青木理のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
日本会議という団体(?)の存在を知ったのは最近だった。はじめてその名称を知ったときは、どこかで行われる会議のこと?また随分大袈裟な名前の会議だなと思った。
日本会議が日本の政治に大きく関わっているだなんて思いもしなかった。
現安倍内閣で日本会議(日本会議国会議員懇談会)のメンバーが何人なのか皆さんは知っているだろうか。
青木さんの本によると、内閣総理大臣安倍晋三をはじめ13名。
20の閣僚のうちの13名だ。
官邸の枢要スタッフに至っては5のうちの4名だ。
内閣の主要なポストは日本会議メンバーで構成されているといっても過言ではない。
果たして、日本会議とは一体何なのか。
それが記してあるのが本書だ。
宗教団体生長の家を支持母体に、圧倒的な数で影響を及ぼす神社本庁とも繋がりのある日本会議。
乱暴に言えば、日本会議メンバーになっておけば選挙でとてつもなく有利となる。
天皇信仰が強い生長の家の影響から天皇絶対、復古的で戦前回帰を目指しているとしか思えない考え方、国民主権の否定をしている憲法改正草案内容。
こういったことを追求していることを知らないひとは、とても多いのではないだろうか。
安倍が虎視眈々と狙う憲法改正も、現実となるのは遠いことではないような空恐ろしさを感じる。
自民党の憲法改正草案を読んで背筋が寒くなったことを思い出す。
家族重視、家族間互助といった項目を加えようとしているのだ。
個人主義が過ぎるため、家族内統一を重くする。
要するに、ひとりひとりの意見ではなく家族での統一された意見を持たせようということは、家長制度を復活させようとしているのかと思わせる。
家族の問題は家族内で助け合っていく。
一見いいことに感じられるかもしれない。
しかし、それはつまり、介護などを家族間で抱え込むことにならないか。
ただでさえ家族にひとり病人や老人がいるだけで家族の負担は大きいのに、それを家族内で助け合うとなれば、家族全員で潰れろと言っているように感じる。
この本に書かれていることが全て青木さんの調べた通り間違いないかどうかはわからない。取材の仕方などによっては導かれることも変わるかもしれない。
それでも、取材内容をきちんと明らかにした書き方をしてはいるし、一冊の本にするに当たって思い込みで書いて良いとは思っていないはずだ。
文章の端々に青木さんの考えが認められる部分もある。
ただ、こうした書物を発端にひとりひとりが政治や憲法について考えていくことに意味はあると思う。
日本人は余りにも政治や憲法に関心が無さすぎる。わたしも偉そうなことが言えるほどではない。若い頃は憲法って社会で習ったけれどよくわからないという感じだった。
日本人として日本に暮らす以上、憲法によってわたしたちは護られている。それでいてよくわからない憲法。
もっと関心を持て、知らないところで国が大きく変わるかもしれない。
知らないわからないで済ませるな、見ないふり気付かないふりはやめろ、ひとりひとりが自分の考えを持て。
この本で筆者はわたしたちに警鐘を鳴らしているのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ここにレビューされているみなさんのような知識がほぼなかった自分。「最近日本会議という言葉をちょいちょい聞くけどそれってナニ?」というところから入りました。
恐ろしいですね。宗教と政治の繋がりについてはいろいろ聞いたり自分の意見もありましたが、こんなに以前から深く中枢に関わっていた宗教団体があったなんて、本当に恥ずかしいけれど知りませんでした。
しかし自分の周りを振り返ってみれば、「日本会議」なんて聞いたこともないという私と五十歩百歩の人が大半です。
知らないでいるということは恐ろしいということを久々に感じさせられた一冊でした。何故安倍首相がああいうスタンスなのか、今までもやっとしていた部分がよくわかりました。
たぶん内容としてはそれほどディープなところには踏み込めなかったのではないかと思います。(本当はもっと踏み込みたかったのではないかと推察)新書形式というのも手に取ってもらいやすさもあるけれど、その辺もあるのかなと。
私のように関心はあるけど、この手の本は手に取りにくいとか、理解が追い付かなく敷居が高いなどと思う人にはとても良い書式と思います。
敬遠しがちですが、不安が高まるこれからの日本の変化を注視する上で知っておかねばならないことであると思います。 -
Posted by ブクログ
