あらすじ
周りからは一人に見える。でも私のすぐ隣にいるのは別のわたし。不思議なことはなにもない。けれど姉妹は考える、隣のあなたは誰なのか? そして今これを考えているのは誰なのか――三島賞受賞作『植物少女』の衝撃再び。最も注目される作家が医師としての経験と驚異の想像力で人生の普遍を描く、世界が初めて出会う物語。
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結合双生児であり、一つの身体を共有して生きる姉妹。思考や記憶を共有する2人の日常とは。
とにかく引き込まれた。彼女達が実際に存在しているように思えたし、目の前で生きている姿を見せてくれた。
思考や記憶は混じり合う中でも、意識だけは混じらない。どれだけ体を重ねても意識までは一つにならない。意識とは誰のものなのか。意識があって体があるのか。体があって意識があるのか。
そんな答えのない問いを考えさせられる。
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結合双生児の姉妹。胎児内胎児だった父。
肉体の境目、意識の境目は、はっきりしているようであやふやな時もある。
精神や意識は、どこにあって、肉体が消失したらどうなってしまうのか。
考えさせられた。
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「単生児」という表現や、肉体と意識、自己、陰陽魚など、新しい視点をもたらしてくれた作品。自意識はともかく、周囲の受容のしかたにも当然濃淡があって面白い。
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作者が医師というだけあって、不思議と違和感なく読めた。主人公ふたりの思考が入り交じる場面は、やや混乱したけど慣れると興味深く読めた。終盤は思いの外平坦な閉じ方で、少し物足りないかも。
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第171回芥川賞受賞作。
インパクトのある設定だったが、父親と伯父の設定にも驚く。
想像していたモノとは異なり、物語自体は淡々と進む。
私とわたし、主語が入れ替わるごとに姉妹の思考が入れ替わる。
2人の過去の出来事や記憶が思い起こされ、両親は当たり前のように2人を感じ取り、1人がもし亡くなったらどうなるのか……
何となく姉妹の片方は伯父に似、もう片方は父に似ている気も。
意識はすべての臓器から独立しているのかどうかなど、哲学的要素もあり、ただラストは物足りないような、これでいいような、不思議な読後感。
最初のインパクトが大きすぎて、朝比奈秋作品なら、他のものの方が、とも思う。
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第171回(2024年)芥川賞受賞作品。朝比奈秋は史上6人目、男性作家としては初となる純文学新人賞三冠(芥川龍之介賞・野間文芸新人賞『あなたの燃える左手で』・三島由紀夫賞『植物少女』)を達成した。現役、消化器内科医師として働きながら二刀流で執筆。
(帯より)伯父が亡くなった。誕生後の身体の成長が遅く心配された伯父。その身体の中にはもう一人の胎児が育っていた。それが自分たち姉妹の父。体格も性格も正反対の二人だったが、お互いに心を通わせながら生きてきた。その片方が亡くなったという。そこで姉妹は考えた。自分たちの片方が死んだら、もう一方はどうなるのだろう。なにしろ、自分たちは同じ身体を生きているのだから―。
濱岸杏と瞬は結合性双生児の姉妹だが、結合性双生児と聞くと昭和生まれの私にはベトナム人の結合性双生児であったベトチャンドクチャンが思い出される。下半身は結合し、上半身は別の身体を持ち、日本で分離手術をした。その後、兄のベトさんは2007年に亡くなるが、弟のドクさんはその後結婚して双子のお子さんに恵まれる。「サンショウウオの四十九」の元ネタのような話である。
杏と瞬は結合しているが、外見の身体は一人分で同じ身体。杏の自称は漢字で「私」、瞬の自称はひらがなで「わたし」として表現して区別している。意識は左右で異なっているようで、身体は感覚が複雑な感じになっている。この話にあるような結合性双生児が生まれる確率が低過ぎて、存在しているのをメディアなどからも見たことも聞いたこともない。
彼女たちの父親、若彦は「胎児内胎児」として生まれ兄勝彦のおなかの中で12か月もの間仮住まいしていた。母親の中に10か月と合わせて22か月外に出てこなかった。このような話も聞いたことがない。何だか手塚治虫の『ブラックジャック』のようなテイストの話である。
サンショウウオは陰陽図の白と黒のことで、49日は勝彦が亡くなってからの法事のことであった。
