島崎藤村のレビュー一覧
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『破戒』という聴き慣れない言葉に興味が湧いて読んでみたくなった。
イラストの質としてはクセが強めなので、中には受け付けないという人もいるだろうと思う。そんな理由で今回の『破戒』は万人向けにはおすすめしない。
しかし、このイラストだからこそ表現できている部分があると感じてもいる。
なぜなら、原著の古典文学作品はその多くが、非常にリアリティを持って描かれている気がするからだ。
だから、人間のおぞましさや浅はかさ、汚らしさなどをうまく表現してこそ再現性が高いといえる。
その点でこのイラストは最適だと思う。
人間の怖さ、弱さ、儚さ、汚らしさが見事に描かれていて感情を揺さぶってくる。
『破戒』については自分なりに答えを出せた。これは武道でよく使われる『守破離』をよく表現したものだと解釈した。
ただ言われた戒律を守ることを破り、そして離れていく。その先に、覚悟という言葉の裏に隠れた自由がある。
ボクらは、大人になって何年と経つが、本当に大人だと言えるだろうか?
未だ『守破離』の『守』にいるだけの、大人のフリした大人が現代の日本にも少なくない気がした。 -
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破戒
(和書)2009年02月12日 21:00
2002 岩波書店 島崎 藤村
以前から読もうと思っていて、でもなんだか怖く難解な本ではないかと思いながらなかなか読まずにいました。思っていたより読み易く内容的にも怖い話ではなかった。
「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅おうと決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒め忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え。」
この戒めを破ることを「破戒」といっている。主人公、丑松が破戒を決意し実践する場面では読んでいて目に涙を浮かべてしまいました。
ただ文学としてそれが思想・世界思想・文学として成立するには宗教の批判(マルクス)というものが必要になると思うのでこの階級闘争には普遍性があるのだろうと思う。大西巨人の作品にもこれらを扱った作品があったしこの作品に触れたものもあったと記憶している。なかなか読まずにいたので読み終わってすっきりしました。 -
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英語でniggerという言葉を読んでも、その言葉の持つインパクトは伝わってこないが、日本語では普通使われることない差別的な蔑称が堂々と出てくると、さすがにたじろいでしまう。アメリカ人がトムソーヤーとかハックルベリーフィンとか読むときに感じる、その中で使われている用語に対する抵抗感というのは、こんな感じなのかもしれない。
日本の自然主義文学の先陣を切った作品として、この作品が日本文学史に占める位置は高く、誰でもその名前は知っている。
知っているけれども、テーマが重たいので、これまで敬遠してきた。
読んでみると、それほど難しい話ではなく、最初は単語にとまどうけれども、そんなに抵抗感なくすらすら読める。
タイトルが戒めを破るという意味であるというのも、読んでみて初めて知った(なんとなく破壊だと思っていたた)。
ただし、その限界は明確である。
被差別部落出身の主人公を描く作家の姿勢は、差別がおかしいという批判はしていても中途半端で、しかたがないのだと半分以上肯定しているようにしかとれない。だからこそ最後の教室のシーンで、丑松が生徒に跪いて詫びるのだが、いくらなんでもあんまりだ。水平社宣言が出るのが1922年、それからわずか15年しか経ておらず、時代的な思想上の制約はあるとしても、その感覚は批判を免れない。
島崎藤村は才能あふれる文学者であることは間違いないが、こうした題材をとりあげて、あえてこのような展開にしてしまうというのは、どこか欠落を感じさせる。われわれは作家に道徳家を求めているわけではなく、トルストイやドストエフスキーといった人々も別に人格者でもなんでもなく、個人生活ではかなり悪辣なところもあったはずだが、こと作品世界においては、人間の尊厳に対する感覚は信頼できる。そこのところが少し、いやずいぶん違うと思う。 -
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いまでは 藤村の本を読むひとは少ないと思う
文学の研究者か文学専攻の学生か?わたしみたいなオールド文学少女かが読む
むかし教科書に載っていた『千曲川のスケッチ』や詩に魅せられ
たとえばこれ
初戀
まだあげ初そめし前髮まへがみの
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛はなぐしの
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅うすくれなゐの秋の實みに
人こひ初そめしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髮の毛にかゝるとき
たのしき戀の盃さかづきを
君が情なさけに酌みしかな
林檎畑の樹この下したに
おのづからなる細道ほそみちは
誰たが踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそうれしけれ(青空文庫より)
すてきとおもう
そして『破壊』『桜の実の熟する時』と読み進み わたしは『新生』を読んででしまったのだった
『新生』…ご存知だろうか なんという内容だこと!