2009年、よく似た事件が埼玉県と鳥取県で起きてマスコミの報道は加熱を帯び世間も沸いた。
埼玉県の事件の容疑者は木嶋佳苗。
鳥取県の事件の容疑者は上田美由紀。
ふたりの共通点は、自身の周囲で不審な亡くなり方をする男性が複数いること、それでいて彼女たちは一見して太った美しいとは言えない到底魅力的とは言えない風貌をしていることだ。
ふたりの相違点は、木嶋佳苗が華やかさを前面に出し自身を演出することに対し、上田美由紀は地味であること。
同じ時期に似たような事件が起きればマスコミも盛り上がるだろうとは思う。そこで東京に近い埼玉県の事件容疑者が飽きさせない演出をしてくれば、当然マスコミの視線は木嶋佳苗に向く。
自分でへそ曲がりと言う青木理さんは、注目される木嶋佳苗には興味はなく、上田美由紀に興味を抱く。そんな青木理さんのルポルタージュを文庫化に際し加筆修正したのが本書。
木嶋佳苗が青木理さんに取材をして欲しかったと口にするジャーナリスト青木理さんの本には、出版された時点で興味を持っていたへそ真っ直ぐなわたし。文庫化されてすぐに購入した。
青木理さんの文章には、駄目なルポルタージュによくある偏重したところが見られない。あくまでも中立を心がけていることが感じられる。
ジャーナリストとして信頼できるひとりだと思う。
鳥取県という地域性に着眼し、鳥取県について詳しく書かれている。
鳥取県と聞いてすぐに頭に浮かぶこと。砂丘。
その他にはイメージがない。名産品もご当地グルメも、砂丘以外の観光地も浮かばない。
鳥取県のかた、ごめんなさい。
青木理さんの本によると、鳥取県は日本で一番人口が少ないらしく、鉄道整備が遅れている。軽自動車保有者が日本一多い。カレールー消費と冷凍食品消費が多く、世帯所得が低いらしい。
ここから想像出来ることは青木理さんと同じく、共働きで夫婦それぞれが比較的安い軽自動車を利用し、簡易に用意出来る冷凍食品や作り置き出来るカレーをよく使用する。
首都東京に近い埼玉県と、鳥取県という地方都市との違いから事件を紐解くというのは面白いと感じた。
上田美由紀の裁判の記述で、一審で上田美由紀が黙秘権を行使したことにも言及している。
やましいところがなければ裁判できちんと言うべきだ、世間もマスコミもそう糾弾したことについて青木理さんは異議を唱える。
被告に与えられた少ない権利が黙秘権であり、そもそも被告には自身の無実を自身で証明する必要はない。被告の有実を証明しなければならないのは検察側である。それを弁明しないのは卑怯だと責めることは法律をわかっておらず、そんなことを言う人間が裁判員として判決に携わることがおかしいと言っている。
わたしも正直言って、何もやっていないのなら裁判で言えばいいのにと思う人間のひとりだったので、何もわかっていなかったのだと恥ずかしく感じた。
結局上田美由紀は何を思ってか、何度となく面会にやって来る青木理さんにも全てを話すことは無かった。勿論、自分は殺していないとは言う。
真実は亡くなったひとと神のみぞ知るというところだが、わたしは報道だけで受けていた印象と本書を読んでからでは随分変わった。
辛辣な言葉も多いが、青木理さんの丁寧な取材によって事件の見え方が拡がり面白く読めた。 -
Posted by ブクログ
日本の死刑制度について、死刑囚、被害者遺族、刑務官、教誨師といった人々を丁寧に取材し纏めた一冊。
青木さんはテレビでコメンテーターとしてもよく出演される、いかにもジャーナリストな雰囲気の男性。
青木さんが知人によく似ていて、テレビで拝見するといつも似てるなあとしげしげと眺めてしまう。そうなると著書にも興味が出てきてこちらを読んでみることにした。
死刑制度や死刑囚についてのルポルタージュは既に多く出版されている。
それらとの違いとしては、死刑制度に関わる人間を包括的かつ中立であるように書かれていること。
冷静な文章であるので、読者を悪い奴らは死刑にしろと煽ることもなく、死刑は残酷だから廃止すべきだとも叫ばせない。
死刑の是非、日本の法制度などをこちらで意見することは避けたい。
それぞれがそれぞれに考え方があるものだから。
ただ、自分には関係のないことと考えないことが最も悪だとは思っている。
考えたら何かが変わるわけではないけれど、自分の考えを持たなくなったら人間じゃなくなるので。
本書では実際の死刑囚(本人取材時は未決死刑囚)が何人か登場する。
中には冤罪を疑わせる人物が、既に処刑されてしまっていることには大きな衝撃を受けた。
死刑に関しては取り返しがつかないので、冤罪でしたごめんなさいでは済まない。
