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新しい思想を持ち、新しい人間主義の教育によって、不合理な社会を変えて行こうとする被差別部落出身の小学校教師瀬川丑松は、ついに父の戒めを破って公衆の前で自らの出自を告白する。周囲の因習と戦う丑松の烈しい苦悩を通して、藤村(1872-1943)は、四民平等は名目だけの明治文明に鋭く迫る。1906年刊。(解説=野間宏)
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「破戒(2022)」
2022年7月8日公開 出演:間宮祥太朗、石井杏奈、矢本悠馬
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Posted by ブクログ
実は読んだことがなかった作品。 主人公が先輩と仰ぐ人が高柳に対していう言葉に「あれ?」と思い「なんでテキサスに行くわけ!?」と思ったのだが、解説によるとなるほどそこが本作品の弱点であるのだと。 とはいえ、「真に近代日本文学史上最高の記念碑」、その通りだと思う。
"部落差別について、その不条理、心情、世間の風、などを知ることのできる小説。文学。 生まれた場所で、村で差別をしていたこと。脈々と紡いだ歴史の中でそれが積み重ねられ、明治、大正、昭和にかけても名残があったことを知る。"
穢多非人に対する日本内での人種差別の物語。日本には人種差別はもはや存在しないと考えたが、滅相もない。空気読むなど、周りの反応に合わせる日本人は実際見た目、内面が異なる人間を精神的に迫害することが今でも行われてるじゃないか!とハッと気付かされた。
島崎藤村の『破戒』は明治39年(1906)刊行。 士農工商の封建社会の身分制度が、「解放令」(1871)によって崩壊するかに見えた時代に書かれた作品で、自然主義文学の先駆と呼ばれる。しかし、この法令によってそれまでの身分社会が急速に変わることはなく、主人公の丑松をはじめとした苦しむ人々が登場する。...続きを読む結局、人の中に刷り込まれた差別意識は簡単に変わらない。 自信が穢多であることを床に顔をつけて告白する丑松。彼が穢多であることと、彼自身の人物性との間に穢多であることがどう関係するというのか。事実、彼は学校では生徒から絶大な人望を寄せられている。銀之助、お志保など、彼の素性を知ってなお彼を支えようとする素晴らしい仲間に恵まれている。どこの生まれであるか、それだけで人物評価を下す、あまりに残酷な世の中にはぞっとさせられる。 今日の社会はグローバル化を迎えた。どこの国の出身か、そのようなことで人を区別し判断する社会であっては、本当の自由で平等は社会の発展は望めない。
何度読んでも良い!といってもまだ3度目程度だが…。 現代とは比較にならないくらい根強い差別の中で出生を隠して暮らしてきた丑松。その苦悩と彼の誠実さにどんどん惹き込こまれていく。こんなにも理不尽な世の中で、銀之助や志保、そして生徒の小さな救いに思わず涙が出てくる。 とても素晴らしい作品です。
教科書だけでは知り得なかったエタの苦悩がひしひしと伝わってきました。 文明開化で新しい時代を迎え、「新平民」となったのにもかかわらず、周りからは人外扱い。 人種差別が絶えないでいた悲しい日本の現状が見えたような気がします。 ◆memo 『破戒』(はかい)は、島崎藤村の長編小説。1905(明治38)...続きを読む年、小諸時代の最後に本作を起稿。翌年3月、緑陰叢書の第1編として自費出版。 被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。 藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋 ◆20090612〜20090716
2008/11/17,19,20 必読書150に掲載。 これはとってもいい作品だったと思う。 主人公・丑松の苦悩がすごく鮮明に描かれ、リアルな差別部落の厳しさを教えられました。 現代人にはわからないであろう苦しみ、これを知ることが出来る1冊です。 言葉では評価しにくい、でもすばらしい1冊でした...続きを読む。
昔の小説はよい。そしてストーリーがおもしろかった。主人公は齢24歳ということで自分と年が近くおもしろかった。「旧社会において極度に卑しめられた部落民出身の小学教員丑松が父の戒めを破り、公衆の前に自らの素性を告白するまでの激しい苦悩の過程を描く」物語である。あれだけ言っていた土屋君がことの発覚後、な...続きを読むぜか自己を省みることもなく素通りで友好を続けているところが、問題的であると私は思った。2008.11.13-16.
