あらすじ
明治三十二年四月、詩集「若菜集」などにより、すでに新体詩人として名声を得ていた藤村は、教師として単身、信州小諸へ赴いた――。陽春の四月から一年の歳月、千曲川にのぞむ小諸一帯の自然のたたずまい、季節の微妙な移り変わり、人々の生活の断面を、画家がスケッチをするように精緻に綴った「写生文」。「詩から散文へ」と自らの文学の対象を変えた藤村の文体の基礎を成す作品。(解説・平野謙)
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ほぼ30年ぶりの再読。美しい文章だとつくづく思う。地理的、物理的だけでなく、時間的な対比を使って街の、人の様子をいきいきと描いている。あとがきも当時の文壇の様子を伝える貴重な資料となっている。
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長野県小県郡青木村にある田沢温泉を訪れてこの本を知り読んでみた。信州小諸で教師をした藤村がこの地域の純朴な生活を素朴な文面で丁寧に再現している。友人である吉村樹(しげる)さんに贈るという体で描き出している。スケッチというタイトルが相応しいほど、村の様子が色彩よく思う浮かぶようである。
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藤村が「詩から散文へ」と、自らの文学スタイルを変えるきっかけとなったエッセイ。
千曲川流域の自然、四季、人々の生活を、スケッチするよう巧みに描写しているため、もし存在するのであれば「写生文」というカテゴリに落ち着く作品である(題名はこれに由来する)。
雪深い長野の原風景と、私が生まれ育った新潟の田舎風景は、そのノスタルジーを共有しているのではと、強く感じる。また私は月に一度、長野県は野辺山にそびえる八ヶ岳で土壌調査を行っているため、八ヶ岳に関する描写には大変共感した。
「すこし裾の見えた八ヶ岳が次第に山骨を顕して来て、終いに紅色の光を帯びた巓(いただき)まで見られる頃は、影が山から山へさしておりました」
山村の早朝を描いたこの一文は、実際に見たものにはその感動を再発させ、見ていないものにもノスタルジーを感じさせる見事な表現である。
また、後半に収録されている「千曲川のスケッチ奥書」も大変面白い。
「旧いものを毀(こわ)そうとするのは無駄な骨折りだ。ほんとうに自分らが新しくなることが出来れば、旧いものはすでに毀れている」
この一文からも、藤村がすでに自分の文学に対して足りない何かを切望していたことが読み取れる。文学の大家である藤村の、新天地への強烈な意志を感じる。
「不思議にもそれらの(海外)近代文学に親しんでみることが、反って古くから自分の国にあるものの読み直しを私に教えた」という、藤村の持つ読書観も窺える。
「小作人」というスケッチは、ほぼそっくりそのまま、「屠牛」「烏帽子山麓の牧場」などの一部も「破戒」に用いられていることが、本書を読むことで分かる。
藤村文学の“引き出し”としての「スケッチ」、その集大成として、いわゆる短編小説集として本書を扱うのも面白いかもしれない。
趣深い一冊だ。
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今風で言うエッセイ。私が思い描いていた藤村とは全く違い、自分の目で見たことを一つ一つ丁寧に書いていて、ほんとうにスッケチしているような感じもした。
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島崎藤村が小諸で暮らした際の日常が、写実的にスケッチされている。小諸城を訪れた際、藤村の記念館を訪れ、様々な史料を見、また、少し散策をしたからこそ、旅情の余韻のまま楽しめた一冊であった。
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藤村が一時期住んでいた千曲川流域の自然や、風物等が、美しい文章でスケッチされています。
藤村は、このあたりを機に、詩から小説へ転換しているので、散文の練習といった感もありますね。
ツルゲーネフの猟人日記等に似た感じがするが、ツルゲーネフのほうがちょっとおもしろいかな。
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信州の旅のお供に、この一冊を…
信州は個人的にすごく親しみのある土地なんだよね。
地元からも近いため、幼少の頃からちょくちょく家族で遊びに行っていました。