鳥飼玖美子のレビュー一覧
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私は、特に第5章「文化はどこまで訳せるか」の内容に強く惹かれた。ある文化の中に存在する事柄をもう1つの文化の中に訳するという事はどこまで可能なのだろうか。「言語の通訳」についてしか考えた事のなかった私にとって、この「文化の通訳」という言葉は非常に衝撃的だった。通訳者達はその文化のギャップをどのように埋めてコミュニケーションを図るのか、彼らの奮闘ぶりに読者である私達の脳もストーミングさせられる、パワフルな内容。1つ1つの事例が詳しく取り上げられており、通訳に関する知識があまりない私のような人間にとっても面白く読みやすく書かれているのが嬉しい。通訳という仕事には興味がなくても、英語に何らかの形で興味を持っておられる方には是非一度読んで頂きたい。また、その1つ1つの事例に対する見解もしっかりポイントを突いていて、素晴らしい通訳論の1冊だと思う。
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国語力はありがたいことにいつの間にか身に付いていたと言う部分がかなりある。机の前に座ってテキストを広げ、先生から習うと言う勉強とは必ずしも直結しない。育っていく過程で、本人が勉強と何度も言わずに母語の基本を習得できていた。
小学校高学年に入った頃、勉強の内容が複雑化したり、抽象化したりして、日常の暮らしから離れていく時期に、ことばが内容を背負いきれない、複雑な思考を進めるための言葉の力を十分に持っていないとということがでてくる。
国語力が育つ第一の条件は、本気になって言葉を使うこと。主体的に言葉で考えるリアルを見せ、体験させることで育つ。
大村はま…「民主主義というならば、普通の庶民がちゃんと話し合える人にならないといけないはず。そういう人を育てよう」ということで「一生を通じての財産であり武器」としての言葉の力を育てた。登山家がハーケンを打ち込みながら岩山を登るように、言葉を頼りに一歩一歩考えや感情を認識し、整理し、気づき、疑問を持ち、分かり、納得した歩みを進めながら生きていく。
『子どもの英語にどう向き合うか』
全ての子供は生まれながらに言語への鋭い感性に恵まれている。〜母語の重みを認識すること、そして言語とは一生を通して学ぶものだと理解すれば、英語学習について焦る必要はないと分かる。
『日本語から始める小学校英語〜』
ことばは人間だけに与えられた宝物であることを認識し、その上で力を発揮すべく、直感が利く母語について仕組みと働きについての理解を深め、その理解をもとに母語以外の言語について学んで欲しい。
言語は世界を理解し、考えるという行為を支える。それがしっかりしたものでないと、帰納と演繹、抽象化と具体化、認知とメタ認知といった往復運動が崩れてしまう。
何かを表現したり理解したりする時に、最初に思いついたたった一つの案や言葉でよしとせず、せめてもう一つの言葉を求める努力をする。それが大きな差を生む。考えを進めるとっかかりになる。その時何をもう一つ持ってきて並べるか、それ自体が知恵であり、経験であり、その人らしさに通ずる。
【読むことは書くことの基礎】
読むことで知識をインプット。読むことも書くことも自分のペースで行える。前に書いたことを見直したり、読み飛ばしたりペースの取り方を自分の思考に応じて行いやすい。自分の考えを構築する上でも役立つ自己鍛錬。 -
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ネタバレ【要約】
大学入試において、「これからの時代、英語の四技能の育成が大事だ!」として、英語の民間試験を導入する話があったが、このことには、2つの意味で問題がある。1つは、公平性の問題。(複数の試験をどのように統一的な指標に置き換えるのか、誰が採点するのか、何回も試験を受けて事前練習できる人とそうでない人の間で格差が生まれるのではないか、等)もう一つは、四技能(とりわけスピーキング)に傾倒することに関する問題。「そりゃ四技能は大事でしょ!」と言う人が多い中、本書ではそのことについて警鐘を鳴らしている。
英語ネイティブの子供が母国語を学ぶのと、同じ要領で、「英語をシャワーのように浴びる」ことを謳った高額な教材があったり、中高の英語の授業でも英会話に時間が費やされていると言う実態がある。しかしながら、著者曰く、日本人の英語力は一向に上がらない、と言うか落ちている。ピアノを弾くのを上手くなるには、ピアノの曲を聞いているだけでは無意味である。それと同様、英語をシャワーのように浴びたからと言って、英会話ができるようになりはしない。外国語として英語を学ぶ人には、ネイティブとは違った学び方が必要であり、地道に努力を重ねた人だけが、高度な英語力を身につけることができる。
