【感想・ネタバレ】破戒のレビュー

あらすじ

新しい思想を持ち、新しい人間主義の教育によって、不合理な社会を変えて行こうとする被差別部落出身の小学校教師瀬川丑松は、ついに父の戒めを破って公衆の前で自らの出自を告白する。周囲の因習と戦う丑松の烈しい苦悩を通して、藤村(1872-1943)は、四民平等は名目だけの明治文明に鋭く迫る。1906年刊。(解説=野間宏)

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Posted by ブクログ

実は読んだことがなかった作品。

主人公が先輩と仰ぐ人が高柳に対していう言葉に「あれ?」と思い「なんでテキサスに行くわけ!?」と思ったのだが、解説によるとなるほどそこが本作品の弱点であるのだと。

とはいえ、「真に近代日本文学史上最高の記念碑」、その通りだと思う。

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2023年09月11日

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ネタバレ

勝野君なぞは開化した高尚な人間で、猪子先生の方は野蛮な下等な人種だと言うのだね。は丶丶丶丶。僕は今まで、君もあの先生も、同じ人間だとばかり思っていた。

丑松のこのセリフ。ダイレクトで強烈なメッセージだ。生い立ち、身分、性別、老若、貧富、障害の有無。
全ての差別(差別意識)が馬鹿らしく思えて来る。
人としての根幹を問われた気がした。
そして、この差別社会の中で、ひたすら周囲に出生を隠し、自身までをも欺き通す苦悩。
丑松自身、清廉であるが故にこの苦しみは耐え難かっただろう。終盤、彼のこぼした涙が胸を抉る様だった。

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2023年07月01日

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"部落差別について、その不条理、心情、世間の風、などを知ることのできる小説。文学。
生まれた場所で、村で差別をしていたこと。脈々と紡いだ歴史の中でそれが積み重ねられ、明治、大正、昭和にかけても名残があったことを知る。"

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2018年10月28日

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ネタバレ

ただただ「根が深い」という感覚を覚えた。
同和問題は西日本で主に語られる、という印象でいたが、舞台は長野である。

主人公の瀬川丑松が段々と追い詰められる様は読み応えがあった。「川の向こう・・・」という表現が、本当に出てきた表現であり、戦後であれそれは存在した表現であるそうだ。
そして、彼が独白するシーンの後、生徒が校長室に直談判をしにいく、その様も感動的であった。

最終的に彼は厄介払いのように扱われてしまう。

同和問題は今にも尾を引く問題である。大阪符豊中市の森友学園の場所は、関西では公然の秘密のように語られる場所であるそうだ。今後どうなっていくのか。問いかけられている気がした。

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2018年04月16日

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穢多非人に対する日本内での人種差別の物語。日本には人種差別はもはや存在しないと考えたが、滅相もない。空気読むなど、周りの反応に合わせる日本人は実際見た目、内面が異なる人間を精神的に迫害することが今でも行われてるじゃないか!とハッと気付かされた。

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2015年01月12日

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島崎藤村の『破戒』は明治39年(1906)刊行。

士農工商の封建社会の身分制度が、「解放令」(1871)によって崩壊するかに見えた時代に書かれた作品で、自然主義文学の先駆と呼ばれる。しかし、この法令によってそれまでの身分社会が急速に変わることはなく、主人公の丑松をはじめとした苦しむ人々が登場する。結局、人の中に刷り込まれた差別意識は簡単に変わらない。
自信が穢多であることを床に顔をつけて告白する丑松。彼が穢多であることと、彼自身の人物性との間に穢多であることがどう関係するというのか。事実、彼は学校では生徒から絶大な人望を寄せられている。銀之助、お志保など、彼の素性を知ってなお彼を支えようとする素晴らしい仲間に恵まれている。どこの生まれであるか、それだけで人物評価を下す、あまりに残酷な世の中にはぞっとさせられる。
今日の社会はグローバル化を迎えた。どこの国の出身か、そのようなことで人を区別し判断する社会であっては、本当の自由で平等は社会の発展は望めない。

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2014年06月28日

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ネタバレ

士農工商穢多非人.
明治以降に定められた身分制度に焦点を当てた,
文学界ではあまり類を見ない作品.

