あらすじ
明治後期、部落出身の教員瀬川丑松は父親から身分を隠せと堅く戒められていたにもかかわらず、同じ宿命を持つ解放運動家、猪子蓮太郎の壮烈な死に心を動かされ、ついに父の戒めを破ってしまう。その結果偽善にみちた社会は丑松を追放し、彼はテキサスをさして旅立つ。激しい正義感をもって社会問題に対処し、目ざめたものの内面的相剋を描いて近代日本文学の頂点をなす傑作である。[付・北小路健「『破戒』と差別問題」](解説・平野謙)
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これは傑作だ……。人の醜さも美しさも全て入っている。とてつもなく残酷な世界だけれど、それでもきっと誰かが見てくれているから、前を向いて歩いていけるはずだと、そう強く信じ願う作品だ。そして今も、文学の必要性を示し続ける作品だ。
丑松は周りの人々をしっかり見ていた。そんな誠実な彼を周りの人々も見ていた。それが、差別を乗り越えて絆となった。今の社会も、この作品の時代と何も変わっていない。差別は吹き荒れ、人は権力に惑わされ、苦しむゆえに他者を傷つけてしまう人もいる。そんな社会で、この作品の彼らのように、私は誰かを見ることができるだろうか。前を向くことができるだろうか。
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土屋君にまさか丑松が穢多ではあるまいとバレそうになったシーンでは本当にヒヤヒヤして、何となく好きだった土屋君を嫌いそうにもなったが、ラストでの土屋君の行動は胸を衝いた。
しっかり二度涙を流す程感動したし、いちいち丑松と一緒に心を動かしたりするくらい感情移入する良作だった。風景描写も精緻で景色が頭に浮かんできて綺麗だった。読んでよかった
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感涙必至!また、日本文学史を少しでも意識するなら、社会性を問うている斬新さから、完全に必読書。
『破戒』が問うている世界は、日本社会そのものの危うさ。関東大震災の時に韓国人を虐殺していることや現代のsnsにおいても人が「これが正義だ!」と思った瞬間、一歩踏み込んで容易に人を傷つけること。人々の「安心」は、隠された攻撃なのかもしれない。
重要なことは、それらと向き合う人々から「人間性」が表出すること。別の世界を目指すことや苦しんだからこそ平然と向き合える新しい世界。たしかに、私たちはそうやって生き延びてきた側面がある。
大江健三郎の『個人的な体験』のラストにも通じる生の可能性は必見。
いや、もう…悔しくてかんぺき泣きましたわ。日本社会は変わってない。だが一方で、文学が希望をひねり出すことも変わってはいない。それらをつつみこんだ世界でどうふるまうか、これは読者がどう生きるかという問題。
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テーマは重いですが、情景描写のゆったりどっしりした感じと、主人公の内面の焦燥感がそのまま社会問題にも当てはまってるようで感慨深い。信州の冬は体験したことないのでぜひしてみたい。
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森達也氏の「いのちの食べかた」で知り、読んでみたいと思い3年ほど過ぎていた。「破戒」は差別的用語を他の言葉に言い換えた改訂版が出版された過去がある。
「『破戒』初版本はそれがなまの形でなされる限り、差別を温存させ、挑発しようとする日本のマス・コミュニケーションに一つの大きな援助をさしのべることになる」
この一文に現代のマスコミを取り巻く諸問題を思い出し、歴史を繰り返しているのだと実感を持った。
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丑松が自分の出自を告白した後の展開が気になって読んでみました。
まさか宿屋から放逐された大日向が最後に丑松に絡んでくるとは思っていなかった。
最後の展開も、身分に関わらず慕ってくれる丑松の生徒やお志保、身分が穢多であれ友達思いの銀之助たちのお陰で、丑松が報われていて良かった。
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丑松の苦悩と葛藤が伝わり今まで読んだ本の中で1番、一度本を読む手を止めて考えたり、悩んだりする時間が多かった。
丑松が生徒や銀之助に自分の身分を打ち明ける場面は彼の覚悟が伝わりとても心に響いた。
最後はうまい事いきすぎている気もするけど、個人的にはそれくらい報われてもいい程丑松は思い悩んで苦しんできたので、丑松良かったね!!って感じでした。
