【感想・ネタバレ】夜明け前 第一部(上)(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。

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Posted by ブクログ

私は好きだ。こういう感覚になることは少ないが、まるで自分も幕末にタイムスリップしたかのような感覚になる。あと3巻どうなっていくのか楽しみ。

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2025年03月08日

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やっと、この文章にたどり着いた。 この本を手に取った動機はただ一つ、如何にして青山半蔵は座敷牢へと至ったかだ。 読まねばならぬ本は数あれど、やはり心の命ずるところに従おう。 ディランが、濁声でがなりたてている。 ``And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, and it’s a hard / And it’s a hard rain’s a-gonna fall '' (「激しい雨が降る」詩:ボブ・ディラン)

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2023年12月17日

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島崎藤村は文豪として知られるが、読書家の知人を見渡しても夏目漱石などと比べあまり読まれていないという印象を受ける。私自身島村には馴染みはなかったが、書店でふと目に止まりあらすじを見たところ引き込まれ、全4巻一気に読んでしまった。私が読んだ歴史小説の中で傑作中の傑作である。

夜明け前の主人公のモデルは平田篤胤の国学に心酔する宿場町の庄屋であり、「古き良き時代」を取り戻そうという志を胸に秘める。それはすなわち、武家政権を倒し古事記の時代にあるような王政を復古させるというものだった。一介の庄屋という高くはない身分の主人公であったが、勤皇の志士に便宜を図ったり草莽の志士たちが集う会合に出席したりして、彼は復古運動に密かに情熱を注ぐ。折しも幕末。開国によって社会が混迷を深める中、彼らの運動は多くの人々の心をとらえていった。

封建制の下諸藩に強い影響力を及ぼしていた徳川幕府の力も幕末の荒波によって地に落ち、ついに大政奉還によって待ち望んでいた「復古」がなされたかに見えた。しかし現実は思わぬ方向へと進む。西欧の文物が急速に流入し、国学を信奉する主人公の居場所は次第になくなっていったのだ。かれはやがて発狂し、その生涯の幕を閉じる。

島村は、本書に「夜明け前」という題名をつけた。近代化という夜明けの前にあった出来事という意味なのだと思う。しかし私は、この題名は、その響きのもつ芸術性は別にして、どうしても本質からずれているように思えてならない。本書は決して、近代化の直前にあった話という単純なものではないと思う。むしろ、近代そのものの話であるはずだ。近代化にとってどうしても必要だった何か、表立っては語られないが近代を影で成立させている何か、その「何か」が本書のテーマだと考える。いずれにせよ、「近代国家日本」が曲がり角に差し掛かっている今だからこそ、この作品は大きな意味を帯びるようになるだろう。

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2017年12月17日

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木曽路、馬籠本陣の主人青山吉左衛門の子、青山半蔵は、平田派の国学に心を傾け、平田鉄胤の門人となる。黒船来航により日本の有り様が大きく揺れ動き、尊王攘夷の気運が高まる中で、青山半蔵は自らのあり方や日本の国のあり方に思いを致す。
日本という国が、外からの圧力もあり、変革を不可避とされた状況の中で、平田派国学を理想に掲げた主人公青山半蔵は、どのように考え、生きようとするのだろうか。

時代は移り、明治維新を遠くすぎた現代もまた、変革を余儀なくされている状況に変わりはない。一市民として、理想とはなにか、時代の変化の中で個人の生き方はどうあるべきなのか。単なる過去ではなく、そこから何か普遍的に語りかけてくる声が静かに聞こえてくる。

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2012年12月02日

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武士が主人公ではない幕末の市井の人々の生活が瑞々しく描かれていて、司馬遼太郎とは全く違っていてとても新鮮に感じられた。人々のなにげない生活の中に今は失われてしまった美しさを見てしまう。決して浮つくことなく現実を冷静に見つめる人たちはどの時代にも存在するものだと実感した。

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2010年05月13日

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幕末から明治初期にかけての歴史を、下からの視点で描く。歴史上のヒーローの物語とは違う迫力を味わえる。結末が激しい。

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2009年10月04日

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幕末を市井の人が見たらどう映るのか。中山道馬籠、妻籠は鄙の宿場町だが、時代の波に洗われる。文体もシチュエーションも面白い。下巻が楽しみだ。