国家が、例え凶悪な人物であっても人を殺すことは殺人ではないのか。人を殺していいのか。
以前は人を殺したら命で償って当たり前と迷いなく思っていたが、よくわからなくなってきたというのが本音だ。
また、被害者遺族の思いも当然ではあるが全く同じということはない。
大切なひとが殺されたのだから、犯人には死んで欲しいに違いないというのは、それこそ大切なひとを殺されたことのない人間が勝手にする妄想でしかない。
もし、被害者遺族が望まないのに死刑を執行するのだとしたら、誰のための死刑なのだろうとも思う。それと共に被害者遺族であっても、遺族は遺族でしかなく、実際に殺された被害者の気持ちは知りようがない。
社会の納得のための死刑や、被害者の報復のために死刑があるというのも何かおかしい気もする。
考えはじめると深い穴に落ちるようで、これが答えですというものが見つけられない。
死刑に関わるひとで取り上げられていない人物として、裁判官がいる。
自らの言葉でひとりの人間に死刑を言い渡す気持ちとは一体どのようなものなのかを出来たら知りたかった。
また、死刑が一審で確定することはまずないが、一審で死刑を支持した一般裁判員の気持ちも知りたいところではある。
青木さんも書かれているが、厳密に言うと日本の死刑方法は絞首刑ではない。
縊首が正しいとわたしも思う。
細かいことなので、どっちでもいい気もするけれど。
それにしても、絞首刑という言葉の響きと文字は刺激的だと思う。
その刺激的な文字が太く書かれ、横に絞縄が描かれる表紙もまた随分強烈なものがある。
これから読むものは、作り事ではなく日本で実際起きていることだと覚悟を求められているようにも感じる。
被害者も加害者も、事件が起きるまではきっと、自分に死刑が関わってくるなどと思ったことは無かったはず。
それでもある日、突然大きな問題となってしまう。
決して他人事などと片付けられることではないのだ。 -
Posted by ブクログ
「国策捜査」- 鈴木宗雄事件に関わって佐藤優が自著で使ったのが始まりと言われる、特捜が描いたストーリーに基づいて行われる捜査。その中では証拠や自白は、それが真実かどうかよりもそのストーリーに沿うかどうかで判断される。そのため、時に無実ではないかと思われる人に罪を着せることになる...と言われる。真実は闇の中と言うのが安全なのかもしれないが、そこには少なくとも明らかにフェアではない実態がある。
本書は、そういった「国策捜査」の対象となった人たちを招いたカンファレンス「日本の司法を考える会」を元に書籍化したものである。彼らの話を聞くと、何が真実かよりも、検察の描くストーリーや司法組織の論理の方が優先されているという印象を強く持つ。
カンファレンスで扱われた事件と被告は以下の通り。それぞれ本人が出てきて議論をしている。
・KSD事件の村上正邦
・公安裏金問題の三井環
・北方領土に関する汚職疑惑事件の鈴木宗雄と佐藤優
・日歯連事件の村岡兼造
・日歯連事件の上杉光弘
・業際研事件の尾崎光郎
・福島ダム汚職事件の佐藤栄佐久
・強制執行妨害事件の安田好弘
・石橋産業事件の田中森一
・沖縄密約事件の田山太吉
・志布志公職選挙法違反事件の中山信一
・株価操作事件の細野祐二
・朝鮮総連本部事件の緒方重威
計14名。有名な事件が並ぶ。その多くがかなり濃い疑問がありながらも有罪となっている。
この他にも結局は無罪となった厚生省事務次官にも村木氏の事件も同列の事件に挙げられるだろう。堀江貴文のライブドア事件も加えることができるかもしれない。
さらには死刑となった事件でも、袴田事件、足利事件などで冤罪が確定したものや、冤罪の可能性が強く疑われている飯島事件がある。
著者は、必ずしも断定的に彼らの側に立つわけではないと言いながらも、現在の裁判制度の問題を提起する。そして、「論議を重ねるうち、問題の根が検察捜査ばかりにあるのではなく、警察捜査や裁判までを包含する日本の刑事司法システム全体に及んでいることが浮き彫りとなった」と書いている。
