レイ・ブラッドベリのレビュー一覧
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ネタバレ最初どうしてもイメージできない描写がひたすらに続き、これ読み切れるかなと心配していたのだが年代が進むにつれて加速度的に読みやすくなる。でも文明のうつろいを描写で感じることになるとは……。
「優しく雨ぞ降りしきる」のスピード感と「火の玉」における信仰対象への解釈の話がいっとう好き。こういう話、自分で思いつきたかった!というタイプの面白さ。
私にはまだ言語化が難しいところがたくさんあるのだが、先に同作者の華氏451度を読んでいたのでこの辺りは作者のテーマなのかなと思った。たまに殴りかかるような風刺が飛んでくるのでまったく油断できない。
ホラーっぽいなこれ…という描写もちょくちょくあったが、巻末の解説にある掲載誌の話を見て納得した。 -
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ネタバレ火星がどんな風に侵略されたか、地球はどんな状況なのか、地球人は何を考え火星へやってきたか、それらをいくつもの短編を読んでいくことで把握できるようになっているのが面白かった。喉元にナイフを突きつけられたような恐怖を味わう話もあったし、心を押しつぶしてくるような話や、詩的で美しい話もある。
目線が変われば見えてくるものも違っていて、それぞれの立場で真実を見せてくれるのが良い。これが一人の主人公の語りであれば偏った情報しか得られないからだ。
いくつか印象的な短編があった。第三探検隊が懐かしさの中で殺された話。地球人の愚かさに抗おうとしたスペンダーの話。火の玉に出会った神父たちの話。死んだ家族を造った男の話。火星人になった話。どれも忘れがたい。きっとこうやって争いや悲しみはひとつひとつ積み上がって、戻れないところまで来てしまうのだなと思った。
ラストの水面を眺めるシーンはゾッとさせられたけれど、それ以降の年代記も読んでみたい。 -
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地球の人間が火星を訪れ、人間のための世界を作り、去っていく経過を描いた連作短編集。そしてブラッドベリやっぱりすごい、登場人物は皆生き生きと動き回り、情景がくっきり浮かんでくる語り口。時にファンタジー、時にホラー、時にコメディ。滑稽であったり、無常感を纏っていたり、とにかく生々しく感情の色々な部分を揺さぶってくる短編の数々。
特に良かったのは穏やかな夏の夜を楽しむ火星人たちが人間の到来を知らずの間に知覚してしまう『夏の夜』、火星に到着した探検隊の夜を描く『月は今でも明るいが』、大焚書であらゆる本が焼かれた地球を抜け出してきた男が、火星にポーの作品に出てくる陰鬱な館をこしらえる『第二のアッシャー邸』、老夫婦のもとに地球で死んだはずの息子が現れる『火星の人』。あと傑作集に収録されていた『優しく雨ぞ降りしきる』もやっぱり好きでした。でも実際のところ、全編良かったです。良かった。 -
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ブラッドベリ的とは
SF小説は、未来や宇宙世界に対するワクワク感をもたらすものが多いが、この短編集はちょっと異質。
グリムやアンデルセンが動物を擬人化したように、SF小説においては舞台を未来や宇宙に置いて、時には異星人をモチーフにして、かえって人間の愚かさや面白さを浮き出させている。
収録作品には、宇宙も未来も何も出ず、ただ村人の話なんてものもあるが、まったく違和感がない。
そう考えると、「ブラッドベリ的」ということもあながち「独特な」という意味ではなくなってくる。
特にこの(初期)短編集は、カテゴリーによる「SF」というレッテル貼りが無意味に感じるほど「独特」でありながら、「普通」に面白い。
お気に入りは
「霧笛」「ぬいとり」「発電所」「草地」「歓迎と離別」「太陽の黄金の林檎」……とあげていくと、選びきれなくなっていく。
収録作品すべてに「ブラッドベリ的」な余韻がある。 -
ネタバレ 購入済み
焚書の広まったディストピア
米国のSF巨匠レイ・ブラッドベリ氏の作品。
本が禁制品となり、本を焼く職業である"昇火士"のモンターグが主人公。
本を焼く立場である彼だが、とある少女クラリスの出会いからモンターグに心境の変化が生まれる。