日本の歴史をまた差別について知る上でも、人生で一度は読むべき一冊だと思う。
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被差別部落問題の本は、他に“橋のない川”を読んだことがある。それとは違いこちらは、当事者の丑松のカミングアウトまでの長い長い心のうちをあの手この手で描いている。
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2024.04.07〜05.09
情景描写が美しい。「青白い闇」なんて言葉、素敵だ。丑松の辛さ、絶望感が手に取るようにわかる。
当時の生きづらい世の中を、丑松を通して描かれている。が、生きづらい世の中は、今でも変わらない。対象が身分ではな無くなっただけだ。
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内面描写が丁寧すぎて、ただただ丑松に感情移入してしまった。それでいてハラハラドキドキ感もあり、全く飽きさせない展開の連続で、スラスラ読めてしまった。日本人として、語り継がないといけない作品。忘れることができないと思う。
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大満足の一冊。穢多の家系に生まれた主人公の物語で、差別問題に目を向けた作品ともとれるが、個人的には、主人公の豊かな感情と揺れ動く心の模様を巧みに表現している作者の文章力そのものに非常に魅力を感じた。
また舞台である信州の情景などが、よく表現されており聖地巡りをしたくなる一冊。
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ラストシーンが良かった。
主人公は自分が穢多であることを気にしていたし、実際ひどく差別する人間もいた。でも、学生たちや友人など、主人公を一人の人間として慕う人たちも、実は主人公の周りにたくさんいた。
穢多という言葉は廃れても、色々な差別が今の時代にも残っている。それをひしひしと感じる今、いろいろと考えさせられる小説だった。
また、「苦しんで戦ってそれで女になるように生まれてきた…人の知らない悲しい日もあるかわりに人の知らない楽しい日もある」という言葉が心に残った。
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【読もうと思った理由】
直近で読んだ三木清氏の「人生論ノート」の感想欄(雑感)にも書いたが、本書を読もうと思ったきっかけは、ロシア人YouTuberのAlyona(アリョーナ)氏の「これって渋い?好きな日本文学作品について語ってみた」の動画がきっかけだ。その動画では、島崎藤村氏の「破戒」以外の日本文学作品も、いくつか紹介してくれているが、僕が一番興味関心を惹かれたのは「破戒」だった。またAlyona氏が、別の動画で紹介してくれていたが、ロシアでは、文学と国語(現代文)は、そもそも教科(科目)が別々に別れているとのこと。日本だと現代文の中で文学作品も学ぶが、ロシアでは、文学は独立した教科になっているんだとか。なるほど。国家として、文学にそこまで力を入れているので、稀代の小説家や小説好きが多い理由に、深く納得できた。
実はこの動画を見る前から日本近代文学も、そろそろ本格的に読み進めていかないとなぁと思い始めていた。最終的に理解したいのは、もちろん夏目漱石氏の世界観だ。ただその前にもう何人か近代小説家を読んで、もう少し慣れてからの方が良いかなぁと思っていた矢先だったので、ちょうど良いタイミングだと思い、読もう思った。
【島崎藤村氏って、どんな人?】
明治5年(1872)3月25日、筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名:島崎春樹(しまざき はるき)。明治14年、9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊、明治32年函館出身の秦冬子と結婚。
長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、小説家に転身した。続けて透谷らとの交遊を題材にした『春』、二大旧家の没落を描いた『家』などを出版、日本の自然主義文学を代表する作家となる。明治43年、4人の幼い子供を残し妻死去。大正2年に渡仏、第一次世界大戦に遭遇し帰国。童話集『幼きものに』、小説『桜の実の熟する時』、『新生』、『嵐』、紀行文集『仏蘭西だより』『海へ』などを発表。