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2024年02月07日

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木曽路の妻籠を舞台にした江戸末期の歴史を考えさせられる一冊であった。当時の人には黒船が来航した時の恐怖、生麦事件が起きたときの動揺はどれほどのものだったろうか。ペリー来航、平田篤胤、牛方事件、ハリス、井伊大老、尊王攘夷、参勤交代等庶民目線で考えてみたい。

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2022年10月08日

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ネタバレ

書き出しがあまりに有名な、幕末から明治にかけての馬籠宿を舞台にした島崎藤村の小説。なんとなく森鷗外「舞姫」のような文体を想像していたので、意外と読みやすくてビックリした。さて、本作の主人公・青山半蔵は、本陣の当主であり、参覲交代や長州征伐などさまざまなできごとを通して、激動の時代を描き出している。幕末を舞台にした小説ではやれ坂本龍馬だのやれ勝海舟だのといった志士たちがとかく主人公になりがちであるから、フィクションとはいえ、こういう田舎のいち宿場町を通してこの時代を見つめるということが非常に新鮮で興味深かった。また、この時代に順応しようとする一方で、昔から信奉する国学に固執し、時代に抗おうともする半蔵のアンビヴァレントな感じも興味深かった。そして、なんといってもその怒濤の展開。時代が時代であるだけに、淡淡と日常を描くだけでも十分に物語になるはずであるが、やはり文学史上に残り続けているだけあって、それだけでは終わらない。自殺未遂やら発狂やら、後半には昼ドラも真っ青のエピソードが続く。まったく想像もしていなかったのでビックリしたが、そもそもこの内容でこの結末になると予想できる人がいるであろうか。半蔵は藤村の父・正樹がモデルのようだが、藤村本人も姪との関係をめぐって問題になったのは有名な話。半蔵=正樹の晩年の様子を見ていると、「血は争えない」ということがよくわかる。全篇を通してとにかく揺れ動く感情、揺れ動く時代、揺れ動く馬籠が巧みに表現されていて、しかもおもしろさも持ち合わせた、紛うことなき傑作である。

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2022年09月19日

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いうまでもなく島崎藤村の代表作。
日本文学史の中でも必ず触れられている有名な作品。

それだけに、読むのがなんとなく億劫だったが、読み始めると、意外に面白い。

傑作作品や有名な作品というのは、えてしてこんなもので、そういう評判をとるだけのことはあるのだ。

詩人として有名な島崎藤村の小説を読むのはたぶんはじめて。
堅牢で見事な日本語による重厚な作品。

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2017年09月16日

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主人公となるのは藤村の父。時代としては黒船到来の少し前から明治の始め頃まで。庄屋の目から見た御一新という時代小説としても面白いけど、狂うということの身近さや何が悪いということのないどうしようもない感じが怖くもあり哀しい。
二部構成で一部上下巻と長いのでとっつきにくいけれど、桜の実の熟する時や家など読んで外堀から埋めるのもいいかも。

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2016年01月11日

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 『夜明け前』に一番最初にとりかかったのは高校生のときでした。その後も何度か読みはじめては途中で投げ出してしまっていたので、今回は少し構えて読み始めたところ、それなりに時間はかかりましたが、たいした抵抗もなく最後まで読めました。なぜ昔は読み通せなかったんだろうと不思議になったくらい。若い頃とは本の読み方も変わってきているのでしょうか。

 有名な作品ですが、あらすじを振り返るために、新潮文庫のカバーにある売り文句を引用します。

第一部(上)
 山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。

第一部(下)
 参勤交代制度の廃止以後木曽路の通行はあわただしくなり、半蔵の仕事も忙しさを増す。時代は激しく変化し、鎖国のとかれる日も近づく。一方、幕府の威信をかけた長州征伐は失敗し、徳川慶喜は、薩長芸三藩の同盟が成立していよいよ倒幕という時に大政を奉還した。王政復古が成り立つことを聞いた半蔵は、遠い古代への復帰に向かう建て直しの日がやって来たことを思い心が躍るのだった。

