中沢新一のレビュー一覧
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その純粋な形式としての科学は、徹底的に非対称性の論理を駆使して、再現性を確保しようとする。そこでは「同一律」「矛盾律」「排中律」といったアリストテレス的論理学の原則に忠実に、防衛的に、瑕疵なきよう推論や証明が行われる。他方、『人類最古の哲学』で検証してみたように神話は「二項操作」によって「対称性の論理」を働かせている。この神話的思考によって現実の非対称性を補完しようとする実際的な取り組みであるとしたのだった。
対称性の思考を統一しようとする野心的なカイエ・ソバージュシリーズの最終回は神話的思考から始まって、無意識、<1>の魔力、仏教、幸福、経済といったラジカルな人間的活動にその領域を広げな -
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アボリジニが自分たちでさえ簡単に踏み込めないが、自分たちの精神的根源を確保する場所としてもっている「ドリームタイム」。庶民の暮らしから切り離されたところで日々厳しい戒律と利他に取り組もうとしている「丘の上の修道院」。そういった自分たちにとって正しいと思える場所がそこにあり、そこへ心を向けるだけで自分たちを正しい方向へ向かわせてくれようとするもの。憲法9条をそういった装置としてとらえようとする考えが面白い。確かに、現実の問題とは矛盾するし、政治的に間違っているかも知れないが、これがあることで「曲がりなりにもこれに反しないように」振舞っているという現実的な「タガ」としての作用、もしくは今後の人類が
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『イカの哲学』以来の中沢新一の本だが、やはりこの人の言説は全て「宗教」ががかっている。思考の抽出の仕方が特殊であり、懐かしくもあり、今は遠い世界の話のようにも思える。3・11以後の日本文明のあり方が、これまでのあり方は変わるという意見には納得するが、「贈与」という思考手段にこだわり演繹的に自論を提示していく方法は、回りくどくもったいぶった生活とかけ離れた世界である。
エネルギーを8つの段階に分け、原子力エネルギーは当然第7段階ととらえ、これからのエネルギー政策を第8段階として遂行していくという意志は認める。現在も小型原子炉開発は先端技術として研究されるべき技術である。それを完全否定するのではな -
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贈与の可能性についての考察。
いかにして外部を引き入れ、この世界を活性化させるかというように読んでしまえば
彼の意図とはずれるのだろうけれど。
それでも、安直に「無の領域」などと言ってしまえば
霊的な言葉と戦うことになる。
その戦いは覚悟の上だったとしても、ヒロイックな感傷を携えては駄目だ。
広大な他者の領域、そこに種を播く。
じっくりと真摯に腰を据えて水をやり、耕す。
恩寵ではあるが、奇跡ではない。
それらはあらかじめ無数に存在していた。
常にすでに寄り添っている。亡霊などという言葉に騙されてはならず
数多の未来が今ここに眠っているのである。 -
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曼荼羅がどうだとか、そういう話もあったような気がします。
「はじめに」の部分で、河合隼雄さんが難しい本ではないというような
ことを書かれている。
しかし、それでも、ところどころ難しいです。高校生くらいから読める
とは思いますが、ちゃんと理解するのは難しい。
専門書に比べるとずっと簡単なんだろうけれど。
語る上での仏教との距離感が良かったです。
科学として仏教を見てみたり、心理学から仏教を見てみたり、
仏教にこう、視界を狭めて解こうとしている本ではないです。
学識があるお二人だからこそ、いろいろな視点から仏教を眺めることが出来る。
そのお二人会話を見守るような本ですね。
知らないことが多くて -
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憲法九条に関するような、核武装や世界平和や日本のポジションに関しては、論じられていない隙間がこれだけあるんだぞということを、爆笑問題の太田さんと作家で学者の中沢新一さんが示してくれるような本です。発想と知識を織り交ぜて話し合っているようなところもあって、創造的対談とも言えたかもしれない、はっきり覚えていないけれど。
戦争=圧倒的な暴力。
「悲惨なもの」と従来は考えられてきたが、
悲惨なものなんて弱気なことを言ってないで、
大義のために戦えという風潮が起こりそうな気がする。
勝てば官軍なんだから、太平洋戦争みたいに負けなければいいんだという論理も。
超大国のアメリカがついてるんだから、もう負 -
