青木理のレビュー一覧
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★主張あふれるノンフィクション★安倍晋三首相が退陣を表明する直前に偶然読み始めた。政治に疎いので、父型の祖父・寛のことはまったく知らなかったが、なぜ父・晋太郎ではなく、母型の祖父・岸信介の話ばかり取り上げるのだろうと不思議に思っていた。
寛はもちろん地元の名家ながら、戦争に反対しながら政治的な支えがないまま国政に進出。早くに亡くなったため、晋太郎もバックボーンの乏しく、下関で在日朝鮮人と交流を深めながら泥臭く地盤を築いたという。もちろん岸の娘との結婚はあるが、「寛の息子」というプライドがあったという。
この2人に対して様々なエピソードを挙げつつ、晋三については何もないと繰り返し書く。薄っぺらさを示したいのだろうが、薄さを示すエピソードは容易ではない。だからか、ここにきて急に著者の主張ばかりが目立つようになる。
それに晋三にとってみれば、父方だろうが母方だろうが関係ないうえ、会ったことのあい寛には親しみも薄いのは当然だろう。何が晋三の強さだったのかは政治ジャーナリズムという別の仕事かもしれないが、やはり空虚さの力の不思議さが募った。 -
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日本会議とは何か?その発生とその思想は?日本会議的なものが悪性ウィルスのように広がるこの時代とは?知らないことが多く勉強になった。
日本会議は最近になって突如発生したわけではなく、源流を辿ると谷口雅春が創始した生長の家や、1960年代の全共闘運動に対抗する学生組織として結成された生学連(生長の家学生会全国総連合)に突き当たる。さらには神社本庁やその他の新興宗教団体の支援を受ける、いわば”宗教右派団体”。政教分離といった近代民主主義社会の大原則を根本から侵し、この国をかつて破滅に導いた思想を孕んだ政治運動である。
過剰なまでに国家重視のため人権を軽視。天皇中心主義のため国民主権を否定する。エスノセントリズム(=自民族優越主義)的で、政教分離の原則を踏みにじり、皇国の再来を祈願する。
本書の最後の方で宗教学の専門家・島薗進氏の発言が引用されている。「戦前もそうだったが停滞期において不安になった人々は、自分たちのアイデンティティを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前の場合は国体論や天皇崇敬、皇道というようなものに集約されたわけです」。右派が強くなったのではなく、左派がいなくなった、という話も紹介されていたが、日本会議を生み出すような時代、日本会議的なものが支配的になる時代ということを考えると、こうした時代の現象は世界各国でも起こっていることだと改めて感じる。
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2016年6月4日に東大で開初めて催された監視をテーマにしたシンポジウムの記録。
2013年6月に、エドワード・スノーデンがアメリカ政府の監視活動の実態に関する隠されてきた情報を、メディアを通してこの世にさらしてから3年後の話。
今私がこの話を読んでいる今に至るまでは、そこからさらに3年が経っている。
「自由を享受できる社会は市民が主役になって初めて実現される」
政府に勤めながら一市民として行動をとることを恐れなかったスノーデンの力強いメッセージ。
自分の生きる社会の在り方に関心を抱くこと、受け身にならないこと、いくためには一人一人が社会の構成員として能動的に考え行動することが民主主義社会に生きる市民の義務であり、責任であり、役割だという事実を突き付ける。
監視の問題は民主主義の問題で、つまり市民一人一人が知るべきこと。
ぼーっと生きてしまている自分にまた気づく。
勝手に法律できてるし、政策改まってるし、権力がさらに集中化してるし、市民の自由に制限がかかってるけど、いいの、って言われてきちんと応答できる人、社会でありたい… -
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2010年頃に話題になった鳥取連続殺人事件に関するルポ。事件を知らない人も、木嶋佳苗の首都圏連続不信死事件と同時期に似たような事件が起きて話題になっていたのは、ぼんやり記憶にあるのではないだろうか。
事件をざっくり説明すると、「デブ専スナック」と揶揄されるような場末スナックのホステスである上田美由紀(本の表記に合わせて、以下「美由紀」)の周囲で、6名の男が不信死していることが発覚。被害者はみな妻帯者でありながら、美由紀と知り合ったとたん彼女に入れあげ、多額の金を貢いでいた事がわかる。借金を重ねて生活が破綻し、家族を捨て美由紀と暮らし始めるも、しばらくすると不信死をするという同じコースを辿っていた――。
上田は美人といえるようなルックスではなく、おまけに虚言癖をもっている。被害者の中には新聞記者や刑事、腕利き営業マンなど、人間を見る目があるはずの者もいるのに、ことごとく美由紀に惹かれていったのはなぜか。著者の青木理は、そこにはっきりと答えは出していない。ただ、取材をする中で直面する地方の衰退や貧困の問題、そこに生きる人たちの鬱屈のようなものが、なにか答えにつながっているようにも読める。
