青木理のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
実際に起きた事件で、死刑判決が確定した死刑囚、被害者家族、拘置所勤務経験者、教誨師への取材、事件の検証などを通じて、死刑制度について考察している本です。
確かに極悪非道の所業をしており、まごうことない証拠もあり逮捕されている犯人に同情することはできません。
一方、福岡の事件は、冤罪かもしれない人の死刑が実行されています。
人を殺してはいけないという法治国家であるならば、死刑制度も廃止にするべきだと私は考えています。どうしても冤罪は起こり得るからです。本書を読むと、検察と裁判官は、一度決めた筋書きは、証拠を改竄、調書を改竄してでも通そうとする力が働いているように見える事例があります。そのため、冤罪となる可能性が生まれてしまうのです。
ただ、国民の多くは死刑制度に肯定的との統計があるようで、日本では死刑制度廃止という機運は起こっていません。
もう一つ考えたいのが、死刑を執行する人がいるということです。人を殺す作業を担うことになり、仕事とはいえ心情的に報われないし、できればそんな仕事にはつきたくないと思うものでしょう。
被害者の心情を思うと極刑を求める声があるのも理解しますが、人を殺したから殺すのであれば復讐となんら変わらず、その行為を肩代わりしているのが死刑制度とも言えます。
拘置所の運営、仕組みにも疑問を感じるものがありました。
詳細は本書をお読みいただければと思います。
社会のあり方を深く考えさせられました。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災、大地震、大津波、そして原発事故。それに関する本を読んでいるが、なかなかしっくりこない感じがあった。そして、2011年3月11日から15年を迎える。その事件と記憶をきちんと伝える必要がある。文字化することが難しい大事件だった。そのことを伝えるいい本がないなぁと思っていたが、本書は久しぶりに納得のいく震災、原発事故のドキュメンタリーだった。
「フランスの最も美しい村協会」の活動を知った松尾雅彦・カルビー社長(当時)が、カルビー関連会社のあった北海道美瑛町の浜田哲町長(当時)に提案し、浜田町長の呼びかけにより全国の7つの町村(北海道美瑛町・北海道赤井川村・山形県大蔵村・岐阜県白川村・長野県大鹿村・徳島県上勝町・熊本県南小国町)で2005年(平成17年)10月4日に任意団体「日本で最も美しい村連合」として設立された。結成されて20年となる。2026年1月の段階で57自治体が加入している。福島県飯館村は2010年に加盟したが、大震災の影響で退会している。
美しい村連合は、①自らの地域に誇りを持ち、将来にわたって美しい地域づくりを行うこと。②住民によるまちづくり活動を展開することで地域の活性化を図り、地域の自立を推進すること。③生活の営みにより作られてきた景観や環境を守りこれらを活用することで観光的付加価値を高め、地域の資源の保護と地域経済の発展に寄与すること。
日本で最も美しい村連合に加わっていた福島県飯館村の100年余生きた老人の物語である。
緩やかな稜線を描く山々に囲まれたのどかな田園に、その稜線を溶かすように朝の太陽がゆっくりとのぼり、陽光が田園に届き始める2011年4月12日に、1908年生まれの大久保文雄102歳は、自死した。大震災があって、1ヶ月後だった。嫁の美江子が、じいちゃんの部屋で発見した。なぜ?から本は始まる。
4月22日には、政府より飯舘村全域が「計画的避難区域」に指定された。
大久保文雄は、美しい村で、生粋の農民だった。この村で、生まれ育ち、ひたすら土と向き合って田畑を耕し、農業一本で生計を立てて家を支えてきた。心身に不調はなく、大きな持病も抱えておらず、足腰もごくしっかりしていた。まったく文句のつけようのないじいちゃんだった。常に柔和な笑みを絶やさず、面倒なことをほとんど言わず、感情を露わにすることもなく、声を荒げることなどもなかった。