第二部(上)
 鳥羽伏見の戦いが行われ、遂に徳川幕府征討令が出される。東征軍のうち東山道軍は木曽路を進み、半蔵は一庄屋としてできる限りの手助けをしようとするが、期待した村民の反応は冷やかなものだった。官軍と旧幕府方の激しい戦いの末、官軍方が勝利をおさめ、江戸は東京と改められて都が移された。あらゆる物が新しく造り替えられる中で、半蔵は新政府や村民の為に奔走するのだった。

第二部(下)
 新政府は半蔵が夢見ていたものではなかった。戸長を免職され、神に仕えたいと飛弾の神社の宮司になるが、ここでも溢れる情熱は報われない。木曽に帰り、隠居した彼は仕事もなく、村の子供の教育に熱中する。しかし、夢を失い、失望した彼はしだいに幻覚を見るようになり、遂には座敷牢に監禁されてしまうのだった。小説の完成に7年の歳月を要した藤村最後の長編である。

 上の文章は売り文句ですから、「幕末から明治維新の激動の歴史を生きた青山半蔵の波瀾万丈の一生!」という感じにも読めますが、藤村の文章は、歴史も木曽路の宿場での生活風景も坦々と描写していきます。司馬遼太郎や吉川英治を読むようなわけにはいきません。
 徳川幕府やそれに対する長州・薩摩の動向など大局的な歴史の動きと、馬籠宿の人々の生活や半蔵個人の内的な葛藤が交互に叙述され、物語はゆっくりと、明治半ば、半蔵が発狂し死に至るまで、坦々と流れていきます。曲折はあっても押さえた筆致で、派手な山場を作るようなかたちでは描かれていません。
 この、坦々と話が進行していくことに若い頃のわたしは耐えられず、途中で放り出してしまったのではないかと思われます。しかし今回は、今年の夏、馬籠を訪れて、藤村記念館などを見てきた(青春18きっぷ 中央線)ことも影響しているのでしょうか、読んでいると大名行列を迎えるための当時の宿場での人の動きや、木曽路の風景をぼんやりと想像することができました。人足が何百人、馬が何十頭で荷駄がどれほどで賃銭がいくらといった数字もきちんとふまえて、具体的に描かれており、平易でわかりやすく、しかも骨格のしっかりした文章で、なんとなくその時代を感じさせられるような気がしました。
 派手な山場のないことも、逆に、抵抗しようもない時の流れをあらわしているようにも感じられ、なんとなく納得して、そのまま最後まで読み終えてしまいました。
 
 しかし、非常に気になったところもあります。それは例えば、主人公半蔵が
「そりや一部の人達は横浜開港で儲けたかも知れませんが、一般の人民はこんなに生活に苦しむやうになつて来ましたぜ。」(前掲書p78)
と言ったりするところです。
 「人民」という言葉は、幕末にはどうにもそぐわない。はたしてこの時代にこんな言葉があったのかどうか、あったとしても、こんな風に使われていたのかどうか。小説が書かれた昭和初期の「人民」とはよほど意味あいが違っていたのではないか。そんなふうに感じるところが、あちこちにあります。

 この問題を、高島俊男は『お言葉ですが…6 イチレツランパン破裂して』の中で、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)に触れながら、こう書いています。
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 この『時代小説評判記』(昭和十四年、梧桐書院)のほうに、島崎藤村『夜明け前』の批評がはいっている。
 『夜明け前』は小生も若いころに読んだことがあるが、実にばかばかしい小説である。どこがばかばかしいかというと、江戸時代末期の、木曽山中の人々の言うこと考えることが、まるっきり現代人なのだ。言ってみれば、戦前版『少年H』ですね。
 この点は三田村鳶魚もくりかえし批判している。たとえば登場人物の発言に「庄屋としては民意を代表するし、本陣問屋としては諸街道の交通事業に参加する」という個所がある。「民意を代表する」だの「交通事業に参加する」だのということばが江戸時代にあるはずがない。ことばだけでなく、そういう観念が近代のものである。
 やはり登場人物の「君だつてもこの社会の変動には悩んでゐるんでせう」云々というせりふについて、鳶魚はこう言っている。