・辛い。こんな秘密を抱えるってことを、想像できない。 ・当時の穢多に対する市民の感覚がわかりすぎるほどに良くわかった。当の島崎藤村すら、連太郎に自分たちを「卑しいもの」と語らせているほどで、どれだけ当たり前の感覚としてこの「差別」(今の言葉を使えば)が浸透していたのかが良くわかる。表現に驚くとかじゃ...続きを読むなく、この感覚に驚く。 ・親友の銀之助ですら、当たり前のように穢多を差別していて、そりゃ言い出すなんてとても無理、と思いましたわ。 ・それにしても辛い。今の世の中で性的嗜好をカミングアウトすることとはこんな感じなのかな。 ・志保の存在に救われた。 ・今の作品であれば、きちんと穢多と呼ばれる人たちも皆と等しい人間だ、と結論付けられるはず。当時の感覚ではその答えは出せなかったのか。それとも島崎藤村の掘り下げが足りなかったのか。 ・丑松は、この秘密を打ち明けて、一体何になりたかったのか。そうすることによって自由になれたのか。重荷を下ろせたのか。でもそうまでして肯定したかった本当の自分とは何だったのか。
私は丑松に自己投影をしたのである。それについて誰がなんと言おうと、私は丑松の多くのことに共感した。それは、彼が夜に眠れないことや、ふと自分の運命について考え未来を恐れ過去を希望する一方で、女性についても考えずにはいられないことである。 「去年-一昨年-一昨々年-ああ、未だ世の中をそれほど深く思い知...続きを読むらなかった頃は、噴き出したくなるような、気楽なことばかり考えて、この大祭日を祝っていた。手袋は元のまま、色は褪めたが変わらずにある。それから見ると人の精神の内部光景の移り変わることは。これから将来の自分の生涯はどうなる-誰が知ろう。来年の天長節は-いや、来年のことはおいて、明日のことですらも。こう考えた、丑松の心は幾度か明るくなったり暗くなったりした。」 私にも決して誰にも明かせない、人々への負い目がある。それは、明らかに丑松の抱えるそれと比較して大したものではない。しかし、これは主観的な問題なのである。悩みというのは、悩んだところで到底解決できるものではない。それは物理的に解決されるまで終わることのない罰ゲームのようなものである。だから、悩みに悩んだ後、私はそれが如何に馬鹿馬鹿しいことであるかと自らに言い聞かせるのである。 それによって幾らか気分がマシになることもある。しかし、そういうまやかしは長くは続かないもので、気づけばまた罰ゲームが再開し、終わることのない絶望がやってくるのである。 だからこそ、私はいちいち丑松の想いに心を打たれ深い同情を抱かずにはいられなかったのである。生まれ持った原因のために、幸せになれない自らの運命を呪う丑松。 「これほど深く若い生命を惜しむという気にもならなかったであろう。これほど深く人の世の歓楽を慕いあこがれて、多くの青年が感ずることを二倍にも三倍にもして感ずるような、そんな切なさは知らなかったであろう。」 最近も、私の23という年齢(学年で言えば、24の歳。これもまた、偶然ではあるが私が丑松に強く惹かれた原因の一つであろう)を聞いた周りの大人達はこぞって私の若さを羨み、如何に私が楽しいかを問うた。いや、私はここで彼らを攻めたいわけではない。事実として、若いことは素晴らしいのだし、別の言い方をすれば過去は大抵美しいものである。しかしながら、そんな言葉も今の私には虚しく響く。若さを全うできない自分を呪い、こんな思いを抱かせるくらいならば一層若さなど手放してやりたいとも思うのである。
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