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《ブックレビュー》
第一巻が、自然と人工との間に対称性を取り戻そうとする神話の試みを読み解くものならば、この第二巻は、国家の誕生によって、自然ー人間間の対称性が失われた世界、たとえば自然を支配したり、征服したりといった思想が出てきた後の世界について、分析の射程を広げていく。
自然とともに暮らし、神話を法として生きていた者達は、自然との関係において、どちらかが大きな力を持つとか、どちらがどちらを支配するとかいった非対称な関係ではなく、お互いが大きな自然の中の一部となるべく、暮らしていた。たとえば狩猟民族でも、必要以上の動物を狩ることは固く禁じ、殺した動物の身体を丁寧に尊敬を込めて扱っていた。
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カイエ・ソバージュ第四弾。
「神の発明」では今までに比べてスピリチュアルな話が多かった。
以下気になったところをつらつらと。
第一章より
・「ヤヘ集会」という一般の人に開かれた集会ではシャーマンが調合して液体ジュースを飲んで、幻覚体験を行って、宇宙の力と生命の源泉である「銀河」へ出かける体験をしていた。
・幼い子供が立派な抽象画家であるのは「内部閃光」に基づいているため。昔の土器などの模様も内部視覚によるもの。つまり芸術は外の世界を見て書き始めたのではなく、自分の内側を見て書かれたのではないか。
第三章より
・アボリジニの間で知られている虹の蛇。これは創造を司るスピリット。それは雨期に雨 -
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第1巻で加速し、第2巻で浮遊し、この第3巻では、本来並んで語れることの少ない現世の2大キーワード「愛」と「経済」をひとつにした巨大クラウドに突入! いやあ、大胆な試みです。面白い。
「交換」という方法だけが支配する世界では、人が、気持ちが阻害されてしまう。おカネを稼ぐために経済社会のシステムに埋没し、労働のリアルな幸福感を得ることができにくい、かなしき状況はここ何十年か続いていて、もう限界だろうと、多くの日本人が思っているのではないでしょうか?
では、どうしたらよいのか?
そのひとつの答えとして、古来にあった「贈与」あるいは「純粋贈与」という方法の存在を提示してくれています。
そして、もうひ -
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中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズの第二巻。
ここで特に語られていることは、「熊」をカミとして万物の生物との「対象性の思考」、そこからの「野蛮」の介入によるクニ、国家の誕生についてである。
第一巻同様にたくさんの神話(今回は部族の言い伝えかな)がふんだんに盛り込まれていて大変に興味をそそられた。
様々なつながりの知識が入ってきて感動する。知らなきゃ、知らないまま。でも知らないではもったいない。
とりあえずつらつらと気になるところをあげていく。
序章より
・相手が動物であれ、人間であれ、相手を「野蛮」だと決め付けて、自分は文明的だとうっとりするということは容易には崩れない非対称の関係が -
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現在は、あらゆることが経済によって決まる。つまり、儲かるかどうかということ。そうした経済の論理は「交換」によってなりたっている。等価交換、ある価値があるものには、その対価をはらわなければならない。一方、「贈与」も行われる。迂遠な「交換」の一形態ともとらえられるが、実は、「交換」より前に成立していたシステムだ。
しかし、この「交換」「贈与」だけで説明できないものが世の中にはある。その最たるものが、「生」と「死」。生まれてきたとき、その命はどこから贈られたのか?死んだのち、その命はどこへ贈られたのか?その対価は何なのか?誰にたいして支払われ、また誰が支払うものなのか。この現象がおそらく「純粋贈与」 -
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一神教の世界は真ん中の空いた浮き輪のようなもの(トーラス)をびっしりと「ことば」が覆いつくしているイメージで描かれている。「この世」の現実はことばの象徴秩序によってつくられているという考え方だ。しかし、真ん中にぽっかり空いた穴は埋めることはできない。それを満たすことができるのが唯一、神(ゴッド)であると考えられている。
かくして知性偏重、「知」と「権力」が一体であるような文明が生まれた。
しかし、当然のことながら、知性のみで全てのものごとを掌握することは難しい。例えば「生命」だって、形質についての情報を伝えるゲノムのみでは、生命体が「生きる」ことはできない。それが動き出すような着火剤の働きをす