レイ・ブラッドベリのレビュー一覧
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ネタバレ今年の夏は、なぜかSFを読んでみたい!と思い立ち。
今まで海外文学はほとんど読んだことがなく、
さらにSFというジャンルを受け入れられるのか、
不安はありましたが、
逆に訳わからないものを欲してる!となり。
YouTubeでSF作品を中心に読んでる方が紹介していた一冊です。
面白かったです!
海外のYouTubeチャンネルで概要を見ましたが、
それでも私は楽しめました。
本を持つ、本を読むことが禁じられた世界。
人々はテレビかラジオを聞き、
娯楽を与えられ続け、考えることを放棄している。
そんな世界で主人公のモンターグは昇火士として、
家屋と本を丸ごと焼き払う仕事をしている。
妻 -
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ネタバレ本が見つかると燃やされるディストピアの話
巻貝ってワイヤレスイヤホンのこと…
リビングの家族たちって4面ではないにしてもプロジェクターのこと?
なんだか現実と似通ってきていて怖くなった。
P91 ベイティーがしゃべりまくっているところをもう一度読み直したい。
ダイジェストとかショート動画とか面白くてつい見てしまうけど、確かに深く考えないから記憶に残らない。
好きな本が映画化されても気に入らないのは個人的に大事だと思うところが省略されてしまうからかもしれない。
こんな講義をされて昇火士に疑問を抱いている人が納得できるだろうか。全く逆でベイティはモンターグを煽っているように感じた。ベイティこそ -
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映像やドラマ、上っ面だけのエンタメに満たされ、みなが深く考えることのなくなってしまった世界。考えるもととなる書物――諸悪の根源――をこの世から消し去るのが「正義」とされる社会。そうした近未来社会を、ひとりのファイアマンの視点から描く。
発表は1953年。アメリカでは、あのマッカーシズムの嵐が吹き荒れていた。テレビも一般家庭に普及しつつあった。さらには全面的な核戦争の脅威もあった。そうした時代状況を背景にした作品として読める。少なくとも、ブラッドベリの憂慮はそこにあった (必ずしも反知性主義や全体主義のことまでは考えていないように思う)。
まず新版の伊藤典夫訳で読み通した。次に比較のため、旧版の -
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ネタバレレイ・ブラッドベリで最初に手に取ったのが「とうに夜半を過ぎて」で、それはうまく良さを掴みきれず挫折してしまったのですがこれは面白く読めました。
著者はこの作品がSFと言われるのは疑問だと序文で書いているとおり、火星を舞台にした哲学的なファンタジーと言われるとこの小説の雰囲気にしっくりくる。
でもこの幻想的で詩的な中に人間のリアリティがしっかりとある。宇宙旅行が自由になり人間たちは火星へそれぞれ色々な目的で旅行や移住するようになる。その結果、火星の元からあった文明はすべて破壊され、さらに地球では核戦争が起こり火星も地球をも壊してしまうという人間の悲しい罪深さが描かれている。
この小説の核となる7 -
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「とやかくいわないでください。知りたいとは思いませんから」って、この本の冒頭の作者自身のけっこう長い“まえがき”。
自分的には“童話的SF”または“SF的童話”なんだけど。
確かに、グリムもアンデルセンも擬人化してるんだから、火星を地球化したからといって“サイエンス・フィクション”であるかどうかが議論されることは、ナンセンスだよねって、思うし。
それにしても、長めも短め(たった1ページのもある)もごちゃごちゃなんだけど、なんとなく時系列であることがわかり、且つ、つながっているんだなぁって、感じる。
前半の火星人とのやりとりも良いけど、特に、この短編集のなかではやや長めの「月は今でも明るい -
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ネタバレ中村うさぎさんが霧笛の話をしており、この本を読もうと思った。読み進めていくにつれ、私はどんよりとした海に呑み込まれる気持ちになった。霧笛は孤独を象徴していると思う。物語に出てくる頸長竜は仲間の声が聞こえたと思って、暗い海の底の底から長い時間をかけ、泳いできた。なのに、仲間の正体は灯台。結局、竜は大きな声で叫び叫び叫び、灯台を壊して、また海の底で眠りにつく。この孤独感は、今作の竜だけではなく、私たち人間も一生背負っていくものだ。いくら友達や恋人や家族がいても、孤独感は消えないと思う。でも、私たちはこの孤独を背負って生きていくのだと、頸長竜が教えてくれた。