<この言葉遣並にこの言葉の持ってゐる意味といふものは、嘉永、安政あたりの人の頭に在るものぢゃない。社会といふやうなことは、当時の人の考へられるものではありません。言葉の形だけを云ふのではない、意味に於ていけないのです。>

 この「意味」というのが、わたしの言う「考えかた」「観念」である。「社会」ということばは明治時代に society の訳語として作られたものであるから、江戸時代の人の口から出るはずのないこともとよりであるが、そもそも「社会」という観念が江戸時代にはないのである。
 その他、裃のこととか関所手形のこととか、鳶魚は作者の無知を種々指摘していて、教えられることが多い
(高島俊男『お言葉ですが…6 イチレツランパン破裂して(文藝春秋、2002)』鳶魚の『夜明け前』批判、p286)
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 三田村鳶魚は、ご存じ江戸博士で、この『時代小説評判記』と『大衆文芸評判記』で、戦前の時代小説の時代考証がいかにデタラメであるか、徹底的にやっつけています。悪口を読むのが好きなわたしとしては、以前に非常に楽しく読んでいるのですが、もう内容をすっかり忘れているので、また引っぱり出してみました。
 高島俊男の言うとおり、藤村の『夜明け前』はいろいろ間違いがある、とんでもないと指摘した上で、しまいには「もう読むに堪えぬ」と題して、こう書いています。書かれた時代(昭和11年)を考えると、ちょっと恐いくらいです。

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 ただその上に何としても許すことの出来ないのは、君臣の大儀を解せぬことである。これは決してものを書く、書かぬに拘らぬ話で どうあっても許すことは出来ない。随分でたらめのひどい大衆小説が行われる世の中だから、いくらボロを出しても、大衆小説と同じだといってしまえば、それでいいようなものですが、皇室に対する考え方、心得方の間違っているということは、許すことの出来ぬ事柄であります。
 私はもうこれから先、どんなことが書いてあるかということを、読むに堪えません。かような書物を、何のためか、読み耽る者どもがあるのを──大衆小説の読者をばかばかしいといって看過するのとは違った意味で、甚だ心配に堪えぬ次第であります。島崎さんも帝国の臣民に相違ないから、この点に対しては、よく熟慮されて、改悛の心状を明らかにされることを急がなければなりますまい。(『三田村鳶魚全集第廿四巻(1976、中央公論社)』p246)
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 これはつまり、和宮降嫁のくだりで和宮に「様」をつけないのは不届千万だとか、江戸時代の農民にも帝国臣民の心構えがあらねばならぬ、藤村は君臣の大儀を解せぬ、非国民だと罵倒しているわけです。しかし、高島俊男も先に引用した文章の後で、それは現在のイデオロギーで過去を裁断し統御しようという考えだ、いわゆる「正しい歴史認識」を押しつけようとするものだから、鳶魚のこの部分はいけない、と書いています。

 『少年H』が出てくるのは、ベストセラーになった妹尾河童の『少年H』は、戦争の時代を少年の目で書いたことになっているが、山中恒・山中典子『間違いだらけの少年H』(1999、勁草書房)に書かれているとおり、戦後になってからの知識や感覚を戦中の少年が持っていたとして、<勝っとる勝っとるいうて、大本営発表を信じてたらアカンのやなあ>と当時思ったなどと書いてあるトンデモ本だ、これも「正しい歴史認識」を押しつけようとするものであるという趣旨です。
(高島俊男の『お言葉ですが…4 広辞苑の神話』(2003、文春文庫)には「江戸博士怒る」「タイムスリップ少年H」と題して三田村鳶魚と『少年H』についてそれぞれ書かれています。)

