南伸坊のレビュー一覧
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月刊「日本橋」で「シンボーの日々是好日」の連載が始まったのは2000年。いまも連載は続いているので、今年で25年。
本書は、その連載のうち、2014~22年分から46篇を収録。4本の柱、「おじいさんのコロナ」「おじいさんの意見」「おじいさんの日常」「おじいさんの趣味」にグルーピングされている。
「おじいさん」や「おじいちゃん」は、ツマ文子が著者に使っている呼称。たとえば、出がけに「おじいちゃん、おじいちゃん、マスクは?」のように使う。それに対し、著者は即「おじいちゃんじゃない!」と切り返していたが、毎度そうするのがめんどうになって、結局「おじいちゃん」が定着。
電車のなかでマスクで遊ぶ話、なか -
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10年ほど前、ある雑誌の表紙で養老孟司先生が微笑んでいて、養老特集と思い買って帰ったら、本人になりすました南伸坊氏だったことがある。
本書もそれと同様、本人にそっくりなものばかり。とくにドナルド・トランプ、大江健三郎、野々村竜太郎、小保方晴子、木村拓哉は「傑作」と言うしかない。
どうしてこれだけ似せられるのだろう。メイキャップや瞬間的な表情だけでなく、伸坊氏の場合は、目がその人の眼差しになりきる。ほかのマネ芸人では、なかなかこうはいかないように思う。
伸坊氏いわく、「顔真似」は、自分の顔をキャンバスにして似顔絵を描くことなのだという(see南伸坊・糸井重里『黄昏』)。それには、自分や清水ミチコ -
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チューハイのハイはハイボールのハイだが、ねこはいのはいは俳句のはい。
見開き2ページ、ネコ目線のゆるい俳句と、読み手のネコの表情に、ゆったり穏やかな気持ちになる。イヌの俳句だとこうはいかない。
好きな句は「れんたんの もえるめつきの あかあおき」とか、「しかられた しょうがつそうそう いみふめい」。添えられたカラーイラストを見ないと、なんのこったか意味不明なんだけど。
文庫版は単行本『ねこはい』と『ねこはいに』の合本。現時点では『ねこはいさん』はまだ出ていない。(p.s. なんとフランス語版が出ていた。"Haïkus du chat"(ねこはい)と"Mes cha -
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いやあ、いいご夫婦ですね。しんちゃんとツマの二人のあれこれに混ぜてほしい気持ちになった。
読んでいて共感できるけど、いやあなかなかこういうことはできないし、こうは書けないね。
ペッパー君に話しかけてみるなんてことも。
(ペッパー君たち、解体されちゃったんだろうか。不要ロボットの墓場にいるのかな。不憫だ。)
確かにちょっと前にはお店やなんかにペッパー君がいて、話しかけてください、私に尋ねてください、みたいなことが書いてあったけれど、子どもや若いひとならともかく、いい大人がペッパー君に話しかけるのが恥ずかしく、話しかけたことはなかった。多分一般人の多くが同じ気持ちだっただろう。ペッパー君から確実な -
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南伸坊さんがいろいろな有名人本人になってしまうシリーズの一冊。
ページを繰るたびに、
「なんでこんなに似てるんだ」と衝撃みたいなものを受け、
そして瞬時に笑える、という楽しいシリーズなんですよね。
若い頃に、文庫版の『歴史上の本人』を読んで、
こんなに痛快な本があるのか!
と、とても嬉しくなったものです。
それ以来、また機会があれば読もうと思っていました。
写真だけのページもあれば、
本人になりすましたエッセイ付きのもあります。
そのエッセイがまた本人の独白と他人のなりきりの、
独白よりのちょうどよいポジションにいるような感じがして、
さらに本人への批判が無いがためにおもしろく読める。
本 -
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ネタバレいやはや、心理とは難しい難しいとは思ってはいたが、改めて分からないことだらけだと痛感。ただ、その「分からない」と言う河合隼雄の言葉には深みが感じられた。
「発見的に分かる道をともにするためには、”分からない”と自覚する謙虚さが必要だが、これはまったく自身がないのとは異なる。自信がないのはハナからまったく分からない人である。”分かる”に分からないをつなぐ人は分かる自信と分からない謙虚さを持ち合わせている」
つなぐ。大事なことだと思います。下線引いたり太字にできるならそう表示したいです。
全てはわからない。分かる部分に分からないをつなげて分かろうとすることが臨床心理士の仕事だと河合隼雄は言う。