単純な情報統制としての焚書だけでなく、人に処理できない量の情報の氾濫など、
現代にも通じるテーマも含まれたディストピア物の傑作の一つ。 -
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「世の中に本がなくても困らない」「本を読まなくても平気」な人がいる(このサイトにはいないだろうけど)。そういう人だって情報はないと困るし、ネットニュースやSNSやTVなどで収集しているだろう。この小説で書かれる「書物」と「TV」は情報を得る媒体として何が違うのだろうか? 一つは読書という行為は受け身の人には敷居が高いということにあるのかも。ネットやTVは受け身でも何とかなるが、読書は受け手が何らかの「問い」を持たない限り、行為が発動しないという不親切さがあるのだと思う。この作品で燃やされる書物は、人間の「問い」の直喩であり、その背景にある「知性」のことだと締めくくられている。読む前はもっとシニカルでアイロニカルな文明批評なのかと思いきや、かなり作者の危機感や怒りが率直に感じられて意外だった。ちなみにこの作品で人間を無思考状態に陥らす「壁テレビ」は、従来のテレビではまだ生ぬるかったが、ほぼほぼ今のスマホで代替可能になった。スマホはTVと違って10時間を超える利用も可能。「考えるための余暇」も確実に奪い得るのだから。
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昔のSF小説を読むと、人間社会の行く末を的確に予見した知性の働きに驚く。
本が禁止された世界で、焚書官モンターグの仕事は、本を焼き払うこと。人々は本を読み、物事の本質を捉えることをやめてしまい、物事を考えるいとまを持つこともなく、「幸せ」に暮らしている。
しかし、その世界には戦争が迫っている。テレビやラジオは戦争のことを語らず、のんきな人々は「戦争は誰か他の人が死ぬもの」と思い込んでいる。
実は、この世界では、初めに焚書官がいたのではなく、初めには本を読まなくなった人々がいた。
それから、本を忌み嫌う政権が生まれ、人々が惑わされないようにと本を選び禁止していった。
これは2000年代からの日本の話でしょうか。
本を読まなくなった人々。知性を忌み嫌う政権。
互いを監視し合う自粛警察。溢れる音楽と動画配信。暇や空白の時間を無くし、汲々と効率の良い生活を求め。私たちはせっせとディストピアを自らの手で建設しているように思えてなりません。 -
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ネタバレ「ご存知かな?書物はすべて、ナツメグのように、異国から招来される香料のにおいがします。わしは子供のとき、書籍のにおいを嗅ぐのが大好きだった....」(p.165) ※この一文、自分がナツメグ好きなこともあって、ドンピシャに刺さった。
ディストピア小説で名高いだけあって、文句なしに面白かった!唯々諾々と受動的に生きてきた主人公が、ある少女との何気ない出会いで認識が一変し、自分の正気を保つために行動し...という話。自分が正気=世界が正気ではない、世界が正気=自分は狂気、という0か100かというとんでもない緊張を突きつけられ、人と出会い、一歩を踏み出していく、希望はあるエンディングだった。自分はちっぽけであることを忘れず(「書物のほこりよけのカバーみたいなもの、それ以上、何の意味ももってはおらん」p.307)、自分の中にある疑問や正義を問い続け、他者と協力していくこと、ディストピアに至らないようにというブラッドベリから警句だろうか。
我々の社会に欠けている、(書物はきっかけとなる)本質、閑暇、正しい行動、と言われた時に、今この私がいる社会は既にこの焚書の社会の一形態に突入しているというのが突きつけられる。とすれば、先程の0か100か問題も自分に向かってくるのである... -
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目次
・霧笛
・歩行者
・四月の魔女
・荒野
・鉢の底の果物
・目に見えぬ少年
・空飛ぶ機械
・人殺し
・金の凧、銀の風
・二度とみえない
・ぬいとり
・黒白対抗戦
・サウンド・オブ・サンダー(雷のような音)
・山のあなたに
・発電所
・夜の出来事
・日と影
