あらすじ
ハンガリーの病院で左手の移植手術を受けたアサト。だが麻酔から醒めると、繋がっていたのは見知らぬ白人の手で――。自らの身体を、そして国を奪われることの意味を問う、傑作中篇!
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Posted by ブクログ
「移植」という行為に抵抗を感じてしまうのは、日本人ならではなのでしょうか?
臓器提供意思表示カードには、すべての臓器に◯をつけていますが、提供する側はもう生きていないので、あまり深く考えることはありませんでした。でも、移植される側は、その後も生きていかなければなりません(いゃ、生きるために移植するんですもん、当然です)。内臓なら目には見えませんが、目に見えて常に意識させられる部位の移植は、肉体的だけでなく精神的にも感覚的にも受け入れるのに相当な負荷を乗り越える必要があるのでしょう。とても想像が追いつきませんでした。
国境の争いや人種間の摩擦を、移植になぞらえて描いていくこの物語は、時に吐き気を催すほどでしたが、心の奥深い場所に刺さりました。加えて身体、特に左手にもこれまで感じたことのないザワザワした感覚が残りました。身の回りに様々な国にルーツを持つ人が増え、常識や価値観の違いを意識させられることが増えてきた昨今、痛みを伴っても折り合わなければならないことを覚悟せよと迫られていることを分からせてくれました。
Posted by ブクログ
他人の体と繋がることはどういうことなんだ?
本文にも出てくる、"他人を意のままに動かすことができるのか?"答えはNo。
私が司令塔であり、命令を下す側であり、手を従わせなければならない。
"自分の体"とは、他人を受け入れるということは、自我や受容について、少し医療の倫理的な視点もあって自分と他人の「境界線」についてめちゃくちゃ考えさせられた。
でもまさか、境界線に対して、国境の話が入ってくるとは思いませんでした。国と国の境目の話が出てくるのがとんでもなく説得力がでて、後半泣きながら必死に読んだ。
Posted by ブクログ
日本で生まれ育ったら、感覚的に国境を理解するのは難しい。島国ゆえの呑気さがたしかにあるのかもしれないと気付かされた。
厳しい言葉でありながら日本人の本質を突くドクトル・ゾルタンの考えは、日本という国と日本人を客観視する目線を与えてくれた。自らのことや身の回りのこととなると思考の偏りがどうしてもあるものだ。
他者とのコミュニケーションによって思い込みが取り払われることが往々にしてあると思う。それを、一冊を通してゆっくりと浸透させていくように読者に語りかけてくれるので拒絶反応は起きない。
「移植はな、君らみたいな、切り取ったら終わりの治療とは違うのだよ」ゾルタンのこの台詞には、過去も未来も、国や人の在り方も内包していて思わず唸った。
領土を奪い、また奪われていくことの意味や感覚を、移植手術を通して語るという視点が非常に興味深かった。
アサトの体は他人の左手を受け入れる方向で進んでいる。そこに衝突はあっても苦しみながら受け入れる。その過程と結論が重く響く物語だった。
Posted by ブクログ
朝比奈秋、3冊目。作品としては一番荒削りかもしれないが(構成やテーマ、それに対する回答など)、私は本作が一番好きだ。端正にまとまっていない、言語化しきれていない、繋がりきれていない、かもしれないが、それでも私は最も心を動かされた。
前作2作品は日本での医療を取り扱ったものであり、それはそれで新しい視点を提供されて面白かった。一方で、今回はウクライナ侵攻が起きる中、ウクライナ人を妻にもつハンガリーで働く日本人看護師・アサトを主人公に、誤診により切断された手、その後移植された手を、国境や領土を巡る紛争と同化のプロセスになぞらえると、場所もテーマも大きく転換したというか、拡大した、著者にとっても意欲作なのだと思う。勝手にその意気やよし!と思ったし、こうして実際にウクライナ侵攻が起きている現在に、こういう形でその現実に向き合うこともありうるということをよく示してくれた一作だと思う。
本は一人のウクライナ兵の自決の場面から始まる。なぜこの人は日本のことをここまで詳しく知るんだろうと言ったささやかな疑問や、「隣に座る夫の、透明になった左手を撫でた」という文章などは、その後に続くアサト視点、そして途中から医師ゾルタンの視点の物語を読んでいるうちに忘れていた。全て読み終わった後に、もう一度読み直して、震えた。ああこれはやっぱり紛れもなくハンナだったんだ、と。途中で腹が空洞になった死体を「ハンナ」だという義父とのシーンが入るが、その時点では、アサトに記憶障害が起きていることは、アサトが信頼できない語り手であることはわかっていないので、義父が認知症の症状から言っているだけという言葉を鵜呑みにしていた。
時間軸も、記憶も、うまい具合に胡乱に書かれているので、まさに術後のアサトの混乱状態で読めるのは、うまいなと思った。