『サンショウウオの49日』の中で印象に残ったのは、次の表現。「意識はすべての臓器から独立している。もちろん、脳からも。つまり、意識は思考や感情や本能から独立している。」(p58)「しかし、一つの意識で一つの体を独占している人たちにはそれがわからない。」(p58)
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体はひとつ、だが心はふたつ、という結合双生児の姉妹のお話(?)。
芥川賞受賞作。
それまでの人生と家族との関係、生と意識と死、そしてこれから。
自身の内と外との関係など、混乱してしまいそうにもなったが、なかなかに深く考えさせられた。
胎児内胎児という父親と伯父の関係性、
心と身体の持ち主、死生観などなど。
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第171回芥川賞受賞作
読み始めてすぐに、『 ? 』理解が追いつかなくてもう一度読み返す。結合双生児のお話だと知っていながら、描かれる日常生活は想像を越え理解が追いつかなかった。パターンを理解すると、主人公の考える意識と肉体、生命の相関が頭に入ってくる。主人公の父親の出生のエピソードと主人公の在り方を交えて、意識の存在を考えていく。
最終盤、一人とみられていた主人公の影からもう一人の存在があらわれるときの描写は長すぎると思う。ページが残り少なくなったところで、核心があらわれると思ったらちょっと肩透かしだ。
強烈な個性の主人公なので、芥川賞作品ではなく直木賞作品に仕上げていたら、もっと面白かったやろな。
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肉体、心と思考、そして意識は本当に自分自身のものであると言えるのか。意識は独立していると言えるのか。結合双生児である「二人の」主人公であるからこそ、抱える矛盾、違和感、安心感。陰陽魚の例えを使って、対立しながらも補い合う二者の在り方が表現されている。最後の一文では、杏と瞬の二人が陽中陰や陰中陽を体現し循環する存在になることができたと感じられて、読者の私として温かくも嬉しい気持ちになった。「私の身体や心は本当に私のものだと言えるんだろうか?私の意識は独立していて、全く他の介入を許さないなんて断言できるんだろうか?」単生児として生まれた私自身も自己の存在を疑う問いを与えられた物語だったように感じる。医師として働きながら作家活動を続ける作者の、人間の身体に対する考えや死生観が垣間見られて、作者本人にも興味を持った。
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いや、やっぱ視点がスゴイ。異世界。植物少女に続き、襲撃だった。
2人が1つの体で生きているなか、相手の感情や思考に飲み込まれそうになる圧や、痛みや辛さを相手に押し付けた後の輪郭だけのカンジ、自分の中に何かいると確信した熱感やむず痒さとか…こんな表現、しらない。
杏と瞬、どっちの思考なのか混ぜこぜの描き方も、2人をうまく表現してる。
医学では説明しようのない意識とは、感情や思考とはかけ離れているもの。死は客観的事実であり、肉体が死んでも意識は死なない?では意識が死ぬのはどんな時?
自我とはなにか…哲学的なことを想うのに、おもしろい切り口だと思った。
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幼少期から読書をしてこなかったという著者だか、どうしてこれほどの文章を書けるのだろう。
この本を読んでいると、意識、感情、記憶、肉体がジグソーパズルが崩れるかのようにバラバラになってしまう感覚になる。
最後のほうの、5歳のときに杏が瞬を見つけるときの描写がとにかく凄い。こんな表現あります⁈っていうくらいで、リアルすぎて著者の得体の知れなさを感じてしまう。
最新作「受け手のいない祈り」でも感じたのだけど、2作とも境目の曖昧さというものを感じさせる。
肉体の死とは?意識の死とは?意識と肉体の繋がりとは?などなど、まるで白黒サンショウウオのようにぐるぐると考えてしまう。答えは出ないのだけど。
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直前にたまたま『記憶する体』を、数年前に『わたしの全てのわたしたち』を読んだからか、すんなりと読めた。
どちらも、自分の体であってそうでない。体とは意識と記憶があってこそ自分だけの体たらしめている(自己解釈)
作品はさらに死についても書いたが、結局は魂の話なのかなと感じた。
杏が舜を発見(舜の意識が発現)する最後の件は、小さな体でもう1人の人間の大きなパワーを感じさせる情景(主人公の行動の意味は全く不明だけど笑)で印象に残った。
流れるように視点が変わるのも2人の意識を共有するかのようで興味深い。
芥川賞受賞作は難解で意味わからず突拍子もない作品と偏見があっえ敬遠していたが、結合双生児について予備知識があったからか、この作品は読んでいてとても興味深く面白かった。