初めに感じたのが,文章の平易さと読みやすさである.改訂版で
あるから,多くの歴史的仮名づかいが現代仮名づかいへと変更
されていることは容易に想像できる.それが原因かは定かではないが,
同時期に発表された漱石の作品と比べるとはるかに理解しやすい.
また,共に自然主義を確立させた花袋よりも好印象を持った.
急に波風が立つことはなく,ストーリーは緩やかに進む.
自然主義たる威厳を十二分に示している.ここで,先に述べた
文章の平易さが潤滑油となり,理解の困難から来る退屈を決して
味わうことはない.

差別に塗れた世間で穢多はいかに生きていけばよいのかという
指南書的役割や,差別にどう向き合うべきかという問題に対する
根本的解決を,本書は一切果たしていない.しかし,身分制度
から来る差別を初めて取り上げた業績は,多いに賛称されるべき
であると考える.

約100年経った今でも,本書で起きた出来事が日本のどこかで
起きている.仮に,部落問題が解決する日が近い将来来たとして
も,一般的普遍性を備えた問題を文学という形で提起した本書を,
私達は未来永劫読み継ぐべきである.

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2012年02月23日

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何度読んでも良い!といってもまだ3度目程度だが…。
現代とは比較にならないくらい根強い差別の中で出生を隠して暮らしてきた丑松。その苦悩と彼の誠実さにどんどん惹き込こまれていく。こんなにも理不尽な世の中で、銀之助や志保、そして生徒の小さな救いに思わず涙が出てくる。
とても素晴らしい作品です。

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2011年01月30日

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教科書だけでは知り得なかったエタの苦悩がひしひしと伝わってきました。
文明開化で新しい時代を迎え、「新平民」となったのにもかかわらず、周りからは人外扱い。
人種差別が絶えないでいた悲しい日本の現状が見えたような気がします。

◆memo
『破戒』(はかい)は、島崎藤村の長編小説。1905(明治38)年、小諸時代の最後に本作を起稿。翌年3月、緑陰叢書の第1編として自費出版。
被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。
藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

◆20090612〜20090716

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2009年10月04日

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2008/11/17,19,20

必読書150に掲載。

これはとってもいい作品だったと思う。
主人公・丑松の苦悩がすごく鮮明に描かれ、リアルな差別部落の厳しさを教えられました。

現代人にはわからないであろう苦しみ、これを知ることが出来る1冊です。
言葉では評価しにくい、でもすばらしい1冊でした

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2009年10月04日

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 昔の小説はよい。そしてストーリーがおもしろかった。主人公は齢24歳ということで自分と年が近くおもしろかった。「旧社会において極度に卑しめられた部落民出身の小学教員丑松が父の戒めを破り、公衆の前に自らの素性を告白するまでの激しい苦悩の過程を描く」物語である。あれだけ言っていた土屋君がことの発覚後、なぜか自己を省みることもなく素通りで友好を続けているところが、問題的であると私は思った。2008.11.13-16.

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2009年10月07日

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・辛い。こんな秘密を抱えるってことを、想像できない。
・当時の穢多に対する市民の感覚がわかりすぎるほどに良くわかった。当の島崎藤村すら、連太郎に自分たちを「卑しいもの」と語らせているほどで、どれだけ当たり前の感覚としてこの「差別」(今の言葉を使えば)が浸透していたのかが良くわかる。表現に驚くとかじゃなく、この感覚に驚く。
・親友の銀之助ですら、当たり前のように穢多を差別していて、そりゃ言い出すなんてとても無理、と思いましたわ。
・それにしても辛い。今の世の中で性的嗜好をカミングアウトすることとはこんな感じなのかな。
・志保の存在に救われた。
・今の作品であれば、きちんと穢多と呼ばれる人たちも皆と等しい人間だ、と結論付けられるはず。当時の感覚ではその答えは出せなかったのか。それとも島崎藤村の掘り下げが足りなかったのか。
・丑松は、この秘密を打ち明けて、一体何になりたかったのか。そうすることによって自由になれたのか。重荷を下ろせたのか。でもそうまでして肯定したかった本当の自分とは何だったのか。

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2009年10月04日

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穢多の差別をテーマにしているわりに、「信州の女は皆気丈だ」みたいな文章を平気で書く。ポジティブなバイアスは問題視されない時代

