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Posted by ブクログ
島崎藤村の『破戒』は明治39年(1906)刊行。
士農工商の封建社会の身分制度が、「解放令」(1871)によって崩壊するかに見えた時代に書かれた作品で、自然主義文学の先駆と呼ばれる。しかし、この法令によってそれまでの身分社会が急速に変わることはなく、主人公の丑松をはじめとした苦しむ人々が登場する。結局、人の中に刷り込まれた差別意識は簡単に変わらない。
自信が穢多であることを床に顔をつけて告白する丑松。彼が穢多であることと、彼自身の人物性との間に穢多であることがどう関係するというのか。事実、彼は学校では生徒から絶大な人望を寄せられている。銀之助、お志保など、彼の素性を知ってなお彼を支えようとする素晴らしい仲間に恵まれている。どこの生まれであるか、それだけで人物評価を下す、あまりに残酷な世の中にはぞっとさせられる。
今日の社会はグローバル化を迎えた。どこの国の出身か、そのようなことで人を区別し判断する社会であっては、本当の自由で平等は社会の発展は望めない。
Posted by ブクログ
教科書だけでは知り得なかったエタの苦悩がひしひしと伝わってきました。
文明開化で新しい時代を迎え、「新平民」となったのにもかかわらず、周りからは人外扱い。
人種差別が絶えないでいた悲しい日本の現状が見えたような気がします。
◆memo
『破戒』(はかい)は、島崎藤村の長編小説。1905(明治38)年、小諸時代の最後に本作を起稿。翌年3月、緑陰叢書の第1編として自費出版。
被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。
藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
◆20090612〜20090716
Posted by ブクログ
私は丑松に自己投影をしたのである。それについて誰がなんと言おうと、私は丑松の多くのことに共感した。それは、彼が夜に眠れないことや、ふと自分の運命について考え未来を恐れ過去を希望する一方で、女性についても考えずにはいられないことである。
「去年-一昨年-一昨々年-ああ、未だ世の中をそれほど深く思い知らなかった頃は、噴き出したくなるような、気楽なことばかり考えて、この大祭日を祝っていた。手袋は元のまま、色は褪めたが変わらずにある。それから見ると人の精神の内部光景の移り変わることは。これから将来の自分の生涯はどうなる-誰が知ろう。来年の天長節は-いや、来年のことはおいて、明日のことですらも。こう考えた、丑松の心は幾度か明るくなったり暗くなったりした。」
私にも決して誰にも明かせない、人々への負い目がある。それは、明らかに丑松の抱えるそれと比較して大したものではない。しかし、これは主観的な問題なのである。悩みというのは、悩んだところで到底解決できるものではない。それは物理的に解決されるまで終わることのない罰ゲームのようなものである。だから、悩みに悩んだ後、私はそれが如何に馬鹿馬鹿しいことであるかと自らに言い聞かせるのである。
それによって幾らか気分がマシになることもある。しかし、そういうまやかしは長くは続かないもので、気づけばまた罰ゲームが再開し、終わることのない絶望がやってくるのである。
だからこそ、私はいちいち丑松の想いに心を打たれ深い同情を抱かずにはいられなかったのである。生まれ持った原因のために、幸せになれない自らの運命を呪う丑松。
「これほど深く若い生命を惜しむという気にもならなかったであろう。これほど深く人の世の歓楽を慕いあこがれて、多くの青年が感ずることを二倍にも三倍にもして感ずるような、そんな切なさは知らなかったであろう。」
最近も、私の23という年齢(学年で言えば、24の歳。これもまた、偶然ではあるが私が丑松に強く惹かれた原因の一つであろう)を聞いた周りの大人達はこぞって私の若さを羨み、如何に私が楽しいかを問うた。いや、私はここで彼らを攻めたいわけではない。事実として、若いことは素晴らしいのだし、別の言い方をすれば過去は大抵美しいものである。しかしながら、そんな言葉も今の私には虚しく響く。若さを全うできない自分を呪い、こんな思いを抱かせるくらいならば一層若さなど手放してやりたいとも思うのである。
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