そもそも起訴後の有罪率が99.99%というのは裁判というシステム面からしても異常すぎる。そこには、有罪であるにも関わらず裁判に問われなかったケースや、裁判に掛けられたが故に無罪にできずに有罪とした件が多いのではないかと考えるのが妥当だろう。被告の側にも起訴されてしまうとどうあがいてもダメだというプレッシャーがかかる。また、裁判の原則である疑わしきは被告の有利に、という原則が守られているとは思われない。本書でも何度も言及されている、自白をしない限り保釈されない「人質司法」により、執行猶予が付くのであれば認めてしまった方が楽だと考える人が多いということでもある。これらは、本書が強く示唆する通り裁判システムの人事システムの問題であると考えるべきだと思う。裁判官はチームを組むらしいが、メンバーの評価はそのチームの中で裁判長が行うという。そうなると裁判長の意向に反対することは難しいだろう。検察側も有罪率が評価の基準になっているのではないか。そうなるとますます無罪判決を出すことが心理的にも難しくなることが想像できる。そこに明確な悪意はないのではない可能性も高い。だからこそ、恐ろしい。
裁判員制度に対して、自分は否定的な意見を持っていたが、この本を読んでその導入の理由のひとつが司法システム自体に問題にあるからだと思うに至り、それほど単純に判断できない問題だと思うようになった。だからといって、裁判員制度がその優れた解決法であるようには思えないのだけれど。捜査の可視化、取り調べの可視化や証拠の可視化、自白至上主義からの脱却、人質司法の停止、など含めて、様々な改善が必要だろうと思えた。裁判所にチェック機能を持たせるという前提にして立てられている現在システムがそのチェックが実質なくなってしまっているというシステム上の問題として捉えることが必要となっている。
また、第四の権力とも呼ばれるメディアが検察の情報に頼っていることにより、彼らの間で依存関係ができあがっていることがまた問題となっている。大手メディアにもチェック機能がなくなっている状態において、「権力」の暴走を留められるものは何かというのが問題だ。
----
2014年9月現在進行中の藤井美濃加茂市長の収賄事件についても、マスコミ発表や検察を鵜呑みにしない雰囲気がある。藤井市長側はこれを「警察・検察によって作られた事件」と主張している。それはいいことでもあり、検察が信頼されていないことを示している意味で、さびしい。 -
Posted by ブクログ
タイトル通り、日本の公安警察について書かれた本。
刊行されてから15年以上経つが、後半部分で言及されている「監視社会」への道はより一層進んでいると感じる。
また公安調査庁が自身の存在意義を見出すために、活動していたが「警視庁公安部「イスラム捜査」流出資料」の事件につながっていったのだなと現代にも通じる問題の端緒を知ることができる。
全体的に情報を端的にまとめたという印象である。
また、思想犯・政治犯を国家の安定維持のために探し出すという公安警察の性質からすると、東西冷戦が崩壊し、それまでのイデオロギーの対立が無くなっていくなかで、政治的思想と国家が必ずしも結び付かなくなった。
同時に、グローバル化が進展してきた現在、旧来の公安警察の活動がどの程度有効なのだろうかと疑問に思う。 -
Posted by ブクログ
徳田虎雄、全国に展開される徳州会の元理事長は、先般の公職選挙違反で一躍有名になったが、ALS (筋委縮性側索硬化症)に侵され寝たきりにながらも実験を握ってグループを率いていたという話も併せて広く知られるところとなった。本書は、公職選挙法違反により、徳州会の存在とその活動が世の中一般で広く知られるようにになる前に書かれたものだ。その事件の前後によって、おそらくは徳田に対する印象と評価がほとんど変わらないであろうということからもその稀有さがわかる。著者と同じく、自分もこの徳田虎雄を悪人だと断罪することができない。
「一般的には間違っているといわれるようなことでも、正しい目的を成し遂げるためなら、そのために使った手段もすべて正しくなってしまうんですよ(笑)」というグループ幹部の言葉が、徳田虎雄の選挙問題や医師会との軋轢に関するすべての論理であるように思える。
本書は、不治の業病であるALS罹患が結果として持つ意味と、そのALSに罹った上でいまだ強い意志を持って徳州会という団体に君臨する怪人徳田の物語だ。徳田がALSを患わなければ、またそれ以前に政治に出ていかなければ、どうなっていただろうか、と問うと同時にそんなことは無意味だと思う。当の徳田自身がそういった「たられば」とは最も遠いところで生きている。体の自由が奪われ、栄養の補給も人工的に行われ、いずれ呼吸も自律的にはできなくなり気管切開手術が必要となる。患者の意思の伝達は唯一残る目の動きで示す文字盤の位置によって行われるのみ。介護する家族にも、負担が重くのしかかる。徳田は、医師としてそこから逃れられないことを知りつつ、自らの思いに生きる。全身不随となってからも全国の病院の会議や数字を確認して、病室から指示を出すというのだから正直信じられない思いだ。それは、嫌われることを引き受けることで、自分の意志を通す、それができるのは自分しかいないという想いからの行動なのかもしれない。