「おじ」が「めい」をあろうことか妊娠させてしまった
それなのに逃げ出して 悩んだ末が「新生」とは
重苦しくって汚くて、乙女のわたしには受け入れられなかった
しかも私小説でもあるのである
それ以後藤村の小説を封印!
しかし半世紀たってまあなんとなくこの本を手にいれ読んだ
『春』
ストーリーは自伝的、明治20年代の文学青年の悩みと教え子に恋し、許婚ある教え子故失恋する、その痛みを冷静描いたもので文章も現代に通じるうまさだし、時代背景(明治の東京の街など)も臨場感あり、今となっては希少価値があると思う
おこがましいがやはり日本文学の源流なる才能だと思う
が、ここでも教え子と恋愛!
ま、身を引くというか、我慢するので苦しむのだけれども
というか いつも(若いときから)無理な恋をするしょうがないお人なのだのだな
『春』は『破壊』の次に書かれた作品で、次に『家』があり『桜の実…』はその後で そして『新生』が書かれた
『新生』は中年やもめになったのが主人公 だから順番に読めばよかったのかもしれない
わたしの読む順序がまちがっていたのか 早すぎたのか
あるいはわたしの甲羅が厚くなったか(笑)毛嫌いしていて損をしたのかもしれない
といまさらながら理解した次第
『家』も『夜明け前』も読みたいと思っているし、時間があれば『新生』も再読したい
きっと感想が異なってくるのだろうと思う
まったく読書って 読む時、年齢、体調、嗜好、経験で違ってくるから不思議おもしろい -
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全然日本文学を読んでこなかったことに反省し、様々な日本の文豪の作品を読んでみよう!運動を自分の中でしています。
これは記念すべき2作目で、藤村さんは『破戒』のイメージしかなかったのですが、タイトルにうんと惹かれてしまい手に取ってみました( ´ー`)今桜がとてもきれい~
途中まで何と綺麗な自然描写、そしてたまに見える鬱屈とした主人公の心情..に感動して、一日一章ずつぐらいちょびちょび読み進めていったけど、途中から「うん、うん、うん..うん..!?」と、藤村さんの文体に着いていけなくなってしまい、何度読み返してもあまり頭に入らなくなってしまいました。最後まで雑な読みになってしまったのが何とも悔しいですが、もう一度挑戦するエネルギーが今は残っていないので、またいつか..。もう少し時代背景分かったらいいのかな~、あとちょいちょい出てくる英国詩人気になった! -
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ネタバレ被差別部落を出自に持つ瀬川丑松は、「たとえいかなる目を見ようと、決してそれは打ち明けるな」「隠せ」という父の戒を守り、師範校を卒業し小学教員となったが、同じく被差別部落出身の思想家猪子蓮太郎との出会い、厳格だった父の死、同僚の猜疑などから、ついに戒を破るという話。
被差別部落、いわゆる穢多非人を題材とした話ですが、単純な「差別はいけない」という内容ではないです。
社会問題を題材としていますが、作中にそのアンサーはなく、丑松はラストで自身が卑しい穢多であることを詫び、教師を辞職します。
私自身出身が大阪のミナミ出身なため部落は大変身近な存在だったのですが、本作中の部落の人々の振舞には違和感を覚えました。
それもそのはずで、調べたところ本作中の穢多は、仏教や神道を信奉してきた日本において忌み嫌われてきた鳥獣の血肉に携わる仕事、革製品であったり屠殺であったりを古くから生業としてきた人々で、限定された技術から保護されていた時代もあったが、いつの頃からか差別を受けてきたそうで、私の知る部落とは微妙にポジションが異なる様子です。
もっとアウトローな話かと思ったのですが、そういうわけではなく、出自による謂れのない差別を受けている部落民の話でした。
ただ、主人公は被差別部落の出身ですが、学問を立て、身分を隠しながらも教師という職について月給をいただいている身のため、作中に差別を受けながら生きる姿は無く、ただ戒を守りひた隠しに隠す話となっています。
本作は日本の自然主義文学の走りというべき作品です。
ある状況下に主人公を行動させてみてそれを写実する。自然科学的な考えから人間の思想が普遍的であるという証明を本作によって成そうとしたのですが、本作においては実はそれは失敗だったというのが、巻末解説の野間宏の言葉。