昭和3年、川越出身の加藤静子と再婚。昭和4年より10年まで「中央公論」に、父をモデルとして明治維新前後を描いた長編小説『夜明け前』を連載、歴史小説として高い評価を受ける。昭和10年、初代日本ペンクラブ会長に就任、翌年日本代表として南米アルゼンチンで開催された国際ペンクラブ大会に出席。昭和18年、大磯の自宅で、『東方の門』執筆中に倒れ、71歳で脳卒中で没。
【感想】
日本近代文学の礎を築いたという夏目漱石氏をして、「明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思う」と、森田草平氏宛の手紙に書いたという。そう、あの夏目漱石氏も絶賛した小説が本書「破戒」だ。
日本近代文学って、もっと読みにくくて、暗くて、読むのにパワーがいる作品ばかりだと思っていた。ただ少なくとも今作は、僕が過去読んだ近代文学の中では珍しく、読後感が前向きになれて、最後に希望を感じられるエンディングだった。これはいわゆる、ハッピーエンドと言っても良いのではと思う。誇張でも何でもなく、最後数十ページはラストが気になり、家まで待てずに帰宅時の最寄駅のホームのベンチに座って、読み切ってしまった。
今作であれば、日本近代文学にアレルギーを起こしてしまっている人でも、チャレンジしてみる価値がある作品だと思った。それほどに読みやすい。仮名遣いもほぼ現代と変わらず、漢字率は確かに高いが、難しい漢字にはルビを振ってくれているので、誇張ではなく、現代文学と比べても、遜色なく読み進められる。また島崎藤村氏は、もともと詩人でもあるので、文章が非常に流麗で、また凄く感情移入がしやすい文体だ。なので、藤村氏の世界観に比較的簡単に没入できる。
このあたりで簡単にあらすじを書くと、以下となる。
主人公は長野県の山奥で教師をしている瀬川丑松。若い彼にはたった一つの秘密があった。それは彼が穢多(えた)という身分の生まれであること。時代は明治後期、法改正がなされたとはいえ、身分による差別は、日本中にまだまだあり、ほとんどの穢多が蔑まれながら生きていた時代。よって丑松は父親から口酸っぱく「身分を何があっても隠せ」と言われ続けてきた。丑松は、真面目に父親の教えを守っていたため、周りに身分を知られることなく、穏やかな教師生活を送れていた。だが丑松には、心惹かれる人物がいた。それは同じ穢多出身であり、穢多であることを公言している、猪子蓮太郎という思想家だ。猪子の書籍をずっと読んでいた丑松は、猪子にかなり感化されていた。猪子にだけは、自分が「穢多」であることを打ち明けてもいいんじゃないかという、葛藤に日々苛まれてゆく…。
そう、この物語のもっとも大事なポイントは、自分が世間で蔑まされている身分である「穢多」であることを、告白すべきか、言わざるべきか?ある事件をきっかけにして、その葛藤がより強くなり、丑松は苛まれてしまう。その丑松の心の機微を、ときに繊細で、ときに大胆に、われわれ読者に訴えてくる。丑松の苦悩する心情に、とても自然な形で導いてくれる。その筆致が、まさに島崎藤村氏の唯一無二の世界観なんだろうなと感じた。
最近小説を読んでいて思うのだが、その小説を面白いと思えるかどうかの境界線って、まさにさっき書いた没入感だと思っている。もっと下世話な言い方をすれば、ハマれるかどうかだ。売れてる作家とそうでない作家の違いって、実はそんな難しいことではなく、つまりは、自分の世界観にどっぷりハマらせられるかどうかなんだろうなぁと。特に最近そう感じている。
そういう意味でいうと、今作では、島崎氏はどっぷりハマらせてくれた。今までの他の書籍の感想でも何度か書いてきたが、ハマらせるためには、読み手の感情をいかに動かせるかがカギなんだろうと。それは多分読書だけでなく、普段のコミュニケーションにおいても同じで、聞き手の感情を揺り動かせるかどうかが、ポイントなんだろうなぁと、つくづく思う。そういう意味でいうと、本書のような、長年読み続けられた名著を思考しながら読むと、色々なヒントが散りばめられていたりする。それに気づけたとき、やっぱり名著は良いなぁと深く腹落ちできるので、個人的に古典の名著が好きだ。
【雑感】
次は、半年ほど積読で読めていなかった、浅田次郎氏の「壬生義士伝」を読みます。この本は会社の同僚で本好きの方から、勧められて購入した本です。その同僚の方は、浅田次郎氏の本だけは、極力単行本で購入するようにしているほど、浅田氏のことがファンなんだそう。「その浅田氏の本の中で最も感動する本ってどの本?」と聞くと、即答で「壬生義士伝」と返ってきた。新選組の吉村貫一郎が主人公の話ぐらいしか知らないが、まぁ、なにせ感動するんだと太鼓判を押されたので、期待して読みます!