・草地
・ごみ屋
・大火事
・歓迎と別離
・太陽の黄金の林檎
レイ・ブラッドベリと言えば、SF作家でありながら抒情的、ノスタルジックでメランコリーな作風というのがイメージだったし、そういう作品が多いのはもちろんなんだけど、それだけではないことに気づく。
ただ後ろ向きのノスタルジーではない。
かなりはっきりと、行き過ぎた科学至上主義などを批判している。
”無線車で外出していると、連絡は、ひっきりなしです。ああ、連絡か!実に体裁のいい言葉じゃありませんか。連絡とはつまり、いつも摑まえられているってことです。抑えられていると言うべきかな。”(人殺し)
似たようなことは森博嗣も作品の中で「携帯電話は使われている人が持つものでしょう。私は持ちません」と西之園萌絵に言わせていたなあ。
主人公はラジオ、電話、しゃべる家電を壊して回り、刑務所の独房で静かに過ごす。
黒人対白人の野球の試合。
特に記述はないけれど、1960年代のアメリカ南部が舞台でしょうか。
日々体を使った生活をし身体能力の高い黒人と、普段体を動かすことのない白人の試合。
けれども大人はみんな、当然白人が勝つと思っている。
審判はアイルランド人。
案の定白人は審判にも食ってかかる。
試合は黒人が勝ち、観客はそそくさと家に帰る。
「お家に帰りましょう。黒人はカミソリを持ってるかもしれないわ!おお、こわい!」
元の皇帝は、空飛ぶ機械を発明した男を殺す。
その男に悪意がないことはわかっているが、いつか誰かがその機械を大量殺人のための兵器として悪用するかもしれないので、その芽を摘むために。
ごみ屋は仕事をやめようかと妻に相談する。
原爆が落ちたらごみ収集よりも死体の回収を優先するようにと市長に言われて、そんなことはできないと思った。
しかし妻は言う。「家族のこと、生活のことを考えて」と。
ただ時流に流されていけば、何も考えなければ、楽に生きられるのかもしれない。
けれども、その後に悪夢のような日々が来るかもしれないことを、そのツケを子孫に残していくことを想像できないのなら、人間という生き物は何なのだ?
そんなブラッドベリの怒りを過剰に感じてしまったのは、過日に観た映画『マイ・ブックショップ』の影響かもしれない。 -
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ネタバレ目次
・アンリ・マチスのポーカー・チップの目
・草原
・歓迎と別離
・メランコリイの妙薬
・鉢の底の果物
・イラ
・子ねずみ夫婦
・小さな暗殺者
・国歌演奏短距離走者
・すると岩が叫んだ
・見えない少年
・夜の邂逅
・狐と森
・骨
・たんぽぽのお酒
イルミネーション
たんぽぽのお酒
彫像
夢見るための緑のお酒
・万華鏡
・日と影
・刺青の男
・霧笛
・こびと
・熱にうかされて
・すばらしき白服
・やさしく雨ぞ降りしきる
読んだことのある作品もない作品も、通して読めばすべて懐かしいブラッドベリの作品になるのはなぜなんだろう。
これらの作品が書かれたころは未来はバラ色で、苦しみや不幸なども科学技術の進歩が解決してくれると思われていたはずなのに、どの作品にも喪失の痛みと、二度と戻ることのできない何時かへの哀切があふれているのはなぜなんだろう。
そして。
学生の頃せっせと読んでいたブラッドベリは、私の好きなものの宝庫だったと気づく。
意表をつくどんでん返しなどない。
不穏な予感は不穏のまま幕を閉じる。
けれども、そこにある昏い予感は、決して現実と交わらない作品世界から確かな痛みを私の中に残すのだ。
不思議だな。
死にゆく火星人に会ったこともなければ、2155年の絶望に追いかけられたこともないのに。
そしてやはり『たんぽぽのお酒』は名作だ。
今この時を留めておくために、彫像のように動きを止める。
友との別れの時間が永遠に来ないように。 -
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一篇はたった5~6頁ほどですが巨匠ブラッドベリの手に掛かれば彩り豊かな宝石箱のような様相を見せます。22篇が収められた短編集は全体的に明るい作品が多め。そして日本語訳の表現も素晴らしい。もっと注目されてほしい一冊。
『穏やかな一日』
とある画家の絵画に想いを馳せるひとりの男性。バカンス先で起こった奇跡の出会い。一瞬で湧き上がる興奮とその余韻すら楽しめる心躍る一篇。