とりわけ、著者(斎藤さん)が高度な英語力を得るために有効な学習法と言っているのが、読解と文法である。従来の基礎的な英語学習を継続することが、結果的にスピーキング能力にも繋がってくる。
また、陸上選手が走る・跳ぶと言った能力を必要とするのに対し、泳ぐ能力は必要ないのと同様のことが英語学習にも言える。例えば、理系の人にとっては英会話よりも、専門的な知識と、そして原著論文を英語で読み、英語で論文を執筆する能力だろう。近年では、専門的な科目も含めて、大学の授業を英語でやろうという向きもあるようだか、その場合、学習者や先生の英語能力によっては、元来素晴らしいとされてきた日本の専門教育の質を落としかねない。
【感想】
私自身は、子供の時に英語の本を読むことで、英語の世界を広げることができたと考えているので、高度な英語力を伸ばすために、読解が有用だと言う話は、大変勇気づけられた。英会話は相手がいないと学習できないが、本を読めればどんどん自律的に学習できるところも良いところ。(最近では、AIとスピーキング練習ができるアプリもあり、実際使っているが、ちょっと物足りないかも。。)
自分自身は、もう少しスピーキングができるようになりたいと思っているが、なかなか学習法が難しいと感じている。だが、著者の言うように、苦労せずに高度な英語力を身につけるのは無理!と言うならば、とにかく地道に勉強しよう!と逆にモチベーションが上がった。著者(斎藤さん)は、英語文体論というのを専門にしているためか、いくつかお薦めの英語の文学作品が掲載されていたので、久しぶりに英語の本を読んでみようと思う。
※AIを一般人も使える現代において、英語は必要ないのでは?と言う意見について、個人的には以下の理由で、やはり英語の学習は続けたいと思う。
・英文の自動翻訳はめちゃくちゃ分かりにくいことがあるし、その道の専門家であるはずの翻訳者が翻訳した本でさえも、私にとっては分かりにくくて途中で嫌になってしまうことが多々ある。そして、AIは平気で嘘をつく。やはり英語の書籍は原文で読んだ方が、すっと頭に入るし、導入として翻訳を使うのはありだとしても、騙されないためにも最終的には原文を読んだ方が良いと思う。
・単純に、翻訳アプリではなく、自分の声でコミュニケーションが取りたいから。多少拙くとも、懸命に英語を扱うと言うことが、相手とコミュニケーションを取りたい!と言う意識の表れとして、相手にも伝わり、それが信頼感に繋がるのでは?と思うから。どうしても、理解できない、伝えたいのに伝えられないことがあれば、部分的に翻訳を使うのもありだとは思うが。 -
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「あんたたち、本気で英語マスターしたいと思ってんの?」「本気でマスターしたいなら文句ばっか言ってないでもっと努力しなさいよ!!」・・・という鳥飼さんの超本音があちこちに見え隠れする、大変面白い本でした。
そう、本気で完璧な英語をマスターしたいのなら言葉だけでなくその国の歴史・文化まで理解が必要になる。
そもそもそこまで必死に学ぶ必要が本当にあるのか。
国際会議や重要な場面には必ず通訳がついてくれるし、単に旅行先で英会話が必要とか、映画を字幕無しで見たいとかだったらそこまでの英語は必要ない。
逆にネイティブの発音でハリウッド映画に出たい!
英語圏でダンスをトコトン学びたい!とか目的が明確なら、そこに絞って徹底的に学べば良いのである。
自分が何の為に英語を学びたいのか、本気でやりたいことがありその為に英語が必要なのであれば必死になって勉強できるはずなのだ。
なんだか目からウロコ・・・単にコミュニケーションを楽しみたいのなら少々文法や発音がおかしくたって何の問題もないのよね。
一気に肩の力が抜けました。
今まで読んだ英語の指南本の中で一番説得力があったかも。 -
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言語を学ぶのは一生の勉強。
語彙を増やすこと。多読、精読。単語を覚えるだけではなく、使われているセンテンスごと吸収。
文法は大事。スポーツで言えばルールと同じ。ルールを知らなければ試合に出れない。
補語はイコールで繋げられるもの。目的語は繋げられない。例えばHe makes me happy.
Heとmeは同じではないので目的語。
守りに入るな。
どんなに大変だと思う仕事も、しばらくすれば慣れてくる。慣れて定常状態に入ると成長は鈍化する。そんな時はあえて環境を変えて変化させる、不均衡状態をわざと作ることで緊張感を維持し、自らが進歩していける。
英語学習の成否を決めるのは、自ら意欲的未知と出会い、緊張感持って努力を継続できるかということ。
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ネタバレことばの力とは何か? どうやって育てるのか?
