。
Posted by ブクログ
この本はかなり描写が大人だった。難しくてあんまり覚えてない。
自分の体が自分のものでは無いような感覚になるのは当たり前だし、医療技術が発展すれば近い将来でも有り得るようになるのかなと思う。
Posted by ブクログ
正直言って内容の3分の1ほどしか理解できていないと思う。
そもそも他人の手をそんな簡単に移植できるのもなのだろうか。
それも赤の他人で国すら違う人間のものを。
途中拒絶反応的なものが起きる場面があったが、
あくまでも精神的なものの影響というか、
自分の中での葛藤がありそこに打ち勝つことと
現実を直視することができるようになったことで収まったのか、
妻の死も自分の腕についても受け入れて生きていく。
…という解釈でいいのだろうか。
「日本人は寛容なようで実はとても閉鎖的」というのは
自分自身納得してしまい思わずフッと声がでてしまった。
ここだけは深く同意。
腕を移植されたことと国境のことや内戦のことがごっちゃになっていて
これが理解できないというのはやはり私が島国育ち、
しかも平和な日本人だということが関係しているんだろうなと思った。
Posted by ブクログ
ロシアのクリミア併合、並行してハンガリーによるウクライナ西部の制圧、実際起こり起こり得ることを、日頃からの西ヨーロッパ目線と対比して考えるチャンスとなった。
Posted by ブクログ
左手を切断してまたくっつけた人の話。
他人の手をくっつけるなんて超空想の話のようだが、その描写がめちゃくちゃリアル。
くっついた手(=他人の手)の厚みとか、色とか、指毛まで細かく描かれていて、だからこそその違和感や気持ち悪さが際立っていたような気がする。
個人的にはその気持ち悪さがこの小説のけっこう重要な要素だと思っており、しっかり表現できていて味わい深い小説だなと思った。
他人の手をくっつけて自分のものとして受け入れる(そのプロセスにおいて一定反発が発生するし、場合によっては受け入れられず終わる)という構造が、主人公のアサトだけでなく国と国の関係にまでメタ的に読み解くことができ、すごい視点だなぁと思った。
日本は島国で、日本の人々は他人(他国)を拒む性質を持ち合わせていないという解釈と、日本人である主人公の身体が他人の手を受容する事実を重ねて考えるとか、普通に生きてたら考えつかないよねぇ。
あと、個人的には手をくっつけてくれた医者のゾルタンがこの小説における重要要素だと思った。ナショナリストで医者としてのプライドも高い彼がいることで、人の身体を国と見立てて考える支店が生まれてるし、彼が患者を対等な人間としてみていない様子が、アサトの虚しさや哀れさを強調していると感じた。
一点わからなかったのは、最終的にゾルタンは医者を辞めるのだが、その理由はなんだったのだろうか。アサトの次にやる予定だった接合手術してないからアサトきっかけだと思うが、なんでなんだろう。
いろいろ書いたけど、すごくリアルで面白い本だった。朝比奈さんの他の本も読んでみよう。