Posted by ブクログ
印象は、24の瞳に近い。
しかし、物語が具体的で、悲しく、胸を締め付けるような気持ちになることが多かった。
これが数十年前に当たり前の価値観としてやり取りがされていたというは、、ショック。
現在でも地域性かもしれないが。
小説として、素晴らしい出来だと感じた。
Posted by ブクログ
主人公の丑松は、生徒や教師仲間からも信頼される20代の学校教師である。しかし、周りからは常に考え事をしていて何かに苦悶してるかのようにも思われていた。その苦悶の原因は、丑松の生まれは部落であり、彼自身がその事実について世間から隠し続けてきたことであった。小説の中には、穢多という今では差別用語とされている直接的表現が何度も出てくる。他にも、新平民、賤民などといった言葉が平然と使われており、差別を是としていた当時の時代背景と空気感が垣間見え21世紀に生きる我々にとってはショッキングですらある。
部落民として苦悩とともに生きてきた丑松の父は、どんなことがあろうとも自分の身分を他人に打ち明けてはならないと丑松に戒める。人々から隠れるように山奥で牧夫として細々と暮らしていたその父が死に際に、丑松に残した唯一の遺言は、「忘れるな」であった。丑松は、父のこの戒を心に刻み込みながらも、同じく部落出身で自らを「我は穢多なり」と告白した思想家である猪子連太郎に傾倒する。連太郎と個人的にも親交をもつようになった丑松は、自らの身の上を連太郎に打ち明けたい気持ちと、父の戒めとの間での葛藤に苦しむ。そして、自ら打ち明けざるとも、周辺が丑松の出身について疑問を抱き始めるのである。
タイトルの破戒とは、戒めを破ることだ。周囲が薄々気がつき始めたのと時を同じくして丑松はついに周りに自らの生い立ちを告白するのである。授業中、自分の生徒に対して土下座をし、穢多であることを詫びたのである。穢多であることそのものが罪であるかの如く、人格者としてそして教育者として自他共に認める者ですら差別に抗う事が出来ない現実をあからさまに、かつ残酷にも描き出す。
同じ読みの言葉で破壊という響きが重なり、告白のよって丑松の行く末が破壊的な結末を迎えてしまうのではないだろうかという心配が、読み進むにつれて付きまとう。しかしながら、藤村はそこまでは残酷ではなかった。学校を追われ町を出て行くことになり、その身の上を知っても尚、丑松を慕う、お志保の存在。そして、授業を抜け出し、見送りに来た生徒達。これによって、我々は差別の暴力性に打ち勝つ人間性は存在することを読み光明を見出すことが出来るのである。
有島武郎は、「生まれ出ずる悩み」で、才能があっても不遇な労働を余儀なくされ、搾取される立場から抜け出すことのできない田舎の若い労働者の苦悩を描いたが、この物語もまさしく生まれ出ずる悩みである。有島の描く「悩み」は、健全な資本主義と民主主義の発展によって解決の道が開けるかもしれない。しかしながら、丑松の悩みは、それらを持ってしても解決が困難な問題である事を突き付けるのである。
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日本人のタブー穢多非人を題材にした小説。
恐らく今の若い人は穢多非人と聞いてもなんのことか分からないのではないか。なぜなら学校で教えていないから。そういう私自身も学校で詳しく習った記憶はなく、地域的にも縁が薄かったため、大人になるまで詳細は知らなかった。
江戸時代の身分制度の名残が令和の現代にまであるなんて思いもよらなかった。
本書は明治期に書かれた小説。
穢多非人へのあらゆる差別は明治政府により廃止されたが、当たり前だが制度として廃止されても人々の差別感情はそう簡単にはなくならない。差別とはそういうもの。
本書の主人公は学校教師で生徒にもよく慕われているが、出自が穢多のために、その人生はくらい影を落とす。
出自をいかに隠して生きていくか、前半はそこに焦点があてられている。後半では隠すことに限界を感じ、なぜ隠さなければならないのかの苦悩が丁寧に描かれている。
最終的に、穢多であることを周囲に打ち明け、アメリカに渡り、人生いちからやり直すという展開で幕を閉じる。
一見ハッピーエンドのように見えて、穢多と知れたらもう日本では真っ当に生きていけないことの表れでもあると感じる。
穢多というのは、そもそも穢れが多いと書く。動物や人の死に関わる仕事の人たちを穢れた仕事を担うことから穢多と呼んだのが始まりだそうな。
江戸時代より前から、そういう人たちはいて、身分としてはっきり線引きしたのが江戸幕府。
これはもちろん、庶民たちの不平不満を幕府に向けさせないための策略のひとつであった。