それからハンナが大阪弁で喋ったり、リハビリを担当する理学療法士の台湾系フィンランド人の雨桐は"はんなり"と京都弁で(と認識したんですが笑)書かれているのは面白かった。私は他言語を喋るときにスイッチが入って、その言語の自分になり、性格や喋り方も少し変わり、アクセントを日本語に喩えて考えたことがなかった。こういうふうに聞こえる人もいるかもしれない、それは面白いなと純粋に思いました。
身体の境界線を国家の境界線に例えて、手の移植を取り扱ったことについては、アイディアとしては面白いと思った。けどちょっと消化不良、という感じ。
「今、ふと思いついたんだがね。日本が手の移植を行わないのは、日本に国境がないからなんじゃあないかな」
「国境?」
「そうさ。日本は他のどこの国とも繋がってはないだろう?」
…
「妻にも言われたことがあるよ。国境がないというのはどんな感覚なんだと、付き合った当初にかなりしつこく訊かれたっけ」(p.126)
「あのね。免疫とは他者に対する寛容性のことなのだよ。持論になるがね、免疫の寛容性は常に自我の容認性と密接に関連している。人種による自我の違い、特にヤパァナの自我の在り方は我々とは全く違うんだ。移植後の腫れぐあいから、リハビリの進みぐあいから、全く違う。君も彼の経過を見れば、自我と免疫が強く関係しているとわかってもら、」…今までの医療が、肥大化した自我を守るために病気になった身体の部分部分を切り落としてきたのだとすれば、移植は他者の一部を受け入れて自分の自我を削ぎ落とすものであるかもしれなかった。(p.152, 154)
Posted by ブクログ
□ストーリー
「植物少女」を読んだ後に「なんだこの得も云えぬ読味は!?」という感想を持っていて、それがよかったので本作も読んでみることに。
その時には言語化できなかった感情の正体だけど、調べていくうちに腑に落ちたものがあったので記載。
エモーショナルライン(Emotional Line)とは、物語やコンテンツにおける登場人物(キャラクター)の感情の動きや変化を、時系列に沿ってグラフや線で視覚的に表したもので、「感情曲線」とも呼ばれる。
基本的には負の状態(問題を抱えている状態)から始まるのが読者を惹き込みやすいようで、朝比奈秋作品は生命倫理みたいな問題を取り扱っている性質上、
感情曲線が負の状態で淡々と進み続けていて、これがあの読味の正体だという事がわかった。浅瀬なんだけど暗い水の底を泳ぐ感じというか。これがたまらない。
序盤は登場人物が外国人なので、名前が男か女かとか一致させたり、日本の日常にないことや医療用語も出てくるので、ピントを合わせるのにカロリーを使うけど、アサトのヒストリーが始まる所くらいから面白くなっていった。
p57
「端的に言うとね、肉腫ではなかったのだよ。どこをどう間違えたのか、君の手の腫れはただの良性の異常でね、手を切断する必要などなかった(略)」
えぇぇぇー。うそーん。いやいやいや。ちょっと待ってくれ。理由があまりにも惨くてやりきれない。殴りたいけど殴る手がねー。そんな感じだった。
好みとしてはウクライナ戦争の話とリンクさせずに手の話に終始してほしかった。ラストも、もう一度切断するという流れになっていた方が好みだった。
□構成
アサトとゾルダンの視点の入れ替わりが分かりにくかったり、現実か妄想かの境目も分かりにくい。
目次やあとがき等もないので、意図的にそうしているのだろうと理解した。速読しない方がいい。
中盤で冒頭を読み返したくなる伏線のようなシーンがあり良かった。
p116
その女が自爆を選んだのは高潔さからではなく、苛烈な怒りを腹に抱えていたからではないか。そんな考えが浮かんできた。(略)
胴体の欠けた空間からなぜが残り香のように怒りを感じた。
自爆テロはいつも爆弾を胸や太腿ではなく、腹に抱えて行われるのだなと勝手に合点した。
□リアリティ
描写力がすごいので生々しさがある。「先生、左手1回無くされてます?」って聞きたい
p55
切断のショックはもちろんあった。それは前腕の先になにもついてないのを見る時よりも、腕を持ち上げた時に感じた。すかすかの発砲スチロールでも拾ったように腕は軽くて、手を失くしたのだと実感するのだ。
p71
悔しさのまま右手を握りしめても、体の半分の力も籠もらない。(略)
左手がないと悔しがることさえ、うまくできなかった。
□ユーモア・ウィット・シニカル・諧謔・笑った
p73
(ゾルダンに対して)
「手の専門家」だから、手がついていない腕には興味がないのだ。
p91
「指というのはおよそ手の筋肉で曲がっているんじゃあないのだよ。ほとんど前腕の筋肉の作用で、手は閉じるのだ
」
多分この小説あるあるで読みながら左手をグーパーしたり、右手で左腕に爪立てたりした読者は少なくないと思う
□知識・教養・学び
鉱滓(こうさい)、カロチャ刺繍
副子、滲出液、血餅(けっぺい)、バシリカ様式、癒合、乱杭、キリル文字、マイダン革命、シャーカッセン、覆布、クルトシュカラーチ、膿盆