それぞれ専門分野が異なる3人の往復書簡のような意見交換。自分の中では鳥飼先生の分野にもっとも馴染みがあるので、鳥飼先生の意見が一番スッと入ってきた。しかし大村はまという大きな教育をどのように受け継ぐかは興味がある。教育に王道なしとはよく言ったもので、同じ生徒、同じ先生という条件にはないのだから、唯一絶対のメソッドなんてない。大村はまの教育がどんなに優れていようと、うまく適用されない現場や生徒がいるだろう。だからそれぞれの優れた教育法の核を認識して、教員がそれぞれの教室で一人ひとりの生徒をよく見て、もっとも適した方法を取る必要があるのだ。それはとても大変な道だけど。
英語と日本語を比較することで深まる部分というのは自分の中にめちゃくちゃあった。自分は文法(というか文の構造)大好きなので、句や語に分解して理解していくというのを、英語・古文・漢文すべてでやっていたな、と。でもそれが万人に通じるとは思わないし、学習初期には向かないだろう。 -
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長崎通詞(江戸時代、オランダとの貿易で通訳を果たしていた人)の話がけっこう衝撃的だった。オランダ人から英語を教わり(とはいえオランダの人も英語を教える先生ではない)、しかしそれでもアメリカ人との会話は成り立たない。日本に密入国しようとしたアメリカ人が捕まえられ、頭を下げて英語を教わった姿勢には逆にこっちが頭下がる。ましてそれがあったからペリー来航に備えられたという…。凄まじい日本史である。小説、『海の祭礼』読んでみよう。
ともあれ、どんな形で英語を使いたいかは明確にしとかないといけない。旅行で使う英語、ビジネスで使う(会社の取り引きやスポーツまで幅広い)英語なのかイメージしとこう。
任侠映画見まくって日本語覚えたらとんでもない言葉遣いを覚えてしまった外国人がいるように(笑)、英語もまたしかりらしい。それはそれでちょっと面白いが、映画を見て(字幕なし)英語を覚えるのはやってみようと思った。好きなところから入る。やはりこれに尽きるな。 -
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著者は立教大学異文化コミュニケーション研究科創設者の鳥飼玖美子先生。1〜3章は歴史的事例から通訳における誤訳というものを考察、後半は翻訳における文化の違いの重要性に着目し、最後に通訳者の使命や通訳研究の必要性を提起している。
ややセンセーショナルなタイトルがつけられているが、裏表紙にあるような誤訳の話は前半だけ。通訳論の本が書きたかったとあとがきに書かれているとおり、単なる誤訳論議の本ではなく、もっと客観的に、色々な話題が盛り込まれた通訳論への橋渡し的な一冊になっている。特に、通訳者や通訳者を目指している人は基礎知識として読んでおくとよいと思う。
「通訳は言葉を訳すのか、メッセージを訳すのか」という議論があるらしい。メッセージだとしたら、日本語から英語への通訳は概念から言語という着物をはぎ取り洋服に着替えさせるような役割なのか、それは可能なのか、そもそも言語とは何か・・・。最後の章にあった問いかけが気になった。翻訳を仕事とする者としても、今後考えてみたい。 -
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タイトルにひかれて購入。
米原万里のエッセイみたいな通訳よもやま話も好きだったし、戦後史を通訳の目で見たらどうなるのか気になった。
タイトル通りだったのは全体の5分の1ほどで、あとは作者の自伝や英語教育の話が続く。
すごくエネルギッシュで向学心のあるかたで感心したが、英語は努力次第、通訳には適性のようなものもある、との言に、さらには家庭の環境次第だとも私は思ってしまった。
私が著者をもともとあまり知らなかったのも原因かも。
アポロ着陸のあのセリフの舞台裏や、メディアの発達によって現れた同時通訳という技術、黎明期の通訳パイオニアたちのそこに至るまでの道のりは楽しく読んだ。
特に國弘さんはキャラクターが際立っていて楽しかった。
西山さんとライシャワーの関係など60年代の物語をもっと読んでみたかった。
AI翻訳など新たな局面を迎えて通訳翻訳世界がどうかわるか、今後も言葉の未来に興味がある。通訳の世界では、なによりコミュニケーションというナマモノを扱う点では、まだまだ人間の仕事として続く気もする。