島崎藤村のレビュー一覧
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日本人のタブー穢多非人を題材にした小説。
恐らく今の若い人は穢多非人と聞いてもなんのことか分からないのではないか。なぜなら学校で教えていないから。そういう私自身も学校で詳しく習った記憶はなく、地域的にも縁が薄かったため、大人になるまで詳細は知らなかった。
江戸時代の身分制度の名残が令和の現代にまであるなんて思いもよらなかった。
本書は明治期に書かれた小説。
穢多非人へのあらゆる差別は明治政府により廃止されたが、当たり前だが制度として廃止されても人々の差別感情はそう簡単にはなくならない。差別とはそういうもの。
本書の主人公は学校教師で生徒にもよく慕われているが、出自が穢多のために、その人生はくらい影を落とす。
出自をいかに隠して生きていくか、前半はそこに焦点があてられている。後半では隠すことに限界を感じ、なぜ隠さなければならないのかの苦悩が丁寧に描かれている。
最終的に、穢多であることを周囲に打ち明け、アメリカに渡り、人生いちからやり直すという展開で幕を閉じる。
一見ハッピーエンドのように見えて、穢多と知れたらもう日本では真っ当に生きていけないことの表れでもあると感じる。
穢多というのは、そもそも穢れが多いと書く。動物や人の死に関わる仕事の人たちを穢れた仕事を担うことから穢多と呼んだのが始まりだそうな。
江戸時代より前から、そういう人たちはいて、身分としてはっきり線引きしたのが江戸幕府。
これはもちろん、庶民たちの不平不満を幕府に向けさせないための策略のひとつであった。
穢多非人の人たちは、そもそも同じ人間として扱われなかった。しかし、その仕事は死に関わることからも分かるようになくてはならない仕事。
杉田玄白の解体新書には多大な貢献をしたし、太鼓や草履など、当時の人たちの生活必需品を生産していた。
知れば知るほどあまりにも理不尽な差別と感じる。
日本に差別はなかったと未だに言う人がいるが、きちんと歴史を学ぶべきだと思う。
日本人は、自分たちの国の歴史をあまりにも知らなさすぎる。 -
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私は丑松に自己投影をしたのである。それについて誰がなんと言おうと、私は丑松の多くのことに共感した。それは、彼が夜に眠れないことや、ふと自分の運命について考え未来を恐れ過去を希望する一方で、女性についても考えずにはいられないことである。
「去年-一昨年-一昨々年-ああ、未だ世の中をそれほど深く思い知らなかった頃は、噴き出したくなるような、気楽なことばかり考えて、この大祭日を祝っていた。手袋は元のまま、色は褪めたが変わらずにある。それから見ると人の精神の内部光景の移り変わることは。これから将来の自分の生涯はどうなる-誰が知ろう。来年の天長節は-いや、来年のことはおいて、明日のことですらも。こう考えた、丑松の心は幾度か明るくなったり暗くなったりした。」
私にも決して誰にも明かせない、人々への負い目がある。それは、明らかに丑松の抱えるそれと比較して大したものではない。しかし、これは主観的な問題なのである。悩みというのは、悩んだところで到底解決できるものではない。それは物理的に解決されるまで終わることのない罰ゲームのようなものである。だから、悩みに悩んだ後、私はそれが如何に馬鹿馬鹿しいことであるかと自らに言い聞かせるのである。
それによって幾らか気分がマシになることもある。しかし、そういうまやかしは長くは続かないもので、気づけばまた罰ゲームが再開し、終わることのない絶望がやってくるのである。
だからこそ、私はいちいち丑松の想いに心を打たれ深い同情を抱かずにはいられなかったのである。生まれ持った原因のために、幸せになれない自らの運命を呪う丑松。
「これほど深く若い生命を惜しむという気にもならなかったであろう。これほど深く人の世の歓楽を慕いあこがれて、多くの青年が感ずることを二倍にも三倍にもして感ずるような、そんな切なさは知らなかったであろう。」
最近も、私の23という年齢(学年で言えば、24の歳。これもまた、偶然ではあるが私が丑松に強く惹かれた原因の一つであろう)を聞いた周りの大人達はこぞって私の若さを羨み、如何に私が楽しいかを問うた。いや、私はここで彼らを攻めたいわけではない。事実として、若いことは素晴らしいのだし、別の言い方をすれば過去は大抵美しいものである。しかしながら、そんな言葉も今の私には虚しく響く。若さを全うできない自分を呪い、こんな思いを抱かせるくらいならば一層若さなど手放してやりたいとも思うのである。 -
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「青木」として出てくるのが北村透谷をモデルにしていると言われています。この小説で北村透谷を知りました。