本作が自然主義文学としてどうかという部分はさておき、本書の結末については人間のリアリティーを追求した結果として相違ないと私は思います。要するに、「人間は本質的に、周りが皆差別すると差別が当然と考える」と。
不勉強ながらゾラもルソーも読んだことがないのですが、私的には自然主義文学としては本作のラストはまさに理にかなっているのではないかと思いました。
文語体ではなくため、大変読みやすかったです。
散々文語体を読んでいたので、言論一致体がこれほど読みやすいとはと感動しました。
有名な作品なので、改版していくうちに修正が行われた結果ということもあるのでしょうが、今まで格闘してきた文語体の作品に比べると読みやすさは段違いでした。
中学生くらいでも十分に読める内容だと思います。
また、とても面白かったです。結構、長い作品なのですが、あっという間に読んでしまいました。
単純に面白い小説が読みたいという人にもおすすめです。 -
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重厚で、漢字も多く、かなりの長編ということもあって、なかなか読む気が起こらなかったが、読み始めてみると、スラスラ読むことができた。
題材の面白さや、落ち着いた文章――派手さを抑え、実質のある過不足ない文書で、長編にぴったり――のおかげもあるが、なによりも、文の中に込められたリズムが良いからだと思う。
島崎藤村は詩人から出発した人だから、当然である。
長編のどこを取ってきてもいいのだが、たとえば、
隆盛は寡言の人である。彼は利秋のように言い争わなかった。しかしもともと彼の武人気質は戊申当時の京都において慶喜の処分問題等につき勤王諸藩の代表者の間に激しい意見の衝突を見た時にも、剣あるのみの英断に出、徳川氏に対する最後の解決をそこに求めて行った人である。その彼は容易ならぬ周囲の形勢を見、部下の要求の制えがたいことを知り、後には自ら進んで遣韓大使ともなり朝鮮問題の解決者たることを志すようになった。岩倉大使一行の帰朝、征韓論の破裂、政府の分裂、西郷以下多くの薩人の帰国、参議副島、後藤、板垣、江藤等の辞表奉呈はその結果であった。上書して頗る政府を威嚇するの意を含めたものもある。旗勢をさかんにし風靡するの徒が辞表を奉呈するものは続きに続いた。近衛兵は殆ど瓦解し、三藩の兵のうちで動かないものは長州兵のみであった。(p123)
または、
つつましくはあるが、しかし楽しい山家風な食事のうちに日は暮れて行った。街道筋に近く住む頃ともちがい、本家の方ではまだ宵の口の時刻に、隠宅の周囲はまことにひっそりとしたものだ。谷の深さを思わせるようなものが、ここには数知れずある。どうかすると里の近くに来て啼く狐の声もする。食後に、半蔵は二階へも登らずに、燈火のかげで夜業を始めたお民を相手に書見なぞしていたが、ふと夜の空気を通して伝わってくる遠い人声を聞きつけて、両方の耳に手をあてがった。
「あ――誰か俺を呼ぶような声がする」
と彼はお民に言ったが、妻には聞こえないというものも彼には聞こえる。彼はまた耳を澄ましながら、じっとその夜の声に聞き入った。(p344-345)
いずれも実に自然で、すっと入ってくる。
こういう文章を名文というのだと思う。 -
Posted by ブクログ
「夜明け前」は、黒船が到来した幕末から明治維新まで、木曾路の庄屋兼宿の主を主人公として、時代の移り変わりを描いた歴史作品である。
江戸と京都の中間に位置する木曾を舞台にした時点で、勝負は決まったようなものだ。
江戸から京都へ、京都から江戸へ、そこを訪れる武士たちの様子によって、激しい時代の変遷をうかがい知ることができる。
見事な着想だが、しかもそれが島崎藤村の父がモデルだとは。
作者がこの文学史に残る大作を書くことは、運命だったかのように思える。
この巻では、水戸の天狗党事件を中心に、大政奉還までを描く。
最初の巻では、淡々とした物語という印象だったが、戦闘シーンもあってかなりドラマチックな展開。
一気に読ませる。
天狗党のことは、これまでほとんど知らなかった。
水戸の人々にとって、幕末と明治維新とは、裏に痛切な事件を秘めた勃興と没落の時代だったようだ。
尊王攘夷の中心として、また討幕運動の中心として、一貫して時代を動かす人々を送り出し続けるが、この事件で人材が尽き果ててしまい、明治政府には一人の高官も送ることができなかったという。