朝比奈秋のレビュー一覧
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ネタバレ新米研修医が気づいた真実、引きこもり患者を救う精神科医、無差別殺人犯への緊急手術、友人の脳腫瘍に向き合う脳外科医、深夜の出産に奔走する医療チームなど、医師作家9名がそれぞれの知識と経験をもとに描く医療小説アンソロジー。
医療小説としてのドラマ性だけでなく、診療の段取り、医師同士の距離感、病院という組織の空気、患者や家族とのすれ違いが自然に描かれている。医療者が読むと「わかる」と思う場面が多い。
使命感、判断力、患者を助けたい気持ち。
一方で、自己正当化、権威性、論文や業績への欲、組織内の空気の悪さ。
医師という職業を美化しすぎず、かといって冷笑しすぎてもいないところが読みやすい。
精神科、外科、脳外科、産婦人科、内科的な視点など、作品ごとに医療の切り口が違う。1冊で“医療小説の総合病院”のように読める。
特に「闇の論文」と「空中テント」がよかった
「闇の論文」は、医療者なら笑えないリアリティがある。論文、名誉、組織、倫理の境界がじわじわ不穏になる感じが印象的。
「空中テント」は、認知症の家族の介護問題を忠実に再現していると思った。診断がくだったときに「当事者としての自覚をもつように」と言われてもピンときていなかった主人公が、その本当の意味に気づくまでの家庭がリアルだった。
「魚類譚」は少しホラーっぽい不穏な感じ
「研修医ヒナノの洞察」「救いたくない命」「春に綻ぶ」「峠を越えてきた命」ドラマになりそうな感じで好き。 -
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結合双生児で、双子の姉妹の杏と瞬。
瞬は5歳になるまでその存在を知られず、杏に見つけられてから一人の人間として認められた。
脳はそれぞれあるものの、血管をはじめ様々な臓器を、感覚を、思考を共有している2人。
赤ん坊の時、父をその体内で育てていた伯父が亡くなった衝撃で杏に駆け巡る思考、瞬に湧き上がる感覚、自分は何なのか、一体どこからどこまでが自分なのか、死とは何なのか、2人の意識は独立しているのか、どこまでが混然一体なのか。
幼少期を、学生時代を思い出し、それぞれの意識の果てに思い至った答えと、そこから再び始まるいつもの生活。
意識について語るのに、結合双生児を主人公に据え置く発想がすごい。少なくとも私は結合双生児に会ったことがなく、どんな悩みを持っているのかなども想像しがたい。けれど本書に描かれる杏と瞬は、ちょっと不合理でイレギュラーな肉体に生まれた普通の女の子で、2人の特殊と思われる悩みは、本人たちが突き詰めて考えれば考えるほど他の単合体と変わらぬ普遍的なものだった。
陰陽道の印に蠢く白と黒のサンショウウオ。
互いを補い合う完全体。
サンショウウオの四十九日。
それは伯父と父の死に別れのことかもしれないし、絶滅危惧種であり珍しい存在であるサンショウウオのような杏と瞬の、己はサンショウウオのようなものかもしれないという考えとの別れのことなのかもしれない、と思った。 -
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[こんな人におすすめ]
*日本の医療体制の危うさを忘れがちな人
ホラー小説より怖いかもしれません。
何より恐ろしいのは、医療を受ける側には医療現場の危うさが見えにくいこと。ある日突然、自分の住む街の医療が立ち行かなくなり、救急車で運ばれても受け入れ先が見つからない。そんな事態が起こり得るのに解決策がなかなか浮かばないことに怖さを感じます。医療関連のニュースや選挙の公約への注目度が上がります。
[こんな人は次の機会に]
*ハードワーク気味な人
かなりしんどい勤務実態が描かれるため、「自分の職場はここまでブラックじゃない、まだマシか」と危険な勘違いを起こす可能性があります。ご注意ください。 -
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定年後勤めだした仕事が少なからず医療に関係しているので、一つ現役医師の小説家が書いた小説を読んでみようと思い、手始めに新潮文庫にある『夜明けのカルテ』という9人の医師小説家の短編を集めたアンソロジーを読んでみた。収録されていたのは下記の作品である。
牛島志季『研修医ヒナノの洞察』
朝比奈秋『魚類譚』
春日武彦『パイナップルのある光景』
中山裕次郎『救いたくない命』
佐竹アキノリ『春に綻ぶ』
久坂部羊『闇の論文』
遠野九重『言葉が消えるまえに』
南杏子『空中テント』
藤ノ木優『峠を超えてきた命』