穢多非人の人たちは、そもそも同じ人間として扱われなかった。しかし、その仕事は死に関わることからも分かるようになくてはならない仕事。
杉田玄白の解体新書には多大な貢献をしたし、太鼓や草履など、当時の人たちの生活必需品を生産していた。
知れば知るほどあまりにも理不尽な差別と感じる。
日本に差別はなかったと未だに言う人がいるが、きちんと歴史を学ぶべきだと思う。
日本人は、自分たちの国の歴史をあまりにも知らなさすぎる。
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読み始めは言葉が少し難しいかなと思ったけど、読み進めていくうちに慣れていった。部落差別がテーマ。主人公が自身の身分を打ち明ける前に噂が広がって行く中で、それに丑松が怯える描写が肌で感じ取れるように書かれていた。告白をしてからも、気の毒に思って助けてくれる友人や旅立ちに会いに来てくれる生徒もいて、全ての人が非情な人でなくてよかった。
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まず述べておきたいのは、本作は解説を含めて読むことで当時の時代背景や差別の実態を把握しなければ、真に理解することはできないという点である。
本作は被差別部落出身者である主人公が素性を隠して教員として勤務するが、尊敬する同じ被差別部落出身の思想家の横死を経て、父から与えられた素性を明らかにするなという戒めを破るまでの葛藤を描いた物語である。
解説にも指摘されているように、本作は藤村の差別意識が無意識に表出している部分もあり、また結末も差別からのある種の逃避になっているため、社会派的小説としては極めて不完全ではあるものの、逆にそのこと事態が思想的な理想を描いた空虚な小説ではなく、ヒューマンドラマとしての凄みを付与しているように思える。
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ほぼ裏表紙の説明通りではあったが、穢多であることを隠しながら生活していた丑松に関する物語。
新平民という言葉はあれだ、実態はまたまだ差別が当たり前のように存在した日本が描かれており、当時の状況が垣間見える作品。
文章自体は現代のものに慣れていると読みにくさはあるし、いろいろ保管しながらでないと理解が難しいところもあるが、ゆっくり時間をかけてでも読んでおきたい作品だと感じた。
先日読んだ蟹工船と合わせ、日本の歴史を学びたいと感じる一冊。
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★★★★ 何度も読みたい
これは地元から離れ、普通の生活を手に入れた穢多の青年が、たった一人で抱えた自身の出自の秘密に苦しむ話である。
主人公瀬川丑松は部落出身であり、その身分を隠して教員として生計を立てていた。彼は堂々と己の出自を明らかにして活動する、部落出身の猪子蓮太郎を慕っているが、如何なる時も誰に対しても家系の秘密を隠し通せと言う父の言葉や恐れがあり、蓮太郎にすらも自分の秘密を伝えられていなかった。なぜなら彼は自分が穢多であるという事実が知られれば、今の生活は到底続けられないと知っていたから。
部落差別という、現代では表立って騒がれなくなった問題だったが、写実的な描写や何気なく穢多を貶す友人との会話などにより、容易に自身のことを詳らかにできない丑松の苦悩がよく伝わってきた。最初から馬が合わない同僚より、師範校時代からの親友から拒絶かもしれない方が堪える。
蓮太郎に自分が同胞だと伝えようとしていつまでももたもたとしている部分はひどくじれったかった。また学校内に噂が広まりだしてから蓮太郎の本を手放すのも悪手に感じた。古本屋から情報が漏れることもありそうだし、何より事実が露見しかけてから後悔するなら、最初からそういった本は購入せず、蓮太郎の思想に賛同しているという姿勢を外で見せなければよかったのにと思った。
しかしこれもまた、たった一人で戦う丑松の心を支えていたものなのだと思うと、どうにも完全には否定できない。進撃のライナーみたいな人間らしさを感じる。
この小説にはかなり長い解説がついている。そこで批判として、クライマックスで丑松が自分は穢多であると告白するシーンで、彼が謝罪という形をとったことが言及されていた。丑松は蓮太郎のように「我は穢多なり。」とは言わず、ただ穢多である自分がこうして身分を偽り、生徒や同僚に接していたことを懺悔するのだ。彼がこうしたやり方で自分のことを話したから生徒は彼が穢多だと知った後も彼を慕っていたのだろう。しかし、この部分はどうしても瀬川丑松というキャラクターの一貫性の無さを感じた.