なによりおもしろいのは、青木理がその状況に巻き込まれてしまうことだ。取材のために美由紀が勤めていたスナック(このスナックの実態が、本当にすさまじい)に通うと、常連扱いされママに股間をまさぐられたり、美由紀の元彼とつきあっている女性に妙な詮索をされたり、しまいには法廷での美由紀の証言が青木理の接見によって変化したり。半分当事者になって、彼らのどうしようもない人間関係にズブズブとはまってしまうのだ。単に事件の真相を追うだけなら不必要な描写だが、案外、そこに描かれた人間のあり方や空気感こそが、この事件の本質なのではないか。
青木理のことはテレビとラジオでしか知らなかったけれど、正直、なめていた。他の著作も読んでみよう。 -
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異形の病院王、徳田虎雄の正体に迫るルポルタージュ。
幼少期に徳之島の貧しい一家で育ち弟を病気で亡くし、苦学の末に大阪大学医学部に入学する様子に始まり、徐々に病院を拡大させながら多額の金がばら撒かれた衆議院選挙当選を経て、鳩山政権時代の普天間飛行場の徳之島移設問題まで、徳田虎雄を巡る様々な出来事が語られていくが、そのどれもがすさまじく面白い。
文庫版終章では王国の終末として、2012年12月の衆議院選挙を巡る東京地検特捜部による徳洲会への捜査と、徳田虎雄の理事長退任の模様が追記されている。それから約5年が経った今、徳田虎雄が何をしているのかが気になるところではある。 -
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保身と倫理が対立した場合、たいていは保身に走る。
刑法に関わる部分で保身に走った場合、その保身は死刑という殺人を伴う可能性があり、冤罪が起こる限り合法的な死刑が殺人である場合がある。
死刑確定確定後に再審によって無罪となった冤罪事件は
免田事件(逮捕1949年、再審無罪1983年)
財田川事件(逮捕1950年、再審無罪1984年(丸年)
島田事件(逮捕1954年、再審無罪1989年)
松山事件(逮捕1955年、再審無罪1984年)
足利事件(逮捕1991年、再審無罪2010年)
と5件となっている。ちなみに、『BOX』という映画にもなった袴田事件は再審判決後、現在は審理中となっている。
先進国で死刑制度がの残っているのはアメリカの幾つかの州と日本だけで、アムネスティ曰く、世界が死刑廃止に向かう理由は人権に対する配慮が大きい。
しかし、本書を読むと、日本においては、人権といった大乗な概念ではなく、冤罪が起こっているという事実によって死刑制度は廃止されるべきということがわかる。
本書には大きく2つの文脈があり。1つは死刑囚にまつわる、出自から犯行の動機、そしてその後の心の変容についてのルポ。
そしてもう1つは、死刑制度にまつわる、接見や冤罪といった制度についての分析。
1つめの死刑囚にまつわるルポでは、懺悔し更生していると思われる人がいるのに、死刑という極刑は必要なのかという問題を提起している。
2つめの死刑制度にまつわる調査では、政府が冤罪をうやむやにしようと死刑を執行したという調査結果を記している。
特に2つ目の指摘は、冤罪の可能性の生まれた死刑囚の死刑執行を早めて、DNA鑑定のミスをうやむやにしようとしているのではないかという指摘である。
このような隠蔽体質は、
三井環事件 2002年
陸山会事件 2011年
高橋洋一郎逮捕 2009年
などにも見受けられ、都合の悪いことは、強引に隠蔽しようとする体質が見える。
上記の出来事を踏まえると、本書を読む限りは本当にうやむやにしようとして死刑執行をした気がする。
そのなりふり構わない行動は、たまに私たちの目にも入ることがあって、目にする度にゾクッとする。死刑を廃止にするか否かを考える時、私たちは被害者側に身を起きがちである。
それは、自分が死刑に値するような犯罪を起こすことなどないという思い込みから来ているのであり、確かにほとんどの人が殺人なんてしないんだけど、画一的社会から一歩足を踏み出した途端、力ある人に目をつけられる。それは殺人に限らず、権力に接触した場合にも起こりうる。
2017年に共謀罪が成立したことで、こんな体質の警察や検察がより動きやすくなって大丈夫なのかと心配になる。 -
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2013年にスノーデンがアメリカの監視体制を暴露したことを映画で初めて知り、そのときから興味を持ち始めた。今の技術を使えば、スマホやパソコンのカメラやマイクなどあらゆるデバイスを通して情報を政府が管理することが容易に可能である。アメリカの実態から考えると、公開はされていないが日本でもすでにされていると考える方が普通であるとスノーデン氏は言っている。実際にスノーデン・リークからアメリカではそういった情報の取り扱いについてメディアなどが声をあげて監視体制を敷く政府と戦い、国民(アメリカ人)においては監視の対象外になる法律を成立させるまでに至っている。
この国民のみ監視の対象から外れることは重要で日本人やその他の国の人は未だに監視の対象であり、それはヨーロッパで成立した法律でも同じでどこの国・地域も自分の地域の住民のみを監視から外しているにすぎないと言われている。