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不思議な読後感。
自分の体と、心というか…自我、自分と思っているもの、についていろいろ考えながらよんだ。
途中、2人のどちらが放った言葉なのかわからなくなるのもまた混沌としていて心地よかった。
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身体や精神、生と死。区切りが曖昧であれば、確かにこんな感じなのだろうと思う。
その境界の位置はどこからどこなのか、何が定めるのか、そもそも定める意味があるのか。これまで考えたこともなかったことに思考を巡らせた。
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杉江マライ芥川本から。一度読みたかった作家。このレベルで一心同体だと、もうエンパシーっていう段階を超えて、究極の他者への配慮が必要になるってことだな。自分事として考えると、とてもじゃないけど難しそう。
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同じときに生まれた、それぞれ違う形の双生児のお話。
はじめうまく理解できなくて戸惑い、状況が理解できてからは、その双子たちのことを考えて戸惑いました。
そして訪れる、1人の死。
生命とは何か。
ひとりの人とは何か。
考えさせられる一冊でした。
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最初は普通の姉妹の物語だと思って読み進めていたのに、一人称が「私」と「わたし」で入り混じっていることに気づいた瞬間、一気に物語に引き込まれた。
著者が医者だと知っていたので、少し構えて読み始めたが、医学的な専門知識はほとんど登場せず、医学に明るくない私でもとても読みやすかった。
姉妹や兄弟で性格が違うのは当たり前のことで、例えば「頭は二つで胴体が一つ」の有名な結合双生児たちの例はすんなり受け入れられるのに、「頭からつま先まで一つの頭に一つの胴体を共有している」となると、なぜか途端に特別な設定のように感じてしまう。その自分の感覚が不思議だった。
でも、その違和感こそがこの物語のカギであり、姉妹の性格や思考の差異、周囲の反応を通して「意識とは何か」「肉体とは何か」「人間の本質とは何なのか」を深く考えさせられる、大きなポイントになっている。
ページ数も少ないためテンポよく読め、設定もテーマも明瞭でとても興味深い作品だった。
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3.5/5.0
全く読んだことのない、想像したこともない世界だった。
一つの身体を二人で共有する、という状態を、どんなに懸命に想像してみても今の自分には全く分からなかった。
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読書復帰、一作目となりました。
結合双生児の父と叔父、その子供もまた結合双生児と言う杏と瞬。作品の中で主観も入れ替わり、割と私は戸惑いました。
半身だけだなく精神までも半分、よくある本当のわたしって…ではない。
想像しても私は出来ませんでした。
親族としてもずっと自分の中に別の主人格がいる、それをお互いが認めながら終わりについて考えるところはなんと言うかある意味スリリングに感じました。
読書復帰戦にはかなりハードル高い、難関なタイトルだったような気がしますが興味深く読ませていただきました。
2025年7月20日
Posted by ブクログ
物語というよりは、どちらかというと言葉遊び。
もう一人の私ってどういうことだろうと思っていたけど、なるほど確かに普通に生きていたら思いもしないことでした。
身体を共有する感覚っていうあたらしい視野を教えてもらった気がします。
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初めての読後感。とても不思議な感覚。結合双生児の感覚って考えたこともなかった。でもこの世界には本当に存在していて私には思いもしないような大変な生き方をしているんだろうな。この世界には私の考えなんて及ばないようなことが存在する。この地球に生まれてきた偶然に感謝して明日も生きていこう。なんて、思ってしまった。
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これまで感じたことがないような読後感。
この作品がどうというより、なぜ著者はこの作品を書いたのか、書けたのかのほうが気になる。
自分が当事者でないことで、想像することすらできない領域(というか、安易に想像してわかった気になってはいけない領域)があるような気がするのだけど、私にとって結合双生児とはまさにそこに位置する。
