温又柔のレビュー一覧
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だれといても、どこにいても、
自分のいちばん近くにいるのは自分自身なのよ。
だからね秀雪、だれよりもあなたがあなた自身のことを
いちばん思いやってあげなくては。
自分自身をないがしろにしながら
ひとさまのことを大事にしようだなんて、
そんなのできっこないのよ
『魯肉飯のさえずり』/温又柔
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母は、わたしの恥部だった――
申し分のない夫・聖司と結婚し、
〈ふつう〉の幸せになじもうとするも、
にわかに体と心は夫を拒み、性の繋がりも歪になっていく―
密かに声を殺して生きた子ども時代の〈傷〉に気づくとき、
台湾の祖母、叔母、そして異国に渡った母の一生が心を揺らす。
夫と妻、親と子それぞれの〈過ち〉を見つめる心温まる長編小説
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異なる言語を使っていても分かり合える相手もいれば、
同じ言葉を使っていても、理解し合えない相手もいる。
#温又柔 さん #魯肉飯のさえずり #中公文庫
#読書感想文 #読書記録 -
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ともに第33回すばる文学賞をきっかけにデビューした二人の作家の、およそ1年6ヵ月にわたる往復書簡。2019-2020年の東京オリンピック狂騒曲から新型コロナウィルス禍の時間と社会の空気が書き込まれているという意味で、歴史の証言として読むこともできる。
木村氏と温氏は木村氏のほうが10歳年長だが、木村氏の(いい意味で)青くさくて痛々しいほどまっすぐな思索と問いかけを、温氏がまるで姉のような包容力で受け止めたり、ふっと身をかわしながら別の文脈につなげていったり、という対話のキャッチボールが繰り返される。深い信頼がなければ書けない率直さと、そんな相手に甘えきってはいけないという気遣いと覚悟とがそれぞれの言葉からにじみ出ている様子は、じつに羨ましく感じられた。結論。友人は大切である。年齢を重ねれば重なるほど。 -
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ネタバレ呉濁流、李良枝、アンサルドゥーア、デリダ——。読み手としても一流の著者が出会ったことばに励まされながら、著者自身の「ことば」とのかかわり/つながりを肯定しつつ掘り下げていく。「温柔」が“やさしい”という意味の中国語で、「温又柔」がとてもやさしいひと、という意味になるとは(迂闊にも)初めて知った。中国語圏で「温又柔」は、まるで日本語の「泉鏡花」のような名前なのだろうか。
『悲情城市』が、日本と台湾が経験した戦後と冷戦の時代の差異と懸隔を表現してみせたように、著者の小説は台湾と日本の「ポスト冷戦」期のねじれた非対称性が書き込まれているとも言える。台湾社会の民主化、過去の再審と再評価。他方、日本社会の戦争記憶の歪な記憶と「戦後」への引きこもり。
李良枝の小説を念頭に置きつつ著者は、あるひとのことばづかい、言語のあり方を特定のアイデンティティと一義的に結びつけようとする理解を厳しく拒否し、そのひとの個別的で交換不可能な生の証しというか、生を刻んだ果実の実りとして受け止めなおそうとする。本書の最後に収録された「おてんきゆき」は、「語らない」こともまた語りの一つのあり方であることが、静かに、だが力強く、書き込まれている。 -
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初出ベースで考えると10年間の幅があるとは思えないほどテーマに連続性を感じる短編集。とくに一作目の「二匹の虎」と三作目の「君の代と国々の歌」がよかった。
表題の「恋恋往時」からはすぐに、ノスタルジーという情動のことが思い浮かぶ。しかし、本書における追懐は、過去をいたずらに美化することでも、現在を甘やかに肯定することでもなく、過去の時間に折りたたまれていた人間同士の関係性の襞を押し広げ、そこにかかわる歴史=政治の対立と葛藤とを受け止めたうえでなお、その時間の堆積が連累していった結果として「いま・ここ」の現在を引き受けようとする厳しい覚悟によって支えられている。その覚悟は、台湾と日本という境界だけでなく、台湾社会の内部に走る複数の境界線を曖昧に片付けずに書き込もうとする作者の誠実な姿勢にもあらわれていると思う。三作目の「君の代と国々の歌」は、2019年の「改元」をモチーフにした作品としても重要。 -