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レイ・ブラッドベリ(1920~2012年)は、米イリノイ州生まれ、高校卒業後に新聞の販売をしていたときに書いた作品(共作)でプロ作家となったが、1950年の『火星年代記』で名声を得、1953年に代表作『華氏451度』を発表した。作品にはファンタジックな雰囲気の短編集が多く、幻想作家として不動の地位を築いた。
『火星年代記』は、米国のSF関連雑誌「ウィアード・テイルズ」等に発表された短編群に、書き下ろし作品を加えた、26の独立した短編を連ねて一つの長編とした作品である。年代記の題名の通り、1950年出版のものは、個々の短編に1999年1月から2026年10月までの年月が付され、その順の構成になっ -
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火星への移住を試み、実際に移住し、最終的に手放すまでの時代を生きた人達の心情に寄り添ったオムニバスストーリー。なんですが、本作の火星は呼吸もでき、地球からの物資持ち込みも容易な設定なので(設定というよりは当時はそういう場所として想像されていたんだと思いますが)、当時の欧米から見た、地球上にある未開の地との交流といった体で読んだ方が楽しめるかもしれません。
どれも詩的な表現に富んだ素晴らしい短編ばかりでしたが、中でもお気に入りは「第二のアッシャー邸」「火星の人」「長の年月」の3編。特に「火星の人」は居なくなった人を求める人間の心情を繊細に描きながら、ラストの「かんぬきをかけた」という言葉で締め -
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ブラッドベリ初読みでした〜。
地球から火星への植民という、作品全体を貫くひとつの設定。それを繰り広げられるSF連作短編集。
いちおうSFだけれど、人間模様や風景の描き方がかなり幻想的で詩的で叙情的。幻想小説といった方がしっくり来る。
火星人も出てくるのだけれど、そのイメージが序盤と終盤ではけっこう違う。後半では火星人は、エルフや何か人外の架空生物のよう。
年代を追うごとに火星や地球人を取り巻く状況が変化してゆくので、続きが気になりつい読んじゃう。
【ネタバレあり】
全体の大きな破滅の中にも一縷の希望があるという終わり方が『華氏451度』を彷彿とさせる。といっても、原作は未読で映画だけ観て -
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ネタバレとにかくめちゃ怖かった!
ハロウィンに古びた列車で街にやってきたカーニバルは、人々の負の感情を糧に永遠に続く悪夢のような存在。ターゲットにされた人間は時を巻き戻すメリーゴーランドにのせられ、何十歳も年を取り(または若返り)、日常での居場所が無くなり、カーニバルの一員になるしかなくなる。もう2度と戻れない日常に絶望する人間の感情はカーニバルを運ぶ列車の燃料となる。
仲良しな13歳の2人の少年がそのカーニバルに捕らえられそうになる話。
メリーゴーランドに乗ってぐるぐる回ることがこんなに怖い話になるとは…。鏡の迷路で、突然何十年も年を取った自分の姿を見る羽目になるのはこわい。
少年たち2人とも仲良 -
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ネタバレ・あらすじ
2030年代の火星に地球から探検隊がやってくる。
地球からの移住者、火星人たちの文明と滅亡が書かれた火星が舞台の短編オムニバス小説。
・感想
海外SF小説が好きなYouTuberさんがレイブラッドベリを紹介した動画をみて興味を惹かれ購入。
超超有名なディストピア小説「華氏451度」はずっと読んでみたいと思いつつ未読なんだけど、この作品から読んでみようと思い手に取った。
あまり事前情報を仕入れずに読み始めたので「詩的な文章」という私がもっとも苦手とする表現が多く、抽象的というか想像力が必要な作品で序盤は雰囲気を掴むのにちょっと手こずってしまった。
でも「第3探検隊」からの「月は今 -
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レイ・ブラッドベリの1962年発表のダークファンタジー。著者は短篇のイメージが強いですが、これは長篇。1983年にディズニーで実写映画化(映画自体は凡作との評価)。
10月のある夜、田舎町に突然現れたカーニバル。親友同士の少年2人は、そのカーニバルの奇怪で異常な様子を覗き見てしまいます。やがて2人は、そのカーニバルの邪悪な秘密を知ってしまい、その魔の手から逃れようと苦闘して、父親も巻き込みながら物語は佳境に突き進んで行きます…という話し。
人々の弱点である人生における若さや老いを巧みについてくる、カーニバル座長のミスター・ダークと、少年2人や父親の心の動きの描き方が素晴らしく、物語に引き込