それぞれ主人公が外科医だったり産婦人科だったり研究職だったり患者を抱える家族だったり。自分に身近な問題が扱われていたり、医療関係者だからこそ書き込める医療用語が出ていたりすると、読む側としても気が引き締まる。研究職を経験したことのある自分にとっては『闇の論文』に興味を持ったが、一番印象に残ったのは救いたくないのに医者と言う立場ですく若くてはならない『救いたくない命』だった。これを機に、医療小説をまとめて読んでみようと思っている。 -
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なんともいえない読書体験
身体(脳含め)は一つだが、2つの意識がある杏と瞬。
決して二重人格というわけでもなく、2つの意識
ということである。
精神医学的な「二重人格(1つの身体に1つの意識が交代で現れる)」との最大の違いは、「意識が同時に存在し、常に隣り合っているか、交代する(入れ替わる)か」という点らしい。
途中までは、うつ症状に悩む人の脳内はこんなかんじなのかな
とか思いながらの読書だった。(めちゃくちゃ勝手な感想。)
もう一方の神経症的な意識が永遠に議論を脳内で続け、もう一方は強制的に眠るしかないような…
最後はなんだかほんとうに混ざり合いすぎて一読しただけでは理解できなかった。
なんやかんや混ざり合って補い合って新たに生まれ変わったっていうのはどういうことなのか…
あえて理解しようとするならば、全身麻酔から目覚めたような感覚だろうか…違うか
うーん難しかった
しかし、お祖母ちゃんはわからんのに、お父さんはちゃんと杏と瞬がわかっているから、やっぱりすごいわ
えらい
これにつきる
お父さんがいつ何時も間違えず瞬間的にわかってくれているから、意識の死は迎えなくて済んでいる気がする。ブラボー
このわからなさ具合と、扱うテーマ具合(意識と身体性)が芥川賞っぽい
という低レベルな感想でおしまいになるが、おもしろくはあった。 -
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母親が植物状態になってしまった娘の視点から、母親が亡くなるまでの26年間が描かれた小説です。出産の際に植物状態になってしまったため、主人公は一度も母親と会話したことがありません。
父親と祖母が知る生前の母親は、主人公にとって知らない人のようです。
空っぽの母親に主人公は何でも話すことができます。学校の愚痴、父親が別の女性と付き合ってること、祖母と父親が仲が悪いこと…。
主人公が母親を扱うときの乱暴さが結構衝撃なのですが、生まれたときから植物状態の母親を小学生の子どもが人形のように扱うのはしょうがないよなぁ…。
本当につらい状況なのですが、つらいという言葉で簡単に表現できないというか、当事者たちにしか分からない絶望、喜びなど、様々な感情があることが本書を読むと分かります。
母親と体をくっつけて呼吸が重なるとき主人公は温かさと幸福感を感じます。ささやかすぎる母親との交流なのですが、それが貴重な時間なのだということが伝わってきて胸が締め付けられました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ□ストーリー
「植物少女」を読んだ後に「なんだこの得も云えぬ読味は!?」という感想を持っていて、それがよかったので本作も読んでみることに。
その時には言語化できなかった感情の正体だけど、調べていくうちに腑に落ちたものがあったので記載。
エモーショナルライン(Emotional Line)とは、物語やコンテンツにおける登場人物(キャラクター)の感情の動きや変化を、時系列に沿ってグラフや線で視覚的に表したもので、「感情曲線」とも呼ばれる。
基本的には負の状態(問題を抱えている状態)から始まるのが読者を惹き込みやすいようで、朝比奈秋作品は生命倫理みたいな問題を取り扱っている性質上、
感情曲線が負の状態で淡々と進み続けていて、これがあの読味の正体だという事がわかった。浅瀬なんだけど暗い水の底を泳ぐ感じというか。これがたまらない。
序盤は登場人物が外国人なので、名前が男か女かとか一致させたり、日本の日常にないことや医療用語も出てくるので、ピントを合わせるのにカロリーを使うけど、アサトのヒストリーが始まる所くらいから面白くなっていった。
p57
「端的に言うとね、肉腫ではなかったのだよ。どこをどう間違えたのか、君の手の腫れはただの良性の異常でね、手を切断する必要などなかった(略)」
↑えぇぇぇー。うそーん。いやいやいや。ちょっと待ってくれ。理由があまりにも惨くてやりきれない。殴りたいけど殴る手がねー。そんな感じだった。
好みとしてはウクライナ戦争の話とリンクさせずに手の話に終始してほしかった。ラストも、もう一度切断するという流れになっていた方が好みだった。
□構成
アサトとゾルダンの視点の入れ替わりが分かりにくかったり、現実か妄想かの境目も分かりにくい。