『メランコリイの妙薬』
娘に舞い込んだ謎の病。この病ばかりは両親にこそ分かり得ない。
『すばらしき白服』
仕事も金もない男たちが“共有”した一着の白服を巡るてんわやんわの大騒動。純白のバニラ・アイスクリームのような、八月の月のような…白服の様々な表現が秀逸です。男たちの賑やかなやり取りを経た先にあるちょっぴり切ない、でも心に響くラストは幸せな気持ちになりました。この短編集のなかで一番好き。
『熱にうかされて』
僕の体が侵されていく…。前作と風合いは一変、ホラー調。
『誰も降りなかった町』
田舎町のプラットホームに降り立ったひとりの男性。緊迫の対峙に背中がひやりとする。
『金色の目』
崩壊の危機迫る地球を脱出し、火星へと移住したとある家族。地球から運んだ動植物、そして人間すらも少しずつ火星に“適応”し始める。新しい文化。新しい生き方。
『旅立つ時』
死にゆくために家を出ようとする気弱な老夫と、それをぎゃんぎゃんと止める気丈な老妻。相性の良い夫婦。
『すべての夏をこの一日に』
太陽はこの日、7年振りに1時間だけ姿を見せる。子供たちの純粋な残酷さ。美しいタイトルに反し心が締め付けられる…。
『贈りもの』
地球をあとにしたロケットの中でクリスマスを迎える家族。ツリーを、プレゼントを心待ちにしている息子にどう喜んでもらおうか画策した両親のひと工夫。
『たそがれの浜辺』
変わり映えのない毎日に海からやってきた不思議な生き物。あなたならどうする? -
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本の所持が禁止された世界を舞台に、見つかった本を焼き払う”焚書官”の仕事をするモンターグの姿を描いたディストピアSF。
以前NHKの「クローズアップ現代」で読書について取り上げられているのを見ました。その番組の中の実験で普段読書をする学生としない学生でレポート課題に取り組む際どのような違いが見られるか、ということが実験されていたのですが、それがこの本の内容とシンクロしているような気がします。
モンターグはふとしたきっかけから衝動的に一冊の本を持ち帰り、その本を読み自分の仕事に疑問を持ち始め元大学教授のフェイバーに話を聞きにいきます。
フェイバーが語る書籍のない社会に欠けているもの。一つはものの本質をつかむ力。二つ目はその本質を消化する閑暇。そして三つ目が先の二つから学び取ったものを基礎において行動する力だそうです。
本が禁止された世界は、この小説の中ではこんな風に書かれています。
まず重要な役割を演じているのはテレビです。テレビは映像や音響の力で人間の想像力を縛ります。
また徹底したカットや編集、あらすじや概要だけを伝える省略化によって、視聴者にその番組の細かいところを想像させないようにし、また次の番組に移るという情報の意味を考えさせない工夫がされています。
また余暇はスポーツを徹底させて組織論を身体に覚えこませ、また身体を動かすことでふと物思いにふける時間を取らせないようにしています。
こんな世界だからこそ、人々は何も考えず与えられた情報をただ消費するだけになってしまい結果的に支配しやすくなるというわけです。
そして自分がNHKの番組とシンクロしていると感じたのはフェイバーが語る3つ目の理由。学び取ったものを基礎において行動する力です。
NHKの読書をする学生としない学生のレポート課題の取り組み方を調べる実験によって明らかになった違い。前者はネットで調べた後、本からさらに課題について知識を得、独自の観点を見つけそこから自分の意見を展開していったことに対し、
後者はネットで調べた多様なテーマをコピー貼り付けし、最終的にその多様なテーマを意見や考察に結びつけることなく簡単に数行で終わらせてしまう結果に終わったそうです。
こうしたところに学び取ったものを基礎において行動する力の限界が見えたように思いました。
ネットやSNSで簡略化された情報が次々と現れては消えていくようになった現代において、60年以上前に書かれたこの小説は今もなお警鐘を鳴らし続けているように思います。
警句的な意味でも名作ですが、ところどころに見られるブラッドベリらしい詩的なイメージや文章もさすが、と思いました。
そして徐々に本の重要性を知っていき、本を守るために命を懸けるモンターグの姿は本好きとして応援せずにいられなくなりました。そういう意味でとても共感しやすかったと思います。