島崎藤村のレビュー一覧
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島崎藤村の『破戒』は明治39年(1906)刊行。
士農工商の封建社会の身分制度が、「解放令」(1871)によって崩壊するかに見えた時代に書かれた作品で、自然主義文学の先駆と呼ばれる。しかし、この法令によってそれまでの身分社会が急速に変わることはなく、主人公の丑松をはじめとした苦しむ人々が登場する。結局、人の中に刷り込まれた差別意識は簡単に変わらない。
自信が穢多であることを床に顔をつけて告白する丑松。彼が穢多であることと、彼自身の人物性との間に穢多であることがどう関係するというのか。事実、彼は学校では生徒から絶大な人望を寄せられている。銀之助、お志保など、彼の素性を知ってなお彼を支えようとする素晴らしい仲間に恵まれている。どこの生まれであるか、それだけで人物評価を下す、あまりに残酷な世の中にはぞっとさせられる。
今日の社会はグローバル化を迎えた。どこの国の出身か、そのようなことで人を区別し判断する社会であっては、本当の自由で平等は社会の発展は望めない。 -
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木曽路、馬籠本陣の主人青山吉左衛門の子、青山半蔵は、平田派の国学に心を傾け、平田鉄胤の門人となる。黒船来航により日本の有り様が大きく揺れ動き、尊王攘夷の気運が高まる中で、青山半蔵は自らのあり方や日本の国のあり方に思いを致す。
日本という国が、外からの圧力もあり、変革を不可避とされた状況の中で、平田派国学を理想に掲げた主人公青山半蔵は、どのように考え、生きようとするのだろうか。
時代は移り、明治維新を遠くすぎた現代もまた、変革を余儀なくされている状況に変わりはない。一市民として、理想とはなにか、時代の変化の中で個人の生き方はどうあるべきなのか。単なる過去ではなく、そこから何か普遍的に語りかけてくる声が静かに聞こえてくる。 -
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ネタバレ士農工商穢多非人.
明治以降に定められた身分制度に焦点を当てた,
文学界ではあまり類を見ない作品.
初めに感じたのが,文章の平易さと読みやすさである.改訂版で
あるから,多くの歴史的仮名づかいが現代仮名づかいへと変更
されていることは容易に想像できる.それが原因かは定かではないが,
同時期に発表された漱石の作品と比べるとはるかに理解しやすい.
また,共に自然主義を確立させた花袋よりも好印象を持った.
急に波風が立つことはなく,ストーリーは緩やかに進む.
自然主義たる威厳を十二分に示している.ここで,先に述べた
文章の平易さが潤滑油となり,理解の困難から来る退屈を決して
味わうことはない.
差別に塗れた世間で穢多はいかに生きていけばよいのかという
指南書的役割や,差別にどう向き合うべきかという問題に対する
根本的解決を,本書は一切果たしていない.しかし,身分制度
から来る差別を初めて取り上げた業績は,多いに賛称されるべき
であると考える.
約100年経った今でも,本書で起きた出来事が日本のどこかで
起きている.仮に,部落問題が解決する日が近い将来来たとして
も,一般的普遍性を備えた問題を文学という形で提起した本書を,
私達は未来永劫読み継ぐべきである. -
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教科書だけでは知り得なかったエタの苦悩がひしひしと伝わってきました。
文明開化で新しい時代を迎え、「新平民」となったのにもかかわらず、周りからは人外扱い。
人種差別が絶えないでいた悲しい日本の現状が見えたような気がします。
◆memo
『破戒』(はかい)は、島崎藤村の長編小説。1905(明治38)年、小諸時代の最後に本作を起稿。翌年3月、緑陰叢書の第1編として自費出版。
被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。
藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
◆20090612〜20090716 -
Posted by ブクログ
形式・時間
オーディブル
8時間ぐらい
感想・ネタバレなし
読んでよかったと心から思える作品でした。
私は物語の持つ一つの価値は、自分とはかけ離れた境遇の人の追体験ができることだと思っています。その追体験を通して、他者、特に社会の中で苦しい立場にいる人への理解や共感が生まれます。この理解や共感なしには、お互いがお互いを支え合う社会は成立しえないと思うのです。だから、その理解や共感を育む物語は大変価値があります。
社会の中で苦しい立場にある人への共感を育むという観点では、明治期の被差別部落の人々に光を当てた本作品は傑作です。同和問題は今も存在していますし、被差別部落の人々に関わらず、差別を受ける人の思いや体験をより深く知ることができます。
一方で、主人公以外の人物の背景や心情描写が少ないことが気になりました。その結果、特に敵対する役がデフォルメされた悪として映ってしまい、リアリティが損なわれているように思います。現代に生きる私たちは、善悪は明確ではなく、見る立場や時代によって変わるという相対主義の立場を取ることが多いと思います。そのため、破戒のように完全悪として敵を描き出してしまうと、違和感があります。差別をする側もいろんな事情があるし、良心だってあるわけです。そこを描いてくれると、もっとリアリティがあるように思いました。
感想・ネタバレあり
差別される側の思いが痛いほど伝わってきて苦しい場面が多くありました。
例えば、被差別部落出身であることを隠している主人公に対して、旧来の友人である銀之助が、なんの悪気もなく差別的な発言をするシーンが挙げられます。自分の親しい友達にさえ、自分のコアとなる部分を語ることができないのは、いかに苦しいことか、想像に難くありません。また、主人公が自分の身分を学生に明かした時に、頭をついて謝罪をするシーンもいたたまれない気持ちになりました。自分は平等に取り扱われるべきという意識を持ちながらも、同時に、自分は差別される卑しい存在だという意識もどちらも持ち合わせているのです。
私はこれを読んで、LGBTQ+の人たちのことを思い浮かべました。彼らも近親者に対してカミングアウトがしにくく、世間からの目も未だに厳しいです。こういう状況は、如何なる人も経験すべきではないと強く思いました。
また、差別をなくしていくためには、差別側と被差別側どちらに対しても教育が必要だと思います。本作においては、被差別側の教育に焦点が当てられていました。主人公は西洋思想の影響を受けて、あらゆる人間は自由で平等であるという意識を持っていました。この意識こそが、被差別民の主人公が自分の素性をカミングアウトし、ありのままの自分で生きるという勇気ある決断に駆り立てたと私は考えます。
このように、被差別側がその構造を変える力を持つためには、勉強が不可欠です。勉強をしてこそ、今の状況が間違っているという確信と変革の正当性を探し当てることができると思います。
そして、大変陳腐な感想にはなってしまいますが、近しい人からの承認や愛は人を生かします。愛は全てに勝つ。いくつかの小説で、自分自身を認められなかった主人公が、どんな自分でも愛してくれる存在と出会うことにより、救われるという筋立ては見てきました。私はその筋書きに出会うたびに、人生の苦しみが全て愛や恋愛に回収されるのを苦々しく見ていました。結局これかよ、つまんねーな()と思っていたわけです。ただ、どの小説にも何度も出てくるということは真理に近いのだと思います。
おわりに
名前がイカついので、なんとなく読むことを避けていましたが、鋭い社会風刺を含んでいて、読んでよかったと強く思いました。