地震当日は、大久保文雄は美江子に「ちいとばかり揺れたようだなぁ」といった。
停電になっても、「別にどうってことはねぇさ。暗くなったら寝ればいいし、明るくなったら起きればいいんだ」と言っていた。飯館村に放射能被害が明らかになり、計画避難の話が出てきた。
「なんだ、要するにオレたちもここを出て、どっかに避難しろっていうことなのか?」「でも、オレ、ここを離れたくねぇなぁ」そして、「ちいっと長く生きすぎたなぁ。イヤなもの見ちまった」と言った。
東日本大震災は、1900年以降の地球の地震で、4番目となるマグニチュード9.0の超巨大地震だった。 (チリ地震 1960年9.5、アラスカ地震 1964年9.2、スマトラ島沖地震 2004年9.1)
地震と津波による直接的な死者は2025年3月1日時点で、15900人。行方不明者2520人。政府が認定した震災関連死3808人。合わせれば、22000人を超える。建物の全壊は13万戸、半壊24万戸である。
そして、その地震と津波は、原発事故を誘発し、放射能が拡散し、雨によって飯館村に降り注いだ。
なぜ、大久保文雄は自死したのか?東日本大震災に伴う福島第1原発の破滅的事故が最大の引き金になった。飯館村の歴史、戦争体験、そして戦後の度重なる冷害に耐えてひたすら生きてきた大久保文雄の足跡を辿る。
大久保文雄は1908年生まれ。日露戦争終結3年後、誕生2年後に朝鮮半島の併合。日本の対外膨張が始まっていた。飯館村は、1902年から1910年は冷害にあい厳しい凶作続きだった。1921年頃に、農業は馬・牛耕を取り入れた。それまでは、人力だった。文雄は小学校を卒業して、就農した。稲作だけでなく、養蚕、炭焼き、葉タバコを営む。そして、文雄は田畑を広げていった。文雄の弟は1943年に20歳になり徴兵され、横須賀海兵団に入隊し、硫黄島で1945年3月17日に玉砕した。硫黄島では、21000人いた軍隊の生き残りは、1033人だった。文雄は、弟に対して申し訳ないと思っていた。
文雄の死後、除染された土のフレコンが沢山、畑に積まれていた。文雄と文雄の父が耕してきた宝物であった田畑が無惨にも剥ぎ取られたのだ。文雄は22歳の時にミサオと結婚した。文雄の息子、一男が1973年に美江子と結婚した。文雄は、黙々と土に向き合い耕してきた。
美江子の夫・一男は、地震当時膵臓癌の末期で、相馬病院に入院し、避難して新潟の村上市の病院に自衛隊により移送されていた。一男は父親文雄が死んだことも知らずに、膵臓癌で亡くなる。
美江子は、残され、そして文雄の獅子の意味を探り、文雄の尊厳を守る戦いをするのだった。嫁の美江子さんはすごいなぁ。「線香の1本でも」という言葉の意味が大きい。
語り継ぐべき、102歳の文雄の人生は、土に向き合いながら、土と共に生きてきた。関連死の数字では表せない一人の人生の重みを愚直に言葉にしていく作業に、圧倒された。語り継がれるべきいい本だ。 -
Posted by ブクログ
青木理が長編のルポルタージュと並んで力を注ぐ短編ルポルタージュや時評コラムを編み直した一冊。
だから書かれている問題・課題が多彩で、そんなこともあったなあと復習するような感覚で読めた。
中でも「大川原化工機事件」については「世界」誌上で青木さんの文章を読んで初めて知った件であり、ひどさは際立っているのにマスメディアはなかなか書かなかった。
いわゆる「経済安保」案件で、何がなんでも法の適用に当てはめたい公安がゴリ押ししようとした冤罪創作事件である。後の国賠訴訟での公安側の捜査員の証人尋問で飛び出した言葉「まあ、捏造ですねー」「個人的な欲で立件した」が象徴している。法を遵守すべき警察が長期にわたる不当勾留の挙句、一名を病死させてさえいるのだ。