この時代に現代でも通用するようなプロットが書けるのすげぇなって思った

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2023年12月03日

Posted by ブクログ

 なんという苦悩だろうか。自分では選べない出自によって、人並みの生活が送れないほどの差別を必然的に受けることになるとは。

 主人公は瀬川丑松、24歳、信州で小学校教師をしています。父親から「隠せ」と厳しく戒められてきたとおり、自分が被差別部落出身の穢多であることをひた隠しにしています。

 入院していた病院で穢多であることが広まり追い出され、戻された下宿でも「不浄だ」と罵られ追い出される富豪の大日向や、「我は穢多なり」の一文で始まる『懺悔録』を書いた著述家猪子蓮太郎といった人々を目の当たりにし、丑松は〈同じ人間でありながら、自分らばかりそんなに軽蔑される道理がない、という烈しい意気込を持〉ちつつも、友人知人、恋心を抱く相手や、慕ってくる生徒たちのことを思うと、自分が穢多であるとは言えず、苦しみは増すばかり。

 信州の長く厳しい冬の描写が、丑松の不安に同調し、読んでいる者の心も鬱々とさせます。しかし、ある出来事をきっかけに丑松が目覚めてからは、なんとまあハッキリしっかりくっきり、冬の朝日のまぶしいこと。

 ラストは、そう来ましたか藤村さん、という感じ。瀬川丑松の再スタートとして、新たな人生への旅立ちとして、素晴らしいラストだと思います。ただ個人的には、こうなって欲しかったな、こうなったところを見てみたかったな、という思いもあります。ま、想像と違っていたというか、想像を超えたラストだった、と書いておきましょう。

 全体的に文章のリズムが良くて、声に出して読みたくなりました。

 読書力養成読書、12冊目。

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2022年09月25日

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プロットがうまい。一種の倒叙型のミステリーである。また勧善懲悪、救いをもたせるあたりは作者の甘さか。考えさせられるという意味では、LGBTQの問題など、現代的な普遍性があるか。

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2020年12月14日

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破戒
(和書)2009年02月12日 21:00
2002 岩波書店 島崎 藤村


以前から読もうと思っていて、でもなんだか怖く難解な本ではないかと思いながらなかなか読まずにいました。思っていたより読み易く内容的にも怖い話ではなかった。

「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅おうと決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒め忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え。」

この戒めを破ることを「破戒」といっている。主人公、丑松が破戒を決意し実践する場面では読んでいて目に涙を浮かべてしまいました。

ただ文学としてそれが思想・世界思想・文学として成立するには宗教の批判(マルクス)というものが必要になると思うのでこの階級闘争には普遍性があるのだろうと思う。大西巨人の作品にもこれらを扱った作品があったしこの作品に触れたものもあったと記憶している。なかなか読まずにいたので読み終わってすっきりしました。

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2020年09月25日

Posted by ブクログ

英語でniggerという言葉を読んでも、その言葉の持つインパクトは伝わってこないが、日本語では普通使われることない差別的な蔑称が堂々と出てくると、さすがにたじろいでしまう。アメリカ人がトムソーヤーとかハックルベリーフィンとか読むときに感じる、その中で使われている用語に対する抵抗感というのは、こんな感じなのかもしれない。

日本の自然主義文学の先陣を切った作品として、この作品が日本文学史に占める位置は高く、誰でもその名前は知っている。
知っているけれども、テーマが重たいので、これまで敬遠してきた。

読んでみると、それほど難しい話ではなく、最初は単語にとまどうけれども、そんなに抵抗感なくすらすら読める。
タイトルが戒めを破るという意味であるというのも、読んでみて初めて知った(なんとなく破壊だと思っていたた)。

ただし、その限界は明確である。
被差別部落出身の主人公を描く作家の姿勢は、差別がおかしいという批判はしていても中途半端で、しかたがないのだと半分以上肯定しているようにしかとれない。だからこそ最後の教室のシーンで、丑松が生徒に跪いて詫びるのだが、いくらなんでもあんまりだ。水平社宣言が出るのが1922年、それからわずか15年しか経ておらず、時代的な思想上の制約はあるとしても、その感覚は批判を免れない。

島崎藤村は才能あふれる文学者であることは間違いないが、こうした題材をとりあげて、あえてこのような展開にしてしまうというのは、どこか欠落を感じさせる。われわれは作家に道徳家を求めているわけではなく、トルストイやドストエフスキーといった人々も別に人格者でもなんでもなく、個人生活ではかなり悪辣なところもあったはずだが、こと作品世界においては、人間の尊厳に対する感覚は信頼できる。そこのところが少し、いやずいぶん違うと思う。