そんななか、日本では政治などこういうことに対する無関心のためかメディアがまったくとりあげない(圧力により取り上げられない)ためか、共謀罪など様々な法案が成立し国民も含めて監視の対象になっている可能性が高いと考えられている。
この本を読んでいて、ニュースなどであまり流れていない情報がかなり多くでてきていたが、情報収集も偏らないように意識しないといけない。どういう基準で判断されているのか知らないが、実際日本の報道自由度は全世界72位で、G7中最下位であるということにも留意しておきたい。
監視社会はテロ対策という名目で成り立っているが、実際にどこまでテロを防げているのかは不明であり、むしろ無害な人への必要以上の監視をしたり、権力を持つ人が容易に悪用できる状況にあることが問題であると指摘されていた。
安全とプライバシーのどちらをとるかバランスの問題にもなってくるだろうが、その監視をどこまでなら許容してどこからは違法とするのか、政府まかせにせず、国民による政府の監視が重要なのだ。
政治に興味を持たない風習の日本ではあるが、テレビや新聞だけに偏らず情報を収集し、いろんなことに関心を持ち、みんなで話し合って行くことが大切だと感じた。 -
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アメリカの情報機関による無差別監視の実態を暴露した元情報局員
エドワード・スノーデン氏が参加し、2016年に東京大学で行われた
シンポジウムの書籍化である。
2013年に問題が公になった時、アメリカの情報機関が同盟国である
ドイツ・メルケル首相の携帯電話を盗聴していたことが問題になり、
日本国内では安倍晋三首相の携帯電話はどうなのかと話題になっ
たが、本質はそこではない。
テクノロジーの進歩と共に進む、監視社会の問題であり。政府がどこ
まで個人の情報を掴んでいるかである。
公安警察が日本国内のムスリムの人たちを監視していた資料が何者
かによって流出した事件があった。警察が裁判所の令状もなく対象
車両にGPSを取り付けた違法捜査があった。野党の事務所に出入り
する人物を監視する為か、警察が秘密裏に監視カメラを取り付けた
事件もあった。
特定の人たちだけが対象だから、自分には関係ない。やましいことが
なければプライバシーをちょっとばかり覗かれても構わないではない
か。自分には関係ない。そんな無関心が監視社会を徐々に進化なら
しめていやしないかと思う。
インターネット関連会社がアメリカ政府に個人情報を提供していたの
はスノーデン・リークで既に公になっているが、ネット上だけではない。
国会前では政府の政策に反対する人たちが何かしらのデモを行って
いる。私も何度か国会前に足を運んだことがあるから分かるのだが、
そこにはカメラを手にした公安警察の警察官と思われる人物が必ず
いるのだ。
デモに集まっている人の中には左派過激派も混ざってはいるのだろう。
だが、多くは「この法案は危険だ」と危機感を覚えた一般の人々である。
その人たちの写真なり、動画なりを公安警察が保存しているのだ。
今後、成立・施行が予想される「テロ等準備罪」という名の共謀罪と、
マイナンバーの普及を促進しようとしていることを併せて考えると、
スノーデン・リーク以前のアメリカの無差別監視が日本国内でも
実現する可能性は高いと思う。
特に自民党は既にネット上の監視を強化しているのだから。
「人々が政府のことについてすべてのことを知っていること、これが
民主主義だ。政府が多くのことを知っているが人々が政府のことを
知らない、これは専制政治である」
本書でも引用されているアリストテレスの言葉だ。「テロの脅威」との
お題目の下に、政府が制限なくなんでもできて、国民には何も知らせ
ないなんて国にしたくないね。
実際、アメリカではボストンマラソンでのテロを防げなかったしね。それ
にテロで死ぬより交通事故で死ぬ確率の方が高いんだから。
監視社会に疑問を持った人の為の入門書というところかな。スノーデン氏
関連の他の作品を読んでいれば、目新しさはないかも。 -
Posted by ブクログ
日本会議とは何か?と読んでみたが、よく知らなかった生長の家、創始者谷口雅春の考え、神社本庁と憲法改正をめぐる現政権との関わりなどよく理解できた。
(私は若い時に谷口雅春の生命の実相を少し読んだことがあり、その生命哲学は肯定的に評価しているが、過度な天皇崇拝国家主義的な考えには驚いた)
安倍晋三は知性を持った本当の右翼、保守ではないと個人的に思っていたが、それも氷解した。
安倍晋三には、そんなに深い政治思想はない!と理解できた部分を以下に一部抜粋。
私(著者)は最近、取材で安倍の成蹊学園時代の同級生や知人、恩師、会社員時代の上司、同僚らに片っぱしから話を聞いたのだが、政界入りするまでの安倍に現在の政治スタンスにつながる気配を感じ取っていた者は皆無に近かった。少なくとも、現在の政治的スタンスにつながる知性を鍛え上げた様子も、政治史などの知識などを積み上げた形跡も、ほとんどみられなかった。
そんな安倍を会社員時代の上司はこんなふうに評した。
「子犬が狼(日本会議など宗教的復古的な人たち)の子と群れているうち、ああなってしまった。僕はそう思っています。」
※カッコ部分は筆者記入