ミラー療法→鏡を使って左手があるように脳に錯覚させる。幻肢痛の療法。
p81
「実際に動いているのは右手だがね、鏡に映って左手が動いているように見えるわけだ。(略)」
「痛みがとれてきた」
脳みその痒い所をぼりぼりと掻けたような解放感に安堵の息をついた。
ひたすら負の感情曲線で進んできて中盤でフワッとプラスに上がる名シーン。嬉しかった。
□脳内再生率(描写)
設定や用語が日常から遠いので、序盤は脳内再生がムズい。
医療の専門用語が多く、意味検索や画像検索しまくってたら、痛覚のリテラシーが上がって
「痛い痛い痛い」となってしまった。
p17
包帯を外し終えると、ドルカは接合部のガーゼを捲ろうとした。しかし、継ぎ目から漏れた滲出液が乾燥して固まり、ガーゼは固く貼りついて取れない。丁寧に周囲から剥がしていくも、中央あたりは強く付着していて血餅のようにこびりついている。
ゾルタンから焦れったそうな短い鼻息が漏れると、ドルカは手に力をこめた。その瞬間、電撃のような痛みが走って、小さな呻き声とともに顔をしかめた。
p174
むーすんで ひーらぁいーて(略
)
歌の歌詞は基本的に脳内再生しづらいイメージなのだが、読み進める音のリズムと歌のリズムがほぼ一緒でフォントも柔らかくなって大きい文字を使っている文体だったので自然に再生された。すごい。
ありありと場面が浮かぶシーンがむちゃくちゃ多い。特にクライマックスは一度移植した左手をもう一度切断したいというシーンだけど、印象的なフレーズだけを抜きだそうと思っても「うーん、よし、全部。」となる。メモするのを忘れて一気読みしてしまった。
□名言・名文
p154
今までの医療が、肥大した自我を守るために病気になった体の部分部分を切り落としてきたのだとすれば、移植は他者の一部を受け入れて自分の自我を削ぎ落とすものであるかもしれなかった。
ベルクソンの「創造的進化」等からも示唆されるように、「自我(意思)」は脳だけで生まれてない。「意識」は脳が生み出しているが、意識の材料と思われる「生命の意思」のようなものは、生命と呼べる最小単位の細胞ですでに宿っていて、それが一定量を超えたときに脳という編集装置を経て意識として発露するんだという仮説を補強する話だと思う。 左手には意識は宿らないが「生命としての意思」は存在するんだろう。
Posted by ブクログ
意外と難しくて、読み終わるのに時間がかかった
なんの説明もなく過去の話になったり、話し手が変わったり
いつのまにか考え事をしてる時はそんなものが知れない 国語の試験の課題文を読み解くみたいな気持ちで読み進めるのが疲れた
誤診で左手を失った喪失感は直接描写されていないのに、幻肢痛の描写リアル そり、考え事しちゃったり、妄想の世界に入ってしまったりするよなぁ
ロシアに攻め込まれたウクライナ市民の描写、隣国ハンガリーの市民の気持ち、シチュエーションによって言語を使い分けることが要求される生活、日本にいたら分からない
この本に書かれていることが全てじゃないだろうけど、それなりの真実は含まれているんだろうと思う
一回読んだだけじゃ理解しきれない
何度か読み直そう
Posted by ブクログ
今まで読んだことがないような作品で、楽しめました。(文章は少し苦手でしたが)
日本の国境意識と、外国の国境意識。
日本で生まれ育っているからか、あまり考えたことがなかった話を、左手の移植に準えて考えされられるとは。
今でも色々な場所で国境に肖っていたり、苦しめられていたりすることを知りました。
外国語の訛りを日本訛りで表現しているのにも驚きました。
Posted by ブクログ
少し自分には難しいと感じた
他人の左手がどんな感覚なのだろうと初めて想像してみた、とても受け入れ難いものであると思う。何をするにも手は使うし、視界にも入る、それが自分ではない人の手なのであれば不快な気持ちが常にまとわりつく感覚になるだろう
当たり前に日本にしか住んだことないから考えたこともなかったが、見えるものすべてが自分の国のものって当たり前がじゃないんだと気付かされた
Posted by ブクログ
正直言って内容の3分の1ほどしか理解できていないと思う。
そもそも他人の手をそんな簡単に移植できるのもなのだろうか。
それも赤の他人で国すら違う人間のものを。
途中拒絶反応的なものが起きる場面があったが、
あくまでも精神的なものの影響というか、
自分の中での葛藤がありそこに打ち勝つことと
現実を直視することができるようになったことで収まったのか、
妻の死も自分の腕についても受け入れて生きていく。
…という解釈でいいのだろうか。
「日本人は寛容なようで実はとても閉鎖的」というのは
自分自身納得してしまい思わずフッと声がでてしまった。
ここだけは深く同意。
腕を移植されたことと国境のことや内戦のことがごっちゃになっていて
これが理解できないというのはやはり私が島国育ち、
しかも平和な日本人だということが関係しているんだろうなと思った。