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2020年07月16日

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穢多の存在は知っていたが、差別の中身については初めて知った。穢多であると告白するかしないか、それは自分とは何者なのかを告白することである。主人公がぐるぐる考え続ける薄暗い作品だった。

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2018年09月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

被差別部落を出自に持つ瀬川丑松は、「たとえいかなる目を見ようと、決してそれは打ち明けるな」「隠せ」という父の戒を守り、師範校を卒業し小学教員となったが、同じく被差別部落出身の思想家猪子蓮太郎との出会い、厳格だった父の死、同僚の猜疑などから、ついに戒を破るという話。
被差別部落、いわゆる穢多非人を題材とした話ですが、単純な「差別はいけない」という内容ではないです。
社会問題を題材としていますが、作中にそのアンサーはなく、丑松はラストで自身が卑しい穢多であることを詫び、教師を辞職します。

私自身出身が大阪のミナミ出身なため部落は大変身近な存在だったのですが、本作中の部落の人々の振舞には違和感を覚えました。
それもそのはずで、調べたところ本作中の穢多は、仏教や神道を信奉してきた日本において忌み嫌われてきた鳥獣の血肉に携わる仕事、革製品であったり屠殺であったりを古くから生業としてきた人々で、限定された技術から保護されていた時代もあったが、いつの頃からか差別を受けてきたそうで、私の知る部落とは微妙にポジションが異なる様子です。
もっとアウトローな話かと思ったのですが、そういうわけではなく、出自による謂れのない差別を受けている部落民の話でした。
ただ、主人公は被差別部落の出身ですが、学問を立て、身分を隠しながらも教師という職について月給をいただいている身のため、作中に差別を受けながら生きる姿は無く、ただ戒を守りひた隠しに隠す話となっています。

本作は日本の自然主義文学の走りというべき作品です。
ある状況下に主人公を行動させてみてそれを写実する。自然科学的な考えから人間の思想が普遍的であるという証明を本作によって成そうとしたのですが、本作においては実はそれは失敗だったというのが、巻末解説の野間宏の言葉。
本作が自然主義文学としてどうかという部分はさておき、本書の結末については人間のリアリティーを追求した結果として相違ないと私は思います。要するに、「人間は本質的に、周りが皆差別すると差別が当然と考える」と。
不勉強ながらゾラもルソーも読んだことがないのですが、私的には自然主義文学としては本作のラストはまさに理にかなっているのではないかと思いました。

文語体ではなくため、大変読みやすかったです。
散々文語体を読んでいたので、言論一致体がこれほど読みやすいとはと感動しました。
有名な作品なので、改版していくうちに修正が行われた結果ということもあるのでしょうが、今まで格闘してきた文語体の作品に比べると読みやすさは段違いでした。
中学生くらいでも十分に読める内容だと思います。
また、とても面白かったです。結構、長い作品なのですが、あっという間に読んでしまいました。
単純に面白い小説が読みたいという人にもおすすめです。

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2018年01月07日

Posted by ブクログ

野間宏の解説にも書かれていたけれど、この作品は「差別」を淘汰しきれていない。煮え切らない怒りが残る作品。

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2017年09月24日

Posted by ブクログ

旧字で書かれた古い文庫版で読みました。文章の美しさはさすが。内容も思ったよりずっと読みやすく、好きな西洋文学を読んでいる感覚でした。終盤の展開は、私はもっと悪い事態を予想していたので、救いのある展開にいくらか安堵しました。とはいえ、悲惨な話であることにかわりはありませんが…。

この作品には、「差別の問題を取り上げているようでいて実は藤村自身の内面を描いているに過ぎない」という批判がある、という解説を読みましたが、「夜明け前」にも似たような批判があったような…。こうした批判の当否はともかく、社会の抱えた闇に切り込んでいこうとする藤村の姿勢には好感が持てました。

