島崎藤村のレビュー一覧
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ネタバレ被差別部落を出自に持つ瀬川丑松は、「たとえいかなる目を見ようと、決してそれは打ち明けるな」「隠せ」という父の戒を守り、師範校を卒業し小学教員となったが、同じく被差別部落出身の思想家猪子蓮太郎との出会い、厳格だった父の死、同僚の猜疑などから、ついに戒を破るという話。
被差別部落、いわゆる穢多非人を題材とした話ですが、単純な「差別はいけない」という内容ではないです。
社会問題を題材としていますが、作中にそのアンサーはなく、丑松はラストで自身が卑しい穢多であることを詫び、教師を辞職します。
私自身出身が大阪のミナミ出身なため部落は大変身近な存在だったのですが、本作中の部落の人々の振舞には違和感を覚 -
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重厚で、漢字も多く、かなりの長編ということもあって、なかなか読む気が起こらなかったが、読み始めてみると、スラスラ読むことができた。
題材の面白さや、落ち着いた文章――派手さを抑え、実質のある過不足ない文書で、長編にぴったり――のおかげもあるが、なによりも、文の中に込められたリズムが良いからだと思う。
島崎藤村は詩人から出発した人だから、当然である。
長編のどこを取ってきてもいいのだが、たとえば、
隆盛は寡言の人である。彼は利秋のように言い争わなかった。しかしもともと彼の武人気質は戊申当時の京都において慶喜の処分問題等につき勤王諸藩の代表者の間に激しい意見の衝突を見た時にも、剣あるのみ -
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「夜明け前」は、黒船が到来した幕末から明治維新まで、木曾路の庄屋兼宿の主を主人公として、時代の移り変わりを描いた歴史作品である。
江戸と京都の中間に位置する木曾を舞台にした時点で、勝負は決まったようなものだ。
江戸から京都へ、京都から江戸へ、そこを訪れる武士たちの様子によって、激しい時代の変遷をうかがい知ることができる。
見事な着想だが、しかもそれが島崎藤村の父がモデルだとは。
作者がこの文学史に残る大作を書くことは、運命だったかのように思える。
この巻では、水戸の天狗党事件を中心に、大政奉還までを描く。
最初の巻では、淡々とした物語という印象だったが、戦闘シーンもあってかなりドラマチッ -
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旧字で書かれた古い文庫版で読みました。文章の美しさはさすが。内容も思ったよりずっと読みやすく、好きな西洋文学を読んでいる感覚でした。終盤の展開は、私はもっと悪い事態を予想していたので、救いのある展開にいくらか安堵しました。とはいえ、悲惨な話であることにかわりはありませんが…。
この作品には、「差別の問題を取り上げているようでいて実は藤村自身の内面を描いているに過ぎない」という批判がある、という解説を読みましたが、「夜明け前」にも似たような批判があったような…。こうした批判の当否はともかく、社会の抱えた闇に切り込んでいこうとする藤村の姿勢には好感が持てました。
差別の問題って根が深いですね。 -
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『夜明け前』に一番最初にとりかかったのは高校生のときでした。その後も何度か読みはじめては途中で投げ出してしまっていたので、今回は少し構えて読み始めたところ、それなりに時間はかかりましたが、たいした抵抗もなく最後まで読めました。なぜ昔は読み通せなかったんだろうと不思議になったくらい。若い頃とは本の読み方も変わってきているのでしょうか。
有名な作品ですが、あらすじを振り返るために、新潮文庫のカバーにある売り文句を引用します。
第一部(上)
山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田 -
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藤村が「詩から散文へ」と、自らの文学スタイルを変えるきっかけとなったエッセイ。
千曲川流域の自然、四季、人々の生活を、スケッチするよう巧みに描写しているため、もし存在するのであれば「写生文」というカテゴリに落ち着く作品である(題名はこれに由来する)。
雪深い長野の原風景と、私が生まれ育った新潟の田舎風景は、そのノスタルジーを共有しているのではと、強く感じる。また私は月に一度、長野県は野辺山にそびえる八ヶ岳で土壌調査を行っているため、八ヶ岳に関する描写には大変共感した。
「すこし裾の見えた八ヶ岳が次第に山骨を顕して来て、終いに紅色の光を帯びた巓(いただき)まで見られる頃は、影が山から山へさして -
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ようやく読み終わりました。 さすがに大作でした。 始めての自然主義で、たっぷり味わいました。 ご馳走様! これは藤村さまの自伝に近いものですね。 二十歳時代な意気張り、惑って渋い日々を続いた歳月の嘆きを、四十代になって初めて落ち着いてゆっくりと語ることになりました。 その語りべは自身ともかく、その敬愛早世な先輩、美しく散っていく恋華、そして異なる旅で平行になった友、自然の流れて生き生きとして読者の目前に再現しました。 殊に青木と名付けた北村透谷氏のことに、どうしても憧れていられなくなりました。 その凛々たる意地、溢れてある才気、そしてとうとう現世に馴染む事をどこまでも拒んで萎れてゆく姿に、思わ
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部落差別を受ける青年の葛藤を描いた話題作です。
読み始めるときには、私にとって久しぶりの文学作品だわ、近代小説だわ、と今の時代との差異を味わうのを楽しみに読み始めたのですが、読み進めていくうちに、(この本が書かれた時代には、これはものすごく先鋭的なススンダ小説だったのだなぁ)とその新しさに感じることとなりました。
「〜〜なので。」という文末表現が、どことなく「北の国から」を連想させたりして、とてもとても100年前の作品と思えませんでした。
そして案外、さわやかな読後感なのも好感が持てるなぁ。今まで読まないで来てしまって損をしていたかも。読む機会が得られてよかった。