「生命だけは平等だ」というスローガンを掲げ、「年中無休、24時間オープン」、「患者様からの贈り物は一切受け取らない」「困った人には健康保険の3割負担も免除する」というモットーを掲げ、幼き頃の弟の死から誓った離島医療の実現と、徳州会を世界へ拡げるという意志は衰えない。公職選挙法違反に問われたのは、自身の側近を切った意趣返しであったと言われているが、このように情報の入力経路が極端に限定された独裁者が全体をコントロールすることの危うさが伺える。
徳田が、ALSにかかる前に、死期がある程度わかるので、癌で死にたいと語っているが、その心性は理解できる。ALSに罹った上で戦う徳田の死生観として印象的な言葉ではある。
公職選挙法違反は間違いないが、そのことと徳州会が突き付ける医療問題、医師会の問題はないがしろにはしてはならないと思う。 -
Posted by ブクログ
死刑囚との生々しい対話、数々のインタビューから再現された執行の描写、被害者家族の苦悶と加害者との意外な交流。経験したことがない者にとっては理解し得ない、もしくは経験すらしたくないことばかり。むしろ機械的に執行できたらどんなに楽なのかという苦悶が見て取れる。それにしても判決結果が同じであれ、裁判所の意識の欠如、弱腰具合は度を越している。裁判員制度が開かれた現在でも到底信用に足るような判断をしていないような気がする。
死刑に関しては否定しないけれども、決定までのプロセスには疑問を感じる。そして刑事・検察・裁判所に対する不信感はさらに強まった。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
オウム・革マル派との“隠された戦い”とは?
監視・尾行・盗聴・スパイ養成の実践法は?
誰にも書けなかった“治安活動”の真実。
[ 目次 ]
1章 厚いベールの内側
2章 特高から公安へ
3章 監視・尾行から工作まで
4章 公安秘密部隊
5章 戦後の公安事件簿
6章 オウム・革マル派との“戦い”
7章 警察の外にある「公安」
8章 監視社会と公安警察
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
時評集。安倍元総理が殺された約半年後に刊行されている。収められた文章は、コロナ禍に執筆されたものが多い。こうしてまとめて読んでみると、二〇二〇年代になってから、ほんとうに碌でもないことばかり政府がしていることに気づく。東京五輪。大川原化工機事件。クリスチャンの囚人をクリスマスに死刑執行。そして旧統一教会との関係を問いただされてもシラをきる面々。だから殺してもいいのだとはもちろん思わない。我々の生活はどんどん貧しくなる一方だが、だからこそ「(前略)金銭や利害損得とは別の次元で動く(後略)」(p191)ことが大切だと思う。政府が金銭や利害損得ばかりで動いている今だからこそ。
-
Posted by ブクログ
いや〜リベラルだね〜
気持ちいいくらいリベラル
はい、というわけでバランスをとる時間そのnです(何回目か忘れた、後で整理しよう)
著者の青木理さんはメディアでの過激な発言の多さでも知られるバリバリのリベラルのジャーナリストで、本書はその青木理さんの記事やコラムをまとめたもの
わいは元々リベラル思想なんですね
なんでかと言えば「反権力」だからです
国家権力コノヤローふざけんなー!だったからなのよ
でもってなぜ「リベラル」をやめたかと言うとだね
まぁ簡単に言うと保守の論客竹田恒泰さんに洗脳されたから…じゃなくて(ちょっとはそれもある)、リベラル陣営の行き過ぎた「反権力」が、過度な「政権批判」に繋がり、ただの揚げ足取りやスキャンダルの追求にばかり目がいって、現実的な政策提案をおざなりにしている現状に失望したから
ただ本書を読んで思ったのはやっぱり正しいリベラルは絶対に必要ってことよね
例えば本書でも出てきた刑事司法の闇を暴くみたいなことは、どんどんやってほしい
特に検察なんかもう次から次と出るわ出るわでどうなっとんねん!て感じよね
なんて言うか一線を越えないジャーナリズムというか、なんか難しいんだけど、やっぱり「反権力」は必要で、ジャーナリストのみなさんはほんと頑張ってほしいんだけど、ある線を踏み越えちゃって批判のための批判みたいなこと言い出すとやっぱちょっとしらけちゃうのよね
青木理さんは若干踏み越えてる気もするけど
頑張れジャーナリズム!