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ネタバレ言語とアイデンティティ、台湾と中国の緊張関係が中心的に描かれていた。。個人的に好きだったのは、登場人物が中心に抱えるものが、台湾と中国の関係という国家レベルのissueから、留学生活が深まる中で恋の問題や友情の問題、個人レベルのtroubleに流れていくところ。日本人でも外国人でも最初は地域や出身国などの差異を中心に、交流をしがちだが、仲が深まると地域性(〜人だから…)よりも個人性(〇〇さんは××)という面にピントが合ってくる。そこがよく表現されていたように思う。
国家間と個人間が溶け合いながら融合していく流れは、言語の問題が公共的かつ個人的である面を表していて美しかった。 -
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だれといても、どこにいても、自分の一番近くにいるのは自分自身。
京都の人のものの言い方をよく聞く揶揄したり酷いねという話があるが、日本中の人は皆似たようなことをしたり言ったりして、部外者自分と出自や所属が違うものをソフトに本当にソフトに悪気のないふりをして、いいつらうのだ。悪気はないふりをしているだけで悪気は大いにある。
助詞の使い方などちょっとしたことでかなりきちんと表現される嫌味悪気意地悪。この日本的なるもの。自分もやってるかなと自省する。
親子、母娘の、と本の説明にあるが、
確かに母親と娘の関係を中心に父又は夫との関係も強く書かれていて、内容には、瀧波ユカリ氏の連載中の漫画わたしたちは無痛恋愛がしたいとシンクロ共鳴する部分が多く、男性女性の役割や立ち位置目線理解しようとしない利己的な男子、、など呪いのような解けない制約理不尽辛苦に関する部分がとても強く刺さったし、こういう作品がたくさんありこういう思いが女性の書き手から溢れ出て社会に出ていることに爽快感も。
とはいえ、母親の章は、とにかくピリピリと痛みが感じられ自分が台湾で与えられた親や家族への愛、自分の夫との愛、日本での子どもとのやるせない関係もどかしさ、母親の描写の章は涙なしには読めない。
自分の感覚自分の魂を信じること。できなくても信じること。
伝わらなくても伝えること。
とても素敵な女性たち。
台湾にまた行きたくなる。
日本を脱出したくなるけど、日本にも捨てたもんじゃない出会いもあるのかもしれない。
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「日本人でありながら日本の悪口さえ言っておけば自分の価値が信じられるような人が喜ぶ作品は、一切書かない」という言葉に突き刺された。その言葉が指し示す対象に少なからず自分は含まれているように思ったから。
日本社会に強力にはたらく単一化の力学に対して存在の複雑さと多様さを取り戻す戦い。そもそも国家、国籍、国境という概念が歪で、その概念に適さない人間が歪なわけではないということ。
自分の過去の不適切な発言が思い起こされ、また、自分が今も気づかずしてしまっている差別的言動が必ずあるだろうということに消え入りたくなる。
しかし惑う存在として存在することを肯定してくれるこのエッセイはとても温かい。 -
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日本人の父と台湾人の母を持つ主人公が、母の言葉である「中国語」を学びに上海に留学。
日本人に見えるけれど中国語を話せる、とか、母が台湾人ならもっと上手く中国語が話せるのではないかとか、帰化した中国人の両親を持つ子どもの母語は日本語が、とか…ナニジンでナニゴが喋れるかという絶妙なややこしさを軽やかに描き出して見せているなと思った。
日本人の母と台湾人の父を持ち、日本語を話すように育てられたリーリーや、正確な?中国語を「普通語」として教えようとしている上海の漢語学校教師、関西弁と中国語を話すシュンヤ。
シュンヤが「言語と個人の関係は、もっと自由なはず」と言う、これがテーマかな。 -
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告白するのも、覚悟がいるけれど、告白される方も理解する・咀嚼し受け入れる・受け入れられるかはわからなくても、受け止めることには多大な負担がいる。
マイナーを受け入れる。
移民難民在日。LGBT。
相手に強い関心・愛情がある方が、受け入れることが難しいのかも知れない。
ヨソモノ。
日本人もいろんな人がいるけれど、排他的だなとは日々感じる。どうして、自分との違いに注目し、ヨソモノとして分類してしまうんだろう。共通を見るのではなく、差分をみる。
その差分とは?
その差分を突きつけられ、息苦しく生きている人が多いのが日本か。
海外の日本人の記述も恥ずかしく思う。
中国と台湾の歴史的経緯、台湾人と中国人、大陸から台湾に渡って大陸に戻れなくなった方々。台湾での差別。大陸での暮らし。知らないことばかり。