鳥飼玖美子のレビュー一覧
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読み応えのある翻訳論だった。
第一章、第二章などは、太平洋戦争中、そしてその後の政治の場面の中での誤訳が扱われている。
その辺りは政治状況についての知識や、興味があまりなかったので、少々つらかった。
後半は、翻訳がどこまで可能なのかという話が中心。
こちらの方は、かなり読みやすい。
芭蕉の古池の句をどう訳すかという話は、非常に面白かった。
言葉を単純に置き換えるレベルなら、いかようにも訳すことはできるけれども、「かはず」を「frog」と訳して済ましてよいのか、とのこと。
英語圏でいう「frog」は、侘びさびどころか、出てくるだけで噴出してしまうような、あまり情緒的にみられることのない生き物 -
Posted by ブクログ
ネタバレニコ生で、鳥飼玖美子さんとひろゆきの対談があって、それを見た後に買いました。
番組で1時間半ほど内容についての議論を聞いた後だったこともあり、非常に理解ができました。
さて、本書はタイトルにもあるように、英語公用語についての是非を述べておられます。しかし、それだけが書いてあるというよりは、英語そのものの価値や考え方について書かれており、面白い、非常に面白いです。
本書で知ったのですが、日本の英語教育が20年ちょっと前から、コミュニケーション主導になっているということに驚きました。つまり読み書きよりも、話すことに重点が置かれているということです。これは学習指導要領にも明記されているそうです。 -
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「ユニクロ」や「楽天」が社内の公用語を英語にするというニュースを耳にしたとき。「ふーん」という感想をもらしたことは覚えている。この「ふーん」の中には、「できるんかぁ?」という思いと「英語が苦手な社員は大変やな」という思いがあった。
こういう話題があるといつも思い出すのが、鈴木孝夫先生の名著『ことばと文化』であった。ことばと文化は密接につながっている、簡単に切り離せることではない。
必要な人だけが、必要な分野で、必要なときに英語を使えばいいじゃんか、と思う。
日本国内の会社で、日本人ばかりのスタッフがいるなかで、強制的に英語しゃべれ!というのは絶対長続きしないと思う。 -
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通訳という存在は古代エジプトにまで遡るといわれる。ところが、「翻訳」という仕事が歴史に刻印されてきているのに対し、「通訳」についての歴史は空白に等しい。それは「話し言葉は消えてしまう」からであり、多くの場合、通訳を担った者たちが社会的に高く遇されていなかったからだろうと著者は言う。
本書は、同時通訳の第一人者であり英語教育の最前線で活躍してきた著者が、英国の大学に提出した博士論文を編み直したもの。長い通訳の歴史の中でも、とりわけ第二次世界大戦後、日本が国際社会に返り咲いていく時期の外交舞台で活躍した同時通訳のパイオニアたち――西山千、相馬雪香、村松増美、國弘正雄、小松達也――へのロングイン -
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試し読み
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私は、特に第5章「文化はどこまで訳せるか」の内容に強く惹かれた。ある文化の中に存在する事柄をもう1つの文化の中に訳するという事はどこまで可能なのだろうか。「言語の通訳」についてしか考えた事のなかった私にとって、この「文化の通訳」という言葉は非常に衝撃的だった。通訳者達はその文化のギャップをどのように埋めてコミュニケーションを図るのか、彼らの奮闘ぶりに読者である私達の脳もストーミングさせられる、パワフルな内容。1つ1つの事例が詳しく取り上げられており、通訳に関する知識があまりない私のような人間にとっても面白く読みやすく書かれているのが嬉しい。通訳という仕事には興味がなくても、英語に何らかの形で興
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国語力はありがたいことにいつの間にか身に付いていたと言う部分がかなりある。机の前に座ってテキストを広げ、先生から習うと言う勉強とは必ずしも直結しない。育っていく過程で、本人が勉強と何度も言わずに母語の基本を習得できていた。
小学校高学年に入った頃、勉強の内容が複雑化したり、抽象化したりして、日常の暮らしから離れていく時期に、ことばが内容を背負いきれない、複雑な思考を進めるための言葉の力を十分に持っていないとということがでてくる。
国語力が育つ第一の条件は、本気になって言葉を使うこと。主体的に言葉で考えるリアルを見せ、体験させることで育つ。
大村はま…「民主主義というならば、普通の庶民がちゃ -