 さてこうなると、歴史認識とはなにか、歴史小説とはなにか、ということを考えざるをえません。またまた昔読んだはずの菊池昌典『歴史小説とは何か』(1979、筑摩書房)を引っぱり出して読み始めましたが、面倒くさい話になりそうなので、それはまた今度にしましょう。
 わたしの読後感としては、『夜明け前』が、高島俊男が言うような「ばかばかしい」小説だとは思いませんでした。たしかに登場人物達の考え方に違和感はあります。歴史の結果を知ってからの後出しジャンケンだという気もします。逆に、これだけ世の中の動きについて目配りができ、わかっているのなら、王政復古に過剰な期待を抱いて、裏切られたと狂うこともなかったのではと思ってしまいます。
 しかしこれは、自分の父、ひいては自分のアイデンティティを求めるために、歴史とふるさとを、藤村なりに再構成しようとしたのでしょう。
藤村全集の帯には、亀井勝一郎の「「夜明け前」は、父における人生悲劇と、近代日本の悲劇との、激しい交叉の上に、自己の悲劇を投影した作品である歴史文学であるとともに自己告白の文学である」という言葉があります。
 藤村関連の本を読んでみると、本人も家族もかなりスキャンダラスな人生をおくってきたようです。中でも西丸四方(精神病理学者、藤村の姪の息子、島崎敏樹、西丸震哉の兄)の「島崎藤村の秘密」(『現代日本文学大系13 島崎藤村集(一)』所収、1968、筑摩書房)は、親族の回顧談が中心となっていて、生々しいものがあります。そういう人生の中で、「自分のやうなものでも、どうかして生きたい」を主題として生きてきた藤村が、老境に入って自分の人生のよってきたるところを総括し、またフランス滞在の経験から明治維新の歴史をも見直してみようとしたのでしょう。

 先に述べたように歴史小説としては問題もありますが、最近の歴史小説は(と言ってもろくに読んでいませんが)、戦国武将が軒並み反戦平和思想の持ち主であるNHKの大河ドラマみたいな、時代錯誤のヒューマニズムドラマ、ホームドラマが多いような気がします。「歴史小説」と「時代小説」の境がぐちゃぐちゃになってなっているようです。それに比べればよほどしっかりしていると思えます。
 当時の平田国学信奉者たちの動向など、今まで知らなかったことを学ぶこともできました。藤村のふるさとの木曽路の生活については、時代を十分に感じさせるだけのものが描かれています。

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2012年10月26日

Posted by ブクログ

有名作だから敬遠してましたが、こんなに面白く読めるなんて!構成が素晴らしい。望遠でもなく虫眼鏡でもなく、両方をバランスよくとりいれて。こんな書き方、他にないのはなぜ?後世の作家はなぜこんな書き方をしてくれないのかな?と不思議に思いました。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

江戸末期の起こったことから木曽へ回帰するシーンが何度かあった。江戸や京都からは距離的には遠いところではあるが、一方で近いのかも?と思わせるような描写で非常に心が躍った。
木曽路へ行こう。

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2023年06月08日

Posted by ブクログ

新潮文庫で読んだ。四分冊のうちまだ一冊目だからほとんど導入であり、物語の面白みが生まれてくるのはこれからだろう。平田学派がのちにどのような運命に陥ったかは既に知っているため、ある程度物語のオチは想像できる。しかしこれは歴史小説であるし、そういう「どんでん返し」を求めるのは違うだろう。どちらかといえば、決定された運命に翻弄される登場人物の悲哀を間近で見せてくれるような物語を期待すべきだし、実際本作はそうなっているはずだと思っている。

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2022年08月08日

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黒船襲来、攘夷運動。幕末、新しい時代の足音が中山道でも慌ただしくなってきた。若い半蔵も多くの人の感化を受けながら、一方庄屋としての立場から、落ち着かない。2020.2.29

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2020年02月29日

Posted by ブクログ

読んだきっかけ:100円で買った。

かかった時間:3/12-4/30(42日くらい)

解説(帯より):山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生まれ、国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念頭の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲依頼門人として政治体制への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移り変わっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。

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2013年03月31日

Posted by ブクログ

歴史書とか時代小説とかが好きな人にとってはもっと面白いのだろうか・・・。
日記をもとに制作しているというだけあって、内容のリアリティはある程度あるとは思うが、読んでいてしばしば退屈である。

鴎外の「歴史其儘」と「歴史離れ」に類似した問題を感じる。

四冊全てを読み終えたら、なにかいまよりも心動かされるものがあることに期待。
今のままでは『夜明け前』が小説である必然性を感じず、これならば日記のままで、あるいは日記のままのほうがより正確な分だけ良かったとおもわれてしまう。
そして、そこが何より残念。

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2012年05月17日

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