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Posted by ブクログ
実際に起きた事件で、死刑判決が確定した死刑囚、被害者家族、拘置所勤務経験者、教誨師への取材、事件の検証などを通じて、死刑制度について考察している本です。
確かに極悪非道の所業をしており、まごうことない証拠もあり逮捕されている犯人に同情することはできません。
一方、福岡の事件は、冤罪かもしれない人の死刑が実行されています。
人を殺してはいけないという法治国家であるならば、死刑制度も廃止にするべきだと私は考えています。どうしても冤罪は起こり得るからです。本書を読むと、検察と裁判官は、一度決めた筋書きは、証拠を改竄、調書を改竄してでも通そうとする力が働いているように見える事例があります。そのため、冤罪となる可能性が生まれてしまうのです。
ただ、国民の多くは死刑制度に肯定的との統計があるようで、日本では死刑制度廃止という機運は起こっていません。
もう一つ考えたいのが、死刑を執行する人がいるということです。人を殺す作業を担うことになり、仕事とはいえ心情的に報われないし、できればそんな仕事にはつきたくないと思うものでしょう。
被害者の心情を思うと極刑を求める声があるのも理解しますが、人を殺したから殺すのであれば復讐となんら変わらず、その行為を肩代わりしているのが死刑制度とも言えます。
拘置所の運営、仕組みにも疑問を感じるものがありました。
詳細は本書をお読みいただければと思います。
社会のあり方を深く考えさせられました。
Posted by ブクログ
死刑判決が執行された事件の端末や被告の人となりを鋭くえぐるノンフィクション。
拘置所の中で、キリスト教に帰依し別人のように改心する者あり、控訴せず死刑を受け入れる者あり。検事の作成した調書には自分が言ってないことが書いてあると主張する者あり。著者が雑誌FRIDAYに被告の写真とともに記事を掲載した際に拘置所所長から送られてきた手紙が印象的。法務省による、全てが「ブラックボックス」化され「開かれていない」刑務所、拘置所について大いに考えさせられる。
被害者の兄「犯罪の被害者遺族は、大切な人を突然奪われることによって不幸な谷底に叩き落とされる。刑事司法やマスコミ、大多数の人々は、平和な崖の上から見下ろしながら『可哀想に』と同情の声をかけてはくれるけれど、本当の意味での救いの手を差し伸べてくれようとはしない。その代わり、崖の上から加害者を突き落とすのに夢中になっているだけではないか・・・」
死刑判決が出たのに控訴しなかった被告は「自分のやった事の責任として死刑になるのは、制度がある以上は仕方のない事だと思っています。しかし、今の日本の裁判は真実をあきらかにして裁くのではなく、検察の言い分を聞くだけで、決して真実や証拠すらも公正に見てくれません」
「名古屋拘置所長からの「抗議文」を再び眺め、あらためて憤りがこみ上げてくる。このような組織が内々に発する"通達"を根拠とし、日本の刑事収容施設は極度の閉鎖性を頑迷に護持している。そして、同じ組織が「死刑」という究極かつ絶対不可避の刑罰を司り、徹底した密行主義の下ですべてを隠している。刑事司法面で見る限り、この国は相当な後進国というしかない」
Posted by ブクログ
”死刑”の当事者たちにこれだけ迫ったルポはない。
”死刑”を取り上げた書籍は、その制度の特質性ゆえに、制度へのゼヒを問うものが多い。
しかしこの本は現実だけを描いている。
特に、被告人への迫り方と被害者家族へのインタビューはこれまでの書籍にないほどのものだ。
特に、
元少年たちの罪と罰
は考えさせられた。
僕は死刑廃止派。
人を殺すことではなにも解決しないと思っている。
しかし、著者も書いているが
崖から転落した人を崖の上から「かわいそうに」とつぶやき、崖から人を落とそうとしている
今の社会のあり方の最終地点的なところが一番嫌い。
”死刑”は今、恣意的な力でブラックボックスの中にある。
それも世界の流れ、時代の流れにそっぽを向いて。
そこに真正面から針をはけたすばらしい作品です。
Posted by ブクログ
冒頭の処刑シーンが強い印象を残すが、実は死刑囚の人間性をあぶり出し、読者に「死刑」について考えることを求めることがおそらくは著者が期待するこの本の目的だ(たぶん)。
本書には多くの死刑囚が登場する。同じ死刑囚でいずれ首をくくられる(もしくは、すでにくくられた)といっても彼らは当然ながらそれぞれだ。