目次やあとがき等もないので、意図的にそうしているのだろうと理解した。速読しない方がいい。
中盤で冒頭を読み返したくなる伏線のようなシーンがあり良かった。
p116
その女が自爆を選んだのは高潔さからではなく、苛烈な怒りを腹に抱えていたからではないか。そんな考えが浮かんできた。(略)
胴体の欠けた空間からなぜか残り香のように怒りを感じた。
自爆テロはいつも爆弾を胸や太腿ではなく、腹に抱えて行われるのだなと勝手に合点した。
□リアリティ
描写力がすごいので生々しさがある。「先生、左手1回無くされてます?」って聞きたい
p55
切断のショックはもちろんあった。それは前腕の先になにもついてないのを見る時よりも、腕を持ち上げた時に感じた。すかすかの発砲スチロールでも拾ったように腕は軽くて、手を失くしたのだと実感するのだ。
p71
悔しさのまま右手を握りしめても、体の半分の力も籠もらない。(略)
左手がないと悔しがることさえ、うまくできなかった。
□ユーモア・ウィット・シニカル・諧謔・笑った
p73
(ゾルダンに対して)
「手の専門家」だから、手がついていない腕には興味がないのだ。
p91
「指というのはおよそ手の筋肉で曲がっているんじゃあないのだよ。ほとんど前腕の筋肉の作用で、手は閉じるのだ
」
↑多分この小説あるあるで読みながら左手をグーパーしたり、右手で左腕に爪立てたりした読者は少なくないと思う
□知識・教養・学び
鉱滓(こうさい)、カロチャ刺繍
副子、滲出液、血餅(けっぺい)、バシリカ様式、癒合、乱杭、キリル文字、マイダン革命、シャーカッセン、覆布、クルトシュカラーチ、膿盆
ミラー療法→鏡を使って左手があるように脳に錯覚させる。幻肢痛の療法。
p81
「実際に動いているのは右手だがね、鏡に映って左手が動いているように見えるわけだ。(略)」
「痛みがとれてきた」
脳みその痒い所をぼりぼりと掻けたような解放感に安堵の息をついた。
↑ひたすら負の感情曲線で進んできて中盤でフワッとプラスに上がる名シーン。嬉しかった。
□脳内再生率(描写)
設定や用語が日常から遠いので、序盤は脳内再生がムズい。
医療の専門用語が多く、意味検索や画像検索しまくってたら、痛覚のリテラシーが上がって
「痛い痛い痛い」となってしまった。
p17
包帯を外し終えると、ドルカは接合部のガーゼを捲ろうとした。しかし、継ぎ目から漏れた滲出液が乾燥して固まり、ガーゼは固く貼りついて取れない。丁寧に周囲から剥がしていくも、中央あたりは強く付着していて血餅のようにこびりついている。
ゾルタンから焦れったそうな短い鼻息が漏れると、ドルカは手に力をこめた。その瞬間、電撃のような痛みが走って、小さな呻き声とともに顔をしかめた。
p174
むーすんで ひーらぁいーて(略
)
↑歌の歌詞は基本的に脳内再生しづらいイメージなのだが、読み進める音のリズムと歌のリズムがほぼ一緒でフォントも柔らかくなって大きい文字を使っている文体だったので自然に再生された。すごい。
ありありと場面が浮かぶシーンがむちゃくちゃ多い。特にクライマックスは一度移植した左手をもう一度切断したいというシーンだけど、印象的なフレーズだけを抜きだそうと思っても「うーん、よし、全部。」となる。メモするのを忘れて一気読みしてしまった。
□名言・名文
p154
今までの医療が、肥大した自我を守るために病気になった体の部分部分を切り落としてきたのだとすれば、移植は他者の一部を受け入れて自分の自我を削ぎ落とすものであるかもしれなかった。
↑ベルクソンの「創造的進化」等からも示唆されるように、「自我(意思)」は脳だけで生まれてない。「意識」は脳が生み出しているが、意識の材料と思われる「生命の意思」のようなものは、生命と呼べる最小単位の細胞ですでに宿っていて、それが一定量を超えたときに脳という編集装置を経て意識として発露するんだという仮説を補強する話だと思う。 左手には意識は宿らないが「生命としての意思」は存在するんだろう。
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Posted by ブクログ
第171回芥川賞受賞作です。
技巧的な部分が高く評価されているようですが、私はそういったところは全然分からず…ですが、とても面白く興味深く読みました。
胎児内胎児を父親に持つ結合双生児のお話です。頭も身体も一つを共有するという極めて珍しい結合双生児の杏と瞬の姉妹が主人公です。
意識とは何か、二人で身体を共有するとはどういうことなのか…この辺りの描写がとても面白かったです。一つの身体に意識が二つあるというのは想像もできない不思議な事象に思えるのですが、二人からしてみたら自分の身体を自分だけのものだと考えている私たちこそが、何言ってるの?的に思えるという…。普通とは何かということを考えました。