これついては、数年前に市川沙央著のハンチバックを読んだときに強く感じた。障がいを持つ著者が、苦痛や葛藤を当事者にしか分からない言葉で生々しく綴り、「障がいを持たない側の人たちにこの痛みを分からせてたまるか」といったような強い感情を作品の至るところからひしひしと感じた。
この著者は医者ではあるが当事者ではない。専門知識は持っているだろうが、実感を伴う経験値はない。それなのに結合双生児の心のうちについてどうしてここまでの描写ができるのだろう。作家の想像力、おそるべし。
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芥川受賞作。『わたしの全てのわたしたち』のような結合性双生児を題材としたもの。何冊か読んだ朝比奈さん作品ではこちらが一番合わなかった……
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同じ身体を生きる彼女たち、周りから見ると、1人に見える、でも、隣には彼女がいる
彼女たちはお互いを感じ、お互いを意識しあう
読み進めるうちにこんがらがった糸が少しずつ、解けはじめ、やがて真っ直ぐに…
不思議な感覚に…
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気になった文章はざっくりこんな意味のことが書かれていた。
誰の身体も、人の精神とは繋がっていないという話。
それをこの結合双生児の2人が、
他人を見て思うということ。
私にとっては一つの救いになった。
普段受け入れられないでいた
自分が思い通りに行動できないこと(例えば目標を立てたのに守れないとか、本当は明るく親切に振る舞いたいのに、、、とか)を受け止めてあげるきっかけを貰った。
この文に辿り着くまでは、
読んでいて勝手に心配していたのは
瞬と杏は一つの身体を思うように動かせなくて
大変だな、更にはかわいそうだなとさえ思いかけていたけど、
そんな考えは、自分の奢りなんだと目が覚めた。
この間、ラジオで芥川賞の話をしていたとある作家達が「作品はぶっとんでいていいんだ」という言葉が脳裏にチラつく。素人にはわからなすぎますけど、
確かにそれでも良いのかも。
なんというかこの作者さんには
書かずにはいられない理由があったのだろうとは思う。
一方で読者の1人としては、
この2人の話を読んで、改めてこの2人と知り合いになったような、いつでも相談相手になってもらえそうな錯覚を覚えた。
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導入の父と伯父の話からぐっと惹きつけられ、さらに姉妹の話になってさらに深く惹きつけられた。
小説的技巧も素晴らしく、これはとんでもない名作では?と思いながらページをめくりつづけた。
杏の哲学的思考の難解さはいいのだが、似たようなことが繰り返され、さらに気づくと主語が瞬になっていて、と混乱することも。それも狙いなのはわかる。
後半にかけて失速したように思ったが、ラストはとても好きだった。
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特殊な状況の描写を通して、自我や自己への問いや、そもののの輪郭を明らかにしようとしているかもだが、これが文学的なのかな???とはおもいつつ、ちょっと私はついていけなかった。
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夢とも現とも、摩訶不思議な物語に思えた。ちょっと、怖いような感触も。。
主人公は濱岸杏と瞬という結合型双生児。それぞれの半身がピッタリくっついている、外から見れば、少し相貌の変わった1人の人間。しかし、右半身は瞬、左半身は杏と名付けられ、それぞれの意識を持った人間。一体だけど一人ではない。
二人の父親もまた双生児。胎児内胎児というかなり特殊な双子。(そもそもは三つ子だったようだが、3人目は体内で育ちきれず体の一部?だけ兄の中に残っていた)兄勝彦の体内で1年間、弟若彦(こちらが二人の父親)は育った後、手術で取り出された。時間軸でいけば、29歳の杏と瞬が数年ぶりに帰省したところからはじまり、伯父が亡くなり、四十九日の納骨までの物語ということになる。
陰陽図は白と黒で構成されていて、シンボルは白と黒の勾玉が追いかけっこしている配置で陰陽魚という別名もある。魚というより白黒の2匹のサンショウウオにも見える。その図、その相対した姿が、自身の中に弟を宿した伯父さんのことのようで、タイトルがサンショウウオの四十九日なのだ、多分。
人の自意識とは何か?深淵を覗くような気持ちにさせられる小説だ。体と意識の関係とか、いつ誕生して、死を迎えたらどうなるのか、何をもって、ひとりの人間と認知するのか?生死にまつわることとか、意識と肉体の関係とか考えさせられる本だった。
ほかの医師で作家という人の描く世界とはかなり違う世界観に触れた。それはとても貴重で奇妙なものだ、そんな気がした。