覚醒剤の影響が強く殺人を犯し、獄中で悔恨の中クリスチャンとなり、そしてなぜかクリスマスに処刑された今市四人殺傷事件の藤波死刑囚。
面会を通して被害者遺族との関係を築いた半田保険金殺人事件の長谷川死刑囚。
日本の司法に絶望し、だから謝罪も反省もしないといって死刑となる熊谷四人拉致殺傷事件の尾形死刑囚。
自らの無罪を主張し続けおそらくは足利事件と同じく誤ったDNA鑑定による誤審であった可能性が高かったが、そのまま処刑された飯塚事件の久間死刑囚。
そして少年時代に犯した罪を悔いる木曾川・長良川連続リンチ殺人事件の三人の元少年死刑囚。
この中で木曾川・長良川事件は、それぞれの死刑囚のエピソードの間に、二章に一回の割合で登場する。途中まで、筆者がなぜそこまでこの本でこの事件に特別にこだわるのかわからないので、あれっまただ、という感じで違和感があった。後になり、同死刑囚と筆者の特別なつながりが分かってくる。特にその中の死刑囚の一人とは、頻繁に面会を繰り返している。彼は遺族へ謝罪の手紙を書き、刑務所内の作業で貯めたお金を送る。遺族の中には、死刑にならないよう嘆願書を出すものもいた。当時未成年であった。更生の余地がないとは思えない。それでも死刑は確定した。
死刑 -「先進国では米国と日本のみ」という枕詞が残る死刑制度。
死刑の意義とは何だろうか。遺族の存在ではない。それは遺族がいなければ死刑にしなくていいのかという仮想の問いから論理的に明らかだ。犯罪抑制のための統治の手段なのか。凶悪犯罪が減っているのは事実だが、それが死刑の有無と関係あるとは思えない。おそらくは死刑は凶悪犯罪発生の抑止力にもなってはいない。またそもそも司法による刑罰の目的が犯罪者の更生であるのであれば、死刑はその目的に反する。更生の可能性がないことが死刑の条件になっているわけではないからだ。もちろん、かつて欧州そうであったように死刑は娯楽ではない。逆にその執行は隠される。
本書は、人が人の命を奪ってよいものか、というような単純な主張ではなく、そのような矛盾をはらむ死刑制度に対する疑問を、実際の死刑囚の描写を通してぶつけたものだ。
死刑囚の中には、心から悔い改めているものがいるかもしれない(今市事件)、遺族が決して望んでいないものがいるかもしれない(半田事件)、司法への不信からいっそのこと殺してくれた方が楽だとのみ思っているものがいるかもしれない(熊谷事件)、本当は無実のものがいるかもしれない(飯塚事件)、そして更生の余地が十分にあるものがいるかもしれない(長良川事件)。
そして、法律の定めがあるわけでもないのに、その公開を頑なに拒む刑務制度にも強い疑問を呈する。
死刑が他の刑罰と違うのは決定的にその執行が不可逆的であることだ。
遺族は苦しみ、生き残った者は苦しみ、そして加害者も苦しむ。そこで第三者が苦しみもせず葛藤もなくある事件の犯人に対して死刑を当然と求めるのは、相当に違和感がある。また死刑制度自体も考えもなく賛成することにも。死刑がなくならないどころか廃止さえ議論の俎上に上らないのは、第三者である私たちがそれに対して何も意見を持たないからだということではないだろうかと思うようになった。
そして、現状の検察と裁判にゆがみがあるとして、死刑の可能性もある裁判を、裁判員制度は、果たして今のままで正しき制度なのだろうか。
Posted by ブクログ
近年、死刑制度を存続させる国は少なくなっている。日本はその少なくなっている国の一つだ。死刑の是非は別にして、死刑制度のある国の国民として、死刑は誰のため、何のため、どうやって行われているのかは知っておくべきだろう。
1994年、連続リンチ殺人事件。未成年の少年3人が旅をするように移動しながら、次々と殺人を続けた凄惨な事件だ。判決は3人全員に死刑。著者は死刑を待つ彼らの取材を通して、死刑の意義、根幹を探る。
本書を読んで、この国の死刑について、最大の問題点はブラックボックスが多すぎることだと思う。死刑確定者への面会基準は不明確だし、死刑判決から執行までの手順が法務大臣の個人的な主義に左右される。法治国家による人命を取り扱う制度にしてはお粗末すぎるのでは。
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ビジネス・実用
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