この作品の内容の感想はなんとも言いがたいのですが、学生時代に読んでも、社会人になってから読んでも、なかなか理解度が高まりません。でも、なぜか文章は読みやすく最後まで読みきることができます。それだけ、島崎藤村の文章は美しいのだろうと思います。また、タイトル「春」とつけたのが難しく感じます。どうしてこのタイトルなのか。作品からは春は訪れていないように思います。春が訪れるように祈ってなのか、それとも「青春」の青を取ったのか・・・。機会を見つけてもう一度考え直したいと思います。しかしながら、この作品を読むと気持ちが落ち込むというか沈むというかそういう感じになるのが少し難点です。 -
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なんという苦悩だろうか。自分では選べない出自によって、人並みの生活が送れないほどの差別を必然的に受けることになるとは。
主人公は瀬川丑松、24歳、信州で小学校教師をしています。父親から「隠せ」と厳しく戒められてきたとおり、自分が被差別部落出身の穢多であることをひた隠しにしています。
入院していた病院で穢多であることが広まり追い出され、戻された下宿でも「不浄だ」と罵られ追い出される富豪の大日向や、「我は穢多なり」の一文で始まる『懺悔録』を書いた著述家猪子蓮太郎といった人々を目の当たりにし、丑松は〈同じ人間でありながら、自分らばかりそんなに軽蔑される道理がない、という烈しい意気込を持〉ちつつも、友人知人、恋心を抱く相手や、慕ってくる生徒たちのことを思うと、自分が穢多であるとは言えず、苦しみは増すばかり。
信州の長く厳しい冬の描写が、丑松の不安に同調し、読んでいる者の心も鬱々とさせます。しかし、ある出来事をきっかけに丑松が目覚めてからは、なんとまあハッキリしっかりくっきり、冬の朝日のまぶしいこと。
ラストは、そう来ましたか藤村さん、という感じ。瀬川丑松の再スタートとして、新たな人生への旅立ちとして、素晴らしいラストだと思います。ただ個人的には、こうなって欲しかったな、こうなったところを見てみたかったな、という思いもあります。ま、想像と違っていたというか、想像を超えたラストだった、と書いておきましょう。
全体的に文章のリズムが良くて、声に出して読みたくなりました。
読書力養成読書、12冊目。
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ネタバレ書き出しがあまりに有名な、幕末から明治にかけての馬籠宿を舞台にした島崎藤村の小説。なんとなく森鷗外「舞姫」のような文体を想像していたので、意外と読みやすくてビックリした。さて、本作の主人公・青山半蔵は、本陣の当主であり、参覲交代や長州征伐などさまざまなできごとを通して、激動の時代を描き出している。幕末を舞台にした小説ではやれ坂本龍馬だのやれ勝海舟だのといった志士たちがとかく主人公になりがちであるから、フィクションとはいえ、こういう田舎のいち宿場町を通してこの時代を見つめるということが非常に新鮮で興味深かった。また、この時代に順応しようとする一方で、昔から信奉する国学に固執し、時代に抗おうともする半蔵のアンビヴァレントな感じも興味深かった。そして、なんといってもその怒濤の展開。時代が時代であるだけに、淡淡と日常を描くだけでも十分に物語になるはずであるが、やはり文学史上に残り続けているだけあって、それだけでは終わらない。自殺未遂やら発狂やら、後半には昼ドラも真っ青のエピソードが続く。まったく想像もしていなかったのでビックリしたが、そもそもこの内容でこの結末になると予想できる人がいるであろうか。半蔵は藤村の父・正樹がモデルのようだが、藤村本人も姪との関係をめぐって問題になったのは有名な話。半蔵=正樹の晩年の様子を見ていると、「血は争えない」ということがよくわかる。全篇を通してとにかく揺れ動く感情、揺れ動く時代、揺れ動く馬籠が巧みに表現されていて、しかもおもしろさも持ち合わせた、紛うことなき傑作である。
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ネタバレ書き出しがあまりに有名な、幕末から明治にかけての馬籠宿を舞台にした島崎藤村の小説。なんとなく森鷗外「舞姫」のような文体を想像していたので、意外と読みやすくてビックリした。さて、本作の主人公・青山半蔵は、本陣の当主であり、参覲交代や長州征伐などさまざまなできごとを通して、激動の時代を描き出している。幕末を舞台にした小説ではやれ坂本龍馬だのやれ勝海舟だのといった志士たちがとかく主人公になりがちであるから、フィクションとはいえ、こういう田舎のいち宿場町を通してこの時代を見つめるということが非常に新鮮で興味深かった。また、この時代に順応しようとする一方で、昔から信奉する国学に固執し、時代に抗おうともする半蔵のアンビヴァレントな感じも興味深かった。そして、なんといってもその怒濤の展開。時代が時代であるだけに、淡淡と日常を描くだけでも十分に物語になるはずであるが、やはり文学史上に残り続けているだけあって、それだけでは終わらない。自殺未遂やら発狂やら、後半には昼ドラも真っ青のエピソードが続く。まったく想像もしていなかったのでビックリしたが、そもそもこの内容でこの結末になると予想できる人がいるであろうか。半蔵は藤村の父・正樹がモデルのようだが、藤村本人も姪との関係をめぐって問題になったのは有名な話。半蔵=正樹の晩年の様子を見ていると、「血は争えない」ということがよくわかる。全篇を通してとにかく揺れ動く感情、揺れ動く時代、揺れ動く馬籠が巧みに表現されていて、しかもおもしろさも持ち合わせた、紛うことなき傑作である。