差別の問題って根が深いですね。
今も、この時代のようなあからさまな差別は減っているとは思いますが、無くなってはいないし、特定の出自の人間を差別する代わりに、いじめだったり、パワハラだったり、家庭内暴力だったり…。
どうも人間は自分の属する社会において「自分より上の人間」「自分と同じ程度の人間」「自分より下の人間」を決めたがる傾向があるらしい。
人間という社会的動物の闇の部分をまざまざと見せつけられたような気がして、何ともいえない気分になりました。
一度は読んでおきたい名作だと思います。

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2014年04月07日

Posted by ブクログ

部落差別をテーマにした小説。話題にすることがすでにタブーのような差別の話がリアルに描かれており、ショックを受けた。明治時代の話だが現代に通じるところがある。
自分の生まれを隠して教師として生きてきた主人公が生徒たちに向かって告白するシーンはたまらなかった。

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2011年10月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ルーツを隠し続けなければ教職という世界では生きていけない現実の中で、それを隠し続ける行為に後ろめたさや罪悪感を感じずにはいれなくなる主人公。それは一重に理解ある友、仲間、生徒、そして先輩の存在故であるが、彼らに影響を受け彼らを信じて正直に生きることを選択する彼の「真面目な」姿が魅力的。

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2011年09月15日

Posted by ブクログ

高校時代の現代文の先生がよく紹介していたのを思い出し読んでみた。
明治初頭、四民平等が謳われ始めたけれど差別が普通に存在するという時代。
今の時代とは関係のないこととはいいきれない気がする。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

部落差別を受ける青年の葛藤を描いた話題作です。

読み始めるときには、私にとって久しぶりの文学作品だわ、近代小説だわ、と今の時代との差異を味わうのを楽しみに読み始めたのですが、読み進めていくうちに、(この本が書かれた時代には、これはものすごく先鋭的なススンダ小説だったのだなぁ)とその新しさに感じることとなりました。

「〜〜なので。」という文末表現が、どことなく「北の国から」を連想させたりして、とてもとても100年前の作品と思えませんでした。

そして案外、さわやかな読後感なのも好感が持てるなぁ。今まで読まないで来てしまって損をしていたかも。読む機会が得られてよかった。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

破戒 のように、タイトルから何がおこるのかが分かっていて、それに向かって今か今かと思いながら進む話は、独特に好きです。
(タイトルからではないけれど、「春琴抄」や「金閣寺」のように何がおこるのかが有名で既に知っているものとか。)
あとは松本清張「砂の器」を連想しました。(読んだことがある人には分かるとおもう)

主題がとても興味深い。"破戒"の直前の気迫に満ちた雰囲気なども、とても良かったのですが、結末はすこし物足りなく感じた。
島崎藤村、文章や雰囲気は嫌いじゃないのでまた他のものを読んでみたいです。

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2013年05月02日

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部落問題を扱った小説。
作者は、人間は平等だという前提でこれを書いた。
けれど解説にある通り、その根拠が小説中に示されない。
だから、差別を考える際の根本的な問題「人間は本当に平等か?」という問いには踏み込めていない。問題提起で止まっている。しかも、その根拠を示していないのだから議論で言ったら、文句を言うだけのクレーマーの位置にあたる。

また、第一章の(三)では、主人公の出自について、外国からの帰化人ではない旨が書いてある。つまり、主人公は穢多として差別される対象でありながら、ナショナリズムによって異邦人を差別する主体でもあったということだ。
作中では、それは具体的な形では描かれないが作者の念頭にこの差別意識があったのは確かだと思う。

そしてまた、幾分ご都合主義に思われる点もある。お志保が主人公に好意を持つのは、どうなんだろう。
そういうこともありえるだろうけど、差別する側にまわることも同じ位の確率でありえると思う。


と、まあ問題点は沢山あるけれど、読んでいて面白い小説だと思った。根本的には主人公の問題は解決しないが、胸のうちは晴れるから、何とか落ちはついている。読後感は悪くなかった。主人公が真面目だからだろう。

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2012年02月15日

Posted by ブクログ

のんびりとした自然描写に反して、丑松の心理描写は非常にスリリング。その二つの調和が絶妙。ただ、丑松が部落出身であることを「謝罪」するような展開には疑問を覚えた。

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2010年08月15日

Posted by ブクログ

明治期の部落差別とはどういうものだったのか、と肌で感じるにはいい本かと。随所で違和感はあるが、まあ時代が時代だし仕方ない面もあるのかな(解説で「藤村の限界」といっていたのはその通りとは思うが)。

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2009年10月07日

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