検察も裁判所も加担した。
権力が武器を持つとこんなことが起こるということを見過ごしてはいけない。
読後の感想はいくつもあるのだが、もう一つだけ書き残しておこう。
著名な哲学者、リチャード・ローティの本「アメリカ 未完のプロジェクト」(晃洋書房 2000年)について
彼は、90年代末、新自由主義の蔓延とグローバリズム化の急進の結果何が起きるかを論じた。
『アメリカでは、もっとも豊かな25%が文化世界主義を享受し75%は生活水準が下がっていくだろう。世襲的な社会カーストに区分されたアメリカになる。
そして絶望した有権者は投票すべき有力者を捜し、その有力者が政権を取れば何が起きるかわからない。
差別が氾濫し、その有力者はアメリカと世界にとって災厄となる。
有力者はただちに国際的な超大富豪と手を結ぶ』
ポピュリズムと差別主義の跋扈する現在を見事に言い当てている。トランプのトの字もない時点での予言である。
つまりトランプは諸悪の根源や原因ではなく、必然的な結果だということになる。
青木さんが「月刊日本」という、名前が右翼誌のような雑誌に書いているのがわかり、興味をもって最新号を手に入れた。
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Posted by ブクログ
ALS(筋萎縮性側索硬化症)をわずらい、懸命に死と戦いながらも自身が一代で築き上げた医療グループ「徳洲会」を隅々まで見通す男、徳田虎雄。本書は彼の本格的な評伝です。壮絶な生き様です。
本書はジャーナリスト・青木理氏が描く”不随の病院王”徳田虎雄の本格評伝です。 本書が出版されてから読もう読もうと思っておりましたがつい延び延びになって、先日 やっとのことで読み終わりました。
いやはや…。 一代で日本でも最大規模の医療法人を作った男の なんとも苛烈なる生き様に読み終えたすぐのころは 頭の中が朦朧としました。
何でも、作者のインタビューを受けたころの徳田虎雄はALS(筋萎縮性側索硬化症) の闘病真っ最中のことで、身体を動かす神経系が壊れ、 全身の筋肉が縮んでいく難病であり、ホーキング博士や 空手家の芦原英幸氏がこの病気を患ったといわれております。
全身が動かない中、なんと彼はそれでも眼球の動きで 文字盤を追いながら、部下に指示を与えるという離れ業で、 彼が率いる徳洲会すべてに目を光らせ、筆者へのインタビューにも
「これからがじんせいのしょうぶ」
とうそぶいてニヤリと笑って見せる。
そんな彼が自身の「野望」を掲げ、貧困にあえぐ奄美大島から大阪大学へと進み、「命だけは平等だ」というスローガンの下、自らの「あるべき姿」へどんな手段を使っても猪突猛進で突き進んでいく姿に本当に度肝を抜かれてしまいました。
中盤以降で描かれる日本医師会との激しい対立や、選挙における政治活動の乱れ飛ぶ札束攻勢や自身の部下に逮捕者が出るまでの壮絶な死闘を繰り広げたという話や、壮絶な闘病生活への密着、故郷・徳之島の現地ルポ、盟友・石原慎太郎氏へのインタビュー(ここで筆者は「石原新党」について言及しているが石原氏は明言を避けている)などの取材を通じて「人間・徳田虎雄」の姿を浮き彫りにしております。
最新の医療機器を駆使して命を永らえている彼が見据えている「理想の医療」。その姿は彼がいなくなってからも追求されると思われますが、願わくばあと少しだけ、彼の「忘れられた日本人」としての生き様を見せてくれればとそんなことを夢想しております。
※追記
本書は2023年11月6日、小学館から『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王 (小学館文庫 あ 29-1)』文庫化されました。徳田虎雄氏は2024年7月10日、入院先の神奈川県内の病院で死去しました。享年86歳でした。合掌。