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ネタバレ書き出しがあまりに有名な、幕末から明治にかけての馬籠宿を舞台にした島崎藤村の小説。なんとなく森鷗外「舞姫」のような文体を想像していたので、意外と読みやすくてビックリした。さて、本作の主人公・青山半蔵は、本陣の当主であり、参覲交代や長州征伐などさまざまなできごとを通して、激動の時代を描き出している。幕末を舞台にした小説ではやれ坂本龍馬だのやれ勝海舟だのといった志士たちがとかく主人公になりがちであるから、フィクションとはいえ、こういう田舎のいち宿場町を通してこの時代を見つめるということが非常に新鮮で興味深かった。また、この時代に順応しようとする一方で、昔から信奉する国学に固執し、時代に抗おうともする半蔵のアンビヴァレントな感じも興味深かった。そして、なんといってもその怒濤の展開。時代が時代であるだけに、淡淡と日常を描くだけでも十分に物語になるはずであるが、やはり文学史上に残り続けているだけあって、それだけでは終わらない。自殺未遂やら発狂やら、後半には昼ドラも真っ青のエピソードが続く。まったく想像もしていなかったのでビックリしたが、そもそもこの内容でこの結末になると予想できる人がいるであろうか。半蔵は藤村の父・正樹がモデルのようだが、藤村本人も姪との関係をめぐって問題になったのは有名な話。半蔵=正樹の晩年の様子を見ていると、「血は争えない」ということがよくわかる。全篇を通してとにかく揺れ動く感情、揺れ動く時代、揺れ動く馬籠が巧みに表現されていて、しかもおもしろさも持ち合わせた、紛うことなき傑作である。
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ネタバレ書き出しがあまりに有名な、幕末から明治にかけての馬籠宿を舞台にした島崎藤村の小説。なんとなく森鷗外「舞姫」のような文体を想像していたので、意外と読みやすくてビックリした。さて、本作の主人公・青山半蔵は、本陣の当主であり、参覲交代や長州征伐などさまざまなできごとを通して、激動の時代を描き出している。幕末を舞台にした小説ではやれ坂本龍馬だのやれ勝海舟だのといった志士たちがとかく主人公になりがちであるから、フィクションとはいえ、こういう田舎のいち宿場町を通してこの時代を見つめるということが非常に新鮮で興味深かった。また、この時代に順応しようとする一方で、昔から信奉する国学に固執し、時代に抗おうともする半蔵のアンビヴァレントな感じも興味深かった。そして、なんといってもその怒濤の展開。時代が時代であるだけに、淡淡と日常を描くだけでも十分に物語になるはずであるが、やはり文学史上に残り続けているだけあって、それだけでは終わらない。自殺未遂やら発狂やら、後半には昼ドラも真っ青のエピソードが続く。まったく想像もしていなかったのでビックリしたが、そもそもこの内容でこの結末になると予想できる人がいるであろうか。半蔵は藤村の父・正樹がモデルのようだが、藤村本人も姪との関係をめぐって問題になったのは有名な話。半蔵=正樹の晩年の様子を見ていると、「血は争えない」ということがよくわかる。全篇を通してとにかく揺れ動く感情、揺れ動く時代、揺れ動く馬籠が巧みに表現されていて、しかもおもしろさも持ち合わせた、紛うことなき傑作である。
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Posted by ブクログ
幕府の大政奉還後、一気に時代は加速していく。明治政府の誕生や京都東京への遷都。長かった青山半蔵の物語もようやく大きな転換期を迎えることで、ページをめくる手は止まらなくなっていく。半蔵はひたすら人民のためを思い、改革への熱情を募らせて奔走するものの、彼の期待とは裏腹に地元の人間は冷ややかな態度ばかり取り続ける。しかし平田門人として半蔵は希望を捨てようとしない。恐ろしいほど変化していく時代の中で、彼は自らの信念を貫こうとするが…下巻へと物語は続くが、起こりうる悲劇を予感させながら上巻は終わる。
ようやく、ドラマがドラマらしくなって、読み応えもぐっと増え始めてきた。最終巻である下巻に期待。