Posted by ブクログ
初めの方はよくわからなかったが、お父さんが死ぬところあたりからだんだんわかるようになった。
獣医として牛が屠殺される情景があるのがよかった。
感想としてはこれで終わり!?という感じ。ハッピーエンドの続きが読みたい。
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明治後期、被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、その生い立ちと身分を隠して生きよ、と父より戒めを受けて育ちました。
その戒めを頑なに守りながら成人し、丑松は小学校教員となります。
そんなとき同じく自らが(えた)であることを公言している解放運動家、猪子蓮太郎の本の影響を受け彼を慕うようになります。
丑松は、猪子にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出掛かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎていきます。
Posted by ブクログ
穢多である瀬川丑松の苦悩を描いた作品。父親から身分を隠すよう戒めを受けた丑松は身分を隠しながら長野で教員をしていた。丑松が部落出身であると言う噂が流れかつ師匠と仰いでいた穢多の猪子蓮太郎が襲われ死んでしまったことを受け自身の身分を打ち明けることとなる。題名である破戒とは父の戒めを破るということで、実際に生徒に身分を打ち明け得たであることを隠していたことを詫びる場面はとても悲哀に満ちた描写となっていた。今では部落差別なんてものはほぼ存在しないが明治頃は頻繁に起こっていたと考えると恐ろしいことである。出身だけで能力関係なく社会から追放される世の中が実際にあったんだなと。銀之助やお志保のように丑松の身分を知ってもなお否定せず受け入れる人も実際にはいただろうが少数だったんだろう。校長や文平は身分はあるが心が卑しいように描かれてて身分でなく一個人として人を見る必要があると感じた
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日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁しむ、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る▼武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。国木田独歩『武蔵野』1901
長野県で部落出身を隠して生きる教師の葛藤。出自を明かし、新天地の東京、テキサスに旅立つ。島崎藤村『破戒』1906
弟子の若い女の子を好きになるが、気持ちを打ち明けられない。女の子は去り、女の子の使っていた蒲団に顔をうずめて鳴く▼夫の苦悶煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てればいいという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。田山花袋『蒲団』1907
毎日掃いても落葉がたまる。これが取りも直さず人生である。田山花袋『田舎教師』1909
老年の不幸は、友人がなくなることと、死の近づくことだろうが、しかし大自然のなかに生きている寂しさを味わいつめたものには、それも大した悲しみではない。徳田秋声しゅうせい『人生の光と影』
働いても働いてもなお、私の生活は楽にならない。じっと手を見る▼ふざけて母を背負ってみると、そのあまりの軽さに涙が出てきて三歩も歩けない▼人という人の心に、一人づつ囚人がいて、うめくかなしさ▼書斎の窓から見たり、頬杖ついて考えたりするよりも、人生はもっと広い、深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである。石川啄木『一握の砂』1908
必要はもっとも確実な理想である。石川啄木『時代閉塞の状況』1910
※朝日新聞の校正係として採用されるも、ド貧乏生活を送る。大逆事件(社会主義者・幸徳秋水の死刑)後、社会主義に傾斜。岩手出身。
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※自然主義。日露戦争前後。
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引っ張りに引っ張られ、その度に集中力が途切れてしまい、読み終えるのに1ヶ月以上かかってしまいました。
これを読んでいなければ何冊読めていたんだろう…。でも読めてよかった。
Posted by ブクログ
明けましておめでとうございます!
昨年暮れから読み始めて、本日までかかってしまいました。
主人公の丑松は師範学校卒の小学校教諭。子供の頃は何も意識していなかったが、活動家の猪子蓮太郎との交流を通して父の戒めの意味を知り、独り思い悩む日々を送る。その戒めとは穢多に産まれた自分の境遇を隠し通せというもの。
本編の後に当時の差別問題の記述があり、想像を絶するものがあっただろうと思います。
物語の9割は辛く苦しい内容で新年に読むには何度も心折れそうになりました。
猪子蓮太郎の死後、自分の境遇を打ち明けた後、学校はろくでもない校長たちに追い出されるも、最後は同期の土屋銀之助や猪子蓮太郎の妻たちの助力もあり、希望の光が見えるラストに救われました。
最後まで読んで良かった。
今年もよろしくお願いします!
Posted by ブクログ
みんなに「新平民だけど、でもあの人は」みたいな言われ方をしてて、生まれでなく個人として評価されてることは良かったと思うけど、新平民そのものに対してはまだ偏見があるって感じがするから、やっぱりそこを拭い去るのは難しいんだね〜〜〜
Posted by ブクログ
表紙の絵のように主人公は暗中を彷徨っている。
僕はこの問題を述べる言葉をおそらく持っていない。
それは自分の中にある差別意識を慎重に点検しなくてはいけないと思うから。
この作品は1人の人間が境遇に苦悩し立ち向かおうとする物語として、それがいかに過酷であるか、読む人にその覚悟を求める。
ラストシーンは心残りである、
それがこの問題を考え続けることを促している。